闇市場。
ここでは買うも売るも力が全てだ。
盗品や禁制品、危険な麻薬や果てには人まで、あらゆるものが商品となる。
独自の信頼性のみで運営されている、裏側の世界。
殺人、盗み、騙し、スカシ。全て無法。
許されている訳ではない。ただ誰も咎めない。
一般人から見れば危険極まりないし、近寄りたくもないだろう。
―――私から見れば普通の市場と同じなのだが。
というのも、ただ純粋に扱いにほぼ差がないのだ。
汚いという理由だけで普通のおっさんが本気で殴ってくる。
気に入らないと目をつけられれば死ぬほど殴られる。
盗みを働けば死ぬまで暴行される。
そこに人権なんてないし、闇市場と変わらない。
どちらも安全とは掛け離れてるから、裏だろうが表だろうが関係がないのだ。
闇市場にも色々ある。
雑多な商品が並ぶ盗品エリアもあれば、表には流せない、違法ビデオなどのエリアや麻薬のエリア。
違法賭博のエリア。売春エリア。
人の欲望の数ほど多種多様に揃っている。
それぞれが隣接されているし、時には混ざり合っているけど、ある程度は別れている。
派閥だとか、利権が絡んでいるらしいが、私には関係ない事だ。
私が向かうのは盗品エリア。
昨日盗まれた品が今日は店に売ってある、なんて無法なことはもちろん、不正品や紛い物は当たり前。品質の悪すぎる商品も当然のように店頭に並んでいる。
騙される奴が悪い。
法なんてないから咎める奴もいない。モラルなんてないから止める奴もいない。罪悪感なんてないから辞める奴もいない。
スリーアウト。結果救いようもない。
そんな終わっている闇市場の盗品エリアの中に私が通っている行きつけの店もある。
私の年齢はまだ幼い。
そのせいで色々と面倒事が起きる時もある。
だから、なるべく顔なじみとだけ取引できるように決まった店を選ぶ。
店の選び方は簡単だ。
実際に取引してみればいい。そうすれば相手がどういう意図を持っているかよくわかる。
失敗も多くあった。
金額的に倍近く誤魔化されたこともあるし、無理やり品だけ奪われたこともある。
金ではなく、劣化品とだけの取引を強要されることも、無意味に暴力を振るわれることすらあった。
その失敗のおかげで今がある。
要は相手にメリットを感じさせればいい。
メリットと浮浪児への不信感を秤にかけ、メリットに傾くよう、色々と工夫を凝らせる。
色々な相手を見てきたがそこさえ押さえればなるようになる。
闇市場では、盗品を扱う店は数多くある。
中には私では入れない、裏社会でのハイソサエティな店もあることだろうが、今向かってるのは普通の、少し奥まった場所にある青いテントの店だ。
老人と若い青年が居る店で、私が知る中で一番信頼できる闇商人達だ。
青いテントは所々継ぎ接ぎだらけで、とても裕福そうには見えないし、いい品を扱っているようにも見えない。
普通ならそうだ。
だが、表の商店街ならありえない店構えでも闇市場なら特に違和感なく溶け込んでいる。
中身の品についても、そして店主である老人も含めて闇市場『らしさ』溢れる店だ。
盗んだ品はいつもここに持ち込んで物々交換や金銭のやり取りなどで売り払っている。
老人や青年とは何度も取引したおかげで今では顔パス同然に取引できる。
最近では私の腕が良いとも知らしめることができているので、取引のレートも少しずつあがっている。
定期的な供給ができる信用と実績があれば優遇してもらえるのだ。
なんといってもここは闇市場。実力が全て。それ以外は等しく無価値でしかない。
なので、私のような『信用のない立場』にとってこういう馴染みの場所は大切だ。
物さえ用意すればーー顔なじみとは言えども少しは買い叩かれるがーーおおよそ適正価格で買い取ってくれる。
きちんと市場の値段での取引をしているから、何とか真っ当な食い扶持を繋いでいける。
とはいえ、それはいつもの相手なら。という話だ。
「こんにちわー、…お兄さん?」
「は?誰だ、オマエ」
というのも。
今日は運がない。
テントに入った私を出迎えた、見るからに軽薄そうな若い男。
髪は金髪だが、かなり前に染めたのか、黒い地毛が半分ほど見えてる。
嘲りを隠そうともしない目は確実に面倒が起きる相手。
半年ほど通っているが、今まで見たことのない顔だ。
最近雇った新入りか、もしくは他店からの応援だろうか。
ふと手元にある財布を隠す。
今日はよくわからない品が手元にある。
これを見られるのは、こちらが弱い立場だと少し拙い。
…ほんと、運が悪い。
「あー、買い取りか?いいぜ、俺がみてやるよ」
「…いや?違うけど。いつもの人いねぇの?」
「は?俺でなんか文句あんのかよ、ナメてんのか、あ?」
私の話を潰して、ぐっと伸びてきた手で胸倉を掴まれる。
手が早い。
(こっちの話聞けよ)
思わず、男の手を払った。
一瞬の静寂。
男の間の抜けた、ぼけっとした表情が、何が起こったのか理解して真っ赤に染まった。
あ、やばい。
そう思った瞬間にはもう遅かった。
「てめえ、死にてぇらしいな、オイ」
両腕で胸倉を掴み上げられ、唇が触れるほど近くに引き寄せられる。
鬼のような形相だ。
額には青筋すら浮かんでいる。
…あーあ、やってしまった。
内心ため息を漏らす。
取引したくない時は逃げるしかないんだが、思わず手が出た。…念を覚えて調子乗ったかな。
こうなると私から出来ることはもうほとんどない。
理由は簡単。
これ以上この男に手を出すことが出来ないからだ。
闇市場で騒ぎを起こせば自分に返ってくる。
何故か。私の立場が圧倒的に弱いからだ。
それは闇市場側の立場が圧倒的に強いともいう。
黒が白になり、白が黒になることも珍しいことではない。
ここは非合法の世界だ。弱い人間を守る『法』なんてものは存在しない。
強い人間がひたすら強く、弱い人間はひたすら弱い。
権力でも、戦闘力でも私は完敗している。
権力で私は負けている。
ガキが物を盗もうとして暴れた、と闇市場側から言われれば、よほどの有力者が知り合いで、その人物が庇いでもしなければ、その『ガキ』は即効叩きのめされる。
物を売りに来た、後ろ盾もなにもない小娘と、闇市場の売り場を任されている男。
どちらが信用されるかは言うまでもない。
だからといって、腕力に訴えることもできない。
同じ理由で叩きのめされるだろう。
おまけで死ぬまで殴られるオプションも付いて来そうだ。
男もそれを承知だろうし、そもそも私が抵抗できるだけの力を持っている、なんて想像すらしていないに違いない。
下卑た表情が言葉より饒舌に語ってくれてる。
面倒な奴に捕まった。
認めよう。確かに私はもう
私は攻撃できないが
わざと深いため息をつく。
今度は隠さずに。
要はメリットとデメリットだ。
私を見逃すメリットを提示する。それだけでいい。
「ああ?てめぇ、何余裕ぶっこいてんだ?死にてぇのか?オイ」
案の定、沸点の低いサル男はビキビキ言わせた額をさらに近づけてくる。
扱い易すぎて笑ってしまう。
何だ、コイツ。クスリでもキメてるのか?
感情のふり幅デカすぎるんだよ。バカが。
「別に?…お兄さんこそ変顔してるけど。ここ、大丈夫?」
トントン、と私は自分の頭を叩く。
男の青筋を立てている所と、大体同じくらいの場所。
もちろん、私はあなたの頭おかしいですね。なんて思ってない。私は100%の
血管は大丈夫ですか?と。
嘘は言ってない。騙す気はある。
特に意味はないが、こういう屁理屈は大切だ。後々私を救けてくれる。
男はさらに真っ赤に顔面を染め上げた。
「てっめェ…」
男は頭の中身のことを言われた、とでも思ったようだ。
身体を震わせて、目玉に力が入りすぎてさらに変な顔になってる。
完璧な顔芸だ。いや、ツボるって。
「ぷっ」
何かがキレる音がした。
私の含み笑いと共に、男の左手が私の首を容赦なく掴み、空いた右手で怒りの感情のまま、間違いなく全力であろう拳速で振りぬいた。
目指す先は私の頭蓋。
完全に感情が高ぶってる。目論見通り頭を狙ってくれそうで助かった。
やるなら首だろ。そうなってもガードしたけど。頭蓋は硬いぞ?
私の準備は万端だ。
既に練り上げたオーラを頭部に集中させている。
結果は火を見るより明らかだ。
コンクリートですら、まったくダメージがなかった『凝』の防御。
それをただの凡人が抜けるはずがない。
ボギッと嫌な音がしたのはどちらか。
男はきっと、私の首が折れた音とでも思っていることだろう。
残念。それはあなたの拳だ。
運が悪いね。6歳児を殴って拳を壊すなんて。でも、恥ずかしくて誰にもいえないよねぇ?
私は攻撃もしてないし害も与えてない。
ただ相手が勝手に私を殴って、自分から拳を壊してしまった。
当たり所が悪かっただけで私は何もしていない。
それが、事実だ。
男はその事実を隠したがるだろう。弱い者イジメをして怪我しました。なんて誰にも言えない。もし言っても私はとぼければ良いだけだ。
ガキに良いようにされる。そんな弱い奴は信用されない。
だから男は事実をバレてると知った上で隠すしかない。
それが私に関わらないメリットだ。
「ッッぁ!」
ふっと力が抜けて、私は男の手から解放された。
猫背になりながら右手を押さえる男は滑稽でしかない。
意味もないのに、また笑ってしまいそうだけど、これ以上は面倒事が起きる。
少しは酔い醒ましになっただろうし、もう大丈夫だろ。
「あのー、お兄さん?」
「ッ!あ?なンだよ!?」
怒りも痛みで吹っ飛び、理解できない状況と自分の運の悪さ、そして拳をやってしまったことの恥ずかしさとそれに気づかれないよう取り繕う表面上の顔。
口調こそそのままだが、さっきとは別人のように腰が引けてる。
ふふふ。いいねぇ。
別の店に行ってもいいけど、勿体無いしこのまま続けちゃおう。
「持ってきたのは財布だよ、普通の」
取りだしたのは皮張りの財布だ。
ジッパーを開けて中身を見せる。
あの、よくわからない薬だ。
「なんか、変な薬入ってんだよね。お兄さん、これ買い取れる?」
「ッ!ングッ、ッー!この、ぐっ、クソッ、見せてみろ!」
見たいのか、見たくないのか。それともただ痛いのか。
変な反応を見せながら、私の手から奪うように受け取ってから薬を確かめる。
何粒か確認したところで、男の額から汗が垂れ始めた。
締めて150粒ほどあることを確認して、男は引き攣った笑みを見せながら、私とクスリを交互に見る。
何なんだ、コイツ。
拳壊れて頭もおかしくなったのか?
やっと、言葉がまとまったのか、男がクスリを指差した。
「ッッ、おい、これをテメ・・・、痛ッつァーッ、くっ。まァ、まあいい。い、良いとしようじゃねーか、な。お互いにな…。あぁ、いいぜ、買い取ってやるよ!」
これでどうだ。
男が半ばヤケクソ気味に立てたのは3本の指。
3千だろうか?100粒で?薬にしては安すぎるから、たぶん3万だ。
…マジ?
そんなに良い薬なのか。
あれ、私脅してないよね?
マジマジと男の顔を見るが、へんな汗が出ている以外普通だ。
その汗が痛みによるものなのか、別の理由かちょっとわからない。
「え、お兄さん、まじ?3万でいいの?」
「…ああ、いいぜ。お前も運がいいなちょうど不足してたんだ値段が高騰しててよ困ったぜ」
視線が泳いでいる当たり、かなり怪しいが、くれると言うなら全く問題ない。
まさか、30万のはずもないし。
目を財布に向けて『D』と書かれた薬を見る。
何かのイニシャルだろうか。
「ん、じゃあ財布は?」
見せたのは盗った二つの財布。ポリエステルと革の財布だ。
私の予想なら革が900。プリエステルが100。
「そいつは、まあ合わせて1千ジェニー程度だな」
「わかった。じゃあ、その値段でいいや。買い取って」
「…チッ、少し待ってな」
手をそれとなく庇いながら、男は奥に引っ込んで3万1千ジェニーを手に戻ってきた。
ちらり、と男の視線が財布に行く。
そんなに気になるのか。
拳だけじゃなく少し様子がおかしい。
「ほら、3万3千ジェニーだ。間違いねえな?」
「…うん、間違いない」
だが、もう金は受け取ってる。
(面倒だし、別にいっか)
男は見るからにソワソワしている。
さっさと出て行けといわんばかりの視線だ。
たぶん、いろんな意味で。
「じゃあ、また来る、よ?」
「…おーう、まってるぜ、お嬢ちゃん」
引き攣った、良いとも悪いとも、どっちともいえない変な笑みを浮かべた男に見送られ青いテントの店を後にする。
手元に残ったのは約3万3千ジェニー。
これと他で稼いだ金も合わせれば、ようやくアレが買える。
…まぁ、別に、贈るつもりもなかったけど、たまたま金があるだけだし。
あわせて6万弱。
それだけあれば目を付けていたアレを買える。
あの杖屋は昼に入ると人が極端に少なくなる。
そうなれば盗み易、いやいや。買いやすくなるからな。
太陽を見れば、まだ中頃。
お昼を過ぎたか、過ぎていないか程度だ。
闇市場からでも飛ばせば十分間に合う。
「…いっとくか」
別に行く理由もない。
どうでもいいことだ。
ただまぁ、ヒマだしな。
杖屋に寄った後、あのパン屋に少し顔出そう。
「ばあさん、元気にしてるかな」
すべりこみ!
明日の9時にも投稿します。