女神転生EXCESS   作:竜王零式

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悪魔新生

 

 

 都内にある賃貸マンションの一室。

 3LDKのリビングに、だらけきった姿勢の若者がいる。

 

 武藤(むとう)信彦(のぶひこ)

 

 二十歳になったばかりの大学生だ。

 いまは夏休みで、バイトも休み。

 予定もないので、大画面のモニターで映画を見ている。

 

 映っているのは、昨年大ヒットしたスペクタクル・ムービー。

 人外のヒーローたちが協力しあって、世界の危機を救うという内容だ。

 

「けっこう面白いな」

 

 大学生にもなって見る内容ではないかとも思ったが、

 なかなかどうして見ごたえがある。

 

 迫力ある映像と、ヒーローたちの生き様に引き込まれていると、

 

 ガチャ。

 

 と玄関が開く音がした。

 

 確認するまでもなく、同居するたった一人の家族が帰ってきたのだろう。

 

「――って。もうこんな時間か」

 

 時刻は5時を回っている。

 高校の夏期講習に参加している妹が帰宅する時間だ。

 

 信彦は頭をぽりぽりとかき、だらけていた姿勢を正した。

 妹の桜子(さくらこ)は、信彦に対して母親以上に口うるさい。

 

「ただいま兄さん」

「おう、お帰り」

 

 声のほうを見向きもせず返事する。

 

 それからしばらく、おたがいに無言。

 背後から妙なプレッシャーを感じながら、

 意識して映画に集中していると、

 とたとたと足音が近づいてきた。

 

「兄さん?」

 

 やけに凄みのある声がかかった。

 反射的に振り返る。

 

 兄とは似ても似つかない秀麗な眉目を、微かに歪めた妹の姿があった。

 

「どうした?」

「どうした、じゃないでしょう。ご飯炊いてくれてないじゃない」

 

 信彦は「さっ」と顔を青くした。

 

「……あ。悪い、忘れてた」

「もうっ」

 

 桜子はそっぽを向くように踵を返し、制服の上からエプロンを着けた。

 すらりとした桜子の肢体に、その格好は良く似合う。

 

「待てよ、いまやるから」

「兄さんより、わたしの方が早いし美味しい」

 

 吐き捨てて、桜子は米を研ぎ始める。

 

 信彦は肩をすくめた。

 このまま映画を見続けるのも落ち着かない。

 プレイヤの電源を切ってテレビのチャンネルに切り替え、

 そのまま自室へ退散した。

 

(はあ……自由気ままな一人暮らし、のはずだったのになあ)

 

 桜子は3つ下だ。

 昔から何をするにも優秀で、兄の立場など無かった。

 高校も、地元の進学校に行くものとばかり思っていた。

 

 この近所にある有名校に入学すると知ったのは、

 信彦の大学合格が決まった後である。

 

 そうなれば兄妹(きょうだい)が同じ部屋を借りるのは自然で、反論の余地もなかった。

 

(家事とかひととおりやってもらえるのは助かるけど)

 

 それよりも、あの妙なプレッシャーが怖い。

 

 信彦は妹が苦手だった。

 

 容姿端麗文武両道、家事も一通りこなし、性格は落ち着きがあり善良。

 世間でよく聞くような、横柄で生意気な女子高生の要素は何一つない。

 口うるさくはあるが、ヒステリックに喚き散らすこともない。

 

 自分のような出来損ないでも、きちんと兄として立ててくれているのが分かる。

 

 それがとても恐ろしい。

 

 嫌ではない。そんな感情を抱くのもおこがましい。

 だが、妹の近くにいると息が詰まりそうになる。

 

「ん?」

 

 携帯にメッセージが入っていた。

 

「飲み会やるから参加してくれ」

 

 という短い文面を送ってきたのは、大学の友人である。

 

「気が向いたらな」

 

 こちらもごく短い文面を返す。

 ああいう場はあまり得意ではない。

 

 すぐに返信があった。

 

「マジで頼む。助けると思って」

 

 信彦は溜め息をついた。

 日頃から何かと世話になっている男だ。

 こうも食い下がられると、断るのも気が引ける。

 

 それに。

 

 機嫌の悪そうな妹から逃げる、良い言い訳にもなる。

 

「OK」

 

 軽くシャワーを浴びて部屋に戻ってくると、

 集合場所と時間が指定されたメッセージが届いていた。

 

「あんま時間ねーな」

 

 信彦は急いで身支度を済ませた。

 といっても、身だしなみにこだわる方ではない。

 無地のTシャツにジーンズという軽装に、薄地のジャケットを羽織る。

 

 リビングに出ると、桜子から声がかかった。

 

「兄さん、出かけるの?」

「飲み会に誘われたから行ってくる」

「夕飯は?」

「いらない。鍵もかけとけ」

「分かったわ」

 

 玄関を出ると、信彦は「ほっ」と息をついた。

 

「ま、あいつもおれが居ないほうが気楽だろ」

 

 そんなつぶやきを残し、駅まで歩く。

 

 見慣れた住宅街だが、夕焼けに染まるのを見るのは久しぶりだ。

 早々に家を出た甲斐もあって、少し時間に余裕があるらしい。

 ふと思い立って、神社の参道を登る。

 この時間なら、綺麗な夕日が拝めるはずだ。

 

「おお。やっぱり」

 

 参道を登り切って振り返ると、地平の彼方から、夕日が一直線に差していた。

 それが鳥居を抜け、社をも照らす。

 

 こじんまりとした小さな社だ。

 朝日ではなく、夕日に向かって建てられたのは何かいわくがあるのだろうが、

 この街に住んで二年もしない信彦には分からない。

 

 でも、黄昏に照らされる社は神々しく、心が洗われていく気がする。

 

「ついでに何かお願いしていくか」

 

 信彦は財布ではなく、ポケットから適当な小銭をあさり、

 確認もせず賽銭箱に投げ入れた。

 

「おれにもせめてひとつくらい、桜子に勝てる特技ができますように」

 

 そんな願い事を無意識にしてしまう。

 

 信彦は自嘲し、ごまかすように背伸びをした。

 

 その時だった。

 

 がくん、といきなり両足が力を失い、あわや地面とキスしそうになった。

 すんでのところで手をつくが、視界がぐるぐると回って気持ちが悪い。

 

「なんだこりゃ……おい……」

 

 妙な景色が見えた。

 

 真っ黒な空が、ところどころ赤い光を放っている。

 それらがすべて、西の方向を示しているようだ。

 

 見る。

 

 そこに強烈で、真っ白な光――。

 

 ――でかしたぞ、こぞう。

 

 不気味な声が聞こえた。

 あたりを見渡そうとしたができなかった。

 身体が金縛りにあったように動かないのだ。

 

(おい、マジか……!)

 

 目眩いはどんどんひどくなる。

 やがて視界が真っ暗になり、全身がズキズキと痛み始めた。

 

(このまま死ぬんじゃねーだろうな……?)

 

 そう思いつつも必死にこらえていると、やがてめまいは引いていった。

 身体にも力が戻ってきた。痛みはもうない。

 

「何だったんだ?」

 

 立ち上がると、もう日は沈み、あたりは薄暗くなっている。

 どうやら結構な時間、うずくまっていたようだ。

 

「やばっ、時間……!」

 

 慌てて参道を降り、駅までの道をひた走る。

 どういうわけか身体がとても軽く感じる。

 さっきの反動なのだろうか。

 ともかく病院に寄る必要はなさそうだ。

 

 滑りこむように改札を抜け、閉まりかけの電車の扉をこじ開けて、

 帰宅時間の混雑でそこそこ密度の高い車内でようやく一息ついて。

 

 異変に気付いた。

 

 ――なんだこれは……!

 

 脳を焦がす、甘い匂いが充満していた。

 

 初めて嗅いだ匂いだ。

 だがそれが何なのか、信彦にはわかった。

 

 ヒトの匂い。

 

 いや、人間の命の匂い。

 それはとても芳醇で、甘く、まろやかに、

 

 信彦の「食欲」を刺激した。

 

(は……嘘だろ……?)

 

 満員電車に「エサ」がひしめいている。

 それもどうやら、比較的若い女性に限られるらしい。

 

 くたびれたOL。

 清楚な雰囲気漂う同年代の娘。

 瑞々しい女子高生。

 ケバケバしい四十頃の婦人。

 朗らかに談笑する、ごく幼い少女たち。

 

 それらの口元に目が行く。

 そこから、命を奪うことができる。

 喰らえばどれほどの満足感が得られるのか、

 信彦には分かってしまった。

 

(いやいや、ありえんて。正気にもどれ……!)

 

 頭を振る。馬鹿げた思考を追い出すために。

 もちろん効果は無かった。

 

 信彦は目を閉じた。

 しかし、逆に感覚は研ぎ澄まされた。

 なぜか車内の様子が良く分かる。

 

 どれほどの距離に、どんな人間がいるのか。

 どんな姿勢で、どこを向いているのか。

 

(夢でも見てんのか。いつから――あのお社か? おれはまだ気絶でもしてるのか)

 

 ふと、信彦の感覚が妙な動きを捉えた。

 

 そう離れてない場所。

 脂ぎったスーツ姿の男が、中学生くらいの少女の尻をまさぐっている。

 

 目を開ける。

 

 感じた通りの光景があった。

 少女は顔を真っ赤にし、うつむいて耐えているようだ。

 痴漢男があからさまに鼻息を荒げている。

 

 考えるより先に、信彦は男の手を捻り上げていた。

 

「ひっ!」

 

 睨みつけて、ぱっと手を放す。

 痴漢男は人の波をかき分け逃げていった。

 

「大丈夫?」

「は、はい。ありがとうございます……」

 

 少女が顔を上げ、視線が合う。

 

 どくん!

 

 信彦の心臓がはねた。

 同時に少女の瞳が「とろん」と溶け、色っぽい熱が灯った。

 

 うすく開いた口唇に目が行く。吸い寄せられていく――。

 

(アホかって!)

 

 信彦は歯を食いしばって顔をそむけ、少女から逃げるように人並みをかきわけた。

 が、危機は続いていた。女はそこかしこにいるし、耐え難い芳香が充満している。

 

 目的の駅に着く前に、信彦は電車を降りた。

 

 そして駅のトイレに駆け込み、個室にこもる。

 しばらくすると、妙な衝動は次第に消えていった。

 

「ふー。病院いかなきゃな……」

 

 何科に行ったらいいのやら、と思っていると、

 

 バキっ!

 

 すごい音がして、個室の扉が剥ぎ取られた。

 

「は?」

 

 そこに居たのは三十路ごろの男だ。いや、いるのは分かっていた。

 分からないのは、どうやって扉を剥ぎ取ったか、だ。

 

「なんだ、野郎じゃねえか」

 

 男は言った。

 

「妙な匂いさせやがって……まあいいか。てめえはウマそうだ。喰ってやるから有難く思え」

 

 ぱかっ、と。

 

 男の口が大きく裂けた。そこから覗くのは、まるでサメの標本のような鋭い牙。

 

 それが迫ってくる。

 やはり、考えるよりも先に身体が動いた。

 

 信彦は左手で男の顎を下から打ち上げ、そのまま右手の拳を振り抜いていた。

 

「ぐべっ!」

 

 男の胸が消し飛んだ。

 そこから上と下に分かれて、男の身体はトイレの床を転がり、シュウシュウと音を立てて蒸発した。

 

「は?」

 

 真っ白な思考のまま、声が漏れた。

 

 手にはまだ感触が残っている。

 剥げた扉はそのままだ。

 

 あまりにも性質(たち)が悪く、理解しがたい光景だった。

 

 

 


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