黒兎と灰の鬼神 作:こげ茶
――――――ひどく、疲れていた。
どうしてだろうか。腕や足どころか、瞼すらも重い。
意識はひどく不確かで、まるで深い水の中にいるような感覚。どうしてわたしは―――――いや、それよりも。
「…………わたし、は………?」
わたしは誰だろう。
わたしは、いったい
見えるのは、焼け焦げて荒れ果てた砦の最奥。
激しい戦いがあったことは明らかで、自分が何をしたのかはぼんやりと覚えている。けれど、それを“何故”しようと思ったのかがすっぽりと抜け落ちていた。
「――――アルティナ」
不意に、肩を揺すられた。
黒髪の青年が、心配そうな顔でわたしに呼びかけていた。それはどうしてか、わたしの胸をひどくザワつかせる。―――――これは、一体どういう感情だっただろうか。
「―――――アルティナ!」
「………リィン、さん…?」
軽く頬を叩かれて、ようやく意識が浮上する。
………そういえば、わたしはアルティナという名称だった。
「大丈夫か!? しっかりしてくれ!」
「…………生命活動に問題はありません」
端的に状況を述べると、何故かリィンさんはひどく辛そうな顔をして。
その理由を理解できないわたしは、わけもなく伸ばしかけた手を止めて言った。
「………あの、何か問題が?」
「――――…いや、今はいい。眠って構わないから少しでも休んでくれ」
「…………了解しました。スリープモードに移行します」
疲労で意識を手放すように眠る直前。
頭部に触れた温かさを、どうしてか忘れたくないと思った。
―――――――――――――――――――――――
「―――――不覚です」
目が覚めると、カレイジャスの医務室だった。
なんだか意識が朦朧としていたせいでリィンさんに妙な心配をさせてしまったような気がする。
とはいえ全くやる気が出ないというか、気怠いのは変わっていないので無理ができないのは変わらないというか、もう一度やったら取り返しが付かなそうな感じがした。
「………まさか、あの時のリィンさんの気持ちが理解できるようになるとは思いませんでしたが」
危険でも、どうなるか分からなくても、それでも突き進んでしまうこと。
『笑いごとではありません! どうして貴方は――――』
鬼の力が危険だと分かっていても、ユウナさんとクルトさん、あと多分わたしも守るために使っていた、第Ⅱ分校に来たばかりで不安定だった頃のリィンさんもきっとそうだったのだろう。
もちろん、気持ちが分かっても申し訳なく思ったりはしませんが。
(……だいたい、リィンさんは人助けに関しては見境ないですし)
エリゼさんとか、皇女殿下お姫様抱っことか、<灰色の騎士>の要請での各地での“活躍”とか、わたしはそれに比べればリィンさんを全力で助けているだけなので、リィンさんが無茶をしなければ何の問題もない。つまりリィンさんが不埒なのが悪い。
そして、そうやって無茶ばかりして各地で女性と不埒な行為をしていたリィンさんのことを思い出すと胸がもやもやして―――――こない。
思わずリィンさんの不埒エピソードを振り返ってみるものの、インパクトの大きかったパンタグリュエルでの初対面の時のものくらいしか思い出せない上に、特に何の感慨もない。
(………『君に感情がないようには見えない』でしたか――――いつかのリィン教官の言葉を、このように実感するとは思いませんでしたが)
どうやら“虚無の剣”の精製は人間サイズだろうとやはり無事というわけにはいかないようで。だいぶフラットになった思考が、皮肉にも以前はそれなりに感情があったことを逆説的に証明していた。
「…………まあ、任務もないですし休養ですね」
別に感情が無くなったからといって困るわけでもない。
元々、剣になるために生まれてきて、それを振るう人がリィンさんだった。だからリィンさんのためにできることをする。シンプルにそれだけでもいい。
むしろ『寂しい』やら『悲しい』やらの感情がなくなって見れば、目的達成のためには問題が少なくなるようにも思える。―――ただ、魂で剣を錬成する以上は感情が無いと困るようなのだが。
そんなわけで、カレイジャスのエレベーターに向かうと――――ちょうど、窓からリィンさんとラウラさんがカレイジャスに乗り込んでくるのが見えた。
「…………………………不埒な気配がしますね」
胸はもやもやしないが、なんとなく気になる。
あと、やはりパートナーとして目が覚めたことは報告しておくべきなのでは。わたしでもリィンさんが逆に寝込んだあと何も言わずにふらふらとしていたら不服ですし。
というわけでエレベーターに乗り込み、もう片方のエレベーターが向かった格納庫へ。
「………クラウ=ソラス」
ステルスモードを使えば、不用意に近づきすぎたり物音を立てなければそうそう気づかれることもない。というわけで何やらヴァリマールの前で話している二人の近くに飛行したまま接近していき―――――そのまま二人がヴァリマールに乗り込んだ。
「……………やはり、リィンさんは不埒ですね」
ヴァリマール内部の狭さを考えれば、密着体勢になるのは自明の理である。
しかも二人きりで。何をしているのか全く分からないが、無性に胸がもやもやしてきた。しかも長い。なかなか出てこない。
と、不意にヴァリマールが光に包まれたかと思うとその姿がかき消えた。
何度か見た光景――――精霊の道である。
「――――……え」
置いていかれた――――そのことに考えが至るまで、しばらく何もなくなった虚空を見詰めていた。
―――――――――――――――――――――――
“力”があれば、無理を通せる――――それはきっと、“鉄血宰相”とまで呼ばれた“あの人”が誰よりも体現していたことだと思う。
実際は自由でもなんでもなく、あの人なりにやるべきと思ったことをできる限りでやっていただけで。その意味では普通の人間と変わりなかったのだろうが。
(――――やっぱり、“皆伝”も早すぎたみたいだな)
中伝も、奥伝も、ユン老師はいつも自分に大きすぎるものを渡してくる。
それはきっと、ユン老師が自分に期待しているということであり、あるいは発破をかけられているのかもしれないけれど。
“流れ”を読み、“核心”を断つ――――螺旋と無に通ずるその八葉一刀流の極意は、かのS級遊撃士カシウス・ブライトのように戦闘という限られたものだけでなく、戦略にも応用できる。のだが、自分はまだそれができていない。
土壇場で“力”で盤面を塗り替えようと考えていた自分だったが、それは全てが前回と同じように進んだ時でしか有効ではない。“紅き終焉の魔王”を断ち切る力があろうとも、その前に火焔魔人に暴れられれば何が起こるか分からない。
“本気”であっても、まだ“全力”ではない――――言ってしまえばそれだけのことなのだが、未来を知っているだけに盤面を引っ掻き回すことを躊躇していたのかもしれない。
(なら―――――此処からは全力で状況を崩す。獅子戦役の再現から煌魔城を出現させ、セドリック皇太子がいればその時点で“条件”は全て整う)
つまり、あの時点で“黒キ聖杯”は出現していてもおかしくなかった。
ただ、そうしようとした時点で“魔女”であるヴィータの手によって何かしらの改変が施されるはずだった。――――が、カイエン公がそれを崩した。<紅き終焉の魔王>によって。
あれも呪いだったのかは定かではないが、世界を滅ぼすほどの強制力をどうにかするには準備が、あるいは戦力が足りなかったのだろう。
ヴィータが望んだのは“灰”と“蒼”の決着――――生憎とそういった異能の力には未だに然程詳しくはないが、結社が至宝を求めていることを考えれば呪いを成就させようとする“黒”や“紫”を引きずり出して戦わせ、<鋼>を顕現させることにあったのだろうと思う。
実際カイエン公がおかしくならなければ、あの状況。全てが<巨イナル黄昏>のためにお膳立てされた、“黒”が直接介入してきてもおかしくないほどの絶好の機会だったのだ。
マクバーンはあの時、戦いに熱中して本気を出そうとする時に『<鋼>や<深淵>の思惑など知ったことか』と言った。
つまり、<黒>が戦闘直後の<灰>と<蒼>、動かない<緋>だけだと釣られて現れればカウンターとして<銀>が現れ、三対一で、あるいは<紫>と<金>が現れたとしても三対三で、しかも<火焔魔人>を筆頭に結社の戦力が十分に集まった状態での戦闘になったのではないだろうか。マクバーンは<光の剣匠>に夢中になってしまっていた上に、エンド・オブ・ヴァーミリオンのせいで<銀>も上手く介入できなくなったのかもしれないが。
では、どうすれば<黒>が出て来るしかなくなるだろうか。
通常であれば不可能であるそれを、可能にする鬼札が此処にある。
――――――<無>を断ち切る八葉一刀流、七の型の奥義。それで状況を動かすべく表に出た“呪い”を断ち切る。
一番確実なのは帝都夏至祭のアッシュなのだが――――武器を持ち込むのが難しいことや、あれが約二年後であること、そもそもヴィータも今回の内戦での改変を狙っているために利害が一致しているだろうことから此処で踏み切る。
と、いうところまではこれまでの計画通り。
『………リィン、さん…?』
感情の削げ落ちた、今にも消えてしまいそうなアルティナ。
あんな表情をさせておいて、今更何を恐れるというのだろうか。最早手段は選ばない――――知っている未来ごと、“流れ”を突き崩す。
そのための一步が、ラウラに力を借りてのこの“奇襲”だった。
――――――サザーラント州、ドレックノール要塞付近。
此処では立てこもる正規軍に対して、貴族連合軍が包囲し――――しかしそれだけで、堅牢な要塞に対して打つ手がないという状況だった。
東部は正規軍優位で進む一方で、西部では貴族連合が優位。
帝都での決戦に向けて戦力をある程度差し向けろ、とカイエン公に無茶振りをされた指揮官が此処を訪れ、撤退と逆撃の用意を整えていた。
「――――ふむ、流石にこれで出てくるほど迂闊ではないか」
配置転換される機甲師団、配置が穴だらけに見える塹壕。
吊り下げられた餌に等しいそれらに釣られて正規軍が出てくれば、この<黄金の羅刹>が率いる精鋭機甲兵部隊が一撃で致命傷を当たるつもりだったのだが。
「まあ、そうでしょうな。ですが実際、無駄な被害がなければ“次”にも繋げやすいでしょう」
「それは分かる――――が、どうにもな。戦は機甲兵だけで事足りる。敵にはその機甲兵がいないのだから、剣を振るう場が足らぬ。おまけに我が師を訪ねても不在ときた」
不完全燃焼なので立ち会ってもらおうかと思ったのだが、不在。雑魚ばかりでは剣の道を極めるどころか腕が鈍る。そのあたり、東部では全くカイエン公の思い通りにはなっていない――――というのはさておいて、あの『ミルディーヌ様』が珍しく驚いていたのでかなり興味があったのだが。
「――――しかし、学生ではな」
流石の<黄金の羅刹>と言えど、雛鳥相手に本気を出そうとは思わない。
軍人として、敵として出てくれば未熟だろうとなんだろうと屠って己が血肉とすることに躊躇いはないが、学生とは教え導かれるべき存在である。
なんてことを考えつつ不満げなオーレリア将軍の元に、なんとも言えない顔をした伝令が訪れる。
「……その、すみません将軍。アルゼイド子爵からの紹介状を持った若者が「手合わせ願いたい」と来ているのですが……」
と、そんな常識はずれなことを言った。
仮にも戦時中である。受けるはずがないのだから門前払いすれば良かったのだが、黄金の羅刹の部下にはバッチリと薫陶が行き届いていた。
すなわち――――この人は受ける。
手合わせだろうが決闘だろうが、一騎打ちを挑まれて引き下がるのならば女だてらに“羅刹”などとは呼ばれはしない、と。
普通は持ってくれば怒られるだろう、その馬鹿げた挑戦状を、持ってこなければ怒られるのだと――――如何なる挑戦であろうともねじ伏せる人なのだと知っていた。
「―――――神気、合一」
それは、まさしく灰色の鬼。
何かしらの葛藤を乗り越え、一度は修羅の剣を振るい、譲れぬもののために戦場に挑まんとする鬼だった。
「―――――ク、ッハハハ!」
その鬼を誰が知ろう。雛鳥であろうと見逃すはずだったその人物は今、禍々しくも清廉な闘気を隠そうともせずに眼前に立っている。
まさか、まさか師をも上回るかもしれぬほどの達人が、こんなところで“手合わせ”を求めてくるなど誰が思おう。
「なるほど―――――これは、また“あの方”が驚かれるかもしれぬな」
“万が一”があり得る――――思わずと言った様子で割って入ろうとしたウォレスを視線で制し、紹介状を手に立つ灰色の鬼に声を掛ける。
「立ち会いが所望と聞いたが――――」
己が剣への自負故に負けるとは思わぬ。しかし勝てるかは分からぬ。
そういう次元の強さだと肌で感じる。
「八葉一刀流、“皆伝”――――リィン・シュバルツァー。貴女を倒した暁には、“指し手”に会わせて頂きたい」
「良いだろう―――――その挑戦、<黄金の羅刹>オーレリア・ルグィンが受けて立つ!」
此処に、人知れず大勢を動かす戦いが始まった。
説明が冗長なので要約
「これまではなんとかなると思ってたけど、アルティナに無茶させたくないから手段は選ばないことにしよう」
「黒の史書の条件は煌魔城の時点で整ってるから、妨害し続ければ焦れて<黒>が出てくるんじゃないかなー」
「カイエン公以外にも妨害は入りそうだし、戦力を補充しよう。仲間にできそうな人は………とりあえず分校長なら一騎打ちで勝てればなんとかなる気がする」
「とりあえずカレイジャスでオリヴァルト殿下に連絡を取って、アルゼイド子爵に紹介状を貰おう。一応ラウラも居てくれた方が確実かな」
「なんかアルティナの気配がするし、巻き込まないようにヴァリマールに乗って精霊の道を開くか」
なんだかとんでもなく多忙なので、早くとも週一ペースかもしれません。
申し訳ない……。