Black Barrel(改訂版)   作:風梨

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性的、暴力的な表現があるため閲覧注意


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 あれから、思考が支離滅裂に散乱していた。

 自分が自分なのか。それとも実は存在していないのか。

 

 手で触れる物も薄皮一枚を隔てたように感覚が薄く、視界はモヤがかかったように不鮮明だった。

 ざわざわという喧騒も、掛けられる人の声も、手を染める美しい赤も、何もかもに現実感がない。

 殴られてどこかに運ばれた事だけは覚えている。

 

 夢の中を歩いているようだった。

 足から伝わる振動も、歩く時に手を動かす動きさえも緩慢だった。

『念』なんて言葉も忘れて、言葉すら失ったように生きた。

 

 口にするものは全て味のない段ボールを噛んでいるようだった。

 パサパサとしていることはなんとなくわかった。

 食欲はなかった。ただ口に含めば身体は勝手に何かを食べる。

 ただの作業じみたそれは食事というにはあまりにおこがましく、冒涜的ですらあった。

 

 気がつけば、娼館と呼ばれるにはグレーな店に拾われていた。

 咽せ返るような女の匂い。

 退廃的な淫靡な空気が広がる店ではあらゆる非合法が黙認された。

 私も、どうやら年の割には頑丈なので仕事に駆り出された事もあるようだ。何度も使えてお得だね、と娼館の女は笑っていた。

 今更その程度どうとも思わない。飯が食えるならいいかと考えるくらいには私も擦れていた。

 

 ただ、自分の意思がある程度ハッキリしてから抱かれようとした時は多少の抵抗があった。

 自分が男だったのか女なのか、それすらいまだにあやふやだが、どちらの意識も同程度に抵抗感があった。

 多少暴れるが殴られれば条件反射で大人しくする癖がついていたので、殴られた後にぼーっとしていれば仕事は終わっていた。

 この程度か、と薄らと思い久しく笑った。

 

 微かな意識を取り戻して恐らく数年が経った。

 その間も仕事は続けた。その手の趣味の客は途切れない。

 栄養失調だからか、それとも他に何か理由があるのか、私は成長しなかった。

 ある程度使えるとわかってから食事が増えた。なのに私は成長しないままだった。

 媚を売る事はしなかったが、逆にそれがいいという意味不明な仕事は安定して飯の種になった。

 

 汚れたと泣く女や、子ができて自殺する女も居た。血を見る事も少なくない。薬で廃人になる女もいる。

 歯抜けた女が便利になったと笑った事もあった。

 無感動にそれを眺める自分に感じるものがあるかと思ったが、特段何も感じなかった。比較対象になる男の記憶もほとんどを思い出してのソレだ。なんとなくではあるが、自分というものが定まった気がした。

 それが、この場所のありふれた日常だった。

 

 そしてまた数年が経った。

 少しだけ背が伸びた。肉付きも付いてきて『念』の事も思い出した。

『纏』と『練』だけ暇な時に続けた。

 思考はまだモヤがかかったままだった。

 下の世話も熟れてきたせいか、固定客は増えた。

 相変わらず媚は売ってないんだが、そういうのが好きらしい。謎だ。

 食事は十分な量が取れるようになって、少しずつではあるが味があるような、ないような。味覚が戻りそうな予兆があったがあまり興味は湧かなかった。

 淡々と飯を食い、仕事をして、暇つぶしに『念』を磨いた。

 惰性ではあったが、多少は楽しい。……楽しい? 楽しいという単語に首を傾けながら月日は過ぎた。

 

 歳を数えるのをやめた。

 何歳に見えるか聞くと8歳〜10歳程度が一番多い。実際にはそれ以上だろうということだけはわかるので数える意味を感じなくなった。

 なので、何歳だと思うか聞くことが仕事のルーティーンに追加された。

 食事に肉が増えた。下の世話は今では店の中でも上位に入るだろう。少し経験を積み過ぎたかもしれない。初めは興味がなさげな仕事相手も夢中にさせられるくらいには手管に長けた。男の経験が生き過ぎたかもしれない。

 相変わらず媚は売ってないが。

『念』は引き続き暇つぶしにやっている。

『練』が2時間を超え始めてからは面倒になったので、代わりに『硬』で遊んだ。

 

 いつまでもこんな生活が続くと漠然と考えた。

 特に不満はない。飯は食える。仕事はまあ、適当にやればいい。暇つぶしにも事欠かない。屋根がある場所に住んでいるし、仕事着はある程度着飾れる。寒くも暑くもない。これが欲しいという物も特にない。

 そんな私に酔狂な男が話し掛けてきた。

 ぺちゃくちゃと喋る話を要約すると、身請けしたいという事らしい。

 今の生活に特に不満はない。消極的な理由で断った。

 憤慨した男は覚えていろと殴って消えて行ったが、私はケロリと頭で受け止めた。

 変な男だと特段何もせずその日は過ぎた。

 それから数日後。

 曲がりなりにも非合法な娼館だ。裏稼業のボディーガードも居ただろうに、私は簡単にさらわれてしまった。

 身請けは面倒だったから受けなかっただけで、拐われても抵抗する気は起きなかった。

 ぼーっとしながら脇に抱えられて連れ出され、車に押し込められてエンジンの振動音を感じながらどこかに走り去った。

 真っ暗な車の中で暇つぶしに『念』のイボクリで遊んでいるうちに到着した。

 連れて来られたのは、どこか記憶を刺激する雰囲気があるコンクリート造の部屋だった。

 扉は一つ。椅子が中央にあって、拘束具が着けられている。

 脇には拷問器具が並んでいた。

 ズキンと胸が痛んだ。

 

 座らされた私は拘束具で離れられないように固定された。

 荒い息を繰り返す男はニタニタした笑みを浮かべながら注射器を取り出してご高説を垂れ始めた。

 何やら媚薬という奴らしい。

 今まで何人も楽しんできたんだと笑う男に興味すら湧かない。

 注射器を刺そうとして、針が、刺さった。

 動揺する。念で守られているはずなのに刺さったのが何故なのか。

 

 そこからの記憶が曖昧だった。

 色んな事をされた気がするが、覚えていない。

 無感動な人間だと思っていた。なのに、今はみっともなくガクガクと足を震わせている。

 元に戻りかけていた思考がぐちゃぐちゃになる。

 両手の爪を剥がれた。右手の指を少しずつ刻まれた。ご丁寧に機能を失わないように痛めつけるVIP待遇だった。

 肌は剥がれなかった。せっかくの肌だと舌を這わされたが、以前は何も感じなかったであろうそれに気色悪さを感じた。

 拷問というには生温いそれと快楽を与え続けられるが、其れは、私と俺の記憶を上手に刺激してくれた。

 俺は最期の光景に重ね憤りを感じる。私はその男の感情に困惑しながら、快楽に流される。

 死んでいた感情が次第に目覚め始めていた。

 

 焦燥。怒り。憎悪。絶望。

 ずっと昔に慣れ親しんだ感情が戻ってきた。

 

 きっかけは些細な事だった。

 男の精神が動揺していたから、私に抵抗する気力がなかったから。

 だから、頑丈な程度の拘束具で押さえられていた。

 

 私に動揺はあっても恐怖の表情を見せなかったことが不満だったのだと思うが、男はあるモノを取り出した。

 それはトテモ懐かしい、黒い拳銃だった。

 

 頭蓋に押し当てられた。

 走馬灯のように最期の光景が走り、全身から溢れんばかりのオーラが吹き出した。生きる……? 事は殺すこと? 

 眼前の男の眼を見た。下卑た色が滲んでいた。

 

 生きる事は、殺す事。なら、殺せば生きられる? 

 

 何気ない視線に込められた純粋な殺気に当てられた男が細い呼気を漏らす。

 後退り思わず引き金を引いたが、銃弾はオーラの上を滑り壁に跳弾した。

 

 オーラに弾き飛ばされた椅子と男が、私を中心に正反対の方向に飛んだ。

 輝かんばかりにオーラが満ちた。

 生きる、生きたい。そう思うだけで無尽蔵に思えるくらいにオーラが溢れる。

 そう、生きるには殺さないといけないんだ。

 

 殺意に反応したオーラがキリキリと異音を立てる。

 腹の奥から湧き上がる衝動に何と名前を付けるべきか、そう、これは、きっと喜び。

 口角で孤月を描きながら、笑い声をあげて男の臓器を貫いた。

 幾度も、幾度も拳が突き抜ける。

 びちゃびちゃと顔にかかる血が心地よい。これが生きるという事。命を奪う、殺すことがイコール生きる事なんだ。

 

 この世の真理に気がついてしまった。

 さながら私は賢者だろうか。女でも賢者を名乗って良いのか、少し考えたがどうでもいいかと思考を投げ捨てた。

 今はこの血を楽しみたい。肉にめり込み、生暖かい体内に腕を突っ込む。

 きっと男はこんな気持ちよさを味わっているんだろう。

 

 だから、あんなにも私に夢中になっていた。

 今ならその気持ちがとても良くわかった。

 挿れて暖かい。それは気持ちいいことなのだ。

 腹から探り、肋骨を通り過ぎて肺を掴む。

 むにむにと触るそれは、さながら女の乳房かな? 

 

 またすごい事に気がついてしまった。

 人を殺せば生きる悦びに、男の喜びも味わえるのだ。

 むにむにと触れば痙攣する男。

 女が達した時も痙攣することを思い出す。

 

 人体とは奥深い。

 うんうんと頷きながらむにむに触る。

 飽きたので、肋骨を突き破って両手を外に出す。手には両肺を掴んだままだ。

 むにむにし続けるが、やっぱり中にある時じゃないと感動が薄れてしまう。

 ぽいと投げ捨ててしまい、男の亡骸に蹲み込んだ。

 

「──ー産んでくれてありがとう、えーっと、お父さん? になるのかな」

 くすくす笑いながら、部屋のドアを蹴り破った。

 お風呂を見つけて、シャワーを浴びる。

 血を洗い流して綺麗にしたら、家の中を探検してみた。

 何人か女の子が居たので、私のために死んでもらった。

 でも、活きが良くなかったので微妙。

 お風呂に入り直さないといけなかったのでむしろマイナスだった。

 女の子の部屋から服を見繕い、家を出る。

 

 朝日が昇っていた。

 白い光が気持ちよく地平を照らしていた。

 光を浴びながらうんと伸びをする。

 節々が伸びて、筋が伸縮する心地よさが良い。

 

「さって、どこにいこっかな?」

 生きてる。自由に。

 殺した時ほどじゃないけど、それが嬉しい。

 スキップでもしたくなる軽い足取りで、街の雑多を目指して足を踏み出した。

 

 


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