喫茶ーmid nightー   作:江月

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二十二杯目

 秋の選抜。

 それは選出された60名での料理の祭典。A、B二つの組に別れ、そこから更に勝ち上がった者達が本戦へと出場となる。

 本日、遠月学園は終業式。夏期休暇へと思い馳せる学生ばかり────とはいかない。

 今日は彼等にとって一大イベントである、秋の選抜に出場する60名が正式な発表を迎えるのだ。

 

「……………………」

 

 のだが、昼也の姿はボードの前には無かった。

 一年皆が、注目するなかで一人自室のベッドで惰眠を貪っていたのだ。その目の下には濃い隈がある。

 というのも、彼はここ最近凝っているスパイスや漢方の調合を組み込んだ新たな黄金比を編み出そうとしていた。

 いや、それは本来彼にとっては副産物。本命は新たなコーヒーのレシピの試行錯誤である。

 結果、コーヒーの飲みすぎで寝るに寝られず、終業式をブッチしていた。

 今は漸く眠りにつけているところだ。第一周りと違って昼也の目指すものには選抜はあまり関係ない。むしろ、無関係と言っても過言ではない。

 そも、えりなによって自分が選抜入りしていることは知っている。その後にやっぱり落とそう等と言われれば、小躍りして喜びを表していたかもしれない。

 だが、現実は彼にとって優しくない。選ばれた事実は消えず、そのまま逃げることも許されない。

 意識が飛ぶ直前まで、呪詛擬きを吐きながら彼は眠りについた。

 さて、この施設だが昼也の知り合いには知りわたった場所だ。そして彼は財布と通帳を金庫にぶちこんでいる以外は基本的に戸締まりはしない。強いて挙げるならば、コーヒー豆とコーヒーを淹れる器具が厳重に保管されている位か。仮にそれらに手を出せば、彼は躊躇なく研いだ牛刀で、盗みを働いたバカの脳天をカチ割る事だろう。

 そんな、スプラッタな光景が作り出される可能性のあるこの施設だが、基本的には来るもの拒まず、去るもの追わずのスタンスだ。

 本人からすれば、自分の好きな空間さえ壊されなければ、後はどうぞご自由に、というのが本音だろう。

 

「昼也くーん!居るかしらー!」

「…………お嬢、もう少し静かに」

 

 静謐をぶち破るのはそんな声。昼也の知り合い、悉くに知られているというのは、つまりこういうことなのだ。プライベートが軒並み死んでやがる。

 とはいえ、死んだように寝ている昼也が返事をするはずもない。完全に意識が夢枕の彼方へと吹き飛んでいるために軒並み、五感の機能なども停止しているのだ。

 

「あれー?もしかして、居ない?」

「…………たぶん寝てるじゃないですか?えりな嬢が終業式に来ていないとぼやいてましたよ」

「何でそれを私に言わないの!?寝起きの昼也君って…………」

 

 言い切る前に、ギシリ、と板張りの床が軋む音が聞こえてきた。その音は徐々に近づいてきている。そして、厨房際奥に設置された扉。

 開け放たれていた扉の縁にガシリと噛み付くように張り付いた手。

 現れるのはねこ背であり、伸びた前髪がダラリと垂れ下がり、そして全身から負のオーラを発する昼也だった。

 

「…………怒ってるね」

「…………怒ってますね」

「…………アァリィスゥ……………………」

「ひぃ…………!」

 

 地の底から響くような低音。髪の隙間から覗く、怪しく光る眼光。その姿は、正に鬼の如し。

 

「……………………」

「あ、あら昼也君、い、居るじゃない!」

「……………………」

「え、えっと…………何で無言で近付いて来るのかしら?」

「……………………」

「リョ、リョウく…………居ない!?」

「……………………」

 

 一歩ずつ着実に近づいてくる、鬼改め昼也にアリスはジリジリと後退りながらやがて冷蔵庫を背にして追い詰められた。既に従者は逃亡済みだ。

 若い女性の悲鳴が木霊した。

 

 

 ▲▽▽▽▲▽▽▽▲

 

 

「ったく…………こちとら寝てたってのに」

 

 不機嫌な様子で、昼也はコーヒーを淹れていた。目の下の隈は相変わらず濃い。

 その側では調理台の天板に上体を投げ出して項垂れるアリスとその隣に座りコーヒーを飲む黒木場の姿もあった。

 

「酷い…………酷いわ…………!うら若い私の小顔を軋むほどに握るなんて!」

「…………ルッセェ、騒ぐな。頭に響く……………………」

「でも酷いわ!えりなにはしないのに私にはするなんて!」

「…………だから、煩いって。ホント頭イテェ…………」

 

 言いながらも、昼也はコーヒーを提供する辺り、彼はツンデレなのかもしれない。その顔は隈も相俟って極悪人もかくやと言う悪人面である点には触れない方が良いのだろう。

 今回のブレンドは酸味を強めにしたもの。苦味で目を起こす事も考えたのだが、アリス達が帰った後にもう一度寝られなければ意味がないため、味を楽しむためにこのブレンドだ。

 

「それで?何のようだよ」

「そう!そうよ!忘れてたわ。昼也君。君、選抜の発表見てないでしょ?」

「あー…………寝てた。それが?」

「貴方、Aグループだったわ。リョウ君と一緒ね!」

「……………………マジ?」

「…………ああ」

「うっわ…………マジで辞めたい」

 

 昼也は辟易とため息をついてコーヒーを啜る。先程まで死んでいるだけだった目が、死んで腐り始めていた。内心は勝てる気しねぇ、の一色である。

 そんな燃え尽きたような昼也に対して、黒木場の内心は結構燃えていたりする。

 昼也の料理を味わい、再現しようと試行錯誤したが、どうにも上手くいかなかった経験を持つ彼はこの機会に正面からの料理勝負ができることを意外にも楽しみにしていた。

 研修では組むことがあったがそれ以外は悉く別の課題ばかりであり、若干の不完全燃焼だった。

 

(漸く…………か)

 

 相手にとっては不足無し。強いことが分かるからこそ正面から全力で叩き潰す。

 料理は捩じ伏せるもの。それが彼が北欧で得た料理への姿勢なのだから。

 

「そういや、課題って何するんだ?」

 

 そんな燃える黒木場の内情など知るよしもなく、昼也は問う。

 

「さぁて、私も知らないわ。けど、複雑なものじゃないはずよ」

「何でだ?」

「あんまり複雑だと、技術が先走りすぎるからよ。味が二の次じゃ料理人の課題に相応しくないでしょう?」

「だから簡単ってか?んじゃ、薬膳とかはねぇか。あったら新戸の一人勝ちだからな」

「あら、そこは俺が勝つ、位言うところじゃないかしら?」

「付け焼き刃で勝てるかよ。スパイスも薬膳もこちとら始めて一ヶ月ちょいだぞ?手際じゃやっぱり劣るだろ」

(とてもそうは見えないけどねー)

 

 アリスからすれば昼也の技量は目を見張る。

 ここ最近この厨房に染み付き始めているスパイスや漢方の臭い。昼也がどれだけの時間厨房に籠って調合しているのかを如実に表している。

 黄金比、というある意味誰でも取得できそうな技術で類稀な味を生み出す技量。そして食材に対する鋭い感性。

 何よりレシピへの忠実性を残しつつも、要所要所でアクセントを加えることで味を昇華させていくセンス。

 アリスにすればその全てが羨ましい。

 

「ま、予選落ちなんて結果にしないでね?それじゃあ面白くないもの」

「そりゃ、その時によるだろ。旨ければ勝つし、不味いなら落ちるそれだけさ」

 

 

 ▲▽▽▽▲▽▽▽▲

 

 

 翌日、選抜に選ばれた生徒達の元にお題が届けられた。

 

「……………………カレーかよ」

 

 お題はカレー“料理”。

 カレーライスに留まらず、カレーうどんやカレーラーメン、スープカレーやカレー鍋等、とにかく多種多様。

 しかも、今回求められるのはスパイス時点から念入りに試行錯誤せねばならない。

 上記の料理もそうだが使う食材によっても使い分けねばならないのだ。更には油溶性なのか水溶性なのか。香り付けのもののため組み合わせ、etc.etc.。

 マトモに極めたものを出そうとするとキリがない。

 だが、そこだけに囚われてはいけないのだ。

 カレー料理なのだから、そこも試行錯誤し、更に食材の調和も考えねばならない。

 生徒達は課題に振り回される夏休みを送ることが当たり前なのだ。

 

「……………………面倒だ」

 

 とりあえずお題の紙を冷蔵庫に磁石で張り付け、昼也は大きく欠伸をした。昨日はアリスと黒木場が帰って直ぐに寝たため、今は大分隈もマシになっている。

 因みに課題に関しては何を作るか既に決めていたりする。被ったとしても問題無い為、後はスパイスと具材をどうするか、という点だけである。

 その料理名は──────


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