喫茶ーmid nightー 作:江月
友情とふれあいの宿泊研修、改め無情とふるい落としの宿泊研修。
現在三日目。疲労も溜まってそこら中にゾンビ擬きが大量に出現してくる頃合いだ。
「……………………」
『おい、マジかよ…………』
『あの手作業で、精密すぎる…………』
『早っ!?』
そんな中で、注目を集めるのは二日目に見せた気だるさを完全に払拭して、マジモードとなった昼也。いつものバーデン姿にサロンエプロン、更にカチューシャをつけた彼は今もフルーツカービングを瞬く間に終えてスイカをバラの花束へと変貌させていた。
今回の課題は結婚式での果物を使ったデザート。
周りが一皿で悩むなか、彼は場から整えることにしたらしい。
テーマは“薔薇”。取っておいた様々な果物を切り、場に添えてフルーツ盛りに。
そして本題のデザートだが、三層構造のベリーケーキを用意していた。
クリームで一片の綻びもないように整え、その上にはチョコレートを使って作った薔薇を添えていく。葉も同じくチョコレート。
更に側面にも絞り袋を使って薔薇を丁寧に描いていき一周、それを三段繰り返して完成となる。
今まで一度も気を配らなかった見た目と、味に今回は細心の注意を払ってこのホールケーキとフルーツ盛り合わせは作り上げられていた。
「…………出来ました」
差し出された二つの皿と器。この課題を出した教諭としてはここまでの完成度の代物を出されるとは思っていなかった。
出すとすれば薙切えりなや薙切アリスといったエリートの二人。少なくとも目の前の夜帳昼也という少年がここまでのモノを出すとは予想外。
包丁を入れることすら躊躇わせる薔薇のアート。しかし、昼也は躊躇う教諭を尻目にアッサリと包丁を突き刺した。そのまま無造作に切り分けていく。
突然の事態だったが、食べるためには仕方がない、と納得させ切り分けられた一切れが乗った皿へと目を向けて、更に教諭は目を見開くこととなった。
何と薔薇の花処か葉の一枚すら傷ひとつつくことなく綺麗に一切れに収まっていたのだ。
無造作に見えての全て計算づく。側面の薔薇すらも傷ついてはいない。
切り分けた断面から甘酸っぱいベリーの香りが漂ってきていた。
切り分けられた一切れすらもフォークを入れることを躊躇わせる魅力を放っているが、教諭は意を決して切り込んだ。
ふんわり、シットリ、されど崩れず、ちょうど良い塩梅。
一口含めば、3種のベリーの甘さと香り、酸味を感じ、更にケーキそのものをコーティングしていたクリームにはマスカルポーネが混ぜ込まれていたらしくしつこくない甘さをよりいっそう引き立てている。
至福の一時。次は薔薇のチョコレート。花弁の一枚一枚が丁寧に作り込まれており、芸術品にも見える。かじれば、ホロリと口の中でほどけ、やさしい甘さが口一杯に広がった。
「こちらでお口直しを」
更に出されたのはカップ。中身は香り高いコーヒー。今回は見た目に比べてさっぱりしているケーキに合わせて少し酸味を感じるものとなっている。
ズズッと啜れば口に残っていた僅かな余韻も流され完全に口の中がリセットされた事が感じられた。
「合格です」
「…………どうも」
合格を貰い、しかし、昼也は満足な様子はない。慣れないことはするものじゃない、と内心で愚痴っていた。
というのも昨日の、ほんのちょっぴり起きた心境の変化に従って相手の事を考えて色々とやってみたのだ。
イメージの原型は創真の客の要望にできるだけ応える姿勢と田所の相手を思いやる動き。
合格は貰ったがなれないことをしているために肩が凝る。腕を回せばゴキリと鈍い音が鳴った。
余談だが、この課題昼也の後に提出した生徒達は上がってしまったハードルによって悉く不合格を食らい、彼は更に恨まれることとなった。
◇■■■■◇
「夜帳昼也、80食達成!!」
宣言にどよめく会場。昼也は“8つ”のフライパンと大きな寸胴鍋の前で一息をついていた。
前回と同じく15分。今回の80食にかかった時間だ。
手際のよさもさることながら今回は盛り付けや応対にも気を配っていたためにその表情はかなり疲れている。というのも今回の相手は来日して合宿していたインナーマッスルユニバーシティの人々だった。
彼自身の物臭に反して語学が堪能な昼也の元には長蛇の列が出来てしまい、ゴリマッチョと面白くもないアメリカンジョークを立て続けに聞かされ見せられれば精神がズタボロになるというものだ。むしろ途中で顔面に鉄板をぶちこまなかっただけ良しとするべきだろう。
昼也は片付けを手早く済ませ、直ぐに会場を出ていった。目指すのは、風呂。といっても長々と浸かる気はない、他にも行く場所があるのだ。
その足取りはどこか楽しげなものだった。
◇■■■■■◇
夜10時。三日目の今日は何故か生き残っている一同揃って初日のように大宴会場へと集合させられていた。
皆が制服姿、勿論昼也もここにいた。
壁際に椅子を置き、その手に持つのは一冊のノート。所々、二色ボールペンを使って色分けしつつ何かを書き込んでいる。
「あ、あの……夜帳、君」
「……………………ん?ああ、田所さんか。何か用か?」
いつの間にやら目の前に来ていた田所。彼女は何故だかオロオロとしており、昼也は首をかしげる。
「どした?」
「え、えっと…………昨日のことで」
「昨日?ああ、あれか。旨かったぜ、久々に他人の作ったもの食ったけど、たまには良いもんだな」
「そっか……………………それ、何書いてるの?」
「見るならどうぞ」
キリが良かったのか昼也は田所へとノートを差し出す。オズオズと受取り中へと眼を通していけば、そこに書かれているのはスパイスが混ぜ込まれたコーヒーのレシピだった。
それは飲む直前で入れたり、豆を挽く段階で加えたり、と多種多様。中には数種類のスパイスを配合したコーヒーのレシピも書かれている。
「す、凄い…………!こんなに細かいところまで……………………」
「まだ、試作品だけどな。スパイスなんて始めたばっかでまだまだ粗い。カレーならまだしもコーヒーだと配分が面倒でな」
スパイスが多すぎればブレンドが崩れ、逆に少なすぎればコーヒーの味と香りに負けてスパイスが死ぬ。
シナモン等の甘い系統ならまだしも、香辛料の類いまで混ぜ混もうとするとその難易度は跳ね上がるのだ。
現に昼也ですら最初の一杯は失敗して酷いものとなっていた。具体的には苦味と辛味、混ざりまくった二つの香り、合計四つのクアトロパンチで思わず頭を抱えてしまった。
あの味を思い出して、顔をしかめる。その時のレシピも確りとノートには記載されていた。
「山椒はダメだ」
「あ、あはは…………」
ゲンナリと項垂れた昼也に田所は渇いた笑みを返しながらもその視線はノートに向いている。
昼也も咎めることなく天井を見上げて息をついた。
さすがに疲れている。自分に足りないものは何となく分かったが、それを確りと掴みきれていないのだ。
どうにも他人のために調理をしたりコーヒーを淹れたりすることに慣れない。元々、コーヒーを極めようと思ったのも自分のためだ。心境の変化が多少あれども、急に他人のために何かをすることには抵抗がある。
だからこそ出来る所から慣れるようにやっていた。このスパイスを入れたコーヒーもその一つ。つまり味のレパートリーを増やそう、ということだ。
確かにひとつの味を極めることは、昼也という個人を満たせるかもしれない。しかし、人の味覚は十人十色、好む味が違うように、感じ方にも差がある。どれだけ彼が太鼓判を押そうとも、嫌いな者は少なからず出るということ。
故の味の多様化。料理が発展してきた道を彼は辿ろうとしていた。
『全員注目。これから課題の発表を行う』
思考が重なりすぎて、船を漕いでいた昼也はその言葉によって現実へと戻ってきた。
そちらを見ればステージの上で、堂島が卵片手に課題を伝えている真っ最中。
『今回の課題はズバリ、“朝食の新メニュー作り”だ。ビュッフェ方式の提供、そして明日の午前6時より審査開始だ』
声にならない悲鳴。ひきつる表情。
ただでさえ辛いというのに、下手すれば今日は眠れないという死刑宣告。
皆が一斉にバタバタと宴会場を飛び出していった。
その中で昼也は彼らを見送り、大きく欠伸をして飛び出す前に田所に渡されたノートを片手で開き立ち上がる。
「随分と余裕ね」
「あん?…………そうでもないさ。ただ、眠い」
「余裕じゃない。それより貴方は何を作るのかしら?」
「まあ、そこは追々な。えりなどうすんだ?」
「私も、追々、よ」
隣り合って歩きながら二人は厨房へと進んでいく。
◇■■■■■◇
「良い香りね」
「このところ、チョイと心境の変化があってな。この合宿は真面目に終わろうと思ってる」
「そう…………一口良いかしら?」
「ん。そっちも一口貰うぜ」
互いに朝の一品を交換して一口食べる。
先程から何度も繰り返してきたものだ。
「完成かしら?」
「完成だ」
「先に休ませてもらうわよ、緋沙子」
「は、はい!私はまだ、なかばですから…………」
「んじゃ、明日の朝…………いや、今日の朝?ん?んん?」
えりなに背を押され、昼也は首をかしげて厨房を出ていった。因みに今は12時を少し過ぎた頃。未だに周りは四苦八苦する中で余裕の二人だ。
「ねぇ、昼也君。これから暇かしら?」
「いや、休もうぜ?明日6時開始なら…………三時間って所か?」
「用意に関してなら問題ないでしょう?少しで良いのよ」
「……………………何すんだ?」
「ふふっ────────オセロ、よ」
「えぇ~……………………」