それはともかくハロウィンのはっちゃけどに拙者そろそろ腹筋が攣りそうでござる。
紬が剣道部の見学を申し込んでからきっかり二日。その間、成績不振者を対象とする居残り勉強などといったイベントがあったものの、幸い紬の成績は前世知識もあって悪くない。バカレンジャーの仲間入りは避けられた。
刹那は言葉通り、剣道部の主将と顧問に見学と体験の旨を伝えて了承を得た。おかげで紬は前もっての伝達により剣道部員たちから奇異の目を向けられることもなく、放課後の部活動風景を見学することができている。
「どうでしょうか? これがうちの練習風景ですが」
一応の案内役として側につく道着姿の刹那が尋ねてくる。紬は特に感慨もなさそうに答えた。
「どう、と言われましても。うちの道場の練習風景もこんな感じだったなぁ、ぐらいしか。あんまり目新しくはないかな」
床張りの道場内で女生徒たちが竹刀を手に素振りをしている光景は紬にとって珍しいものでもない。実家が道場である以上、自分も門下生の一人として道場内で練習していたのだ。途中から誰一人として練習相手が務まらなくなって最終的には常に自主鍛錬という状況になっていたが。
「刹那ちゃんもあそこに加わって練習しているの?」
「はい。いえ、私の場合は色々と事情があって毎日顔を出せるわけではないのですが、概ねその通りです」
主にある人を陰から護衛するため、刹那が部活に顔を出す頻度はあまり高くない。だからと言って剣道部内で浮いているというわけでもなく、部活内の誰よりも上手いために臨時の教師役のような位置づけとして重宝されていたりする。
生徒たちが熱心に練習に打ち込む姿勢を微笑ましいものを見るような表情で眺める紬。やがて素振りが終わり、基本と応じ技の反復練習へと移行。それも終わるといよいよ打ち込みや掛かり稽古が始まった。
竹刀と竹刀を打ち合わせる音が道場内に響く。ここまで大人しく壁際で練習風景を見学していた紬であったが、動きが出てきたことでそわそわと落ち着きがなくなっていく。いよいよもって物足りなくなってきたのだ。
「刹那ちゃん、この後は確か地稽古があるのよね?」
その問いに刹那は静かに頷く。この後の展開が嫌でも読めたがため、表情にやや強張りが生じる。
そんな刹那の心境など知らず、紬はかねてから待ち侘びていた刹那との手合わせを申し込む。
「体験させてもらってもよろしくて?」
「構いません。元よりそのつもりで打ち合わせていますから。防具の類はどうしますか? 一応、お貸しできますが」
「竹刀だけで構いません。わざわざ防具を借りるのは悪いしね。それに、刹那ちゃんなら寸止めくらいわけないでしょ」
不敵な眼差し。それくらいはできる技量を持ち合わせているだろう、と目が問いかけていた。
無論、刹那ならば寸止め程度造作もない。分かりましたと一言告げ、主将に体験をする旨を伝えにいく。
するとどうだ。主将が一声上げると稽古に励んでいた生徒たちが手を止め、壁際へと捌けていく。てっきり道場の一画を間借りして打ち合うものと思っていた紬は、やや驚きの目を刹那に向けた。
刹那は少し困ったような申し訳なさそうな表情で口を開く。
「すみません。彼の有名な“二天一流”を修める剣士が見学したいと仰っているとお伝えしたら、皆さん是非見てみたいということで。この通り、竹刀も二本用意してあります」
そう言う刹那の両手にはご丁寧にも大刀と小刀の竹刀が握られていた。
「ありゃ、わざわざ小刀も用意してくれるとは思わなかったなぁ」
今回に限っては一刀流で臨むつもりであったが、わざわざ用意してもらったとあっては断るわけにもいくまい。何より、壁際から送られる期待に満ち満ちた視線を裏切るわけにはいかない。
「では、有り難くお借りします。皆さん、ありがとう!」
前もって準備してくれたこと、場所を空けてくれたことの感謝を伝え、紬は二振りの竹刀を受け取る。木刀とはまた違う感覚ではあるものの、比較的慣れ親しんだ代物。軽く素振りをして馴染ませると早速紬は構えた。
「此方は準備万端、刹那ちゃんは?」
「いつでも構いません。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
一刀を両手で握り締める刹那と二刀を手に構える紬。剣道部員に見守られる中、二人の地稽古とは名ばかりの手合わせが始まった。
▽
最初の一手は紬からであった。
紬は右手に握る大刀の先をゆらゆら揺らしながら摺り足で躙り寄る。あからさまに誘っている構えであるが、刹那は釣られない。冷静に一本を狙う。
刹那を釣れないと悟るや否や紬は一気に方針を変更。脱力状態からの急加速で彼我の距離を詰め、大上段からの大振りを繰り出す。
しかし見え見えの一撃。刹那は焦らず回避しようとして、なおも接近してくる紬に驚愕する。
面を狙うにしても、近すぎる懐の深くにまで踏み込む必要はない。むしろ間合いを詰め過ぎれば技の選択肢が狭められてしまう。それなのに紬が肉迫してくる理由を刹那は即座に悟った。
「せいっ!」
猛烈な勢いで迫ってくる
セオリー通りの二刀流であれば小刀を攻勢に用いることはない。ないが、だからこそ使えば相手の意表を突ける。狡い手口ではあるがなんでもやるを信条とする二天一流からすれば正しいだろう。
「くっ……」
虚を突かれて僅かに動揺するもそこは達人。上体を逸らして横薙ぎをやり過ごし、一度間合いを広げようと飛び退く。
「逃すかっ!」
折角詰めた間合いを広げられまいと紬は勢いそのままに刹那に追い縋る。如何に刹那と言えど加速している状態の紬を振り払うことはできず、息つく暇もない小刀の連撃を往なすだけで手一杯になってしまう。
「強い……何より、戦い慣れしている……ッ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。そう言う刹那ちゃんも、この間合いでよく凌ぐ。ここまで入ったらすぐに終わるのが大半なんだけどね」
小刀がその
紬もまた大刀を無闇に使えないのは同じであるが、彼女の場合は小刀がある。何より、使えなくとも時折チラつかせては牽制として利用していた。それもあって刹那は迂闊に攻勢に転じられないのだ。
だが、このままではジリ貧。打って出なければ手も足も出ずに負ける。ならばと刹那は押され続けていた体勢から一歩踏み出す。
「はあッ!!」
「なんの!」
小刀の一撃をやや強引に掻い潜り、すり抜けざまに胴を狙う。起死回生の一撃は空いていた大刀で防がれてしまうも刹那は小刀の間合いから脱することに成功した。
「やっるぅ、さすが刹那ちゃん。私の見込みは間違ってなかったわけね」
距離を離されてもなお紬の余裕は崩れない。ただし相好は心底嬉しそうに崩していた。
刹那は若干乱れかけた呼吸を整え、改めて目の前の剣客と対峙する。
「二天一流、お見それいたしました。正直、危なかったです」
「そう? いやぁ、照れるなぁ。刹那ちゃんもさすがのお手前、何か流派とかはあったりする?」
「流派、ですか……」
あるにはある。しかしそれを明かすには目の前の相手が信用足りうる人間かどうか判断しなければならないわけで。
「ん? またぞろ警戒されてる? 私、刹那ちゃんと何処かで会ったことあるかな?」
「いえ、転校初日が初対面で間違いないと思いますよ」
「そうよね。刹那ちゃんみたいな可愛い子と出逢ってたら絶対忘れないもの」
「か、可愛いですか……」
あっけらかんと告げられた賛辞に僅かに狼狽える。勝負の真っ最中にも関わらずそういった言葉を吐くのが紬だ。ただしその間でも狡猾に相手の隙を狙っているのだから
「面識がない、ということは刹那ちゃんが私を警戒するのには他に理由があるわけで……何かしら? それに、さっきからなーんか引っかかるのよね……」
喉に小骨が刺さったような違和感に首を捻る紬。どうにも刹那の戦い方は剣者らしさが薄いというか、強者であることに違いはないがどこか違う。そこが気になって仕方ないらしい。
「ま、いっか。続けましょう。打ち合っていれば分かることもあるだろうしね」
拭えない違和感は横に置き、再び彼我の距離を詰めにいく。同じ手は喰わないと刹那もまた攻めにかかる。
小刀の間合いに踏み入れられる前に大刀の間合いで打ち合う。竹刀と竹刀が激しく衝突し、音高く道場の空気を震わす。手数の差で若干刹那が押され気味なものの、一方的に攻められるような展開は避けられた。
苛烈な攻防の最中、紬は刹那の戦い方に注目していた。
「んー、獲物は太刀よりも長い……大太刀か」
「え……!?」
ボソリと呟かれた言葉に驚愕の声が洩れる。しかし手は止めず、二人は更に剣撃の速度を上げていく。
「想定敵手は人じゃないわね。妖物魔物の類……そう言えば京都に妖怪退治の専門家が居るとか居ないとか親父殿が言ってたっけ。刹那ちゃんの流派ってそこ?」
「っ……!?」
あり得ない。本来の得物ですらない竹刀での打ち合いで自身の情報が次から次へと流れていく。恐怖以外の何物でもない。
紬が敵成り得るか見定めるつもりだったのに、立場が逆転してしまっている。竹刀を振るえば振るうほど自分という存在を見透かされてしまう。これ以上は、拙い──
「そう……そういうこと。違和感の理由はこれか。六割方は読めたかしら」
唐突に紬が竹刀を操る手を止めた。合わせて刹那も攻撃の手を止めるが、その表情は焦燥に塗れている。
「宮本さん、あなたはいったい……」
「ありゃ、余計警戒されちゃった? 何処ぞの侍の真似をしてみたけど、慣れないことはするものじゃなかったか」
相手を知ることで警戒の理由を探ろうと見様見真似の猿真似で剣筋を読んだ結果、余計に警戒心を持たれては本末転倒もいいところだ。しかし警戒心を抱かれてはしまったものの、その理由については察しがついた。
得体の知れないものを見るような目を向けてくる刹那に、紬はことさら微笑んでみせる。
「そろそろ終わりにしましょうか刹那ちゃん。あまり長いこと道場を占拠するわけにもいかないし、これ以上は剣道の試合では推し量れない。続けるとしたらそれはもう剣道の試合ではなくなってしまうもの」
竹刀を下ろし紬は完全に戦意を引っ込めた。刹那もこれ以上の続行は剣道の枠組みを越えると納得し、警戒は解かぬまま竹刀を下げた。
お辞儀を交わし二人の稽古とは名ばかりの手合わせが終わる。途端に外野で観戦していた生徒たちが感極まったように拍手喝采を上げた。
惜しみない拍手と賞賛の声を浴びながら紬は刹那に歩み寄ると手を差し出す。
「お疲れ様、刹那ちゃん。私の我が儘に付き合わせてごめんね?」
「いえ、そんなことは……」
部員たちの手前拒むわけにもいかず、刹那は差し出された手を握り返した。するとそのタイミングを計ったように紬が顔を寄せる。
「刹那ちゃん、このあと時間ある? よかったらお茶でもしません? 聞きたいこと、あるんでしょ?」
「──っ」
このタイミングでの紬からの申し出は刹那にとって甘い罠にしか思えない。それほどまでに刹那の中で紬は得体の知れない存在になっているのだ。
しかし手合わせを終え握手を交わす目の前の少女からは悪意の類は感じない。何も知らなければただのお茶の誘いに過ぎなかっただろう。それはそれで断っていただろうが。
受けるか断るか、熟考の末に刹那は覚悟を決める。毒を食らわば皿まで、危険かも知れないが刹那は誘いに乗ることにした。
「分かりました。お付き合いさせていただきます」
「おっ、そうこなくっちゃね。じゃあ、行きましょうか」
そう言って破顔する紬は本当にただの中学生にしか見えなかった。