「今のうちに言っておく。隕石がやってくるまでのこの短い時間で、住民全員を避難させることは不可能だ。もう無理だ」
「それはお父さんにはって意味やよね? 私ならできるよ」
お父さんは驚いた表情になる。
「知ってた? ちょっとの間、この町から出るだけで、好きな女の子がなんでもいうことをきいてくれるなら、男の子は走って町から出てくれるものなんやよ?」
◆ ◆
バチン!!
私はよろけた。
左耳がキーンとしている。
生まれて初めて、お父さんに引っぱたかれた。手をあげられたことなんて、今まで一度もなかったのに。
でも、ふつうの反応かもしれない。
私はお父さんをじっと睨みつけた。
「お父さん! お姉ちゃん!」
四葉が立ち上がって、泣きそうな声で叫んでいる。
「三葉! 自分が何をやっているのか、わかっているのか!」
お父さんが、お祖母ちゃんが、四葉が私を非難している。
私は右手を握りしめる。
あの人の名前を忘れたって、あの人のことを忘れたって……。
この三文字だけで、私はどこまでも戦える。
キミの声はもうきこえない。でも、頑張れってきこえるよ。
そうやろ?
キミ……。
「三葉!」
「わかっとるよ」
「これは……重大な……犯罪……だぞ」
お父さんの声は震えていた。怒っているというより、動揺しているようだった。
「わかっとる。でも、これで避難させやすくなった。変電所を爆破して」
お父さんの瞳孔が開いている。
「おまえは気がふれている」
お父さんは頭を抱えた。
「勅使河原さんの息子か? アイツがおまえをそそのかしたのか?」
「ちがう! テッシーは手を貸してくれただけや!」
「なんなんだ! いったい、俺のまわりで何がおきてるんだ! 誰か説明してくれ!」
一瞬の静けさ。
それを破って、プルルルル……と電話が鳴る。お父さんは視線を向ける。
お父さんは気だるそうに机の電話を取る。
「私だ」
声に力がない。
「っ!? わかった!」
緊張した声だった。お父さんは電話のボタンを押す。
「お電話かわりました。宮水です。はい。はい。避難指示は出していません。はい。えぇ、出しません。それは承知しております。問題ですか? えぇ、停電がありまして、現在原因の調査をしているところです。いえ、こちらで対処いたします。テロなど、こんな田舎であるわけがありません。私が責任を持って……」
避難指示……?
いったい誰と何の電話をしとるんや?
「……………………」
お父さんは私をみた。茫然としている。
「あなたは何者ですか? ありえないでしょう。この電話で、この会話の流れで、それはありえないでしょう?」
お父さんの手が震えている。
「わかり……ました……」
お父さんが受話器を私に差し出す。
「政府官邸からだ。三葉、おまえと話したいそうだ」
「へ?」
なんで、私がいることがわかったんや?
てか、政府って……それアウトやろ。
お父さんがありえないでしょうと言った意味がわかった。これはありえへん。ただの高校生のこの私が官邸の人と話すなんて……。
「お電話かわりました。宮水三葉です」
「初めまして。私は日本支部の歴史の番人です」
歴史の番人?
「あなたがここまでやるとは思いもしませんでした。我らのエージェントを倒してしまうとは。有能な方で、ただの高校生であるあなたが勝てる相手ではないはずなんですがね」
倒したのは私じゃない。あの人。
「そんなに構えないで。この会話は明日の朝のもう一つの『カタワレ時』に神の力によって消去されますから」
「あなたたちの目的はなんですか? 何がしたいんですか?」
「歴史を守りたい。それが人類を守ることにつながります。不確定な未来は人類滅亡の可能性をはらみますからね。核戦争。原子力発電所の事故。人類の明日は危ういんですよ」
「だからって、今、目の前の命を見捨てるなんてできない。それが人間やよ」
「相容れませんね。好きにしなさい。キミにその力があるなら。残された時間で、500人全員を避難させることは不可能だ」
「好きにさせてもらいます!」
私は受話器をたたきつける。
「お、おい!」
私はゆっくりとお父さんのほうを向く。
「40年近く前、とある進学校で不可解な事件がおきた。警察も捜査したけれど、事件はなかなか解決しなかった。そこに一人の男子高校生が登場し、すごい推理で、事件は一気に解決した。せやけど……」
私はお父さんの目をみる。
「せやけど、その高校生探偵には事件を解決した記憶がなかった。眠りの小五郎のように。その高校生ってお父さんやよね?」
「なぜ、三葉がそれを知っている?」
決まりや。
「誰から聞いた? いや、俺は誰にも話していない。記憶がなくなっていることを。俺が高校生探偵だったって誰からきいた?」
私はお父さんをみつめる。
「……………………」
お父さんはうろたえている。怖がっているようにもみえる。
「娘をそんな目でみんといてや。化け物じゃないんだから」
「……………………」
「もう避難指示を出してなんていわへんよ。お父さんじゃ、ムリやから」
政府官邸の歴史の番人も言ってたし。
「二葉もやんちゃだったが、おまえも大概だな。まるで二葉と一緒にいるような気持ちだ。こんな気持ちは久しぶりだ。アイツが過ったことは一度もなかった。ただの一度もな」
お父さんと見つめ合う。
「おまえは本当に三葉なのか?」
「宮水三葉。宮水の巫女やよ」
私はお父さんの胸に手を当てる。
「お父さん、言ってたよね。なぜ、それをしないんだって。試そうともしないんだって。それをやってみればいいって。だったら、みせてあげるよ。宮水の巫女の能力を」
――究極召喚。いにしえの竜を倒しうる唯一の方法。奇跡の方程式。究極召喚。
「お父さん! この胸ポケットに入ってるこの硬いヤツ、出して」
「?」
「それはお母さんから、人生が終わってしまうと思うくらい困ったときに使ってほしいって言われているものやよね?」
「なぜ、それを知っているんだ? あれは俺と二葉だけが知っていることだ」
「初歩的な推理よ。お父さん」
お父さんの目が見開いた。
「嘘」
「嘘?」
「本当は……みたから」
「みた!?」
「うん。この目でみたから」
私は手を出す。
「出して!」
お父さんは内ポケットから小さなカンを出す。
私は戸棚から使い捨てのコーヒーカップを持ってくる。私はお父さんからその小さなカンを受け取る。コーヒーカップにお父さんから受け取ったカンの中の液体を注ぎ込む。
これが魂の半分。
私はその液体を一口だけ口に含んで飲み込んだ。まだカップには半分残っている。
「飲んだよ。仕掛けはない」
「あぁ、わかっている。おまえは手品なんて使えない」
「でも、魔法は使える」
私はカップをお父さんにわたす。
――娘の飲みかけの飲み物をもらって、娘から飲んでと言われて、それにあらがえる父親なんていない。ましてや、娘の真剣な願いなら。
「飲んで」
「……………………」
お父さんはカップに口をつける。お父さんはごくっと飲み干した。
「飲んだね?」
「あぁ」
「三葉……おまえ、何を飲ませた?」
持ち主のお父さんがそれを言う?
「口噛み酒やよ」
「……………………」
「死者を蘇らせる禁忌の秘術」
「死者を蘇らせるだと……?」
「これが鋼の錬金術。魂の錬成やよ。説得できないなら、その身体を乗っ取ってしまえばいい」
お父さんはふらつく。
「みつ……は……?」
「お父さん! いってらっしゃい!」
私は数年ぶりに、この言葉をお父さんに言った。
「私たちに、よろしくね」
お父さんはソファの上に倒れた。気を失ったようだ。
お祖母ちゃんがソファに倒れたお父さんの頭を撫でる。
「かつて、ワシら、宮水の巫女はこう呼ばれとった。飛騨のイタコ、とな」
「んん……」
お父さんが吐息を漏らす。そして、ゆっくりと目を開けた。
これで書き始めたときの構想はすべて描き切りました。次回が最終回です。令和元年6月30日21時までにアップしたいです。全13話ではありませんでした。