喫茶ーmid nightー   作:江月

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十五杯目

 友情とふれあいの宿泊研修、改め、無情とふるい落としの宿泊研修。

 気力、体力を根刮ぎ削るどころか抉りとっていく、まさに地獄の五泊六日。

 

「あーあ、怠い……………………」

 

 目が死に、表情が死に、言葉が死に。半ばゾンビのようになりながらも、昼也は驚くべき速度で両手を動かして、5つのフライパンと一つの寸胴鍋を使って調理を行っていた。

 これも課題の一つである。というのも、夜にヘロヘロになって帰ってきた生徒達を待っていたのはゴリマッチョの大集団。上腕大学のボディービル部と更にはアメフト部、レスリング部と食べ盛り筆頭の様な彼等の夕食を提供することが今回の課題。

 “ステーキ御膳50食”それが課題の内容だ。しかも60分という制限時間つき。越えれば当然、退学である。

 利点は50食同じ品を作り続ける点と既に何を作るか決まっており、レシピも提示されている所だろうか。

 つまりは慣れさえすれば出来るものにはあっという間に終わらせることが出来るということ。

 昼也は効率的で尚且つ味を劣化させることなく、後は楽に終わらせる方法をとっていた。それがこの同時進行×6。

 ステーキを焼くタイミングは態とズラス事で盛り付け時間も含めて間断無く焼き続け、味噌汁は所々混ぜることさえ忘れなければ量でカバーし付け合わせのサラダに関しては既に50食分盛り付け終えていた。

 ズガガガガガガガッと音がなりそうな勢いで彼は機械的に作業を推し進めていき、開始から僅か15分。

 

「夜帳昼也!50食達成!」

 

 会場最速で達成してしまっていた。

 複数人からギョッとした目を向けられたが、黙殺。そんなことよりも、先ずは風呂である。

 ここ、遠月離宮はリゾート銘打ち、更に富士山も近いことから温泉が沸いているのだ。

 昼也としても温泉は興味ある。何より夕食前に汗臭いのはどうにかしたいと思うのが人情というものだろう。

 着替えの類いとタオルを突っ込んだ鞄を下げて風呂場へと向かう。

 

「昼也君!」

「…………ん?よお、えりな。風呂か?」

「ええ、人が集まる前に入ってしまおうかと…………昼也君もかしら?」

「まあな。ついでに汗臭い中で飯は食いたくない」

「……………………私も一緒に良いかしら?」

「何が?」

「その……晩御飯を一緒に…………」

 

 頬に赤みを差させモジモジとしおらしいえりな。野郎ならば誰しもどもってでも、その申し出を受け入れる仕草だ。

 しかし、昼也は動じない。並んで歩きながら、死んだ目を前に向けたまま暫く黙りこみ

 

「…………まあ、良いぞ。後で堂島さんに厨房借りる気だったし。自分で作るなら、尚良し」

 

 そこは俺が作る、位言う所ではなかろうか。

 だが、えりなは嬉しそうな様子だ。彼女としては断られる可能性の方が高かったのだから、自分で作るとはいえ食事を一緒にできるだけで僥倖なのだろう。

 暫く、合宿の事で話は盛り上がり、楽しく話していれば距離など無いようなもの。いつの間にか温泉の前にやって来ていた。

 

「それじゃあ、後で」

「おーう」

 

 それぞれの暖簾を潜って中へ。脱衣所の篭の一つに着替えやらを入れ、そして着なれたバーデン服も脱いで、畳んで篭の中へ。風呂の入り方は性格が出るというが、このズボラ男、意外にも几帳面らしく。折り目正しくシワに成らないように丁寧にシャツなどを畳んでいた。

 そしていよいよ、メインの風呂へ。引き戸を開ければ、立ち込める湯煙、温泉独特の臭いが立ち込めている。

 だが、昼也の視線はそこには向かない。珍しく目を見開いて凝視するのは浴槽に腰掛けてストレッチをする筋肉達磨。下手したら先程のボディービル部の面々たちよりもゴリゴリだ。

 

「む?早いな、もう一人目が来たのか」

「……………………何やってんすか、堂島さん」

「その声は昼也君か。ふっ、入浴中のメンテナンスは日課でね。そんなところにボーッと立ってないで、体を洗って入ったらどうだ?」

「……………………そっすね」

 

 促され、適当な洗面台の前に陣取り頭と体を一気に洗っていく。野郎のシャワーシーンなど需要無いためカットである。

 濡れて垂れ下がった前髪を掻き上げて、昼也は湯船にドップリと浸かった。

 

「はぁ…………………ふぅ…………」

 

 筋肉を弛緩させながら手足を伸ばし大きく息をつく。深呼吸と温泉の合わせ技のお陰でだいぶリラックス出来ているようだ。

 その隣に、もとの場所から少し移動した堂島もやって来る。

 筋肉達磨ともやしっこ。並ぶとその差がより一層際立つというもの。

 

「もう少し体を鍛えたらどうだ?料理人は体が資本だぞ?」

「いや、俺はバリスタですし。それにコーヒーを淹れるのに筋肉はあんまし関係ないっすよ」

「相変わらず、か。そういえば聞いたぞ、食戟をしたってな」

「…………誰から聞くんすか」

「総帥からさ」

「あの妖怪爺め…………余計なことを」

「はっはっは!あのお方をそう呼ぶのは君ぐらいだろうな!」

 

 呵々大笑。堂島の声は風呂場の中で反響していく。

 笑われた当人である昼也は若干顔をしかめるも堂島からすればそれすらも幼い頃からの馴染みの顔だ。頭をガシガシと乱暴に撫で、上機嫌。

 撫でられた方の昼也は再び垂れ下がってきた前髪を掻きあげ直して、鼻まで湯船に沈んでブクブクと気泡をあげる。

 再び笑う堂島。

 その後、暫く沈黙が下りていたがそれは再び開かれた引き戸の音によって破られた。

 

「よっしゃ、風呂────お?」

「ふむ、今年の一年は優秀だな。もう二人目か」

「よう、幸平」

「昼也?俺より早かったのか?」

「話は後だ少年よ。そんな格好では風邪を引いてしまうぞ」

「う、うっす!」

 

 やって来たのは創真だった。定食屋の倅として手早く作ることに慣れている彼にとっては50食作ることは比較的やり慣れた作業なのだ。

 そんな彼からして、昼也が自分よりも早く課題を終えていたことは予想外だったらしい。

 手早く体や髪を洗って湯船に浸かると先客二人へと話しかけていた。

 

「いやー、一番風呂だと勇んで来たんすけどねぇ。まさか二人も先に居るとは思わなかったっすよ」

「はっはっは!悪い悪い。とはいえ昼也君は少々別枠と考えるべきかな」

「別枠?」

「薙切えりなを知っているかな?」

「ああ、あのいけすかない…………」

「現遠月十傑第十席に座るあの少女と五分、あるいはそれ以上が彼だ。料理に傾倒していない事が残念でならない」

「…………堂島さん本人いること忘れてねぇっすか?あと、幸平真に受けんなよ。この人見た目に反して人からかうのが好きな嫌な趣味してっから」

「にしたって早かったよな。どれくらいで作ったんだ?」

「……………………15分?あ、そうだ堂島さん。厨房借て良いすか?コーヒーついでに晩飯作りたいんですけど」

「ふむ、ならば地下の厨房を使うと良い。人もあまり来ないからな。片付けさえ確りとしてくれれば使ってくれて構わない」

「ありがとうございます。んじゃ、人を待たせてるんで俺は上がりますね」

 

 湯船から立ち上がった昼也。その背、腰の辺りに手の平程の大きさの切り傷があることに創真は気が付いた。

 

「その傷…………」

「ん?これか?ガキの時に少し、な。んじゃ、上がるぜ。逆上せるなよ、幸平」

 

 説明する気は無いのか、後ろ手に手を振って昼也は風呂場を出ていった。

 創真は堂島にも視線を送ったが首を振るだけ。

 天井から降ってきた滴が水面を揺らすのみ、だ。

 

 

 ◇■■■■■◇

 

 

 コポコポと湯が沸きたつ音を聞きながら小刻みに揺れるサイフォン見つつ、昼也は椅子に腰掛け息をついていた。

 風呂上がり、髪を掻きあげヘアバンドで留め服装は黒のジャージにTシャツ姿。

 その近くには湯上がりで頬を上気させた浴衣姿のえりなや緋沙子の姿もある。

 既に夕食は終えた。これから食後のティータイム、もとい昼也にとっての研鑽の時間となるのだ。

 とはいえ、彼を除けば、えりなと緋沙子はこれから寝る時間。あまりカフェインを摂取してしまうと寝られる無くなってしまう。

 そこで昼也が準備しているのはもう一つの鍋の方。中身は牛乳。じっくりコトコト温められている。寝やすくするならばやはりこれだろう。

 程無くしてコーヒーは完成、ついでにホットミルクも出来上がった。

 それぞれをカップへと注ぎ、更にホットミルクには蜂蜜とシナモンを加えて二人へと差し出す。

 くいっと一口、ホッと一息。自然と息が零れる穏やかな時間。

 

「……………………」

 

 そんな時間のなかで昼也は眉間にシワを寄せた。どうやら納得の一杯では無かったらしい。とりあえず残りを飲み干して、サイフォンを洗っていく。

 コーヒーには淹れる手段が幾つも存在しているのはご存知だろうか。先程のサイフォンしかり、その他にもネルドリップ、ペーパードリップ、パーコレーターに水出しコーヒー、馴染みのないものならばトルココーヒーに用いるジャズベ、どちらかというと紅茶に用いるイメージのあるフレンチプレス等もある。

 どの淹れ方も一長一短。基本は粗挽き、細挽き等の粉の大きさによって使い分けることがベストである。

 さて、次に昼也が取り掛かったのはネルドリップ。

 これは現在流通しているペーパードリップの前からある淹れ方だ。

 ネルとは羊毛織物を事であり、現在は綿のフィルターが用いられている。

 このフィルターの利点はお湯との接地時間が長く、蒸らし時間を活かすことが出来、旨味や風味を上手く引き出す事が出来る事だろう。

 欠点は手入れの面倒くささ。このネルは直ぐに臭いを吸収してしまうのだ。お陰で保管の際には水につけて冷蔵庫に入れ、定期的な煮出し洗いが必要になる。

 しかし、その手間に見あった味を出せるため、紙の臭いがコーヒーに移るペーパーフィルターを敬遠してネルを使うコーヒー愛好家は多いのだ。

 他のサイフォン等と比べて手軽に淹れられることも、魅力の一つだろう。

 直ぐに薫り高い一杯は完成した。

 飲む前に隣にノートとペンを用意していることを確認、そして口をつける。

 ワインのテイスティングのように先ずは香りを、そしてほんの少しだけ口に含み、口内で回していく。そしてノートへとコーヒーのブレンドから感想、改善点まで含めて事細かに書き連ねていく。

 アイランド式の調理台であるため、反対に回ったえりなと緋沙子はその内容を見せてもらうためにノートを覗き込み、驚いたように目を見開いた。

 彼女等も研鑽のためにメモを取ることはあるが、コーヒー一杯にここまで書けと言われれば、無理だと言わざるを得ないほどにノート一ページにビッチリ書かれていればそれも仕方ないというもの。

 

「スゴいわね…………少し見せてもらっても?」

「…………ん」

 

 最後まで書き上げ、昼也はノートをえりな達へと差し出す。

 受け取った二人は穴でも空かんばかりに最初のページからじっくりと目を通し始めた。

 ノートは書き始めたばかりであるため、十ページ程だがそこに詰め込まれた内容は価千金にも匹敵するかもしれない。仮に手順すべてをこなすことが出来たならば同じものを淹れることが出来るだろう。

 これは昼也の持論である、レシピがあれば作れる、というものに起因する。

 つまりはレシピ通りに作ってその味が誰でも表現できない、というのはおかしい、と彼は本気で思っているのだ。

 だからこそ、このノートには事細かに、それこそ、お湯の温度や時間は小数点以下まで、混ぜる回数は正確に、分量に関して言えば小数点の第三位まで細かに記されている。コーヒーに関しては最早変態の領域に片足突っ込んでいる。

 

「昼也君、これはコーヒーの事しか無いのかしら?」

「ん?まあな。なんで?」

「いえ、貴方の料理のレシピも纏めているのかと思っただけよ」

「料理?いや、纏めるようなことはやってねぇぞ。既存のレシピをなぞってるだけなんでな。まあ、アレンジが所々入ってるのは否定しないけどよ」

 

 カップの中身を飲み干して、昼也は肩を竦めてみせた。何度も書いているが、彼の目的は至高の一杯を味わうこと。料理は二の次、三の次なのだ。当然、そんなもののために時間を割くことは限り無くゼロと言える。勿体無いというものだ。

 

「貴方がレシピ本を出せば料理界がひっくり返るかもしれませんね」

「俺がそんなもんに手を出すわけねぇだろ。それより寝なくて良いのか?そろそろ10時だぞ」

「貴方は寝ないの?」

「せっかく、こんな良い場所で色々試せるんだ。暫く居るさ」

「そう……………………また、明日ね」

「おう、おやすみ。緋沙子もな」

「疲労が溜まっている筈ですから早く休んでくださいね?」

「分かってるっての」

 

 厨房を出ていく二人を見送り、昼也は更なる研鑽に勤しむ。

 明け方近くまで、灯りが消えることはなかったのだった。


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