喫茶ーmid nightー 作:江月
友情とふれあいの宿泊研修、改め無情とふるい落としの宿泊研修。
地獄の四日目の朝は───────やっぱり地獄だった。
それぞれが複数の会場に割り振られそこで各自が考案した朝食をお客へと振る舞うのだ。
「……………………最ッ悪だ………」
その中で割り振られた調理台に突っ伏して昼也は項垂れていた。彼の回りの空気はドンヨリと歪んでいる。
ここはD会場、知り合いが居ないため思いっきり彼は羽を伸ばしていた。というのも、昨晩、というか朝食のメニューを作り終え、昼也はえりなに引き摺られてオセロから始り、ボードゲーム各種に付き合わされていたのだ。
勝率は7:3で昼也の勝ち越し。当然負けず嫌いのえりなは再戦を何度も挑み、そして最終的には寝落ちした。
直ぐに寝ようと思っていた昼也は渋々勝負に応えるためにコーヒーを飲んでいたのだが、カフェインの影響で寝るに寝られず、結果寝不足となってしまっていた。
試験の合格基準はこれから二時間以内に二百食を達成すること。
審査員は、食材の提供者とその家族。そして遠月リゾートのサービス部門と調理部門のスタッフたちだ。
ビュッフェスタイル、そして老若男女。更に“驚きのある卵料理”。先程の合格基準を含めてクリアするべき関門は5つ。
始まりの時間は徐々に近付き、そして、その幕は切って落とされた。
◇■■■■■◇
どの会場も地獄(生徒の)と化しているなかで、やはり際立った者達が多数いた。
薙切えりな。彼女の品は“エッグベネディクト”。ポーチドエッグとオランデーズソース、カリカリのベーコンと仄かに甘く、口当たりの良いマフィン。
それらをバランスよく纏め、更に味に深みを与えてくれるカラスミパウダー。
周りの客も根刮ぎ奪っていく、魅力ある一皿。
薙切アリス。奇抜な見た目の3つの形状の卵を象るもの。その独特な見た目と味により客が集り300食を越えようとしていた。
そして
「はい、追加でーす。押さないでー」
D会場も波乱だった。
会場に満ちるのは出汁の香り、そしてそれと混ざり香ばしく漂うチーズの香り。
そして、一つの調理台の前に出来た長蛇の列。
昼也が作ったのは卵雑炊。それを二種類用意していた。
“キノコとチーズの卵雑炊”そして“梅卵の冷雑炊”
べちゃべちゃとしたイメージがありそうな雑炊だが、今回はサラリと食べられる。
出汁は基本的な鰹の出汁を利用してそこから調味料の味付けと、野菜から刻んだ人参、大根等を加え、水洗いした米を加えて一煮たちさせ、チーズを出来上がる直前で加え蓋をして暫く置けば完成だ。
冷雑炊は冷だしを使い、温かなご飯へと掛けて頂く一品。梅と紫蘇のサッパリとした風味が食を進ませる。
不幸なのは彼と同じ会場の生徒達だ。
この会場に入った瞬間から香る出汁の香りに誘われて客の大半を持ってかれていた。
今回の雑炊選択はここ数日で彼に訪れた変化の最も出ている答えだ。
ホテルのお客は老若男女であることは誰しも予想できる。そして朝には食欲がなく、少なめ、若しくは軽くで済ませるものが多いと彼は読んでいた。
しかしだ。余りにも軽く、腹持ちが悪ければ昼までもたない事も多い。
そこを考え、腹持ちがよく、尚且つ栄養バランス、そしてサラリと食べられる料理を考え、こうなった。
出汁の香りで客を集め、選べる、という点で客を逃さず、味で虜にする。
更に雑炊は狙い通り腹に溜まる。そしてネットの口コミで美味しい料理の 情報が広まり、店に行列が出来るように口コミでどんどん広がっていく。
つまりは
「夜帳昼也。380食達成!」
列が途切れない、むしろ伸びている。本人の内心としてはいい加減途切れろよ、客!とか思っていたりするが、顔には出さない。
笑顔で蟀谷にオコマークが見えたりしているが気のせいだ。目が死に始めているが気のせいなのだ。
客が途切れない=食材が切れるまで調理台から逃げられない、ということになる。そして雑炊は一度に大量に食材を入れたりしない。
導き出される解、食材が切れない。
(し、死ぬ……………………)
表現するなら、そう、息が限界で息継ぎをしようと水面から顔をあげた瞬間顔面に水をかけられ、殆んど息が継げず、再び水に引きずり込まれる感覚に似ていた。
調理時間も殆んどないため、気が休まらない。他人のために選んだ調理はここまで自分の首を絞めるのか、と内心で昼也は戦慄し、悪態をつき、嘆いていた。
そして、田所や創真がかなり凄いことをしていた、と理解し同時に自分じゃ無理だ、と覚った。仮にこの人数が店に来たら、数年は閉める事態になりかねない。
厨房は戦場、ハッキリわかんだね。
◇■■■■■◇
『終了!!そこまでだ!!!』
地獄の二時間は終わりを告げた。各会場でホッとした表情の者や、絶望した表情の者等多く、居るなかで完全に魂が抜けかけている昼也は椅子に座って天井を見上げ白目を剥いていた。
肉体、精神共に撃沈。もう一歩も動けない。
燃え尽きた彼の背後にはお椀の塔。
“473”それがこの椀の数だ。温雑炊が251杯、冷雑炊が222杯。
こんなに出るとは本人すらも思っていなかった。実質、二つの朝食メニューを作ってどちらも課題クリアをした形になるのだ。
「片方で良かったかぁ………………」
口から出た人魂がそんなことを呟いているが、少し減ったにしろ、この数に近い量は出さねばならなかった事には気付いていないようだ。
このまま寝てしまいたい所だが次の課題は四時間後。今寝てしまえば遅れること必至だろう。
「と、とりあえず…………風呂」
魂が戻ってきて、半ば死んだ目で立ち上がった昼也は厨房を出て自分の部屋へと向かう。その歩みはふらふらとしており幽鬼の如し。
そんなゾンビ擬きがホテル内を徘徊している時、堂島を筆頭とした監督官達は一室に集まって今朝の課題に関しての論を交わしていた。
「今年の一年は粒揃いだな」
「ええ、計407食を達成させた薙切えりな。大幅に時間を残しながらも380食を達成した薙切アリス」
「残り30分強で自身の技術により、魅せる事で200食を達成した幸平創真」
「他にも各会場で光る才能を見せつけたものはまあまあ居ましたね」
「後は、夜帳昼也。彼もスゴかった。卵雑炊でしたか?」
「あの会場は彼の独壇場だったな。香りが外まで流れていた」
各々が目をつけた生徒たちを挙げていく中でもやはり薙切の二人や創真、昼也は中々の評価を得ていた。
「これは、今から選抜が楽しみになるものですな」
誰かが呟き、同意するように全員が頷きを返すのだった。
◇■■■■◇
1日は突き抜ける矢のように過ぎていく。
四日目の朝に起きた地獄を抜けて生徒達は、一日を駆け抜け、泥のように眠り、そして今に至っている。
現在5日目の午後四時。ロビー集合を言い渡された生徒達は椅子に腰掛け燃え尽きて居るものもちらほら居た。
「……………………はぁ…………旨い…………」
腰に下げるタイプの魔法瓶を片手に昼也はオリジナルブレンドに舌つづみを打ってリラックスしていた。あの朝食の一件から彼はスタイルを元に戻したのだ。
理由は単純に、合わなかったから。慣れないことに頭を捻り、無駄に気を使い、他人に合わせて料理を提供する。
ここまで神経を磨り減らしてまで何かをするぐらいならば、自己満足を叩きつける方が良いと判断していた。
そう決めてからは、ストレスの元も緩和され疲労も著しくは溜まらなくなった。むしろ、調子が良いほどなのだ。
何より、結果が変わらないならば疲れない方が良いに決まっている。無駄に疲労が溜まらないお陰で夜の自分の目的を推し進めることも出来る。
確かに他人のために作ることも料理の根幹だろうが、自分が旨いと思うものを突き詰め求める事もまた根幹の一つということ。
昼也がとったのは後者だった。元より協調性など絞り出さねば出ない男だ。その道をとることは誰の目にも明らかな事だった。
周りへの被害は眼中になく、客には自分の味を叩きつける。長年染み付いたスタイルに戻るだけのこと。そして前までと違うのは、それを故意に押さえ付けて相手の要望を聞き入れる余地が有るところか。
つまりは柔軟に相手の言葉を聞きつつも、最初から無視をするのではなく、必要部分のみを切り取り自身の中へと取り込むということだ。
その結果の一つとして、今回のコーヒーが挙げられる。最初にアホみたいな失敗をしたスパイス入りのコーヒーだ。
胡椒、シナモン、ナツメグ、カルダモン、生姜などを昼也本人が独自に組み合わせて淹れた一杯。モロッコや中近東ではポピュラーな飲み方なのだ。
これを昼也は日本人好みの味へと変えようとしていた。これはその一歩。完成形の味を知った上での改良をここから加えていくのだ。
ノートを目の前のテーブルへと置いて開き、スパイスの候補を一気に羅列していく。専門ではないため数はそれほどでもないが凡そ十数種類の名前が並ぶ。
辛味をつけるもの、香りをつけるもの、色をつけるもの。香辛料は大まかに分けてこの三つ。
今回使うのは前者2つだ。色をつける必要はない。
試行錯誤は前途多難だ。既存のレシピは既に完成されているものが大半であり、そこに何かを崩れると不安定な積み木の塔が崩れるようにアッサリと味が壊れてしまう。
そして、昼也はその困難を面白いと思っていた。少なくとも店に籠っていた時ならば変わり種のコーヒーに手を出そうとは思わなかった筈であり、仮に思ってもそれはもっと後になっていたかもしれない。
それは一種の余裕とも言えるもの。更に余裕が出来たことにより視野も広がる。視野が広がれば見落としにも気付くようになる。
「面白い…………」
ペンを持った手を口許に運びニヤリと笑う昼也。ハッキリ言って不審者のそれである。だが、周りの目など気にしてはいられない。
元々他人に対して無関心なのだ。面と向かって罵詈雑言を言われても響かない昼也が陰口ごときで知的好奇心を止める可能性など皆無である。
周りが見えていない。視線が追うのはノートの文字。思考するのはスパイスの組み合わせ。ガリガリと受験生の様にペンを走らせ
「……………………イッデッ!?」
脳天に拳骨を落とされた。崩れる文字とジクジク痛む脳天。とにかく頭を抑えて上を見上げれば、頬がひくついた。
目の前に修羅が居た。
「ど、堂島さん」
「君のそういうところは暮にそっくりだな。少しは周りを見ることも重要だぞ?」
言われて見渡せば、既にロビーには昼也以外の生徒は殆んど居ない。首をかしげて探してみれば、皆が宴会場の方へ向かう後ろ姿を確認できた。
「これから、ディナーだ。卒業生達のフルコースを君達に提供する」
「成る程…………コース料理はさすがに経験無いですね」
「君ぐらいだろうな、そんな感想は。さて、早く行きなさい。直ぐにでも始まるだろうからな」
「うっす……………………すんません、ノート預かって貰っても良いですかね」
「ほお、俺は構わないが、良いのか?これは君のレシピだろう?」
「別に疚しいことは何も書いてないんで。見られても困りゃしないっすよ」
それじゃ、と小走りで駆けていく背中を見送り、堂島は暫くの逡巡の後、ノートを開くのだった。