異世界食堂すぺしゃる(異世界食堂×スレイヤーズ) 作:DAY
ここはセイルーン王国の国境付近にある小さな町。
燦々と太陽が輝き、時はランチタイムを少し過ぎた頃合い。
……だと言うのに、この天才美少女魔道士リナ=インバースは空きっ腹を抱えて、街の路地裏をうろついていた。
それもこれもあたしの隣で空腹の余り、奇声のような笑い声を上げ続けているあたしの金魚の糞こと、白蛇のナーガのせいである。
路地裏の窓から外を見ていた住民が、彼女を見て小さく悲鳴をあげて雨戸を閉める。もはや妖怪か何かのような扱いである。実際そうだけど。
「ほーっほっほっほっほっほっほっほっ!」
「あー! やかましい!」
とうとう我慢の限界に達したあたしは隣で馬鹿笑いをしているナーガの頭を、宿からくすねてきたスリッパで張り倒す!
ゴキブリのように地面に叩きつけられたナーガは、しかしすぐにバネ人形のように飛び上がって抗議の声を上げてくる。
「何すんのよ! リナっ! 人がせっかくおもいっきり笑って空腹を紛らわそうとしているというのに!!」
「あんたの空腹が紛れても代わりにあたしの苛立ちは増すのよ! 大体こうなったのもあんたのせいでしょうが! こんなロクに定食屋もない小さな街さっさと通りすぎて、セイルーンのほうに行けばもっと大きめの街があったのに!」
元はといえば、ナーガがやけにセイルーン方面に行くのを嫌がるから、進路を変更し昼食を途中で見かけたこの小さな街で取る羽目になったのだ。
小さいとはいえ定食屋程度はあるだろうと思っていたのだが、これがまた大ハズレ。
元々旅人も殆ど通らず、更に街の人々は外食する習慣があまりないらしく、街の中で外食をとれる店は三軒しかなく、一軒は定休日、もう一軒は先日食中毒を起こして閉めており、最後の一軒は……なんというか、すっごい汚い店で、はっきり言って食欲が湧かなくなるような不衛生な外観だったため、流石のあたしもその店の扉をくぐる勇気がでなかったのだ。
「ふっ。わかってないわねリナ。大体セイルーンのほうのレストランなんて私から言わせれば大したことないから行く必要なんてないわよ。むしろこういう街にこそ隠れた名店があるもの。
そうね、私の勘がこの辺りに隠れ家的なお店があると告げているわ」
「……あんた。もしかしてセイルーンで何かやらかして、指名手配でも食らってるんじゃないでしょうね?」
そう問い詰めるがナーガはそれをあっさり無視した。が、あたしはその時、ナーガの頬を流れる一筋の汗をしっかり見ていた。
……やっぱりこいつ、セイルーンで何かやったな……。
「ま、まあそれはともかく、私の勘ではこの辺の路地裏辺りに小洒落たレストランが有るような気がするわ!」
「あっ! ちょっと待ちなさいよ! そんな適当なこと言って逃げようったってそうは行かないわよ」
あたしの追求から逃げるためか、ナーガが素早く身を翻して近くの路地へと入り込む。反射的に後を追ったあたしだが、曲がると同時に何かにぶつかって鼻をぶつけてしまった。
どうも曲がってすぐに立ち止まったナーガの背中にぶつかってしまったようだ。
「いった~! ちょっとナーガ! 急に止まるんじゃないわよ! ドラゴンとリナ=インバースは急に止まれないってことわざ知らないの!?」
「そんなの初耳だけど……。それよりもリナ、あれ見なさいよ」
「へ?」
そう言ってナーガが指し示したのは、路地裏の奥にある木製の扉であった。
それは薄暗い路地裏には似つかわしくない、上品そうな作りの黒い樫の木で出来た扉だった。
その表面には見たこともない文字らしき記号と、可愛らしい猫ちゃんの絵が描かれている。思わず近寄ってマジマジと観察する。
「この扉、ただの扉じゃないわね……。魔力を放っている。明らかに魔道具の一種だわ。なんでこんな所にこんなものがあるんだろ。ナーガ、ここに書いてある文字読める?」
「いいえ。私も見たことがないわね。でもこの猫の絵は結構可愛いとは思わない?」
「この際、猫の絵はどうでもいいわよ! 他に何か気づいたことはないの?」
そう言うとナーガは勿体ぶった表情でその細い顎に指を当てて考え込んだ。
「そうね……。強いて言うならまるで……」
「まるで?」
「レストランの扉みたいじゃない?」
「アホかいっ!」
どこまで食い意地が張ってるんだこいつは。
だがそんなあたしの罵声にもナーガは何処吹く風で、あっさりとその黒い扉のドアノブに手をかける。
「ちょっとナーガ!? あんたまさか――」
「ほーっほっほっほっほっ! 百聞は一見にしかず! こういうのはとりあえず開けてみればいいのよ!」
この馬鹿ナーガ! 開けた途端、何処とも知れぬ場所へ強制転移されられるとかそういう可能性を考えてはいないのかい! ……いないんだろうなぁ、ナーガだし。
ともあれナーガはあたしの制止も聞かず、あっさりとドアノブを捻った。
反射的にあたしはその場から飛び退きつつ、いざという時のためナーガもろとも扉を爆砕させるための攻撃呪文を唱え始めるが――
チリンチリン。
開いた扉の向こうから響いてきたのは、モンスターの唸り声でもなければ、溶岩の煮えたぎる音でもなく、定食屋でよく聞く呼び鈴の音だった。
◆ ◆ ◆
「いらっしゃい。二名様ですか?」
扉を開けた途端、ダンディな店主の声が賑わっている食堂に響く。
……扉の向こうは本当にレストランでした。
「ええ。二名よ。……どう、リナ? やっぱりレストランだったじゃない」
何故か得意気にこちらを見下してくるナーガ。うーみゅ、空腹時のナーガの嗅覚だか勘だかを少々甘く見すぎていたか。
「はは、うちはレストランなんて大層なものじゃありませんよ。何処にでもある町の洋食屋です」
カウンターの向こうにいる店主と思わしき男性は調理の手を休めずにそう謙遜するが、実際店の中の作りはなかなかどうして結構凝っている。
地下にあるようで、窓の類は一切ないが、柱には魔法の道具と思わしきコンパクトな洒落た照明器具が暖かな光を放っており、薄暗さは感じない。壁や天井、床もしっかりと手入れされているようで、定食屋にありがちな薄汚れた感じは一切ない。きっと毎日しっかり掃除しているのだろう。
並べられたテーブルやその上に並ぶ食器や小物類はかなりの高級品に見える。
弱冷房の魔法がかかっているのか、食堂の空気は涼しげだ。
地下ということもあり、広さ自体はそれほどでもなく、確かにレストランというよりは食堂といった広さだが、内装が整っており雰囲気も良く、まさに隠れた名店のような趣である。
だが何よりあたしの目を引いたのは、この店の客層である。ランチタイムを少し過ぎた程度の時間のせいか、大混雑――というわけでもなかったがそれなりに客が入っている。
こんな上品そうな店なのだから、貴族みたいな連中が利用しているのかと思ったが、全く違う。客の中には確かに貴族の様な身なりをした者も居るが、それ以外にもここらでは見慣れぬ服装をした旅人のような者もいれば、帯剣した剣士もいる。ローブに身を包んだ魔道士も居るし、人の町には滅多に降りてこないはずのエルフもいた。更には見たこともない獣人すらいる。
大抵こういう上品な店では変わった客や荒事家業をしてそうな客はお断りのはずだが、この店はどんな客も受け入れる主義のようだ。
客達もこれを受け入れているようで、全く違う人種や職業の人間たちが自分達の料理を話の種に雑談をしながら食事を楽しんでいる。
はっきり言ってなんでこんな所にこんな店があるのか全く分からないが、ただひとつ言えることがある。
この店は当たりだ。漂う料理のいい匂いに思わずあたしの頬も緩んでしまう。
ナーガの勘もたまには役に立つらしい。
「アレッタ、二名様、ご案内してくれ」
「はい、マスター! ねこやにようこそお客様! あちらの奥のテーブルへどうぞ」
そう店主が店の奥に声をかけると、店の奥から1人の金髪のウェイトレスが飛び出してきて、あたし達を空いたテーブルへと案内する。
一番奥まった席でこれならゆっくりと食べられそうだ。
彼女の年の頃は十代の後半か。ツインテールの金髪が眩しい可愛い女の子だが、それよりも目を引くのは彼女の頭に生えた小さな角だった。獣人の血を引いているのだろうか?
彼女は私達を案内すると、水の入った水差しとコップをテーブルの上に用意してくれた。
ちなみにどちらもガラス製でかなり高そうだ。水も魔法で創りだしたかのように透き通っている。おまけに香りづけに切った果実が入っているのもポイントが高い。うーんなかなか高そうな店だなぁ。
まあ懐には余裕があるし、値段のほうは気にしなくてもいいだろう。むしろナーガ辺りは金が払えないかもしれないが、その場合彼女はここで皿洗いでもさせて厄介払いでもすればいい。
それにしてもこのウェイトレスさん変わった角が生えているものである。いくつかの亜人や獣人を見てきたがこういうタイプは初めて見る。
初めて見る種族に少々不躾かなと思いながらも、思わず訊ねてしまった。
「あなた、見たことのない種族ね? 獣人?」
その言葉にビクリと彼女は反応する。
ん~。ちょっと失礼だったかな?
あたしが謝罪しようとしたその矢先、彼女はやや卑屈な表情で答えた。
「いえ……その……私、魔族なんです」
「え?」
「嘘?!」
その言葉にあたしとナーガは反射的に立ち上がる。
魔族といえば、あらゆる生きとし生けるものの天敵。命あるものの恐怖を喰らい力を成す負の精神生命体。その特性故、あらゆる物理攻撃が通じず、特殊な魔力を帯びた武器や、一部の魔術しか通用しないという厄介な性質を持つ。そして純魔族なら例え下級魔族でも町の一つや二つ簡単に滅ぼしうる強さを有しているのだ。
「お客さん、うちの看板娘に変な言いがかりはやめてくださいよ。もし騒ぎを起こすようなら出て行ってもらいますからね」
だが反射的に戦闘態勢を取りかけたあたし達に、厨房の奥にいる店主が釘を差してきた。
店長だけではない。料理を楽しんでいた客達も、あたし達に対して非難の視線を向けてきている。
どうやらこの魔族の人(?)はこの店ではかなりの人気者のようである。
とりあえず彼女に危険はないと判断したあたしは、椅子に座り直すと改めて謝罪した。
「失礼な反応してごめんなさいね。どうも職業柄、魔族とはあんまりいい縁がなくてね」
「い、いいえ。わかって頂ければそれでいいんです。魔族がウェイトレスやってるなんて思わないですよね普通」
「フッ。そうでもないわ。世の中にはペットのドラゴンに逃げられて、ショックのあまり三流魔道士の使い魔に落ちぶれてるような魔族もいるもの。ウェイトレスをやってる程度でいちいち驚いてはいられないわね」
隣でナーガがフォローになってるんだか、なってないんだかわからないセリフを吐く。
これには彼女も意味がよくわからなかったのか、引きつった笑顔を浮かべた。
「それにしてもあなた、人間そっくりね。魔族ってのは人間に近い姿をしているものほど力がある魔族と聞くけど、よっぽどの高位魔族なの?」
「え……? いえ私はただ角が生えてるだけのただの魔族で、角以外は殆ど人間と変わりありません」
戸惑ったようなその返事にあたしとナーガは思わず顔を見合わせた。
……どうも、お互いの魔族というものの定義自体がズレているような気がする。
「えーとちょっと聞くけど、あなた――」
「あ、私アレッタと申します」
「そう、アレッタさん。あたしはリナ=インバース。よろしくね。で、ちょっと質問なんだけど、あなたの正体は実は訳の分からない前衛芸術みたいな姿で、剣で刺されようが炎で焼かれようが無傷って体質ってわけじゃないのよね?」
「……え? いえ私は生まれた時からこの姿ですし、剣で刺されたら大怪我してしまいます」
「じゃあ、三度のご飯より、人間の負の感情が好き――というよりはそれが主食ということもない?」
「ええっと、ご飯も普通の人と同じものを頂いてます」
困ったように答えるアレッタさん。
……なるほど。どうやら根本的に彼女の言う魔族と、あたし達の言う魔族は全くの別物らしい。
どうやら彼女達の言うところの魔族は角が生えているだけの亜人の一種族にすぎないということか。
「……どうもあたしの知ってる魔族とこちらの魔族は全然違うみたいね。ごめんなさい、アレッタさん。あたし達の知ってる魔族は、下手なドラゴンよりも手強い上に、世界を滅ぼすことに人生の全てを賭けてるような面倒な連中だから、魔族と聞いてちょっと過剰反応しちゃったみたい」
「い、いえ。私達の世界でも魔族というのは余りいい顔されないので慣れてます。気にしないでください」
アレッタさんは多少引きつった顔でそれでも笑顔を絶やさすに、こちらの謝罪を受け入れてくれた。
まあこんな可愛い女の子が、あんな連中と同類というのは確かにありえない話だ。
そう納得したあたしに今度は後ろの席の方から声がかけられた。
「どうやら、お前さん方は常より更に別の世界から来たみたいだな」
あたしに声をかけたのは後ろの席にいた古ぼけたローブを着込んだ老人だった。
「別の世界……とはどういうことかしら?」
「簡単な話だ。アンタたちもあの黒い扉をくぐってこの食堂に来たんだろう? あれはな、特定の日時にいろんな場所に出現するのだよ。ここにいる客に統一性がないのもいろんな世界からやって来た奴らだからさ。まあ仲の悪い奴もいるが、ここで喧嘩したら出入り禁止にされるから皆大人しく食事をしているよ」
「そりゃまたすごいマジックアイテムだったのね。あの扉は。一体誰が作ったの?」
「さあな。店主曰くいつの間にか店の扉が別の世界に繋がってたらしい。ま、私もその構造に興味がないわけではないが、下手に手を加えてこの店に繋がらなくなって、このうまい料理を食えなくなったら困るので手は出さんようにしとる」
「ふっ。そんな扉を見つけ出したこの白蛇のナーガの勘はやはり正しかったということね! ほーっほっほっほ! リナ! 礼としてここの勘定は全て貴方持ちということでいいわね?」
「いいわけあるかい!? あっとそうだ。アレッタさん。ここが別の世界だって言うならこちらの通貨は通用する? 一応金貨もあるんだけど……」
あたしは懐から幾つか硬貨を出すと彼女は、それを手に取りマジマジと見た後、店主にそれを見せに行った。
一言二言会話をした後、こちらに戻ってくると彼女はニッコリと輝くような笑顔を見せる。
うーん、こんな笑顔みせられたら、営業スマイルとわかっていても男ならイチコロである。
「マスターに確認した所、この硬貨でも大丈夫とのことです! 食べたいものが決まったらなんでも好きな物注文してくださいね! 初めてでしたら日替わりランチがオススメですよ!」
そう言うと彼女はメニューをテーブルの上に置いて、またウェイトレスの仕事に戻った。
一応メニューを見てみるが、流石は異世界の言語。全く読めない。どうやら言葉はあの扉のお陰で通じるようになるらしいが、文章まで読めるようになるわけではないようだ。
もう少しその辺頑張って欲しいものではある。
とりあえず一旦メニューを閉じるとあたしは考える。
まず手持ちの通貨が通用するとなると遠慮はいらない。つい先日盗賊団を一つ潰したこともあってあたしの懐は非常に潤っている。この店の相場はわからないが、盗賊団から徴収したお宝の中には大粒の宝石やらなんやらもあるので、最悪それで支払えばいい。
せっかく世にも珍しい異世界食堂、ここでケチケチしたら女がすたるというものである。
「よし! 決めた! アレッタさん! 注文いい!?」
手を上げてアレッタさんを呼ぶと
「はい! ご注文をどうぞ!」
「じゃあこのメニューに載ってるものを上から順番に全部持ってきて!」
ピシリ。
なぜかアレッタさんは笑顔のまま、固まってしまった。
よく見ると周りの客達も、マジかよこいつ……、と言わんばかりの表情であたしを見ている。
全く失礼な。
「ええっと……メニュー全部ですか? ねこやはいろんな料理が売りなので、メニュー全てとなるとかなりの量になるんですが……」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。このリナ=インバースの胃袋を舐めてもらっては困るわね。つい先日も定食屋の食材が無くなるまで食べ尽くしたんだから」
「ふっ。当然、この白蛇のナーガもリナと同じくメニューの全てを注文するわ」
「……ナーガ。言っとくけどあたしはアンタの食事代までは払わないわよ」
「ほーっほっほっほ!」
笑って誤魔化そうとしているが無駄である。まあこいつがこの異世界食堂で一生皿洗いすることになっても、それはそれであたしにとっては痛くも痒くもない。
しかし今度は店の店主が口を出してきた。
「お客さん。うちはよくある洋食屋ですが、料理一つ一つにそれなりの手間をかけてるつもりです。遊び半分で頼んで残すようなことになったら、次からは出入り禁止にさせてもらいますよ」
「ふっ。面白いこと言うわね。かつてゼフィーリアの大食い大会を総なめにして、さすらいの大食いのリナちゃんと呼ばれたこのあたしの実力見せてあげるわ」
「リナ……。その二つ名、すっごくかっこ悪いわよ……」
「まあ、そこまで言うならこちらも商売だ。いいでしょう。ですが、そちらの黒髪の方はともかく、貴方はお若いようだしお酒の類は無しにさせてもらいますよ」
「ええ。それでいいわ。さあ、出来次第じゃんじゃん持ってきて!」
かくしてあたしの少し遅めのランチタイムが始まったのである。
本日の日替わり被害者 ねこやの食料庫