剣客少女と子供先生
ネギ・スプリングフィールドは魔法使いである。
イギリスのウェールズ出身であり、メルディアナ魔法学校を首席で卒業した天才十歳児。そして何より、魔法世界では知らぬ人はいないと謳われる英雄、千の魔法を使い熟す最強の魔法使いナギ・スプリングフィールドの息子だ。
十歳とまだ幼い子供であるネギの夢は立派な魔法使い、父親のような
修業の内容は日本の学校で教師を務めること。常識的に考えて十歳の子供が教鞭をとることなど不可能であるが、そこは赴任先が麻帆良ゆえどうとでもなる。麻帆良は魔法使い並びに関係者が数多く住む街であり、強力な認識阻害の魔法によって多少の異常は異常と認識されないようになっているからだ。
従姉であるネカネと幼馴染のアーニャに心配されつつ見送られ、期待と不安で胸を一杯にしながら、大荷物一杯抱えてネギは日本に降り立った。
女生徒たちからすれば十歳の子供が高等部と中等部行きの電車に居れば不思議なわけで、それはもう注目される。ついでにいえば色々と接触してしまったりともう大変だ。
「あわわわ……」
所詮は十歳の子供。自分よりも年上の女性に囲まれてしまえばどうしようもなくなる。そんな慌てふためく姿がまた女生徒たちの興味関心を引いてしまうのだから悪循環だ。
「うわっ!?」
ネギが泡を食っていると電車が曲がり道に差し掛かり車体が傾く。吊革に手が届かないネギは動揺していたこともあって踏ん張れず、背中から床に倒れそうになる。
女生徒たちが驚いて手を差し伸べるのも間に合わず、電車内で盛大に転ぶかと思われたその時、人混みをするりと擦り抜けて一人の少女がネギの背中を受け止めた。
「大丈夫かな、僕?」
「は、はい。ありがとうございます……」
頭上から降り掛かる声に相手を見やる。ネギの背中を受け止めたのは長袋を背負った見目美しい少女であった。
これが英雄の息子ネギ・スプリングフィールドと剣客少女宮本紬の出逢いであった。
▽
「へー、ネギ君って言うんだ。やっぱり出身は海外?」
「はい、イギリスのウェールズ出身です。宮本さんは何方のご出身なんですか?」
「私? 私はね、岡山の美作なんだけど、言っても分からないか」
つい先ほどの一件から済し崩し的に一緒に行動するようになったネギと紬は、混雑する電車内で偶然空席を見つけてそこに座ってお喋りに興じていた。ちなみにネギの席は紬の膝上だったりする。さすがに通学時間帯で混雑する車内に都合よく二人分の席は空いていなかったのだ。
「あの、さっきはありがとうございました宮本さん」
「いいよいいよ、困った時はお互い様だもの。それに、私にとっても役得ですし」
「え?」
「いえ、何でも。それより、宮本さんなんて他人行儀な呼び方じゃなくて、気楽に紬でいいわ。もしくは親しみを込めて紬ちゃんでも可」
「そ、そうですか?」
何やら怪しい言動があったがネギ少年は察せず、紬の勢いに有耶無耶にされてしまう。割と紬のネギを見る目が危なかったりするのだが、純粋無垢なネギ少年にはまだ身の危険を感じ取ることはできないようだ。
「それにしても、ネギ君はどうしてこの電車に? 確かこの電車の行く先は麻帆良女子中等部と高等部だったはずでしょ?」
「ええと、それは僕が麻帆良女子中等部で先生をするためなんです」
「ネギ君が先生? ほんと?」
「本当ですよ?」
曇りない瞳で頷くネギに紬は戸惑いを禁じ得ない。いつから日本はこんな子供が先生になれるようになったのか、前世でもそんな話は聞いたことすらない。
しかしここは神なるモノが転生先にと選んだ世界。十歳の子供だって教師になれる世界なのだろうと紬は無理矢理に自分を納得させた。むしろ自分にとってはその方が好都合なまである。
この剣客少女、霊基の影響か美少年や美少女を前にすると些かばかり見境がなくなってしまう悪癖がある。一応、越えてはならない一線は理解しているものの果たして何処まで信用できるものか。
「でも、そうなるとこの出逢いは必然だったのかもしれないわ。私も麻帆良女子中等部に転校してきた身ですから。ご縁があればネギ君の生徒になれるかも!」
「僕も紬さんみたいな優しい人の先生になれたら嬉しいです!」
「お、言ってくれるねー。このこの」
膝に抱えるネギを思わずぎゅっと抱きしめ、だらしなく頬を緩める紬。ネギが背中に当たる柔らかさに目を白黒させていることにも気づかず頬擦りまでしそうな勢いだ。
しかしそこで間もなく麻帆良学園中央駅に到着するという車内アナウンスが流れ、紬の強行は防がれた。
「む、到着するみたい。この混雑具合ですから、気をつけないと人に押し潰されかねないわ。というわけで──」
すくっと立ち上がる紬。その腕にはネギが大事そうに抱えられている。
「あの、紬さん。自分で歩けますから下ろしてもらえません?」
「えー? ……いえ、そうですね。自分の足で歩める男児の邪魔など無粋ですもの」
何だかそれっぽいことを言いつつ凄まじく名残惜しげにネギを手放す。色んなものから解放されたネギはほっと安堵の息を吐いた。
それからネギと紬は流れ出す人の流れに逆らわず、押され揉まれながらも無事に駅を出た。そこで二人を出迎えたのは遅刻しまいと駆け出す生徒の大群。物凄い人の量にネギも紬も目を丸くする。
「うわぁ、すごい人! これが日本の学校か……」
「うーん、何だか私の知っている登校風景と違う気が……」
片や純粋に人の数に驚き、片や前世の記憶との違いに眉根を寄せている。
「あ、いけない。このままだと僕たちも遅刻になっちゃいます。急ぎましょう、紬さん」
「ええ、そうね──って、速っ!?」
ダッ! と地面を蹴って走り出したネギの健脚ぶりに紬は驚愕する。今時の十歳児は路面電車を悠々追い越し、バイクよりも速く走ることができるらしい。
「誰も驚いてないけれど、これが普通? 十歳児がバイクよりも速く走る光景が? いえ、私もやれるっちゃやれるけど」
種を明かせばネギの健脚は無意識の魔力強化であり、周囲の面々が気に留めないのは麻帆良の認識阻害結界のせいなのだが、知らぬ紬は首を傾げるばかり。
ちなみに紬に認識阻害の魔法が効いているのか効いていないのか微妙な理由は既にその手の摩訶不思議の存在を知っていること、何より前世の知識というものがあるからだ。あとはセイバークラスに備わる対魔力もあるのかもしれないが、そちらは雀の涙ほどの効果しかないだろう。
微かな疑問を抱きながら紬は遅れまいと駆け出す。その速さは言葉通りにバイクを抜かし、先を行くネギに追いつくものであった。
しかし紬にとって残念なことに、ネギの隣には既に別の誰かがいた。というか、物凄い剣幕でアイアンクローをされていた。
ネギに恐ろしい形相で詰め寄っていたのは甘橙色の長髪をツインテールにした少女。制服からして麻帆良女子中等部の生徒であることが窺える。
「取・り・消・しなさいよ〜〜!!」
「あいや、あわわ……!?」
「アスナ、それくらいにしたりなよー。相手は子供やろー?」
「あたしはね、ガキが大っ嫌いなのよ! それにこのガキ、失恋の相だとか不吉なこと言ってくれて……!」
よほど腹に据え兼ねたのか鬼もかくやの顔で睨む少女。その眼光にネギは完全に怯えてしまっていた。
ちょっと離れた隙に何があったのか事情は知れないものの、このままネギを放置するわけにはいくまい。ついでに言えばツインテールの少女と黒髪の少女、どちらも綺麗どころであり紬的にビビッときたのもあって是非ともお近づきになりたい所存であった。
とりあえず今にもネギを食ってしまいそうな少女を宥めんと紬は声をかけた。
「待った待った、そこなお嬢ちゃん。子供相手に暴力は駄目よ」
「なによ、アンタこいつの保護者? って、ちがうか」
くわっと割り入ってきた紬を見て僅かに眼光を緩める少女。さすがに誰彼構わず当たり散らすほどに分別を失ってはいなかったらしい。
「保護者ではないけれど、知り合いではあるかな」
「だったらアンタがちゃんと見張ってなさいよね。ったく、ほんと失礼するわ」
「わわっ」
放り投げられたネギを紬は危なげなく受け止めた。
「おっと、大丈夫ネギ君?」
「は、はいぃ。怖かったです……」
「あらら、すっかり怯えちゃって。ところで、何があったのか事情を訊いても?」
半べそのネギと未だ顰め面の少女ではなく、この場で最も冷静そうな黒髪の少女に尋ねる。黒髪の少女は快く一部始終を詳らかに明かしてくれた。
原因はネギがツインテールの少女──神楽坂明日菜に失恋の相、それもドギツいのが出ていると口出ししたことにあった。そこからは怒り心頭に発した明日菜が食ってかかり、先ほどの状況に至る。
「なるほど……」
事の成り行きをアスナの友人である近衛このかから聞いた紬は神妙な表情で頷く。このかの言葉に嘘はない。それくらいは面と向かって話せば分かる。
このかを信用した上で紬はようやく落ち着きを取り戻したネギと目線を合わせた。
「ネギ君、今回は君に非があると思う。乙女に対して失恋だとか言ったら駄目よ」
「で、でも僕は彼女が悩んでるみたいだったから」
「君は親切のつもりでやったのかもしれないね。でも、それで傷ついてしまうこともある。現にアスナちゃんは傷ついて怒ったでしょう?」
「うぅ、それはその……」
紬に諭されてさすがに無神経な言葉だったかもしれないと思い始める。さすがに十歳の子供に女の子の複雑怪奇な心の機微を察しろというのは土台無理な話であるが、女性を傷つけてしまったということくらいは理解できた。
姉であるネカネから言われた『女の子には優しくなさいね』という言葉も効いてきて、途端にずーんと肩を落とし始める。
「その、ごめんなさい……」
「謝るのは私じゃなくて彼女でしょ?」
紬に促されてとぼとぼとアスナの前に立ち、ぺこりと頭を下げるネギ。
「アスナさん、失礼なことを言ってごめんなさい」
折り目正しく謝罪するネギにアスナは苦り切った表情であったが、このかの目やきちんとした謝罪を前にいつまでも怒っているのも大人気ない。疲れたように溜め息をを吐きながらアスナは謝罪を受け入れた。
「もういいわよ。どうせガキのやることだし……次はないけど」
ボソリと付け加えられた言葉にネギは背筋を冷やすのだった。
そうこうしているうちに始業のチャイムが鳴り始める。
「ああ! 始業ベルが鳴っちゃったじゃない。もう、新任の先生も迎えに行かないといけなかったのにどうしてくれるのよぉ〜!?」
「新任の?」
「先生?」
アスナの叫びに心当たりがありまくるネギと紬は顔を見合わせる。
ネギ・スプリングフィールドが麻帆良に訪れたのは偏に修業のため、麻帆良女子中等部で先生をするためである。つまりアスナとこのかがわざわざ出迎えにきたという新任の先生とはまず間違いなくネギのことだろう。
「ちょっといいかな、二人とも」
ネギの背中を軽く押してアスナとこのかの前に出る。アスナから向けられるやや面倒くさげな視線を受け流し、紬は二人の懸念がなくなったことを伝えた。
「先生のお出迎えなら心配要りません。この子が新任の先生みたいだから」
「はい。この度、この学校で英語の教師をやることになったネギ・スプリングフィールドです」
「は?」
「ほえ?」
戸惑いに満ちた声が二人から洩れる。まさかそんな馬鹿なあり得ないと目が物語っていた。
そんな二人の反応に紬は分かるわと言わんばかりに頷くのだった。