Black Barrel(改訂版)   作:風梨

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誤操作きをつけよう…!







恩人1

 

 

 路地裏を駆け抜ける。

 気分は悪くない。

 軽やかに地面を蹴りながら、腰に挿してある、つい先ほど買った杖を撫でる。

 持ち手の所に蝶の意匠の入った丈夫そうな杖。

 腰の弱ったばあさんには最適の杖だ。さっき千切った値札にそう書いてあった。

 

 変なクスリのおかげで臨時収入があったので、 あの金を使って商店街にあるこじんまりとした雑貨屋で杖を買ったのだ。

 もちろん、正面から行けば門前払いを食らうので、少し迂回して、裏口から入って、物の変わりにお金を置いて店を出た。

 少し変則的な買い物だが、ちゃんと金は置いてるから大丈夫だろ。

 …何気に表で買い物をしたのは初めてかもしれない。

 

 先ほど道すがら盗ったリンゴを齧りながら横目で空を見る。

 会いに行くタイミングに気をつけなければいけないが、この時間なら大丈夫だ。

 ばあさんはパン屋を営んでいるので昼間は手が空かない。

 この時間でもチラホラ客が来るだろうが、私が気をつければまったく問題ない。

 食い終わった遅めの昼食を放り捨てて指についた果汁を舐め取る。

 ばあさんが忙しい、というのも心配する要素だが、何より怖いのが私のような浮浪児が通っている、と店の客に知られることだからな。

 

 今走っているのは路地裏だがスラム街ではない。

 比較的治安の良い、商業地区と住宅地区の境い目辺りになる。

 スラムがあるおかげなのか、そこから遠いここはそういう輩が少ないのだ。

 だから、私のような浮浪児は目立つのだが、持ち前の気配を消すスキルでひっそりと路地裏を通っている。

 

 けど、そろそろ上に登っとこう。

 この辺りは走り慣れてない。まず姿を見られることはないとは思うが、曲がり角でばったりなんてこともあるかもしれない。

 さすがにあのパン屋と関連付けられることはないとは思うが、念には念を入れておこう。

 走っていた方向を90度転換させる。トン、と壁を蹴りあげて窓の格子を掴む。

 そのまま勢いと腕の力で身体を引き挙げて、また格子を掴んで上る。

 あっという間に3階建てのマンションを登り切り、屋上に立ってからまた走り出す。

 念を使うまではここまで簡単に登れなかったが、いまでは片手間で済ますことが出来る。

 周りを見る余裕があるほどだ。

 

 屋根と屋根をジャンプで移動しながら視線を巡らせた。

 この地区には主に住宅街が密集している。

 どれも比較的綺麗な物件ばかりで、私が住んでいる、廃墟寸前のアパートとは比べ物にもならない。

 以前、両親はここに住んでいたらしい。私にその記憶はないがグチグチ文句を言っていたのを聞いたことがある。

 まぁ、廃墟だからといって何か不都合がある訳でもないから特に困ってはない。

 この辺に多いのはアパートやマンションだ。

 3階建の物件が一番多く、それ以上は稀だ。

 時折思い出したように一軒家が並んでいる、絵に描いたような閑静な住宅街だった。

 

 向かっている家はその中でも一際静かな場所にある。

 どちらかというと商業区に近い場所で、左右をマンションに挟まれているものの、小さな一軒家を改装し老夫婦で細々とパン屋を営んでいる。

 近所からの評判はとても良いらしい。話を聞けないから全部盗み聞きだが。

 マンションのせいで少し立地は悪いが、それでも明るい雰囲気のある悪くない店だ。

 

 

 

 そんな店の真向かいに到着し、そっと屋上から店を窺う。

 予想通り、お昼時を過ぎて客足は遠のいているようだ。

 店の中に人の姿は見えなかったが一様少し待って店の様子を見てみる。

 

 これも念のため、だ。

 

 私のような浮浪児が入れば色々と面倒になる。

 なので、入店するときはこうやっていつも様子を窺ってから入ることにしている。

 その上で正面の入口は使わない。

 バレないように裏口に回ってから入る。

 入っているところを見られても問題になるからだ。

 …命を救ってもらっておいて、迷惑は掛けられない。

 

 少し待っても誰も来ないし、出てこない。

 人の気配も感じない今がチャンスだろ。

 素早く建物から降りて、姿を隠しながら店の裏手に回る。

 

 いつもの木造扉があった。

 質素な紋様が彫られている、至って普通の扉だ。

 

 裏口をトントンと2回ノックする。

 コトコトと杖を突く音が聞こえ、清潔な木の扉が優しい音を立てて開いた。

 

「はいはい、どちら様?…おや、アンリかい?いらっしゃい、久しぶりだね」

 姿を見せたのはふわふわした雰囲気の老婆だ。

 御伽噺にでも出てきそうな、かなり緩いばあさん。

 この人がこの店を経営してる老夫婦の一人だ。

 

「いつも正面からでいいって言ってるのに、ほんと頑固な子だね」

 扉の向こうで、ふんわりとした笑みを浮かべた老婆が仕方なさそうに目を細める。

 …これを本気で思ってるから性質が悪い。

 普通、浮浪児は邪険にするものなんだが、この老夫婦はそこが何故か緩い。

 ちらっと老婆が持っている杖を見る。

 以前から使っているものと変わりないことに少し安堵しつつ、にこやかに笑う老婆に釣られて私も仕方なく笑った。

 

 

「いいじゃん、どこから入っても私の自由だろ?好きに来ていいっていったのは婆さんだぜ」

「もう、口の減らない子だね、まったく」

 上品に笑いながら、ばあさんは手招きして店の中に入っていく。

 

「いつ振りだろうね。一月は来なかったんじゃないかい?少し心配したよ」

「大丈夫。私がそう簡単にくたばるわけないって」

「ほんと、どの口が言うんだろうね。うちの裏で倒れてたときは、私の心臓が止まるかと思ったよ?」

「いや、まぁ、あれは別口だって。…それに生きてるし」

「アンリ」

 腰を下げて、老婆がアンリに目を合わせる。

 優しげな面持ちだ。

 この目だ。この目が、私は苦手だ。

 少しバツが悪くなって顔を背けるが、老婆の両手が包み込む。

 しっかりと私を見据えた老婆の瞳は、まるで無垢な少女のように透き通っている。

 …やっぱり苦手だ。

 

「気をつけますとだけ言って、この婆さんを安心させておくれ」

「…わかった、わかったよ」

「アンリ?」

「…きをつけます」

「それでよろしい」

 ニコリと笑って、老婆が立ちあがる。

 

「おっとっと」

「婆さん!」

 グラリと姿勢を崩した。

 慌てて支えたが、触れた身体は随分と細い。

 思わず頬がヒクついた。

 前会った時よりさらに弱っている。

 出会った時は杖も要らないくらい元気だったのに。

 老婆を見上げる。

 化粧で巧く隠してるが、良く見れば頬も少し扱けている。

 

「やだね、歳は取りたくないもんさ。ここのところ元気だったから、少し油断したんだね」

 アンリに会えて気が緩んだのかもね。

 そういって、ほほほと笑いながら杖を突く。

 

「婆さんこそ気をつけてくれよ、私より弱っちいんだから」

「そう、ね。そうだねぇ。私も気をつけないとね。ありがとう、アンリ」

「…ん」

 

 老婆と並んで居間へと向かう。

 この時間はお客さんが少ないので、老婆だけが店に出ていることが多い。

 なので、いつものこの時間ならお爺さんは居間で休んでいる。

 

 扉を開けると、暖かい雰囲気の居間がある。

 その雰囲気にほっとしつつ、お爺さんの姿を探すが、見つからない。

 おかしいな。この時間なら大体この部屋にいるんだが。

 キョロキョロしている私を見かねてか、老婆が笑った。

 

「今日は私が休憩しててね、お爺さんはお店に出ているから呼んでくるよ。座って待っててね」

「あー、そーいうことね。…あ、婆さん、ちょっといい?」

「どうしたんだい?」

「んーっと…これ、私使わないし、まぁ、やるよ」

 ずい、と差し出したのは、店で買った少し値の張る杖だ。

 持ち手が手の形にカーブしていているので、持ちやすいはずだ。

 老婆が嬉しそうに顔をほころばせて手を合わせた。

 

「あら、嬉しい。私がもらっていいのかい?」

「ん。そのために買って来たし」

「…そう。じゃあ、ありがたく使わせてもらうわね」

 代わりに老婆が使っていた杖を受け取って、新しい杖を渡した。

 大切そうに杖を受け取って、老婆は嬉しげに眺める。

 刻んである意匠に気付いたのか、指で優しくなぞって老婆は笑う。

 

「あらあら、アンリとお揃いの蝶々さんね」

「ぇ?お揃い?」

「ええ、そうよ。アンリの左肩の後ろにね、綺麗な蝶々さんが居るのよ」

 見えづらいから知らなかったのね。

 上品に笑う老婆。

 蝶?…全然気づかなかった。

 ぐいっと肩を前に出して覗いてみるが、私からは何も見えない。

「へー、知らなかった。えっと、どんなの?」

「そーねえ。なんだか、アザみたいだったわね、真黒なの」

 でも可愛いのよ。

 ニコニコと老婆は笑いながら、お爺さん呼んで来るわね、と言ってから、お店に戻っていった。

 アザねぇ。…うん、まったく心当たりがない。

 

 

 

 

 

 







恩人2の構成少し迷ってるので、26日になると思います。




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