喫茶ーmid nightー   作:江月

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四杯目

 ─喫茶 mid night─

 美食の一族をも魅了する軽食とコーヒーが売りの隠れた名店というやつだ。店内にはコーヒーの匂いが染み付き、苦手なものには耐えがたい空間だろう。

 だが、今日は何やら様子が違った。

 店の入り口の扉には“close”の札が下げられており、いつもただでさえ薄暗い店内は完全に灯りが消えてしまっているのだ。

 出不精と散々揶揄された男。彼は今、───────フランスに居た。

 いや、これには園児の作る砂山よりも低く、そこらの道路に雨上がり後に晴れて残った水溜りよりも浅く、そして沖ノ鳥島よりも狭い理由があるのだ。

 チッセエじゃんとか言ってはいけない。件の本人は何も納得していないし、する気もないのだから。

 昼也の背にはある程度の大きさのバックパック。その手にあるのは一枚のメモだ。

 暫く辺りを見渡すが、やがて諦めたようにため息をつき、その重い足取りのまま、近くの通行人へと歩み寄って行く。

 前に書いたがここはフランスだ。当然、公用語は仏語であり、そこらの通行人が話せるモノなど仏語が殆どだ。

 

『すみません。お時間よろしいですか?』

 

 が、この男、アッサリと仏語を話して見せた。いつもの気だるい様子はそのままだが流暢なフランス語に通行人も少し驚いた様子だが応える。

 

『え、ええ、構いませんよ』

『ありがとうございます。実は道を尋ねたいのです』

 

 昼也が示すメモ。そこにはフランス語で書かれた住所が記されていた。

 

『この店に行きたいんです。分かりますか?』

『…………ああ、“SHINO'S”。お食事ですか?』

『いえ、ここの料理長と知合いなんですよ』

 

 その発言に通行人は目を剥いた。彼、若しくは彼女から見れば昼也は未だ幼さの残る少年なのだ。疑うのも仕方ないというもの。

 しかし、その程度の視線で昼也がキョドる事などあり得ない。何食わぬ顔で続きの言葉を待っている。

 その姿に冷静さを取り戻したのか一つ咳払いをすると、道を指差し口を開く。

 

『この道を真っ直ぐ行って突き当たりを左に。更に進んでいくと見える筈だよ』

『ありがとうございます』

 

 握手をして去っていく背中を見送りながら、ふと、彼又は彼女は気が付いた。

 芳ばしいコーヒーの香りが、ふわりと立ち上る。

 

 

 ■◇◇◇■◇◇◇■

 

 

 “SHINO'S”。日本人初のプルスポール勲章を授与された『レギュムの魔術師』の異名をとる四宮小次郎がオーナーを務める店だ。

 そんな、ある種の革命を成し遂げた名店は本日お休み。窓、入り口にはカーテンがかけられ、更に“close”の立て看板。

 しかし、店内奥の厨房には二つの影があった。

 

「四宮さん、お久しぶりです」

「…………急にどうした?」

「いえ、堂島さんに頼まれて来たんすよ」

 

 影の一つは昼也。冷蔵庫に凭れて話し相手に目を向ける。

 黒縁眼鏡の神経質な印象を覚える彼こそ、四宮小次郎その人だ。

 久しぶりに会ったその姿に、窶れた、と昼也はそんな感想を持った。

 

「…………痩せましたね」

「ハッ、激務何でな。お前の所みたいに暇じゃねぇんだ」

「採算とれて学校行ってるんすから良いじゃないですか」

「……そういやそうだったな。お前の店はどうなってんだよ、まったく」

 

 呆れたような、それでいて楽しげな雰囲気の四宮は脇におかれていたカップをとって中身を啜る。これは昼也が厨房で拝借したコーヒーをブレンドして彼自らが淹れた一品だ。

 その完成度は毒舌家でプライドの高い四宮ですら無条件で旨いという程のもの。

 四宮はカップに口を付けつつ厨房内をキョロキョロと見渡し、正確にコーヒーの位置を導きだした昼也へと視線を送る。

 二人の出会いは数年前。先代のマスターがまだ現役であり、昼也自身もコーヒーに砂糖とミルクを入れていた年齢の時だった。

 

『老けてるな、アンタ』

 

 開口一番がそれだった。理解するまで数秒を要し、更に怒鳴るまで数秒を使うという間が空くほどにあんまりな言い方。

 小学校低学年の子供にあそこまで本気で怒鳴ったのは最初で最後だろう、と四宮はそのときの事を思い出してため息をつく。因みにその時から既に昼也は揺り椅子に腰掛け本を読み、コーヒーを味わうスタイルを確立していたりする。

 そして腹の底から怒鳴った四宮は直ぐにでも店を出ようとしたが、件のマスターに説き伏せられて渋々、一杯のコーヒーを頼んだ。

 暫く待って、出されたのは一杯の何の変哲もないコーヒー。

 だが、薫りがふわりと昇って嗅覚で感じ取ったその瞬間、まるで電気が背筋を駆け抜けたのでは、と思えるような衝撃を彼は受けたのだ。

 あまりにも、あまりにも芳醇な薫り。たったそれだけで、薫りを嗅ぐだけで腹が満たされてしまうような、そんな気分を四宮は味わった。

 震える手でカップを掴み、静かに持ち上げ、再度薫りを楽しんで、口をつけて傾ける。

 その瞬間、薫りの時以上の衝撃を受け、思わずカップを取り落として、放心してしまいそうになるほどの一杯。

 タレーランの名言である“悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い”が姿をもって現実に現れたと錯覚するほどの衝撃。

 それ以来、店は忙しかったが、暇を見つけては帰国しその店に通っていた。

 あれから数年、今現在、この瞬間自分のために淹れられたこの一杯はあの時と変わらない、いや、あの時以上の味と深みを四宮へと伝えてくる。

 

「目標、か…………」

 

 ポツリと自嘲気味呟けば、空しさが胸のうちに巻き起こる。

 プルスポール勲章を取ってから、自分は明らかな停滞の時期に居ることは自分自身で気がついていた。

 仲間の離反、経営の傾き、自身が完成する前に得てしまった勲章。

 その全てが精神を蝕んでいた。ガリガリと端の方から削られていき心が痩せ衰えていく。

 それに併せるように目の下の隈も濃くなり、先程昼也に指摘されたように痩せていく一方だった。

 

「四宮さん」

「…………なんだよ」

 

 不意にかけられた言葉、ついつい刺のある返答をしてしまう。

 そんなつもりは本人に無くとも、ここ数年で染み付いてしまった疑心暗鬼はそう簡単に抜け出してはくれないのだ。

 だが、昼也もひかない。今回のフランス渡航は何も堂島の頼みを聞く為だけではない。

 この四宮も比較的長い付き合いなのだ。プライドが高く毒舌家で傲慢、だからこそ忌憚のない意見を聞くことができる。

 

「ちょっと、相談なんすよ。聞いてもらえません?」

「…………聞くだけならな」

「んじゃ、遠慮なく」

 

 語られたのは、ここ数回の来店の際に毎度のごとく遠月に来ることを勧められること。そしてそこにいけば自分の求める至高の一杯に本当に近づけるのか、ということ。

 他にも色々とあったが、主にこの上記二つが主題だった。

 聞き終えた四宮は眉間にシワを寄せ、空になったカップを置くと鋭い目を昼也へと向ける。

 

「随分と人気者じゃねえか」

「別に人気がほしくて店やってる訳じゃないっすよ。ついでに言うと俺の期待した答えと若干違うんすけど」

「行っちまえよ。堂島さんと同意見だが食に関して、遠月程整ってるところは早々ねえ。飲料に関してもそれは同じだ。知識の量、集められる情報。どれも個人じゃ到底無理だな」

「…………四宮さんは肯定派、か。んじゃ、ついでに。俺のコーヒーに何が足りないと思います?」

 

 最後の問いは、ある意味料理人究極の問いだ。当然、他人である四宮から明確な答えが返ってくるとは期待していない。しかし、それでも、ちょっとしたヒントが欲しかった。

 が、願い届かず四宮はため息をついて首を振る。

 

「生憎と、お前の求める答えは俺にはない。第一コーヒーに関して言えばお前は俺より上だろ」

「……………………使えねぇ」

 

 ポツリと呟かれた毒舌。だが、ここに居るのは二人だけで厨房は意外に声が響く。

 案の定蟀谷に青筋を浮かべた四宮は昼也の頭を鷲掴みしギリギリと力を込め始める。もやしっこの昼也に逃れる術はない。

 

「痛い!?痛いっての、四宮さん!?」

「痛くしてんだから当然だろ。お前は相変わらずだな、全く」

 

 やれやれ、と首を振って再度ため息をついた四宮。その表情は幾分か和らいでおり、顔色も少なからず良くなっていた。

 やはり、この男─────

 

「痛い!痛い痛い痛い痛ィイイイイ!?」

「ハッハッハ」

 

 ドSである。


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