女神転生EXCESS   作:竜王零式

1 / 4
プロローグ

 

 

 夜の街を疾駆する影がある。

 

 若い男だ。

 明るく染めた短髪、程よく整った顔立ち。

 均整の良い身体つきに、小洒落たジャケットを羽織っている。

 

 普段は涼やかな顔面を必死に歪め、男はひた走っていた。

 

 真夜中の、人気の失せた裏通り。

 ビルとビルの狭間。

 道なき道を、人外のスピードで走り抜けていく。

 

 後ろは振り返らない。

 

 振り返らずとも分かる。

 今はただ逃れるしかない、ということだけは。

 

 しかし。

 

「無駄よ」

 

 突如。

 前方に人影が出現した。

 

 これも若い。しかも女性だ。

 その上、この場に似つかわしくない格好――セーラー服を着ている。

 

 こんな状況でなければ見惚れそうな美貌だった。

 

 腰元の「きゅ」と締まった見事な肢体。

 可憐と妖艶の絶妙な中間にあるまなざし。

 ポニーテールに結い上げた、艶やかな黒髪が、夜風に舞い踊っている。

 

 ただし。

 

 少女の手には木刀が握られていた。

 

「なんだってんだ、一体」

 

 男は吐き捨て、いったん足を止めた。

 

 食事(・・)の最中に突然、圧倒的な恐怖と危険を感じて逃げた。

 でも、こんな少女が相手なら、ただ逃げるのも(しゃく)だ。

 

(女なら、怖がることもない)

 

 男の目に怪しい光が灯る。

 比喩ではなく事実として、不敵に笑う男の両眼が赤く光った。

 

 だが、男の顔は次第にゆがんでいく。

 起こるはずの変化が起こらないからだった。

 

「無駄だって言ってるのに」

 

 嘆息して、セーラー服の少女は言った。

 

魅了(チャーム)なんて効かないわ。私を馬鹿にしてるの」

 

 少女は不機嫌に眉をひそめて近寄ってくる。

 ゆっくりと間合いを詰める、という様子ではない。

 ただただ無防備に、男に歩み寄ってくる。

 

 舌打ちし、男は構えを取った。

 力が通じない女はこれまでにも何人かいた。特に驚くことではない。

 だが、物理的な手段ならそうもいくまい。

 

 少女の美貌から笑みがこぼれた。

 

「その方が、こちらとしても助かるわ」

 

 男は再度舌打ちして、勢いよく地面を蹴った。

 人間とは思えないスピード。

 あっという間に少女との間合いを詰める。

 そして少女の目の動きから、自分の動きが捉えられていないと確信する。

 

(悪いな、ちょっとだけ寝てろ)

 

 握りこんだ右拳が、少女の腹部に放たれた。

 

 ――しかし。

 

 瞬間、男は弾かれるように吹き飛んだ。

 

「ぐ、はっ……」

 

 気がつけば、男は地面に倒れ伏せていた。

 

「て、てめえ……なに、を……」

 

 男はうめく。

 痛みはもちろんあった。

 

 だが何より、状況がまるで理解できない。

 そんな恐怖が、男を(おのの)かせていた。

 

「何をしたか、かしらね」

 

 鼻を鳴らして、少女は言った。

 

「何もしてないわ。あなたが勝手にふっとんだんでしょう?」

 

 ただ淡々と。

 

 嘲りも無ければ勝ち誇った様子もない。

 事実を正確に述べただけ、という口調。

 

 少女はうずくまる男の前に仁王立ちになり、溜め息まじりに告げた。

 

「終わりにしましょう。こう見えても忙しいの」

 

 ぞわり、と怖気が立つ。やはりこの女は危険だ。

 

(くっ、早く逃げないと――!)

 

 男は全身を奮い立たせ、全力で跳躍した。

 眼下で急速に小さくなっていく少女が、「あっ」と声を漏らしたのが分かる。

 

 五階建てのビルの屋上に着地した男は、そのまま隣のビルへ、また隣のビルへ。

 連続で跳躍していく。

 

「あの女、もしかして悪魔祓い(デビルバスター)ってやつか。くそっ、忠告通り目立たないようにやってきたってのに――!」

 

 こうなったらどこまでも逃げるしかない。

 

 この街を捨て、別の街でやり直そう。

 女はどこにでも、いくらでもいる。

 安全な場所で、また気の向くままに犯し、喰らえばいい。

 

 せっかく手に入れた「力」だ。手放してたまるか――。

 

 どんっ!

 

 いきなり全身に強い衝撃があって、男の身体は吹き飛んだ。

 

 何だ? 

 攻撃を受けた。

 誰から――?

 

「……」

 

 這いつくばって見上げると、そこに居たのは大きな鬼である。

 

 比喩ではない。

 2mを越える巨躯に、耳元まで避けた口、鋭い牙。

 そして野放図の散切り頭からのぞく一対の角。

 

「ご苦労様、か。お疲れ様、か」

 

 眼前の化け物からではなく、別の方向から声がした。

 特徴のある男の声。姿は見えない。

 

「いや。さようなら、だな」

 

 男の意識はぷつりと消えた。

 永遠に。跡形もなく。

 

 残されたのはぐちゃぐちゃの死体だけだった。

 

 ほどなくして、セーラー服の少女がやって来た。

 怒気のこもった声で、立ち尽くす「鬼」の、その向こう側に呼びかける。

 

「どうして殺してしまったの。何か聞き出せたかも知れないのに」

 

 返事はすぐにあった。

 

「この悪魔(アクマ)を退治するのが今回の仕事だろう。非難されるいわれはないな」

 

 声の主はやはり男。中年の、くたびれたスーツを着た男だ。

 

「この男は悪魔(アクマ)憑きよ。こうなった経緯を調べないと、また同じようなことが起こるかもしれない」

「それを考えるのはお役人の仕事だ。先輩として忠告しておくが、悪魔(アクマ)に妙なスキを見せるな。こいつらは倒せる時に倒すに限る」

 

 喋りながら、男は手元で何かを操作した。

 すると、醜い子鬼が何匹も湧き出だしてきた。

 それらが死体に群がり、貪り始める。

 

「悪魔召喚プログラム……まだ残っていたなんてね」

 

 忌々(いまいま)しく、少女はつぶやく。

 

 何年か前、どこぞの学生が開発したという馬鹿げたプログラム。

 ふつうの人間でも、使いこなせば悪魔(アクマ)を使役できるという、

 超特大の禁呪法だ。

 

 もちろん当時、「裏」の世界は大混乱に陥った。

 しかし、開発者みずからがアンチ・プログラムをバラ撒いたことにより、

 なんとか事態は収束した。

 

 だが、アンチ・プログラムの攻撃を逃れた者も、ごくわずかだが存在する。

 大抵は処罰の対象になるが――。

 

「おっと、国の認可は得ているぞ。松平(まつだいら)一族の秘術というのも、似たようなものだろう」

「個人的に嫌いなだけよ。召喚士(サマナー)って人種がね」

「あんな連中と一緒にされたくないな。おれはたまたまプログラムを入手しただけで、人道に反する行いはしていない」

 

「……信じるわ。そうでなければ、お国が認めるはずないもの」

 

「わかってもらえて嬉しいよ。今回の報告はおれがやっておこう。きみは早く帰りなさい。女子高生が出歩いていい時間じゃないぞ」

「ご忠告ありがとう、先生」

 

 少女は吐き捨て、その場から姿を消した。

 ほどなくして、大鬼や餓鬼の群れも姿を消した。

 

 後には何の痕跡も、誰の気配も残っていなかった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。