必ず手に入れる、勝つのは俺だ。
宮本紬は“宮本武蔵”の霊基を一部埋め込まれて転生した少女である。
迷惑極まりない体質であるが繰り返すうちに慣れた──諦めたとも言う──のもあって、途中からは新たな出会いの機会と前向きに受け入れるようになっていた。
おかげで何事に対しても余裕を持ち、大抵のことは笑って受け流す大らかな性格になり──今も取り乱さず冷静に状況の把握に努めている。
「まさかベッドに飛び込んだところで神隠しに遭うとは……」
もはや狙っているとしか思えないタイミングでの神隠しに呆れつつ、紬は周囲の様子をよく観察する。
飛ばされた場所はどうやら建物内部らしい。至る所に本がぎっしり詰まった棚が並んでいることから図書館のようであるが、紬の知る一般的な図書館と比べると馬鹿みたいに広い。屋内とは到底思えないほどの広さだ。
「灯りがあるのがせめてもの救いね」
夜間ともなれば照明の類は落とされているのが普通だろうが、しかし館内は所々に灯る照明によってぼんやりと照らされている。決して明るいとは言えないが歩き回るには十分な明るさだ。
「今回は何処に飛ばされたのやら」
人っ子一人いない通路を往く。躊躇いも何もないあたり慣れているだけはある。
静寂に包まれた館内に紬の足音だけがいやに響く。これが正真正銘一般人であれば心細さや何か出るのではないかと歩みを止めてしまうのかもしれないが、紬の足取りに迷いはない。唯一の気掛かりがあるとすれば、それはルームメイトたる千雨のことだ。
今回の神隠しが発生した場所はベッドの上、部屋の中である。もっと言えばルームメイトである長谷川千雨の目と鼻の先でだ。付け加えると穴に吸い込まれる際にバッチリ目も合った。
普段からの態度で千雨がこの手の非現実的な現象を毛嫌いしているのは知っている。そんな彼女の目の前で神隠しによって姿を消したのだ。今頃は自身の築く堅実な現実観の崩壊を抑えるべく四苦八苦していることだろう。
「何て言い訳をすればいいのかしら……」
実は手の込んだ手品でした、なんて言ったところで誤魔化されてはくれないだろう。千雨はあれで頭の回転は悪くないし、察しも悪くない。下手な嘘を吐けばまず間違いなく看破される。
それ以前に紬は人を騙すのが上手い
どの道、時間の問題だった。紬とルームメイトとなった以上、いつかは神隠しの現場を目撃することになる。それが遅いか早いかの問題でしかなかったのだ。
とはいえ千雨にとってはいい迷惑以外の何物でもない。堅実な現実観を第一とする千雨にとって、
「最悪、絶交される可能性もなきにしもあらず……うわぁ、もしそうなったら凹むなぁ……」
折角仲良くなりつつあった相手に距離を置かれてしまうのは辛い。それがこれから先も同じ部屋で暮らすルームメイトであればショックも一入だ。
がっくりと肩を落とし気もそぞろに歩く紬。彼女にしては迂闊なほどに注意散漫であった。此処が馬鹿広いだけの図書館だと決めつけていたのもあるだろうが、その気の緩みは致命的な過ちを招きかねない。
そう、例えば──カチッと。
「うん? 今何か踏んだような気が……」
足下から響いた音に紬は歩みを止める。目を凝らして見れば何やら仕掛けのスイッチのような凹みが紬の足によって踏み込まれていた。
「……何かしら、こう物凄く嫌な予感がするんだけど」
その予感は間を置かず現実の脅威となって紬を襲う。
ガタンッ! と物音がすると無数に並ぶ本棚の数々が傾き始めた。次から次へと連鎖的に倒れ込み、ドミノ倒しもかくやの勢いで本棚が紬を潰さんと倒れてくる。
「うっそぉ……」
思わずといった風に紬が引き攣った声を洩らす。現在進行形で紬を押し潰さんと迫っている本棚のドミノ倒しに、さしもの紬も顔色に青いものが混じる。
「ちょっ、洒落にならないんですけど!?」
すぐさま紬は走り出す。今はあの本棚から逃れなければならない。さもなくば本がぎっしりと詰まった棚の下敷きになって圧死待った無しだ。
だが逃げる先が必ずしも安全とは限らない。罠は単発で仕掛けるものではなく、連鎖的に嵌るからこそ意味があるものである。
つまり、何が言いたいかといえば──プチッと。
「──いっ!?」
後方から迫る本棚に気を取られていた紬が足に微かな抵抗を感じた瞬間、左右の本棚の隙間から複数の矢が射出された。間一髪で身を引き、神隠しで飛ばされる直前に引っ掴んできた木刀で弾き飛ばして難を逃れるものの、一歩間違えれば直撃する軌道だ。
「わ、割と殺意を感じる仕掛けね。此処は図書館じゃなくて絡繰屋敷だったみたい。認識を切り替えないと本気で危ないわ」
もはやここは図書館に非ず。気を抜けば命を落としかねない絡繰だらけの迷宮。身を以て知った以上、先と同じような過ちは犯さない。
「ええ、これくらいのピンチは何度も乗り越えてきたもの。さっさと出口を見つけて帰還してみせますとも」
自信満々に宣言して紬は直感を頼りに迷宮を突き進でいく。
▽
麻帆良学園都市には図書館島という施設がある。文字通り湖に浮かぶ世界でも最大規模の図書館だ。
世界各地から貴重な書物を収集し続けた図書館島は蔵書の増加に伴い増改築。その規模は島と形容するに相応しいほどの規模であり、図書館内の全貌を知る者はいない。
そんな図書館島に少年少女たちが忍び込んでいた。2年A組の成績不振者ことバカレンジャーと図書館島探検部のメンバー、加えてアスナによって連れて来られたネギである。
彼ら彼女らは図書館島深部に眠るとされる読むだけで頭が良くなる「魔法の本」を求めて夜の図書館島に足を運んだ。それもこれもどこでどう話がややこしくなったのか、今度の期末テストで最下位だったクラスは解散させられ、特に成績の悪かった生徒は小学生からやり直しだなんて噂が流れたからである。
真実は2年A組が最下位を脱出できなければネギがクビという話であったのだが、そこは2年A組クオリティ。噂に尾ひれ背びれ胸びれがつくのはいつものこと。
もう一度ランドセルを背負って小学生からやり直しなどという憂き目を避けるため、バカレンジャーたちが何かしらの方策はないかと思索し、図書館島探検部であった綾瀬夕映が口にした魔法の本に縋ったのはある意味で予定調和だったのだろう。
成績は悪くとも無駄に行動力のある彼女たちはその日の夜に作戦を立案決行。貴重書を守るために仕掛けられた対盗掘者の罠を持ち前の無駄に高い身体能力で掻い潜り、順調に地下へと歩みを進めていた。
「た、高い!? こんな高い棚の本を誰が読むのよー!?」
優に十メートルを超える背丈の本棚の天板にて神楽坂明日菜、心の叫びが口を衝いて出る。彼女の不満も尤もだ。
此処に来るまでに潜り抜けた罠の数は知れず、明らかに世間一般の図書館を逸脱している。もはやただの迷宮と変わらない。しかも一つ間違えれば命の危機が伴うというとんでも仕様である。
「うわぁ、落ちたらさすがに死んじゃいますかね……」
本棚の上からおっかなびっくり下を覗き込むのはネギだ。今の彼は自ら魔法を封じてしまったため、いつもの小学生離れした身体能力は発揮できず、今回の探索においては完全なお荷物となっていた。
連れて来たアスナとしてはいざという時、ネギの魔法を頼りにするつもりであったのだが、当てが物の見事に外れた。だからと言って年相応の小学生同然のネギを放っておくわけにもいかず、何かと危なっかしいネギの面倒を見ることになっている。
それがまた他の面々からはネギに好意があるのではと勘繰られる要因となり、此処に来てからアスナは気苦労が絶えない。つい不平不満が口から零れるのも致し方ないだろう。
ほんの僅かにアスナが気を抜いた。その一瞬が命取りになる。
カチッと此処にくるまで耳にタコができるほど聞いてきた罠の作動音が鳴る。仕掛けを踏んでしまったアスナは何が来るかと身構えるも、矢も本も飛んでこない。不発かと首を傾げたところで前方からネギの絶叫が聞こえてきた。
「え、ネギ!?」
「「ネギ君!?」」
声のした方に目を向ければ本棚の上から真っ逆さまに落下するネギの姿。どうやらアスナが踏んだ仕掛けは丁度ネギが立っていた場所の天板が抜ける罠だったらしい。
予想外の罠に面食らうアスナであったが、即座に動揺を振り切ると躊躇いなく本棚から飛び降りる。このかや佐々木まき絵、他の面々が制止するのも遅かった。
「アスナー!? ネギ君ー!?」
眼下に広がる真っ暗闇の中に消えていった二人にこのかとまき絵が呼びかけるも返事はない。高さ十メートル以上もある高所からまともに落ちればどうなるか。最悪の想像に二人は顔を青くする。
一方の逸般人代表である忍べていない忍者とマジカル八極拳の遣い手は、最初こそ助けに飛び込もうとしたが今は何の心配もない様子で下を眺めている。そんな二人の泰然自若ぶりに夕映は戸惑いを隠せない。
「あの、お二人はどうしてそんな落ち着いているのです?」
「まあアスナなら問題なく這い上がってきそうアルからね」
「それに、彼女が居るならば心配無用でござるよ」
「彼女?」
夕映が首を傾げたのとこのかとまき絵が驚愕の声を上げたのはほぼ同時だった。
タン、タタン! と軽快な音を立てて本棚を蹴上がってくる人影。薄暗い図書館島内部にあってなお鮮やかな髪を靡かせ、牛若丸もかくやの身軽さで切り立つ崖の如き本棚を登ってくる少女に、このかとまき絵は非常に見覚えがあった。
「ほっ、はっ、いよっと!」
天板まであと二、三段といったところで少女は僅かな足場に両足を乗せ、目一杯に膝を曲げると本棚を蹴倒さんばかりの跳躍を見せ、軽やかに本棚の上に降り立つ。その両脇には目を回すネギと目を点にしたアスナが抱えられていた。
少女は二人をゆっくりと下ろすと、一仕事終えたとばかりに息を吐く。
「いやー驚いた驚いた。出口を探して彷徨い歩いていたら聞き覚えのある悲鳴が聞こえて、見上げてみればネギ君とアスナちゃんが降ってくるんですもの。びっくり」
「「つ……」」
「ん?」
「「紬ちゃん!?」」
「はい、紬ちゃんですよ?」
今ひとつ状況を理解できぬまま驚愕入り混じる歓声を浴びせられて、紬はきょとんと首を傾げるのだった。