喫茶ーmid nightー   作:江月

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八杯目

 遠月茶寮料理學園。料理界においてのエリート、いや、超エリートを産み出すための学校であり、卒業到達率10%以下という地獄の砦である。

 具体的数字を挙げるならば、1年から2年へと進級できたのは812名中の僅か76名。在籍するだけでも料理人としての箔が付き、卒業できれば引く手数多という化物校。

 更に質が悪いことに腕さえあれば貧富の差など関係無いにも関わらず、エリート気質のバカや選民思想を持つキチ、果ては同級生ですら見下しあうという世紀末も真っ青な魔境じみた一面も多分に持ち合わせている。

 そんな魔窟に行くことになってしまった物臭ダメ店主、夜帳昼也は現在──────

 

「……………………」

 

 日当たりの良い縁側に安楽椅子を持ち込み、店ですると同じように、本を読みながらコーヒーを啜っていた。

 キシキシと軋む音をたてながらユラユラと静かにゆっくりと揺れる安楽椅子とポカポカとした柔らかな太陽光と、眠くなる要素をふんだんに盛り込んだ定年退職後に趣味もなく縁側で昼寝をする老人、のような時間。

 因みにこの日本家屋は彼の家ではない。本と安楽椅子は自前だがそれ以外は全て他人のものだ。

 あの日、京都での一幕から時は流れて数ヶ月、昼也は店を閉めてここに居る。

 そも、彼は生来面倒くさがりであり、確かに編入することを何となく決めはしたが、前にも書いたように彼の店から遠月までは遠いのだ。中学での通学ですら億劫であったというのに、更に遠い場所が目的地なら足も鈍る。

 常連客達はその事を知っている、ならばどうするか。

 その措置として、昼也は薙切の家へと招待されていたのだ。彼からすれば招待というよりも拉致の方がしっくりくるのだが、目を瞑ろう。

 結果、自堕落の極みのような生活を彼は離れですることとなった。

 平日は学校に送られ、休日は日がな一日離れで安楽椅子の上で本を読む。時々仙左衛門等に頼まれてコーヒーを淹れたり、軽食を作ったりするがそれ以外は明らかにニートのそれだ。というか中学生の時間の使い方ではない。

 そんな枯れ果てた老人のような昼也はカップに注いだコーヒーを飲み干し、お代わりを注ごうと傍らに置かれた足の長い机の上に置かれたポットを取り、首を傾げた。

 

「………無くなった、か。面倒だな」

 

 ポットから吐き出されるのはたったの数滴。そういえば軽かった、とポットを元に戻しつつ、昼也は椅子に深く座り直した。ギシリと軋んで揺れる。

 部屋の奥に設けられたキッチンへと向かえば直ぐにでも新たな一杯にありつけるのだが、如何せん店と比べて遠い。店なら4歩のところを、ここではその四倍は歩かねばならない。いや、それでも16歩なのだが。

 その手間を彼は惜しんでいるのだ。経験ないだろうか?ゴミ箱に投げた紙屑が入らず、脇に落ちて結局拾って捨てたり、洗い物をしていて水をためていた桶を流したら桶の底と似た色合いの食器が出てきたりだとか。とにかく細かく地味であり、微妙にイラッとする手間。

 昼也はそれらが嫌いなのだ。嫌いであり、面倒であるが故にコーヒーにありつけない、という悪循環に陥っていた。動けよダメ人間、と何処から聞こえてきそうな程の怠惰っぷりだ。

 

「…………どうしたもんかね」

「何がかしら?」

「ん?」

 

 独り言に返ってきた呆れの声。そちらを見れば腕を組み高圧的様子のえりなの姿があった。

 コックスーツの姿である事から推察すると、またどこぞの料理人のメンタルをブレイクしてきたのだろう。

 彼女はスタスタと縁側に近付くと、昼也の座る安楽椅子の隣に腰を下ろした。

 

「それで?何を困っているのかしら?まさか、今さら編入をなしにするつもりじゃ…………」

「いや、そうじゃねぇよ。コーヒー取りに行きたいんだが…………面倒だと思ってな」

「…………相変わらずの物臭ね。そんなんじゃ、直ぐに學園を追い出されるわよ?」

「そりゃ、願ったり叶ったりだ。俺は好きで行くわけじゃないんでな。調べものさえ終わればおさらばさ」

 

 コーヒーがなく、本もキリの良いところなのか淀みなく昼也は言葉を返していく。珍しいこともあるものだ。

 

「流石に、編入試験で手を抜くことは無いわよね?」

「モノによる。仮に鹿の解体とかやらされるなら、速攻で帰る。面倒だからな」

 

 出来ないから、ではない。面倒だから。つまりやる気になれば鹿の解体も訳無いということだ。

 高スペックの持ち主であることは知っているえりなだが、やはり慣れない。

 そも、ジビエの解体は知識が無ければ旨いところを軒並み潰しかねない技術なのだ。一介の喫茶店の店主が知っている方がおかしいだろう。

 

「今更だけど、昼也君は出来ない料理はあるのかしら?」

「知らねぇモノは作れねぇよ」

「知ってたら作れるのね?」

「あん?レシピが分かってりゃ一定のモノは出来るだろ。みて、そのまま作る、料理なんてそんなもんだ」

 

 明らかに料理人に喧嘩を売っている発言だ。しかし、ある意味それも真理だろう。だいたい、レシピとは料理を作るための謂わば指標、案内なのだ。

 昼也としてはそんな示された道を進むだけのことで驚かれる方が驚きだ。

 

「……………………本当に規格外ね………」

 

 故にボソリと呟かれたえりなの言葉は聞こえなかった。

 彼女とて才能溢れる人材だ。しかし、今の地位に至るために努力は積み重ねてきたつもりだ。それをぽっと出の者に容易く抜かれるのは腹に据えかねるものがあった。

 だが、同時に目標の1つともなる。特にスイーツ、そして飲料に関しては再現することすら出来ないからだ。

 アリスや黒木場もそうだが、えりなも昼也のスイーツを再現しようとしたことがあった。

 しかし、出来ない。神の舌を持つえりなですら昼也の黄金比から産み出されるスイーツの組み合わせを把握しきれなかったのだ。

 この技術は、ある意味唯一の彼の努力の成果。つまりは彼の目指す至高の一杯を作り上げる為の必須の技能だった。

 黄金比。料理ならば主に調味料に使う言葉だろう。

 昼也の場合はこの黄金比を食材から、調理時間にまで完璧に当て嵌めて作るのだ。その時の彼は手が離せるその時まで厨房内を動き続ける。三、四個の作業を同時に行うなど余裕のよっちゃんである。

 話がそれたが、それらの技術の根底にあるのは、やはり才能。それも近年稀に見る巨大原石。

 カットを施される前ですら群を抜いているのだ。やる気と最上の師さえ居れば世界屈指の料理人も目ではない──────かもしれない。

 絵に描いた餅に意味はなく、机上の空論をどれだけ捏ね繰り回しても無駄なのだ。

 第一、昼也がコーヒーや本以外に精力的に動いていればそれだけで知り合い達は卒倒しかねないというもの。酷いものなど天変地異の前触れ、若しくは偽物と疑いかねないほどに、彼は怠惰で通っているのだ。

 

「結局、コーヒーは飲まないのかしら?」

「……………………面倒だ」

「なら、私が持ってきたら淹れてくれる?」

「んー………………………………ま、良いぞ」

 

 えらく間が空いたが一応了承の返事を確認したえりなはイソイソと靴を脱ぐと離れへと上り、奥へと向かっていった。

 それを横目に見送った昼也は庭へと再び大きく欠伸をする。昼寝に最適なポカポカ陽気。コーヒーで誤魔化していた眠気も、抑えるカフェインが無ければ顔を出すというもの。

 一応えりなを待ちながらも、その瞼は徐々に徐々に下りてきはじめ、それに併せて呼吸も長くゆっくりとしたものへと変わっていく。

 因みにコーヒーはブレンドしたものをある程度保管しているものの、お湯の温度から注ぐ量でも大きく味が変わるため彼以外は上手く淹れることが出来ない代物となっている。

 つまり

 

「寝ている!?」

 

 戻ってきたえりなはそんなキャラもかなぐり捨てた驚きの声をあげてしまう。

 上述の通り、デリケートなこのコーヒー。昼也が淹れなければ持ってきた意味が無いというもの。

 

「起きなさい、昼也くん。ほら、早く」

 

 その後、彼が起きるまでの30分、えりなは只管に彼を起こす作業に苦しめられるのは全くの余談である


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