Fate/Pseud Epigrapha   作:鈴城秋葉

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遅筆遅筆ゥ


#1 邂逅

1月31日

 

「——始めましょう、か」

丑三つ時。

俗に、草木も眠る、とか、家の軒が三寸下がる、とか言われる時間。ソレは、人ならざるモノの領域であることの暗示だ。

そんな時間が、私にとって()()()()時間である。

事実、私が成そうとしている奇跡は奇跡の中でも特大のものであって——なるほど、そういう時機を選ぶ必要性も頷ける。

 

——ふと、周囲に目を向けた。

否、気づいた時には既に、そうしてしまっていた。

儀式のために整えた諸々の準備はそのまま、研ぎ澄ましたはずの意識はすっかりブツ切れの台無しだ。

雑念を取り除くべく、私の置かれた状況に思考を巡らす。

ここはかつての自邸、その中の、いわゆる研究室だ。

私は魔術の師であった父の死をきっかけに、魔術以外の全てを置き去りにしたまま、ロンドン——魔術協会の総本山・時計塔へ飛んだ。

だから、この風景を最後に見たのはもう十年前か、それより前にもなるのか。

「全く、なんだって帰ってきちゃったのかしら、私……」

困ったことに、考えれば考えるほどに泥沼だ。

思わずソファに身を投げた。

……そもそもの話、なのだが。

実のところ、私が進んで聖杯戦争に参加する動機など、どこにもないのだ。

だって、◾️◾️が埋没の一途を辿ったのは、他ならぬ父が原因なのだから。

その後始末——◾️◾️の再興を、私が為す必要がどこにあろうか。

愚かにも先走った魔術の徒。

それが破滅への引き返せぬ道程を辿るのは、かくして道理。

仮に、仮にだが。我が父が真っ当な死を遂げていたなら、私はきっとその遺志を継いでいただろう。

だが父は、凡人であった。

凡人であったが故に、魔術士らしからぬ人格者であった。

——凡人であったが故に、勝ちを急いだのだ。

私は、父に似て凡庸な魔術師だ。

だが、決して人格者などではない。

魔術師の典型(テンプレート)に収まった、生まれもっての魔術師だ。

けれど私は、我が師の死を自業自得と唾棄し、聖杯を獲る機会を目前にしてなお、飢えた狼になれずにいる。

肝心なところで甘ちゃんなのだ。

だから、今の私は◾️◾️を名乗らない。

 

——聖杯を獲って、再興を果たす。

そんな考えが脳裏をよぎる。

なるほど確かに、それは聖杯戦争に参加する動機としては十分かもしれない。

しかしそれには、小聖杯や模造品(レプリカ)ではない、正真正銘の大聖杯が存在することが前提となる。

そう、かつての聖杯戦争で◾️◾️◾️が奪い取られた、大聖杯だ。

過去のよしみでどれだけ甘く見積もっても、名も知らぬような連中に大聖杯を奪われたこと自体は大問題のはずだ。

——ひとまず彼らの処遇は保留として。

仮に、この冬木の街に()()()()()()()()()としたらどうだろう。

協会の方は、すっかりこの話題で持ちきりだった。

小聖杯をめぐる瑣末な権力争い(亜種聖杯戦争)など比較にならない、根源に至る奇跡を求めて聖杯戦争が起こるのは、想像に難くない。

これが事実であれば、聖杯戦争に参加する動機は十分だ。

でも。

「だいいち、聖杯なんて本当に存在するのかしら」

私には判らない。

どこにも存在の確証はない。

これまでの聖杯戦争において、いったい誰がソレを目にしただろうか。

「……駄目駄目、言うだけ無駄だって、ば……」

閑話休題。

ソファから跳ね起き駆け出す。

マジックアイテムが積み重なった大机を飛び越え魔法陣に降り立つ。

この間およそ1.5秒。

常人の域を超えた身体駆動は、私が魔術師であることの証左だ。

で、そんなことはどうでもよくて。

視界の中に時計が映ってしまったのだ。

それも、すっかり丑三つ時を過ぎ——あえて言うなら丑四つ時を指す時計が。

「もー、ほんと……なんでいっつもいっつもこうなのかしら、私って……ヤんなっちゃう」

我ながら頭にくる。

頭を抱えるのではなく、頭にくる。

これが私の生まれ持った業だ、とは認めたくないのだが。

 

乱れた呼吸を整え、ポケットから宝石を取り出す。

宝石に魔力を通す。

どろり、とそれらは融解し、魔法陣に循環していく。

まるで、魔術回路に魔力が通うかのように映る。

 

「——素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ——

降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

——私は、父に似て凡庸な魔術師だ。

でも、いや。だからこそ、努力の数では誰にも劣らない——!

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

繰り返すつどに五度。

ただ、満たされる刻を破却する」

 

英霊召喚の儀式が奇跡に等しい儀式であろうと、すべての宝石を用いる必要はない。

 

「————告げる。

汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば、応えよ!」

 

魔術師として生を受け、それからほんのひと時の休みもなく磨き続けた宝石なのだ。

であれば、そのうちのひとつも支払えば十分、いや十二分。

 

「誓いを此処に。

我は常世総ての善と成る者、

我は常世総ての悪を敷く者。

汝三大の言霊を纏う七天、

抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ————!」

 

 

 

 

日常は退屈だ。

変化はなく、刺激もない。

目を覚まし、学校を向かう。

午前の授業を終え、昼食を摂る。

午後からは適当に流して、家路につく。

もっとも、その退屈はたった今、とある不快因子に侵されてしまったのだが。

「……もっぺん聞くけど。アンタ、今、なんて?」

「だからさぁ、僕と同盟を組まないか?って言ってんだよ。グズのフリしてるうちに、ほんとのグズになっちゃったわけ?」

グズにグズと罵られるとは思わなかった。

心が燃えたぎっていくのを感じた。

「あ、私の聞き間違いじゃなかったみたいでよかったー。じゃ、改めてお断りってことでよろしく」

ここで事を大きくするのは悪手だと判断して、踵を返す。

私——巨勢(こせ) 万里(ばんり)は、今をときめく女子高生……の皮を被った魔術師だ。

さほど興味もないファッションだのなんだのの流行にも、貴重なキャパシティを消費してまで精通した。

そうして結局、最後まで平穏無事な高校生活を終えようと思っている。

そのためにも、化けの皮が剥がれる要素は極力遠ざけたい。

だというのに。

「はあ?なんだよお前、僕が折角手を貸してやろうってのに、断るって?……ハハハハ!よほど自信があるみたいだね巨勢ェ!」

ほらこれだ。一を返せばさらに十が返ってくる。

聡明だからじゃない。自意識過剰だからだ。

ひとつ火種を放り込むと、勝手に大炎上して襲いかかってくる。

「あのさあ間桐シンジ。あんたと私、どっちが格上かってこと……理解してる?」

だから、燃やして燃やして燃やし尽くして、燃えカスにすることに決めた。

「手を貸してやる、とか、そりゃ格上のセリフっしょ?——あんたが吐くには、ちょーっと役者不足ってもんよ?そしてあんたの次のセリフは、」

みるみるうちに顔が赤くなる。

コイツ、相当お粗末だ。

頭脳うんぬんの話でなく、精神的に。

 

「「そんなに言うならどっちが格上か試してやろうじゃないか!」」

 

「だ。単純だね、間桐シンジ」

見事なまでのシンクロ。

あまりにうまく行き過ぎて、いっそ冷めてきた。

それでも彼はますます激昂していく。

「……くそ、クソクソクソクソぉぉ!!来いアサシン!!殺せ!アイツをぉぉ!!」

彼の怒りが表出したように、周囲に赤い光と魔力が満ちる。令呪だ。

 

刹那、ずるり、と空間が歪む。

そして中心からは黒い人型が這い出てくる。

なるほど、これがサーヴァントの魔力というものか。

敵対してこそわかる、肌を刺すような威圧感。

子猫と獅子の力関係と言えば、認識するに易いか。

おまけにアレは異質だ。

そもそも空間を捻じ曲げて這い出てくるサーヴァント、という時点で気色悪いのだが……上半身は人間の女、下半身は虫——否、蜘蛛だ。

「ほお、アレは化け物の類か?斯様な英霊、私は知らぬが」

至極色の髪を揺らし、濃藍の影が私と異形のサーヴァントの間に躍り出る。

「——まあいい。このランサー、化け物程度に後れをとるほどぬるくはないのでな」

深い夜を称える色の長髪を備え、見目麗しくも勇ましい美女の姿をした私のサーヴァント。

冬木の聖杯戦争においては最速、と称される槍兵(ランサー)だ。

その力は、今ここに示される。

「よく見ておけよ、マスター。私こそ、貴女の盾となり矛となる最優のサーヴァントだということを、知らしめてくれよう」

宿した魔力は雷のごとく迸り、黒く、鈍い輝きの槍の形を得た。

「わかったわ。……やるのよランサー!あんな英霊もどきの化け物、サクッとのしちゃって!」

「フ、了解した。化け物狩りなぞ手慣れたものだ!」

轟、と大気が唸り、ランサーの姿が搔き消える。

今の彼女は黒い神風、あるいは弾丸。教室二つほどあったであろうアサシンとの距離は、とうになかったことになる。

「ハ、はははっ。見ろよあの猪女!おまえ相手に何の策も無く突っ込んできたぜ!?……ホラ下がれよ!上に行けェ!!」

マスターの命令に受け、アサシンは駆動する。

背後に突き出した右手から糸を放ち、それを巻き取り上階へと逃走。

人間の規格を外れた体躯でありながら、軽業師のごとく跳ぶ。

「ランサー、出来るだけ被害は少なくね!跡を残すと厄介なの!」

「応!」

返答の割には、敵意——殺意に迷いはなく、瞳は、逃げ去った獲物に狙いを定める狩人であった。

破壊衝動、殺戮衝動とは異なるが、視界に収めた敵を討ち果たす必殺の闘志。

それが彼女には備わっている、ということかと思う。

人類史に名を残した英霊、というのは、おおむね戦士、魔術師、王。

この三つに大別される。

その中でも彼女の性質は、戦士と言うほかないほどに強力な戦士だ。

これはあくまで私の持論なのだが、

——誰かを殺すことに長け、またそれを良しとした時代に生きる大義名分の殺人者というのが、戦士なのだと思う。

一を殺す間に十を殺し、十を殺す間に百を殺す。

その数が一千、一万と増えれば増えるほどに良しとされ、英雄として召し上げられる。

彼女もまた、一騎当千、万夫不当の英雄だ。

だから、彼女の抱く必殺の闘志は、あって当然のモノなのかも。

ランサーが地を蹴り、半ば宙を駆けるように疾走する。

残像だけを残し、巻き起こる風は窓ガラスを軋ませた。

さて。サーヴァント同士が戦っている間、マスターはどうするのが賢明か。

魔術師なれど所詮はヒトの枠組み、サーヴァントにしてみれば的が一人増える程度の瑣末なこと。

ならば当然、結論はここだ。

「お前ら、別れの挨拶とか……要らなかったワケ?」

マスター殺し。

あと単純に、不快因子の排除。

「別に必要ないでしょ?あのアサシンにランサーは殺せないし、アンタは私に膝をつかせて喜ぶ人間だろうし。むしろ別れの挨拶が必要なのはアンタたちじゃないの?」

「……ハハ、言ってろよ。どうせ後で吠え面かくのはお前らなんだから。は、ハハハ。あはははははッごぶはぁ!?」

気色の悪い笑い声をあげながら、ワカメ頭(間桐シンジ)は階段に足をかける。

私は足元がお留守になる、ほんの一瞬を見逃しはしなかった。

足元を崩せば全身が崩れ、機動力はたちまちゼロになる。あらゆる戦いにおいて、ほんの一瞬でも隙ができることは致命的だ。

浮いた右足を、一条の鋼が重く貫く。

彼がそれを認識するより早く転倒、顔面を強打しカエルが潰れたみたいな悲鳴をあげる。大変気分がいい。

次いでもがく左足、さらにその衝撃に跳ね上がった両手を

鍔のない短刀——匕首(あいくち)で貫いて封殺する。

「無様ね、間桐シンジ。敵対する魔術師に背中を向けて、あげく階段に磔とか……滑稽滑稽、溜飲が下がるってもんよ」

おまけに()()()()()()()はずなのに、有りもしない痛みに耐えかねて必死に足掻く姿はちょっと悪くない。

きっと仰向けに張りつけていたら、顔が見えて不快だったと思う。

咄嗟に最善の判断を下す判断力も、魔術師にとって必要な素養のひとつだ。

必死に足掻いて、必死に叫ぶ彼に声をかけた。

「ところで、間桐シンジ。

——丑の刻参り、って、知ってる?」

たぶん、私史上最悪の悪人面をしていたと思う。

 

 

 

 

穂群原学園、屋上にて。

英雄と化物は相見えた。

フェンスや貯水タンク、掲揚柱へと糸が同心円状に張り巡らされ、編み上げられ、屋上はまさしく蜘蛛の巣の様相を成していた。

地の利は完全に化物が掌握していると言って不足はない。

しかしながら、窮地においても英雄は笑ってみせた。

「貴様は幸運なのだな、アサシン。

今日という日は凪であるのだから。

風など吹き荒べば、私の与えた十秒あまりの猶予は危うく無為になるところだったぞ」

自信か慢心か、英雄——ランサーは構えを取らず、ただ自然体で、蜘蛛の巣の中央に陣取ったアサシンに目をやる。

長く伸び、アサシンの顔を覆い隠していた艶やかな髪は重力に従い、我の薄い表情を伴う美貌を露わにしていた。

「私の糸は頑丈なの。舐めないで頂戴!」

美貌を敵意に歪ませ吠える。

同時、蜘蛛の巣に点在していた繭玉から、ランサーへ向けて糸が放たれた。

「……馬鹿なひと。あれだけ余裕ぶっておきながら、避けることもままならないなんて」

糸の放射が終わり新たに生まれたモノは、人のシルエットをした繭。

アサシン自身、驚いていた。

ランサー、すなわち最速の英霊。

それがこうも容易く捉えられるものか、と。

「まだ講じる策は残っているのだけれど。

いいえ、消耗は少なければ少ないほどいいのよ」

繭は微動だにしない。

巣穴へ持ち帰ろうと、さらに糸を絡ませる。

「三騎士などと称されても所詮は人間。怪物には敵わな——」

自らの手で触れようとした刹那。

 

突如として火が熾こった。

それは立ち所に炎となり、繭を覆い尽くす。

火の出所には文字とも図柄とも形容できる、不可解な図形——すなわち。

 

「ルーン魔術、か……!」

答えは炎の内から与えられた。

「いかにも。ご明察だ。

化物の割には知恵者だな、貴様。

だがまあ、ひとつあげつらうとすれば——」

 

「私の魔術は原初のルーン。

そこいらのルーン魔術と侮ってくれるなよ?」

 

「なぜ生きているのか」などとは問うまい。

答えは明瞭、無抵抗であることを戦闘不能として判断した、彼女の浅慮さ故のこと。

では、アサシンは何を問うべきか。

「おまえ、『いつ』仕掛けた……!」

「一番はじめ、だよ」

至極当然、と言わんばかりにランサーは答える。

その表情に得意げな様子は見受けられない。

瞑色よりも深く、きらめく炎の中にあっても、なお霞むことなく至極色を称える髪が風になびいて広がり、夜空を見せた。

凪の静寂を破り、風が吹く。

それは、反撃の狼煙だった。

発火のルーンを受け、張り巡らされた蜘蛛の巣は見る影もなく溶け落ちていく。

「そら、どうした?次の手はないのか?

ないのであれば、こちらから仕掛けるが——」

「黙りなさい!!!」

ランサーの挑発をかき消すように、悲鳴のような、甲高い叫びがあがる。

上手を行かれた憤懣か、詰めの甘い自分への苛立ちか。

歯噛みする表情のために剥き出しの歯と、地上に降りたことでまたも顔を覆う髪が相まって、その容貌は不気味を通り越し——ある種、怨念に満ちた悪霊のようですらあった。

激昂すると同時、またも糸を放つ。

当のランサーは無抵抗で、ただ腕を糸にかざす。

放たれた糸は彼女の腕だけを捉えた。

身体もろとも引き寄せようと手繰っても、微動だにしない。

 

霊基の差、マスターの差、英霊としての格の差——

あらゆる要素がアサシンを絡め取り、雁字搦めにしていく。

そして終わりは間近へ迫る。

「生憎、手綱は馬の物で握り慣れていてだな。

頑丈さが仇となるぞ、アサシン!」

ランサーが半身を下げ、そのまま腕を、身体を捻って後ろに振り抜く。

——ぽーん、と。知覚した時には、もう。

常人の倍はあろうかという蜘蛛の巨体は宙を舞っていた。

ランサーの膂力を以って空へと放たれたアサシンは、ただ落下するまいと糸を吐き続ける。

しかしそれらは端から端から溶け落ちていく。

他ならぬ発火のルーンが、稲妻の如く飛来するランサーによって、須臾の間に刻まれていた。

もはや抵抗の術は失せた。

否、仮に術があっても、もう遅い。

 

ジェット機でも落ちたような爆音と砂埃を伴って、英雄と化物は地上へ降り立つ。

ただし化物は、英雄の一刺しで骸と化していた。

稲妻のごとき一刺しが、寸分違わず霊核を貫いたのだ。

「——済まんが、手向けの花なぞ持ち合わせてはおらぬ。

せめて、苦しまず逝くがいい」

断末魔を上げることは能わず。

ただ殺されるままに霊子へと立ち返り、塵として空へと昇っていった。

 

未だ宵の色をした空の下、淡い月華に照らされた小柄な影が、金糸で編み上げたような髪を揺らしながら駆け寄ってくるのを、ランサーは見た。

紛いようのない気配を纏う少女へ向けて、彼女は笑いかけた。

「勝ったよ、マスター。この通りだ」

傷ひとつない彼女へ向けて、少女は微笑んだ。

「そう、良かった。

戦う姿は見られなかったけど、戦果は確かに見留めさせてもらいました。

あなたが私のサーヴァントで、ほんと、よかったわ」

しばし、穏やかな空気が地上を支配していた。

 

——けれどもその静穏は、碧落より来たるモノに破壊される。

クラスや個体能力に依る差はあれど、サーヴァントは他のサーヴァントの存在を感知することができる。

しかしながら、強烈な魔力の揺らぎが起これば、マスター、サーヴァント問わずに知覚することは難しくない。

 

遠見のルーンなど不要。

感知能力の範囲外から放たれたソレは、音速を優に超える速さで大気を切り裂き、こちらへ迫っていたからだ。

知覚から一秒。対象の数を計測する。

一つではない。

ミサイルのような何かが、複数。

三秒。

ランサーの目に、飛来物は捉えられた。

矢だ。

鋭い矢先を持ち、その代わりに矢筈を持たない異質と映る。

四秒。

全ての矢先が自身に向いていることを確認し、ランサーは駆ける。

飛来物がただの矢である確証はなく、あるいは広範囲に被害の及ぶ代物かもしれない。

その可能性が存在するからには、傍らにマスターを置くのは得策ではない。

五秒。

槍を持つ手に剛力のルーンを刻む。

六秒。

時は来た。

全弾、空中で軌道を曲げ、ランサーへと向かった。

尖兵となった一矢を、神速の槍捌きで撃墜する。

尖兵は槍の衝撃を受け、魔力を伴い炸裂した。

後に続く本命の矢に繋げるための、上等な戦術だ。

だが、戦士を相手取るには無為、無益。

本能が槍を振るわせ、続く第二、第三、以下の矢を叩き落とす。

 

——シン、と空気が静まり返る。

苛烈に迸った藍の稲妻は、続く襲来に気を払い、息を潜める。

抉り穿つような視線は遥か彼方、ビル街へ向けられていた。

 

「……ランサー!」

張り詰めた空気は数秒後、ランサーを気遣う声に解かれた。

「無事!?無事よね!?

突然のことだから私、何もできなくて……!」

 

“ああ、どれほど()()()人間なのか、この娘は——”

 

突然の事態に狼狽しながらもサーヴァントを気遣い、駆け寄るマスターの姿を見て、ランサーの胸の内には言いようのない不安が渦巻いていた。

「アレは人間の領域を超えた狙撃だった。

貴女がどうこう対処するべきモノじゃあない」

「でも……」

「気に病むな。

あの程度であれば如何様にもできると、貴女に見せることができた。

そして、アーチャーは相当デキると認識できた。

初戦の戦果としては、申し分ないと思うが?」

慰めでも気休めでもない事実をランサーに諭され、後ろ向きに沈んでいく気持ちを、頭を振って振り解く。

「そうね。うん。

貴女の腕前も見られて、三騎士じゃないとはいえ一体仕留めて、おまけにアーチャーの情報も得られた……」

 

「……ありがとう、ランサー。

それと、改めてよろしくね——」

 

 

 

 

冬木市新都ビル街、廃墟の屋上。

「————喜べ、マスター。

アレは相当の手練れだぞ」

赤い外套を身に纏い、手には黒い洋弓を携えた男が在った。

髪の色は白。

逆立ち、風に揺れる様は猟犬を想起させる。

しかして、獲物を見据える瞳に興奮の色はない。

その様は鳶のごとく。

「……要は、仕留められなかったってこと?」

背後から、弦を弾いたような声で叱責が飛ぶ。

とはいえ、その声音に深刻さは見受けられない。

「いや、そう言われると耳に痛い。

渾身の一射……とまでは言うまいが、よもや無傷に抑え込まれようとは」

「そう。ま、いいわよ。

ハナから期待はしてなかったし」

「……む」

期待していなかった。

その言葉に、男の眉根は自然と寄っていった。

視界に捉えた獲物を逃し、背後の声に振り返る。

「あ、いや。言葉の綾ってヤツね。

いかにアンタが私のサーヴァントだって言っても、まさか初手で詰められるなんて思ってなかった、ってだけよ」

男の不満そうな視線を受け、弁明する。

弁明とは言っても、ただ腹の内を明かしたに過ぎないので、声の正体——黒髪の女にとって痛いところはまるでなかったのだが。

「……そうか」

渋々、といった調子ではあるが、獲物へと向き直る。

興が削がれたというべきか、集中が途切れたというべきか。

もはや弓は収め、狩人の気配は失せていた。

「あはは、気を悪くしたなら謝る————」

動体の気配を感じ、脊髄反射で振り返る。

左手は右腕に添え、右腕は銃身として前方に突き出す。

銃身の先には、なんでもない——没個性の少年がいた。

「……人払いはどうしたのかね」

「ぬかったわ、場所が場所だって油断してた。

後始末は自分でするから黙ってなさい、アーチャー!」

死を恐れる本能からか恐怖に駆られた少年は、屋内へと逃げ込み、下階へと駆け下っていく。

「凛」

足を踏み込んだ直後、アーチャーの呼び声に出鼻を挫かれる。

つんのめって転びそうになった。

「君は少々、肝心なところで甘いきらいがある。

それが君の宿痾なのだろうが、気を抜くな。

情けは無用だ。

これは君の未熟さが持ち込んだトラブルだ。

必ず、君の手で責任を取れ」

いやに真剣味を帯びた語調で、粛々と、諭すように語り始める。

「まあ、後ろのことは気にしなくて結構。

向こう見ずな飼い主の尻拭いをするのも、猟犬の役目だからな」

最後にはわざとらしく肩をすくめてみせる。

聞き入っていた凛の肩はがくり、と落ちた。

自然、猪ばりに少年の排除に傾倒していた思考は中断され、平生の思考を取り戻す。

「——ハァ。はいはい、わかりましたよーだ」

アーチャーの物言いに辟易としつつも、無碍にはしない凛。

ある種の信頼関係といえる———かもしれない。

 

「じゃ、いざって時のバックアップは任せるから。

あんな風に言った手前、しくじったら許さないわよ?」

「無論だ。

これだけの忠告を受けた手前、しくじらないでくれよ?」

「……ほんと、達者なのは戦いの腕だけでいいのだけれど」

 

フン、と鼻で笑う——もっとも、それに侮蔑の意味は込められていない——アーチャーを背に、ほんの少しに笑みを浮かべながら、凛は走り出した。

そして一挙手一投足で階段を飛び降り、下階へと乗り込んだ。

 

 

 

「これじゃあまるでネズミ捕りね……」

この廃ビルは、非常に入り組んでいる。

かつてはホテルか何かだったようで、部屋数が多い。

よって、早期決着が妥当な判断だった。

 

例の少年は、魔術師ではなかった。

ただ単なる、奇しくも穂群原学園の制服を身につけた、普通の高校生だ。

たとえ彼に魔術回路が備わっていたとしても、それは閉じているに等しいし、何より凛——禅城凛には認知できなかったのだ。

だから彼は、(ころ)される運命を辿ることとなった。

ただの一般人に、神秘の具現、奇跡たるサーヴァントを見られた。

いや、それだけならばまだ消すには値しない。

先のアサシンのような例外を除いて、その姿形はただの人間と大差ないからだ。

だがしかし、凛とアーチャーの会話を聞いていたとしたら。

それは神秘の秘匿性を損ねる可能性を孕んでいる。

神秘、すなわち魔術は、その秘匿性によって根源へと至る可能性を保持している。

科学が発展を遂げた現代において、魔術をもってもたらされる現象は、行程の多寡や難度に違いはあれど科学を用いて再現することが可能となった。

否、科学をもって再現できる奇跡をこそ、魔術と呼ぶ。

だから世俗に魔術が知らしめられれば、魔術=科学の等式が成り立ち、その魔術が為していた奇跡はただの現象に成り下がる。

 

 

 

生憎、私に被捕食者の気持ちはわからない。

だから必然と、考えある戦法はシラミ潰しに叩いていくか、全面制圧するかに限られる。

ちまちま隠れ潜んで隙を伺うとか、そんな小癪な戦いは性に合わないのだ。

「このビル、潰しちゃダメかしら…………」

すっかり風通しの良い廃ビルなのだから、倒壊したところで老朽扱い。

誰も困らないと思うのだが、どうか。

「———やめとこ。小言が増えるわ」

アイツの顔が脳裏に浮かび、強行作戦は踏みとどまることに決定された。

……思えば、アイツはなんでああも細かい、もとい親身なのか。

召喚した時からそうだったから、きっと性根がそういうヤツなのだろう。

けれど、それだけじゃない気もしてくるから不思議。

 

思考に溺れ、勘に任せて歩くうち、開けたホールに行きあった。

壁一面の窓ガラスは割れ落ち、乾風が轟々と吹き抜ける。

その奥には、私の獲物と、新たな狩人。

奇妙な装いをした銀糸の髪の狩人——女の手には、澄んだ空色の結晶があった。

それを視界に留めた刹那。

既に私の体は動き始めていた。

 

「Es wird stä(強化)rker———」

駆けながら強化の魔術を刻む。

速度は最高潮へ。

馬鹿みたいに広かったホールは、とうに私の領域だ。

逃すものか。渡すものか。

それほどに、あの女は度し難い…………!

「Es wird freige(ぶっ飛べ)ben!!」

相手が対応するより早く、一撃で捻じ伏せる……!

ほんの数秒で女に肉薄し、身を屈めて跳躍。

渾身の力を乗せた踵落としを叩き込む。

風の魔力を付加した一撃はコンクリートの床など叩き割る。

仮に防がれたとしても暴風を伴って吹っ飛ばす———はずだった。

結果は、不発。

かざした腕で受け止められた。

いいや、それだけなものか……!

ただ受け止めるだけで殺せるようなヤワな一撃じゃなかったはずだ。

そもそも床を叩き割るどころか凹みすら見られないし、ましてや暴風などどこにも生じていない。

 

女の腕へと視線が向いて、ようやく気づいた。

手の中にあったはずの空色の結晶。

それが確かに消失しているのだ。

「こンの外道……ッ」

口をついて出たのはそんな言葉だった。

なぜならあの空色の結晶は、マナ結晶。

すなわち、ダレかの生命力(まりょく)を吸い上げて作られるものだ。

魔術師というのは、基本ロクでなしとか人でなしとかの集まりで、例外なんてほんの一握りだし、私だって側から見れば、例に漏れず人でなしに違いない。

それでも、この女のやり方は許容できない理由がある。

必ず、この女は私が討ち果たす。

だが、まだ時期尚早だ。

相手の素性も、所属も、魔術も、サーヴァントも割れていない。

……先の一撃はどう考えても軽率だった。

流石に反省せざるを得ない。

それより何より、当初の目的を忘れていないか禅城凛(わたし)

私の獲物を取り返すのが、何より先決だ。

「アーチャー!」

相手がサーヴァントを連れているかどうかがわからない以上、私単身での攻撃は特攻に等しい。

ならば選ぶべき手はひとつ。

サーヴァントの助力を得た、確実な撤退。

 

須臾の時が過ぎ、背後からは剣の雨。

私と、私の獲物だけを奇麗に躱し、そのほか全面をことごとく掃射する……!

精密な狙撃に加え、面での制圧力を備えたアーチャー。

なるほど、アイツはやはり私のサーヴァントだ。

少々儀式に手間取ったが、それでも最強に違いない——!

……あの女がこの雨をどう凌ぐか、というのを確かめる絶好の機会でもあるのだが——いや、焦るな。

常に余裕をもって優雅たれ、だ。

いずれ機会は訪れる。

 

雨の中をひた走り、意識を失った件の少年へと接近、回収。

少年を横抱きにし、勢いをそのまま。

 

————ためらうな、私!

だん、と床を蹴り、夜の帳へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

「……すみません、しくじりました」

剣の雨に刃向かってなお、傷ひとつない猛者がそこにいた。

「いえ。結果としては、確かに、そうですけど……」

剣の雨の残滓が月の光を反射して、その相貌を淡く映し出す。

銀の髪は風に揺れ、月そのもののように煌きながら、どこか遺憾を含んだ表情を露わにしている。

「そう、ですね。では、そのように」

小さく頷き、何者かへの同意を示す。

感情を塞き止めるように胸にかざした手の甲には、鮮血のごとき赤を称え脈動する令呪があった。


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