喫茶ーmid nightー 作:江月
秋の選抜。
それは選出された60名での料理の祭典。A、B二つの組に別れ、そこから更に勝ち上がった者達が本戦へと出場となる。
選ばれるだけでも相当だが、選ばれた上で粗末な品を出せば、その時点で料理人として終わった、ということになってしまう。むしろ、選ばれない方が気楽であるのだ。
「というわけで、選抜出場おめでとう、昼也君」
「……………………断って良いか?」
えりなからの言葉に、しかし昼也は難しい顔だ。いや、難しいというか、面倒臭い、という顔だろうか。
既にコーヒーの匂いが染み付き始めている、遠月の厨房が彼の試飲の数を物語る。ついでに臭う、強い漢方の香り。
ここ最近、カフェイン中毒を押さえ付ける、漢方スープにも手を出していた。
一般的に、カフェインを取りすぎた場合は水などを多く摂取して体外への排出を促すことが前提となるが、昼也は漢方の組み合わせでそれを補おうと言うのだ。
「だいたい、選抜とか興味無いんだが?何だって俺がそんなのに選ばれンだよ」
「選抜は実積による決定よ。貴方の今までの事を思い出してみれば良いじゃない」
「今まで?」
オムレツ、迷子、コーヒー、編入、ケーキ、食戟、合宿。
思い返せば、濃かったなぁと思わないでもない。そしてやはり自分が呼ばれる理由がわからない昼也。首をかしげて、新たなブレンドに手をつけている。
「…………はぁ………貴方の授業成績と、食戟での結果、そして合宿での高評価。それだけあれば実績として十分でしょう?」
「………………………………え、マジ?」
合宿は分からないでもないが、他には身に覚えがない。食戟はあの一回以外はやっておらず、授業もちゃっちゃと終わらせて、教室を出た記憶しかなかったからだ。
だが、彼は知らないことだが授業は大半A判定、食戟も完勝。そんな結果を残していた。結果としては十分だろう。
「面倒臭い…………」
単純に面倒臭い。昼也の内心はそれ一色。ブッチしても良いのではと思わないでもないが、したらしたで面倒臭い事に巻き込まれそうな気がする。
既に脳内では面倒臭いが、ゲシュタルト崩壊しそうな勢いだ。
そんな死に目の彼だが、手は止まらず新たな一杯を完成させていた。そこに投入するのは、バター。所謂、バターコーヒーというやつだ。別にダイエットをする気は無い。昼也はもやしっこだが、贅肉の類いは付いていないのだ。
程よく溶けたことを確認して、一口啜る。
バターの香りとコーヒーの香り。深みが増す、というかマイルドというか。
少なくとも、昼也としては苦手な味だった。眉間にシワを寄せて一気に飲み干す。彼にコーヒーを捨てるという選択肢は存在しない。
「珍しいわね。昼也君がブラック以外を飲むなんて」
「そういや、えりなには飲ませなかったな」
飲むか?と問えば頷きが返ってきた。
新たなカップに注がれたコーヒーがえりなの前へと差し出される。バターコーヒーは実験の意味合いがあった為彼女には出さない。店と同じようにブラックで出し、砂糖壷とミルクポットを傍らに添えるのみだ。
クイッと一杯、ホッと一息。チラリと視線を向ければ、彼は新たな調合へと取り掛かっている。
真剣な表情だ。ピリッと引き締まった雰囲気と、チリチリと感じられる集中力。その状態で、慣れた手付きだが最大限の注意を払って、挽く豆の種類より始り、量、荒さの調整、挽き終わった後は手早くネルに乗せていく。
更にそこにスパイスを一摘まみ。適温の湯を回し掛けて、後はカップにコーヒーが満たされるのを待つのみ。
「…………何だよ」
「いえ、慣れたものだと思って」
「何年やってると思ってんだよ。十年はやってるぞ?」
「そう……………………ねぇ、昼也君」
「ん?」
「その…………」
歯切れの悪いえりな。何かを言おうとするが、言葉は紡がれない。
暫く、昼也は待っていたのだが何を言いたいのか分からないため首をかしげて、新たな一杯へと口をつけメモをつけていく。
「……………………いえ、何でもないわ」
「えぇー…………」
溜めて言わない、というモヤッとする言葉に非難するような目になるのも致し方ないだろう。
少しの間、沈黙が流れる。
それを破ったのはえりなだった。
「ねぇ、昼也君。貴方は幸平君をどう思ってるのかしら?」
「どうって?別にどうとも思ってないが…………急にどした?」
「……………………私は彼が気に入らないわ」
「むしろ、お前が気に入る相手の方が少ないんじゃね?孤高(笑)じゃねぇか」
「茶化さないで、今は真面目な話よ。彼、貴方と同じで選抜入りしてるのよ」
「へぇー、ま、納得だがな。幸平の腕は中々だろ?アイツの料理は面白そうだ」
「料理に面白さは必要ないわ!美食はテーブルに乗る前から美しいものよ!彼の作る料理なんて認められません!」
「んなもん、好みの問題だろ。料理人のスタンスなんて人それぞれだし、俺みたいな擬きも居る。問題なのは旨いか不味いか、それだけじゃねぇか」
やれやれ、と首を振った昼也は一杯を飲み干して片付けを始める。
えりなや薊のように見た目すらも気にして、尚且つ旨いものを目指す料理人。創真のように限り無く客の要望に応える料理人。
他にも様々な料理人が居る。同時に客の求める料理も千差万別だ。
その内、大別するならば質より量、あるいは量より質。つまりは腹に溜まれば良いのか、若しくは味を楽しみたいのか、のどちらか。
昼也はどちらかというと前者であるため、味の追求はコーヒー以外にはあまりしない。それ以前に自分で作るため自然と味は彼好みのものが出来上がる。腕も良いため、美味しく、尚且つ量の多いものが出来上がるのだ。
彼の言い分に納得したのか、してないのか、えりなは不貞腐れてプクリと頬を膨らませて、チビチビとコーヒーを啜る。
いつもは凛としているのだが、自分が心許した相手だけしか居ないときにはこんな風に幼い仕草をしてしまうのも彼女の魅力なのだろう。
ガキかよ、と昼也は呆れつつも空いた小腹を満たすために片付けを終え、軽食の準備へと取りかかっていた。
卵にグラニュー糖、薄力粉、ベーキングパウダー、牛乳を取り出し、それぞれの分量を計って用意する。
それら材料をかき混ぜつつ、フライパンをジックリと暖め、そのとなりではお湯を沸かしていく。みそは卵を分けて混ぜるところか。
卵黄の方を混ぜ終えたら、次は卵白を混ぜ途中でグラニュー糖を加えながら固めのメレンゲを作り、その後卵黄の方と混ぜ合わせて生地をふんわりとさせていく。
熱したフライパンに薄く油を引いて、その上にこんもりと一定の大きさで混ぜた生地を乗せ、隣で沸騰させた熱湯を加えて暫く蒸し焼きに。
表面に触れて生地がつかなくなったら、形を崩さないようにひっくり返し、再びお湯を加えて蒸し焼き。
少しすれば完成である。
スフレパンケーキ。見た目に反して可愛らしいモノを作る奴である。
「……………………」
目付きの悪い昼也が食べると、何を食べても不味そうに見える不思議。無表情、無感動で食べるせいだろう。
スフレパンケーキはその名の通り、スフレだ。口のなかでフワリと弾みながらも、シュワリ消える舌触りを味わうことができる。生地自体を甘めに作ってあるため、何も掛けずともパクパク食べられる。
生地はまだまだ余っているため、食べながら焼いていくことで途切れることなく皿にはパンケーキの山が作られていた。
大きさはまちまちであり、一口大のものもあればナイフとフォークが無ければ食べづらいものもある。
昼也はそれらを無視して片手でフライパンを操りながら、もう片方の手でフライ返しとお玉を使って生地を焼きつつ、少し冷めたモノから器用に指でつまんでパンケーキを貪っていた。
そんな曲芸擬きを目の前で見せられているえりなはというと、パンケーキをじっと見ていた。それはもう、ジーッと見ていた。
いやいや、考えてもみればわかるがフワフワのパンケーキが山をなしているのだ。しかも焼きたて。甘くも香ばしい香りが厨房内には満ち満ちている。
「…………食いたいなら勝手に取れよ」
「ッ、そんなことは…………」
「……………………あっそ」
「あっ…………」
パンケーキは残り十枚前後。既に生地は無くなった為にこの後補充されることはない。
昼也はいつもは食べないが、食べようと思えばチャレンジメニューすらも平らげることが出来る胃の持ち主だ。パンケーキ、それもスフレ状のモノなど直ぐに無くなる。
1枚、2枚と瞬く間に無くなっていくパンケーキ達。
えりなは少しの間逡巡していたが、減っていくパンケーキにいても経っても居られず、皿とナイフとフォークを取ってくると1枚をどうにかとることに成功した。
ナイフで切り、フォークで差して口に運ぶ。ホロホロとほどける食感と優しい甘さが何とも嬉しいそんな味。
機嫌良さげな、えりなを横目で見ながら、昼也は冷蔵庫に近付き、入れておいたアイスコーヒーを取り出す。
苦味が強いため、今回のように甘い菓子を合わせるのがベストなのだ。
パンケーキによって甘くなった口内を、キリッとした苦味により相殺、リセットして再びパンケーキを味わう。その繰り返し。
十数分後には完全に無くなった。
「やっぱり貴方、パティシエじゃないの?」
「俺はバリスタのつもりなんだがな」
そんなやり取りが有ったとか、無かったとか。