もしも八幡とあーしさんが運命の赤い糸で結ばれていたら 作:しゃけ式
三浦の御両親に挨拶をしてから半年、ついに結婚式の日がやって来た。大安吉日、天気も良好。俺は控え室で一人窓の外を眺めていた。三浦も今は衣装の支度などしていることだろう。
……そう、“三浦も”、だ。半年経ったというのに、俺はまだ三浦のことを“優美子”と呼べずにいる。何度か試してはいるものの、やはり照れ臭さは拭えない。プロポーズ(と呼べる代物なのかは知らないが)は羞恥心なんて一切なかったのに、不思議なもんだ。
「ゆ、ゆみ……。……はぁ」
ほらな? 一人で呼ぶだけでも恥ずかしいわ。こんなんじゃお義父さんに八つ裂きにされるまである。あの人ならやりかねない。
そんな時、ドアからノックが響いた。三浦は違うだろうし、そうなると参列者の誰かか? まあとりあえず確認することには始まらないか。俺はどうぞと言ってドアの方へ身体を向けた。
「やぁ比企谷。様子はどうだい?」
「葉山か」
黒のスーツをピシッと着こなしたイケメン。見るだけでイラつく程の好青年ぶりだ。
「調子は……まあ、上々ってとこだ」
「それなら何よりだ」
葉山はそのまま控え室に入ってきて、俺の隣の席へ腰を下ろした。こいつとの付き合いももう八年になるのか。1番最初はスクールカーストの頂点と底辺だったのに、世の中何が起こるかわからないもんだ。
それを言うなら、俺の結婚相手も全く同じなわけだが。むしろ三浦は
「そうだ比企谷。友人代表のスピーチ、俺に任せてくれれば良かったのに」
「誰が友人だ。というかお前は司会にしてやっただろうが」
「光栄だね。まあ比企谷と優美子の共通の友達なんて俺くらいしかいないからな」
「何なら戸部でも良かった」
「と、戸部と同じは傷付くなぁ……、はは」
むしろお前のその言葉で戸部が傷付きそうだけどな。言い出したのは俺だが。
葉山は椅子から立ち上がり、窓の方へと移動した。外に広がる道路を見て、なぜだか溜め息をつく。
「本当にありがとう。優美子を救ってくれて」
「別にお前のためじゃないし、そもそも救うなんておこがましいこと俺には出来ない」
「それでもお礼を言わせてくれ。俺は昔から君に頼りっぱなしだった」
葉山は振り返って俺の方を向くと、自嘲気味に笑いながらそう言った。
「ありがとう」
再び礼を言い、そして深々と頭を下げる。似合わない姿だ。
「勝手に勘違いするな」
「俺が恩を感じてたら、それはもうお礼を言うに値すると思うんだけどね」
「……なら」
「なら?」
葉山は少し嬉しそうな顔で復唱した。俺に何か出来ることがあるのなら、そんな声が聞こえてくる気がする。
「女を下の名前で呼ぶのって、どうしたら緊張せずに済む?」
「……ぷっ、あはは! 何だ、そんなことか!」
「うるせえ笑うな。こちとらリア充だったお前とは違ってぼっちだったから名前呼び慣れてねえんだよ」
「くっ、ああいや、そういう意味じゃないんだ。比企谷はいつまで経っても比企谷だなって」
嬉しそうに笑いやがって。いいから早く答えを言えってんだ。
「そうだな、俺は結構普通に呼べるんだけど」
「嫌味ならそう言え」
「待て待て。そうじゃなくて、好きな人を呼ぶんだろ? なら小難しいことは考える必要もなくてさ」
葉山は1度息を吸って。
「カッコつけたら良いんだよ。精一杯、好きな人にカッコイイって思われるためにさ」
◆◆◆
「優美子ぉ……おめでとぉ……うっ、ひっく」
「結衣……、あんた泣きすぎだし。ほら、鼻かみな」
私は控え室の机の上にあったティッシュを2枚取り、結衣の鼻に当てる。結衣はありがとうと言って鼻をかんだ。
「でも優美子、綺麗だよ」
姫菜が私を見てそう言ってくれる。今の私は真っ白なウエディングドレスを身に纏っている。女なら1度は憧れる衣装。
多分ウエディングドレスが特別なのは、そんな憧憬の対象を1番好きな人から着せてもらえるからなんだろうね。現に今、私は幸せを感じてる。
……まあ、ちょっと着るには重いんだけどね。思ってたより動き辛いし。これじゃ式場を飛び出して一緒に走るとか超しんどそう。
「てかホント、結衣泣きすぎ」
「だってぇ……優美子綺麗なんだもん……」
「……もう、あーしメイクした後なんだから。もらい泣きとかしちゃったら結衣のせいだからね?」
目の奥にじわっと広がった熱いものを抑える。マジで泣きそうになるからやめてほしい。
「結衣はスピーチ言うんだから、ね? 今はあんまり泣かない方が良いよ」
「うん、うん……でもぉ……」
「……もう25歳なんだから」
「」
一瞬にして涙が引く。姫菜……相変わらずやることがえぐいし。結衣もそんな平塚先生みたいな顔しなくても。
「にしても結婚かあ。しかもヒキタニ君と」
「比企谷」
「ふふっ、もう愛称みたいになっちゃってるね。……友達が結婚か。早いなぁ」
「何、姫菜も結婚に憧れとかあんの?」
「いや、私はないかなぁ。少なくとも今はだけど」
姫菜は真剣な顔でそう言った。本当に興味ないんだろうな、結婚。ひいては恋愛にかな。
そんな風に話していると、コンコンとドアの方から聞こえてくる。誰だろ。
「あたし開けてくるね」
結衣が気を利かせて応対してくれる。結衣の気遣い能力は流石としか言い様がない。会社でも人気みたいだし、この分だと結衣もすぐに彼氏を作って結婚するのかな。
……まあ、雪ノ下さんとの同棲をやめたらだろうけど。2人って本当にデキてないよね? ありえそうで普通に怖いんだけど。
「あっ、ヒッキー!」
「おう」
入ってきたのは白いタキシードを着たヒキオだった。珍しいな、自分から来るなんて。式まで会わないものだと思ってたけど。
「葉山に言われてな」
「なるほどね。あーしもおかしいとは思ったし」
「だろうな。俺も言われなかったら来てない」
いつも通りの会話。折角の結婚式だっていうのに、呆れるくらい平常運転。私は何だか嬉しくなってつい笑ってしまった。
「……姫菜、あたし達は行こっか」
「うん、そうだね。じゃあまた後で、優美子」
「あ、うん。後で」
結衣と姫菜は気を遣ったのか部屋から出て行った。私とヒキオはお互いに顔を見合せ、同時に息を漏らす。
「気ぃ遣われたな」
「ね。別にあーしら気にしないのに」
ヒキオが備え付けの椅子に座る。その一挙手一投足の全部が全部いつも通り。変に緊張したりするより、こっちの方が私たちらしい。
「……もう結婚だなぁ」
感慨深そうに、まるで煙草の煙を吐くように呟く。
「何、ちょっと浸ってる?」
「うるせぇ。単に早えと思っただけだ」
「……付き合い始めて4年、出会ってからはもう8年だっけ」
「ああ」
そっか、もうそんなに経つんだね。
これは付き合ってる時にも。付き合い出した頃も。もっと言えば再会したあの日でさえも。どの部分を切り取ったとしても高校生の私は信じない。きっと『あーしがヒキオと? ないない、それなら隼人と結婚する方が100倍ありえるし』なんて、軽く流すんだろう。それほどあの頃の私らの間には何もなかった。
運命なんて言葉。それは夢見がちな、私とは違う性格の人のものだと思ってた。思ってたんだけど、こうして考えてみるとそうも言えない。
「あーしらの小指には、多分1本の赤い糸が結ばれてるね」
「お前の方が浸ってるじゃねえか」
「うっさいし。……ほら、もうそろそろ式始まるよ。早く控え室に戻っときな」
「じゃあ、また後で」
「ん」
ヒキオがドアノブに手をかける。が、そこで一瞬止まった。
そして。
「……似合ってんぞ、ウエディングドレス」
それだけ言い残して、ヒキオは足早に出ていった。遠ざかる足音はすぐに消える。
……ああもう、ホントずるいし! ヒキオのくせに!
ますます好きに、とか。結婚式当日にそう思える私は、多分幸せ者なんだろうな。私は静かに上を向いて目を瞑った。
◆◆◆
俺や三浦の白い衣装と呼応するように、式は和やかな雰囲気で執り行われる。教会内は明るく綺麗だ。木の長椅子も汚れは見受けられない。
俺は外国人の神父が進む道を追いかけるように歩く。参列者が座る長椅子の周りをぐるぐる回っている感じで、一体何をやっているのだろうと場違いにも考えてしまう。てかおい雪ノ下、ちょっと笑いそうになってんじゃねえぞ。俺だって滑稽だとは何となく感じてるんだよ。あと1枚写真撮ってんじゃねえ。
ようやくゴール地点(らしき場所)に辿り着き、俺はとりあえず前を向いた。
そう言えば三浦のドレス姿はさっきも見たが、顔にかかるベールは付けていなかったな。あれを上げるのが地味に緊張する。勢い余ってちゃぶ台返しみたいにならないだろうか。まして三浦の近くにはあの凶暴お義父さんがいる。万に一つもミスは許されない。
……煙草吸ってきたら良かった。何か気になりだしたら止まらなくなってきたな。
少しすると、たどたどしい日本語で神父が後ろへ向けと指示する。俺と参列者は一斉に後ろ、つまり俺が入ってきた扉へと身体ごと向いた。
パイプオルガンの音が響くと同時に、教会内が暗くなる。一気にその場は静まり返った。
くどいようだが、俺はさっきもその姿を確かに見たはずだ。なのに見惚れてしまうほど、ベールを纏った三浦は綺麗だった。
隣のお義父さんと腕を組み、1歩ずつゆっくりと歩いてくる。記者のごとくパシャパシャ撮る音はさっきの俺の時と段違いだ。……いやまあ悔しいとかそんなんはねえけど。こんなところに来てまで疎外感とかは感じてない。ただ呼んだ友達の数の比率が7:3ってだけだ。勿論葉山等共通の友人は俺カウント。
あっ、いや葉山は友人じゃねえ。そこは譲れない。
やがて長いカーペットの7割ほど進んだところで、三浦とお義父さんは立ち止まる。それに合わせて俺も三浦のもとへ歩き出す。
直前で足を止め、お義父さんに頭を下げる。同じくお義父さんも頭を下げるが、少しだけ圧がある。こんな時まで威圧してくるなよ……。
三浦はお義父さんと組んでいた手を外し、俺と手を組む。さっきの神父との散歩とは異なり、焦れったくなるくらい1歩を踏みしめる。俺と三浦は神父の正面に辿り着いたところでようやく足を止めた。
神父の口上が始まる前に、三浦が。
「……ヒキオも似合ってんじゃん」
「そりゃどうも」
向かい合うなりそんなことを言ってくる。控え室での最後の仕返しだろうか。
そのやり取りをを見てか、神父はニコッと笑ってから参列者に着席を勧める。彼ら彼女らが座る時の衣擦れがいやに耳に残る。俺は周りに聞こえないように唾を飲んだ。
神父は1度長椅子の参列者を見渡すと、静かに頷いてから手に持っていた教本を読み始めた。初めはペラペラと英語を話した後、その和訳だろうか、日本語でも言葉を紡ぎ出す。証人がどう、愛がどうだと、長い説明は罰当たりだがあまり頭に入ってこなかった。
ただ参列者の鼻をすする音が、結婚という重みを実感させる。どちらかと言えばそちらに意識がいっていた。
やや不意打ち気味に、神父から「約束しますか?」と問いかけられる。あれか? 三浦優美子と彼女の周りの世界を守る的な? だよな?
「……はい、約束します」
そう答えると、神父は次の部分へと移った。これで大丈夫だよな? 正直復唱しろとか言われたら絶対言えないぞ俺。
三浦にも同様の問いかけをしているようで、自身を大切に、そしてパートナーを大切になんて言葉がペラペラと述べられていく。
「優美子さん。貴方は八幡さんをいつまでも愛していくことを約束しますか?」
「はい。約束します」
淀み無く、毅然とそう言ってのける。こんな表現が結婚式という特殊な場でも似合ってしまうあたり、流石の元女王様と言ったところか。
お互いそう約束し合うと、神父が奥の方へ移動した。俺と三浦も同じように移動し、2つ段を登って神父の前に立つ。
小声で神父が始めます、と俺に伝えてきた。小さく首肯する。
パイプオルガンの音は止み、静謐が場を支配する。一気に緊張が走るが、反比例するように俺はリラックスしていった。
──神父の優しく落ち着いた声を聞きながら、三浦と再会してから付き合うまでのことを思い返す。
「比企谷八幡さん、あなたは」
──きっかけは飲み屋での相席。そして数日後の偶然出会った合コン。
「三浦優美子さんを、妻として」
──冬にはクリスマスも過ごした。三浦からメールが来てドキドキしたことも覚えている。
「幸いの時も」
──2人ではバーにも行った。初めてだと言って三浦がはしゃいでいたな。
「災いの時も」
──ホワイトデーの時は、お返しを渡しに回る時なぜか三浦もついて来た。今思うとあれは一種の独占欲だったのかもしれない。
「豊かな時も」
──2人でボランティアをしたこともあった。確か優ちゃんのいる幼稚園だ。
「貧しい時も」
──海にも行った。その帰りにレンタカーが動かなくなって、近くの宿に泊まったりもした。
「健康な時も」
──告白しようとしたその時、由比ヶ浜の気持ちに応えてやれと告げられた。それは振られたのと同じようにも感じた。
「病気の時も」
──由比ヶ浜とのデートの帰りに思い出の飲み屋に寄った。まさかではなくやはり、三浦はそこにいた。
「貴女を愛し、貴女を慰め」
──そして由比ヶ浜と別れた。本当に好きな人と、三浦と結ばれるべきだ。そんな“懇願”は、今でも記憶に焼き付いている。
「命の限り、神の掟にしたがい」
──走って走って、河川敷を歩く三浦を見つけた。一世一代の告白。心臓が飛び出そうだった。
「真心を尽くすことを」
──見ると、三浦は声もなく涙を流していた。反射的にそれを拭おうとするが、ベールの前で手を止めてしまう。
「誓いますか?」
「誓います」
早くそのベールをとっぱらってやりたい。早くその涙を俺の手で受け止めてやりたい。その一心で、俺は誓うと即答した。
「あーしも」
「は……?」
予想外のことに神父は動揺する。参列者の間でもどよめきが走る。
「だから、あーしも……」
言葉を紡げば紡ぐほど、三浦の涙は加速する。震える声はその証明みたいにも思えた。
「……あ、あーしも……ヒキオ……、八幡を、愛すること」
つられそうになる。自身の目に潤みを感じるが、歯を食いしばって引っ込める。俺まで泣くわけにはいかない。
「誓います。……誓う、からさ……。ほら、早くベール……上げて……ょ……」
「三浦……」
こんな時まで、俺のしようと思ってることを察するな。以心伝心。だからこそ、俺はその言葉が本心だと確信出来た。
俺は薄いベールに手をかけ、丁寧に三浦の頭の後ろへとやる。潤んだ瞳は真っ直ぐ俺を見て、目尻からはとめどなく涙が溢れていた。
「優美子」
初めて呼べた名前は、驚く程すっと出てくる。優美子は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
俺は優美子の両頬に手を添え、雫を拭き取ってやる。
「……ありがと、八幡」
「気にすんな」
そして、俺達は神父の言葉なんて待たずに口付けを交わす。唇が触れ合った瞬間、じわりと胸の奥が熱くなった。
涙が溢れてしまったのは、本人の俺でさえも予想外だった。
唇を離す。そして、お互いに笑いあった。
──笑いあった理由。そんなもん、どちらも泣いていたからに決まっている。
聞こえてきた割れんばかりの拍手と、神父のやれやれと困った顔。一生忘れることはない。そんな予感は、恐らく気の所為ではないんだろう。