東京からなんとか帰ってきた三葉は隕石が落ちた糸守町を目の当たりにする。
自衛官の制止を振り切り、三葉は糸守の中に侵入する。すぐに自衛官たちが追ってきて、三葉は自衛官に取り押さえられてしまった。
そこに担架で運ばれる俊樹の姿があった。
「お父さん! お父さん! お父さん!!」
三葉は俊樹に駆け寄る。
「お父さん? だいじょうぶやの?」
「だいじょうぶだ。足を負傷しているが命に別状はないから」と自衛官。
「よかった」
「ゴホッ……」
俊樹が吐血した。
「お父さん……?」
「娘と話したいんだ。担架を降ろしてくれないか?」
「しかし……」
俊樹は上着を脱ぐ。胸のあたりが真っ赤に染まっていた。
「すまない。足だけを負傷していると言ったのは嘘だ。どうしても、娘と話をしなくてはならなかった。だから、ここまで来る必要があった。私の救助のために助かるはずだった命を犠牲にしても……ハァハァ……」
俊樹の顔は真っ青だった。
「早くお父さんを病院に連れてってぇや! 死んじゃう!」
空気が重い。
「時間が……ないんよ……三葉……」
そして、俊樹は死んだ。
三葉が俊樹の最期の言葉を聞くことはなかった。自衛官をダマしてまで、助かるはずだった命を犠牲にしてまで、俊樹が何を三葉に伝えようとしていたのか、三葉にはわからなかった。
そして、入院の日々……。
混濁する意識の中で、気づくと、三葉は瀧の身体に入って、洞窟の中にいた。
◆ ◆
夕暮れが近い。
「三葉ァ!! いるんだろぉ? 俺の身体の中に!」
俺は三葉の身体で、カクリヨを取り囲む山頂を走った。
「瀧君!!」
三葉の声が聞こえる。でも、姿はみえない。気配は感じる。
過去から手紙も出したんだ。だから、かならず、いるはずなんだ。今、この場に。
思えば、ずいぶん遠いところまでやってきたもんだ。時間と空間を越えて、三葉の三年前の糸守町まで……。
夕日が雲の中に隠れて、世界の輪郭がぼやけてくる。まるで次元のはざまにいるかのようだ。
こういう時間のことをなんていったっけ?
そうだ。
――カタワレ時だ。
声が重なる。
目の前に三葉の姿が現れる。三葉は放心したようにじっと俺をみつめていた。
その三葉の表情をみて、俺は確信した。
あぁ。俺はまちがってなかった。何もまちがってなかった。この気持ちの名は。
「三葉……」
「瀧君……瀧君がいる」
三葉が俺に手を伸ばす。その手の指は俺にふれることはない。三葉の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「おまえに会いに来たんだ。大変だったよ。おまえすげえ遠くにいるからさ。今時、電話もメールも通じないし」
「でも、どうやって……? 私、あのとき……」
俺は手で制止する。
「三葉の口噛み酒を飲んだんだ」
「アレを飲んだぁ? バカ! ヘンタイ!!」
三葉は顔を真っ赤にして怒り出す。
「え? えぇ!?」
予想外の反応だ。なんで怒っているのか意味がわからない。三葉の手作りのお酒を勝手に飲んだからだろうか? それとも未成年だから? そんな感じではない。
「なんで怒ってるんだよ?」
三葉は怪訝な顔をする。
「知らないの?」
「何を?」
「そうだ。アンタ、私の胸さわったやろ?」
「お、おま……どうして、それを?」
「四葉がみとんたんやからね」
四葉め。
「ごめん。すまん。一回だけだから……」
「一回だけ?」
「うん、指先でちょっとふれただけ」
「指先で? ん~、何回でも、指先でも一緒や、アホ!! ……あ、これ?」
三葉は俺の手首の組紐をみる。
「おまえさぁ、知り合う前に会いに来るなよ。わかるわけないだろ」
一度目の今日、三葉は俺に会いに来ている。目の前の三葉は俺に会いに来た三葉だろうか?
――私、あのとき……
三年前、俺に会いに来た三葉は今目の前にいる三葉と同一人物だ。頭がこんがらがる。三葉にとっては一週間くらいの感覚だろうが、俺にとっては三年と一週間だ。
「三年と一週間、俺が持ってた。今度は三葉が持ってて」
「うん」
俺は組紐をほどいて三葉にわたす。
三葉は俺が後ろで結んでいた髪の組紐をほどき、俺がわたした組紐で髪を結びなおす。手際がいい。
「どうかな?」
微妙。あんまり似合ってないなぁ。ちがう結び方のほうが俺的には……。
「うん、悪くない」
「あぁ、思ってないでしょ!」
「すまん」
「この男は……ふん」
そして、三葉は笑った。俺もつられて笑う。
「そうだ。代わりにこれを……」
三葉はほどいたばかりの組紐のほうを俺にわたす。それは三年前に、三葉からもらうはずだった組紐で、今、俺が三葉に返した組紐の異時間同位体だった。
俺は再び手首につける。
「おそろいだね?」
「あぁ」
神様はどこまで俺たちを許容してくれるだろうか? おそろいですませてくれるだろうか?
「私の手作りやよ。世界にひとつだけの組紐」
三葉は人差し指を立てる。
時間も空間も飛び越えて、俺はおまえに会いに来たんだよ。それだけで気持ちが伝わると思うんだが、三葉だからな。
この世界の物理法則はどこまでも冷酷だ。物理法則に感情は存在しない。法則は揺るがない。人間はそれを利用する。科学という名のもとに。
「三葉、まだやることがある。きいて」
「あ、来た」
三葉は空を見上げる。表情が変わる。
「手紙は読んだ?」
「うん。究極召喚でしょ?」
「あぁ。それしかない。大丈夫。まだきっと間に合う」
「やってみる。でも、まずはお父さんと話してみるね。究極召喚はいつかここで使いたいから。でも、お父さん、頭硬いから無理やろうなぁ。説得できる気がせんもん」
「あとは三葉に任せるよ」
ん? いつかここで究極召喚を使う? それはどういう意味だ?
◆ ◆
千年の時を越えて、色褪せないメッセージを送るなんて不可能に近い。だから、昔の人は暗号化してメッセージを送ろうとしたんだ。踊りの中に。歌の中に。
入れ替わり。
最悪、ただそれだけですべてを伝えられるように。さっきようやくその暗号が解読できた。
何も難しく考える必要なんてなかったんだ。答えは単純明快。未来がみえる巫女が避難命令を出す。ただそれだけの話だったんだから。でも、三葉が言っても誰も動かない。それが事をややこしくしてしまった。
単純な話だったんだよ。答えは何も変わらない。
未来がみえる巫女が避難指示を出す。それだけの物語。
俺たちはただの高校生だ。だけど時空を超えた入れ替わりという特殊能力を持っている。
それを使う。これで方程式は完成だ。
エルキラの正体は……いや、これは三葉の目で確かめたほうがいい。
◆ ◆
「あぁ、カタワレ時がもう終わる」
三葉は名残惜しそうに言う。
「なぁ、三葉、目が覚めても忘れないように……」
俺は三葉の手を取る。初めて三葉にふれた。三葉の手のひらに文字を書く。頑張れと、その気持ちをのせて。
ケータイの文字が消えたときのことを思い出す。おそらく名前は消えてしまうだろう。伝えられることは、伝えたいことは名前じゃない。
「手に名前を書いておこうぜ。ほら」
俺はサインペンを三葉にわたす。
「…………うん」
三葉が挙動不審になる。
ここでお互いの手に名前を書いた二人は永遠に離れることがない。
そういえばそんな伝説があったっけ。どこできいた話だっけ? 記憶が……そうか……もう舞台から降りる時間だ。
三葉は俺の手をとって書こうとした。
サインペンが落ちた。彼女が消失した。
先輩の顔が浮かんでは消えて、彼女の顔が浮かんだ。そして、ぼやけていく。
離れ離れに引き裂かれても、時代も、場所も、運命も乗り越えて、きっと会いに行くよ。さがし方なんてわからない。けど、会いに行くよ。
俺は手首に結んだ彼女の組紐にふれた。
「名前、なんだっけ? 思い出せない……おまえの名前は……」
◆ ◆
私は悪魔でも、ましてや神でもない。
たった一人の女の子さえ救えない。そんなちっぽけなただの人間です。
生きのびる可能性があるのに、あえて死ぬ方を選ぶなんてバカのする事です。
叩かれてもへこたれても道をはずれても、倒れそうになっても、綺麗事だとわかってても、何度でも立ち向かう。周りが立ちあがらせてくれる。それが人間です。そして、そんな運命に立ち向かうのがキミたちなんです。
勇者とは、最後まで決してあきらめない者のことです。
究極召喚。いにしえの竜を倒しうる唯一の方法。究極召喚。
禁忌を犯しなさい。
以下の通行料を彼に差し出しなさい。
水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル、石灰1.5キログラム、リン800グラム、塩分250グラム、硝石100グラム、イオウ80グラム、フッ素7.5グラム、鉄5グラム、ケイ素3グラム……その代わりに、魂の情報。あなたの半分を差し出しなさい。
さすれば真理の扉は開かれん。
再演の章はこれで終わりです。