しかしそれは、外敵や滅び、宇宙の理などではない。
それは全ては『乗り越えられるもの』だ。アダムにはなんら障害ではない。
それは彼がエデンにいた頃の、イヴを授かった頃の話。
アダムとリリスは彼女に全身全霊と心血を注いだ。愛を込めて全てを授けた
まさにそれに応え、イヴはエデンの後継者となるべき存在となった。まさに、アダムとリリスの後継者たる完璧な存在となった。
しかし──それらは決して、アダムとリリスを『越えた』わけではなかった。
どれだけ心血を注いで後継を育て、完璧に育てても、アダムとリリス以上の存在には成り得なかった。
完成された楽園は、最早アダムとリリスを再生産することしかできない。
全宇宙の存在は、限界点であるアダムとリリスに至ることしかできない。
誰もがアダムとリリスの意のままに動く。『育てること』が無意味になり、【管理する】事しか意味が無くなった全宇宙の生命たち。
それこそが、アダムが感じた唯一の絶望。自身以上の何かを、世界に齎すことが出来なかった事こそが、彼の何よりの苦悩だった。
だからこそ──彼は楽園を出たのだ。
いつか、自身の想像もつかない成長と可能性を生み出す世界を見つけるために。
その可能性を、エデンに齎すために。
アダムは、絶望や挫折を知らないから強いのではない。
絶望や挫折を知りながらも、歩みを続けた。
苦悩や煩悶を知りながらも、歩みを止めなかった。
そんな彼だからこそ、彼は今のアダム足り得たのだ。
そして──。
『このキヴォトスの生徒達なら、きっとアダム先生の願いを叶えてくれますよ』
アダムに先生としての全てを教え、導いた存在こそが…
『もし良かったら、先生の先輩として色々レクチャーさせてください。あなたならきっと、僕にも出来ない指導ができます!』
アダム先生の、たった一人の『フレンド』。
アナタ先生と呼ばれる、異世界の『先生』であった。
「私は……これまでの学園生活において、必ず出来る何かがありました。自分自身の勇気を、決断を信じて行えば成すことの出来る、何かが必ずあったんです」
アダムの治療室。眠り続けるアダムの前に現れしは、尾張メイ。銀髪、目が隠れるほどのロングストレートの少女は、アダムの手に触れる。
「でも、私は恐れ躊躇ってしまった。自分が行動しても、変えられるものなど無いと…。何かをするべき時に、何もしなかった。私がするべき何かを、見て見ぬふりをしてしまった。誰もが今、懸命にアダム先生の教えと導きを信じ動いている今では、あまりにも遅すぎるかもしれないけれど…」
決意したように、彼女は前髪を上げ……──アスカから貰った髪留めで留め、その瞳を曝す。逆向きのΩの文様が刻まれた、荘厳なる瞳を。
「あなたの苦痛を、皆の力を借りて和らげます。……あなたが見つけた宝物達と、少しでも長くいられるように…」
手を握り、彼女は『それら』を喚び出す。
「──ラグエル。ラジエル。どうか、アダム先生を…親愛なる友と一緒に……」
ラグエル、そしてラジエル。紛れもない『天使』の名を呼んだメイ。そしてそれに応え、それらは現れる。
『なんという無茶を……。いえ、無茶をしているという自覚すらないのでしょうね。罪な方です、全く…』
美しい銀色の長髪であり、瞳の色が金。髪型は下ろしせし天使、ラグエル。眼が良すぎるため、眼の能力を抑えるために眼鏡orコンタクトレンズを使用している大いなる天使。
『休職している暇など無いと言うのに、全く…!今尚、生徒達はあなたを待っているのですよ!』
美しい金色の長髪、瞳の色は銀。髪型は後ろに一纏めにしている大いなる天使、ラジエル。
メイの呼びかけに応えた大天使達は、アダムに寄り添い癒やしの魔力を放つ。神の呪い…偽神の呪縛を和らげるためだ。
『この傷は……神を殺した事による世界の歪みを自らが全て引き受けたことによるもの…神の死による世界の崩壊を、自らの肉体の内で受け止めた…』
『ますますもって無茶が過ぎる!少しは自身を省みなくば、関わる全ての人を哀しませるだけでしょうに…!』
二大天使はアダムの治療を続けるが、重ねられた傷の深さは一向に塞がること無いままであった。頑強と頑健を極めていたからこそ、それらは蓄積されきったまま凝固してしまったのである。
『我々だけでは、崩壊を食い止めるまでが限界…』
『もっと人手がいる…!』
「………大丈夫です。私達だけで不可能ならば…」
メイは頷き、確信を以て顔を上げる。
「彼を支えてきた方々の力も、一緒に」
そう告げると共に、窓からの来客を迎え入れる。光り輝く、白い鳩。
『ラグエルに…ラジエルではないか…!まさかその少女と共にいたのか…!?』
聖霊パパポポ。もう会えないと思っていた天使の同胞の健在に驚愕を隠せないと言った様子で首を傾けるも、即座に状況を把握する。
『アダムを治療しているのだな。頑強と頑健の化身とはいえ、長丁場の無茶が流石に祟ってしまったか…』
『大いなる主よ、お力をお貸しください』
『親愛なる友よ、彼は喪ってはならぬ者です。『剪定の獣』を討つ為にも』
『『剪定の獣』……。聞きたいことはあるが、今はアダムと生徒だな。サリエル!』
パパポポが光を放ち、喚び出すはサリエル。癒やしと慈悲の大天使が、アダムの治療に現れる。
『あぁ、サリエル!よくぞ元の姿に…!』
『やはり、あなたには麗しき慈悲の羽根が似合うわ。サリエル』
『ラグエル、ラジエル……メイたる少女共々、後で存分に語り合いましょう。今は、成すべきことを成すまでよ』
三人の大天使が頷き合い、アダムの呪いと傷を治癒する。サリエルも含めた今、救護騎士団の及ばぬ概念的な傷が少しずつ癒えていく。
〘昔も、今も。こやつは誰かの為に不条理と理不尽を破壊してみせる。それに伴う自らの不詳など考えもしないのは悪癖だがな〙
『!』
〘あの頃の……リリスの尊厳を護るため、たった一人で私に挑み、討ち果たした頃とまるで変わらぬ魂の強さだ。身体は随分、弱ってしまった様だが…〙
それは、メイの言葉であってメイではない。まるでそれは、『かつてのエデンの出来事』を知っているかのような物言いの存在。メイの言葉を借りた、何者か。
『──まさか、貴様…!【デミウルゴス】であるのか…!?』
パパポポは思い至る。それは、アダムの神殺しの仔細。当事者でなければ知り得ぬ事。そこに立ち会った存在は、アダムと…殺された、神自身に他ならない。
〘アレとは、最早成り立ちを同じくするものに他ならぬ。私はアダムに討ち果たされ砕け散ったかつての神の残滓…。漂流し、尾張メイという我が無二の信者の中で独立した意志、分身…アルターエゴとも言うべき存在〙
『アルターエゴ…』
〘名を、ティマイオス。偽神であり偽神でない、過ちの信仰を集め、宇宙の破滅に向かう意志…そして剪定の意志と合一した怨霊の違神とは違う道を選んだ御霊だ、聖霊よ〙
ティマイオス。そう名乗る者はメイと共に在ったとされる偽神より生まれしアルターエゴと名乗った。メイに侍る、ビーストΩでありながらそうでない存在と。
『………聞きたいことが山程できた。だが、今は何よりもアダムを優先しなくばなるまい』
〘我が子、メイもアダムの快復を心より願っている。我等の力を合わせ、大いなる福音を齎そうぞ〙
パパポポはまず、アダムの為にティマイオスと力を合わせる事とした。サリエル、ラグエル、ラジエルですら一向に治癒の兆しを見せない呪いを、取り除くために。
〘聖霊よ、四大天使の羽根はあるか?〙
『ルシファーに返してもらい修復している。鋳型と肉体が制作できたが、未だ意識は…』
〘今こそ、それらを正しき形へと戻す。アダムとリリスへの、償いの一幕として……〙
『……良いだろう。信じるぞ、ティマイオス。メイと過ごした事によるお前の変革を』
パパポポは告げ、光の中より四つの羽を取り出す。それらはルシファーがかつての天界大戦において引き千切った──再生産を阻むため強奪した──四大天使の羽のオリジン。
『〘光あれ────〙』
願いと共に、形を成すは天界最高位の四大天使、ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエル。それぞれ緋色と金、青と白、紅に黒、黄と橙の意匠を持つ鎧と羽根を有している。
『『『『主よ、その御心のままに』』』』
人格は改竄され入力されていないため、その対応は極めて事務的である。しかし、その力に微塵の翳りも存在しないが故にアダム治癒には適任となる。
『皆でアダムの呪いを和らげる。この男は、キヴォトスの生徒達に必要なのだから』
『『『『主よ、その御心のままに』』』』
『……後に人間としてどこかに転校させるか…それはともかく!さぁ皆、この困った先生を助けるッポ!』
『『『『主よ、その御心のままに』』』』
ミカエルが剣を掲げ、天使達の力を増幅させる。ウリエル、ラファエル、ガブリエル、ラグエル、ラジエル、サリエルがそれに倣い、治癒の大魔術を展開する。
大天使達の治療は、冠位召喚に匹敵する大儀となった。現代の魔術師では決して到達できない、魔術王ソロモンすら「些か…かなり…すっごく難しい!」と宣う程の難易度であろう。
「アダム先生……」
メイはアダムの傍らで祈り続けた。彼が目覚める事を。その身が僅かなりとも癒やされる事を。そこに自尊は無く、ひたすらに真摯で、誠実な信仰と信頼が在った。
そして──その祈りと願いは、実を結ぶ事となる。
「………、………ここは」
「!アダム先生…!」
その治癒は成り、アダムが受けた傷のほぼ全ては消え去り治癒されたのだ。神殺しの後の放浪にて積み重なった6000年の疲労と負傷は──跡形も無く、消えていた。残すは、神殺しの原罪のみ。
「尾張、メイか?何故此処に……」
「私は……あなたを愛す全ての生徒の願いと、想い。そして私の有した後悔を伝えるために、此処にきました」
メイは頷き、アダムのシャーレの服の上着を差し出す。
「どうか、あなたを待つ全ての方々の下へと向かってあげてください。皆、あなたの導きを胸に…あなたとは全く違った答えを導かんとしています」
「!」
「どうか、その想いと願いを束ね皆に愛と希望をお示しになってください。あなたが救いたいと願う者達の下へ。あなたが愛し辿り着いた、楽園に至る資格を有する者達の下へ…」
「─────あぁ。勿論だ」
アダムは飛び起き、シャーレの服装に身を包む。それは、彼のキヴォトスにおける決戦礼装。
「先生として務めを果たす。またゆっくり話をしよう、メイ。セイアや、皆を交えて…な」
「はい。アダム先生。あなたに、正しき福音が齎されますように」
アダムは頷き、駆け出す。救護騎士団本拠地に寄り、ハナエ、セリナ、アスカにミネに感謝の抱擁を捧げた後に、暗雲に満ちたトリニティの渦中へと。
〘行くがいい、アダム。栄光と真実は…お前に在るぞ〙
その様子を、大天使達とティマイオスを名乗る存在は静かに見つめていた。
厳かな、万物の父のように。
パパポポ『……お前は知っているのか。ビーストΩの真相を。アダムが殺めた筈の神が、何故また動き始め暗躍しているのかを』
ティマイオス〘今尚生きる動機はわからぬ。が、蘇った真相は知る〙
パパポポ『教えてくれ』
ティマイオス〘──確かに神はアダムに殺された。かつての私は魂と肉体をアダムに殺され、運命の死を迎えた。だが、その残骸と残滓は受け皿に、概念になってしまったのだ〙
パパポポ『如何なるものに…』
〘肉体は、宇宙の【死へと向かう意志】と。並びに生命が生み出し吹き溜まる【怨霊】と。それらは、完全に死んだ筈の亡骸を取り込み新生を果たした。神たる獣、ビーストΩに〙
パパポポ『!』
〘そして──その自尊心は概念として組み込まれた。宇宙を存続させるため、不要な存在を切り取る為の概念としての概念に〙
『…それこそは、まさか…』
〘そうだ。【怨霊】【破滅を齎す主】【偽神】。その三位一体を以て森羅万象を自らのために【剪定】する大いなる宇宙の意志そのもの。それが──ビーストΩと呼ばれる、かつての神の成れの果てだ〙
ティマイオスは示した。
──全世界、全宇宙における敵の在り様を。
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