やめちゃったらね
どこでなにをしていても……きっとつらい
キミといっしょにいても……
わたし きっと笑えない
オレも行くから
最後まで おねがい……します
最後じゃなくて……
ずっと
「立花君?」
「はい」
入れ替わりの日々。彼の学校の廊下。
その声に呼び止められて、私は振り返った。
「今日は遅刻なんかしてどうしたの? なにかあった?」
驚いた。
先生は目をぱちくりとさせる。私の表情が意外だったんやろう。
だって、それは驚くよ。
「ユキちゃん先生?」
「え?」
ユキちゃん先生は戸惑っているようだ。
「たーきっ! 担任の先生に対して、ユキちゃん先生ってのは……」
司君が肩を組んでくる。
ち、ちかい……。
「さすがにまずいだろ?」
なによ、その溜めは?
「先生、今日の瀧、ちょっとおかしいんです」
「そ、そうなの?」
司君は同意を求めるようにみつめてくる。
なんで、こんなところにユキちゃん先生がおるの?
髪が長くなっていて、雰囲気もちがっているけど、まちがいなくユキちゃん先生や。
ユキちゃん先生が瀧君の担任っ!?
どうなっとるんよ!? これ!?
ユキちゃん先生は今、糸守にいるんやから……。他人の空似!?
こんなことありえんよ。
私……どうかしとる。
◆ ◆
四葉が捕まった――。
俺はバカだ。
テッシー、サヤちんより、狙うは四葉だろ。なぜ、そこに気づかなかった。
大本命なのに、見落とすなんて……もっと頭を使うべきだった。このくらい予想できたことだ。
どうやって、ユキちゃん先生を倒す?
しかも、俺たちのカフェは宮水神社のすぐ近く。爆心地だ。ユキちゃん先生を拘束して、無力化したとしても、そこから隕石の影響がない場所まで移動させなければならない。三葉の腕力では物理的に不可能といえる。
アイツにとって、ユキちゃん先生は死んだってかまわない存在なんだから……。
それを狙って、俺たちのカフェを選択したんだろう。
手ごわい。
何かが心に引っかかった。何か、重要なことを忘れているような気がする。ダメだ。どうしても思い出せない。隕石が落ちたことを忘れていたように、俺の脳の中で、記憶の修正がされているのかもしれない。
いずれにしても、ユキちゃん先生は俺なんかより一枚も二枚も上手だ。すでに先手を取られている。
切り札が必要だ。
「立花瀧君」
自称郵便局員は言った。まだいたのか。
「電話を受けたあとのキミに……今のキミに、わたしたいものがあるんだ」
手紙をもらったくらいで、ユキちゃん先生には勝てないだろう。
これは物理的な問題だ。うまくすれば追い詰めることはできるかもしれない。しかし、倒すことは物理的に不可能なんだ。方法があるなら、教えてほしいくらいだ。
だって、最終的に、ユキちゃん先生の身体を盾にされたら、俺にはどうすることもできないのだから。
そこをクリアしなければ勝ちはない。アイツにとってユキちゃん先生が特別な存在ならば話は変わってくるがそんな情報はどこにもない。ユキちゃん先生の命なんて、アイツはなんとも思っていない。この糸守でユキちゃん先生は死んだんだから。
俺は渡された手紙を読んだ。
恐ろしい内容が書かれていた。
暗号を解読すると、どうやら、俺はユキちゃん先生にハサミで腹を刺されるらしい。
戦闘能力でも、ユキちゃん先生のほうが上だ。せっかくユキちゃん先生の攻撃パターンを教えてもらっても、俺には防ぐ方法がない。
ボケたのか? エルキラ?
防弾チョッキのように、おなかに何かを詰めたら、膨らんでバレるしな。
俺は三葉のおなかをさわる。
!?
なんだ……これ!?
生まれて初めてだ。俺は神を感じた。
ちがう、そうじゃない。本質は神(そこ)じゃない。
そこからの逆転の発想だ。
「ハハ……」
これが切り札ってやつなのか?
これは僥倖だ。
風は俺に吹いている。
だが、アドリブが必要になる。
「そうだ。祈り子だが、町長が持っていたよ」
俺は自称郵便局員をみる。
「エルキラの指示だろう。あとはキミ次第だ。私にできることはここまで。キミならできるはずだ。私に奇跡の景色をみせてくれ」
ユキちゃん先生との戦い。ここが天王山か。
彼は袋を取り出す。
「あっ、そうそう。危うく忘れるところだった。今のキミがほしがっているものがこの袋の中に入っている。当てられたら、これをやろう。エルキラからの最後の試練だ」
◆ ◆
俺は俺たちのカフェにたどり着く。ユキちゃん先生が待っていた。
「まだ糸守のイケニエたちを救おうとしているのか?」
「やっとおまえと対等なところまで来れたような気がするよ」
「あはは……おもしろい冗談だ。おまえもわかっているんだろう? 全員を救うことなんてできない」
「あの授業のあと、クラスの女から、絶対避難しないって宣言されたよ」
「そうだろう。前町長の関係者から、おまえも含めて、宮水は嫌われているからな。避難指示に従うわけがない」
「クラスの女なんて俺の敵じゃない。説き伏せることなんて簡単だよ」
「入院患者もいる」
「重病人を受け入れることもできない病院だけどね。だから、二葉さんは死んだ。入院していても、逃げることくらいできるだろう。これが運命ってやつなのかな。すべてが好転しているように感じるよ」
ユキちゃん先生はあざ笑う。
「こどもに説得されるようなバカはいない」
「あぁ。今日一日でそれが痛いほどわかった。こどもの妄想に人生を賭ける大人はいない。こどもが大人を説得できるなら、大人になる必要なんてないしね。だから、俺は説得するのを……あきらめたよ」
「あきらめた顔にはみえないな。さぁ、最後の戦いをはじめようか」
「最後? ここでおまえを倒して、俺は運命に立ち向かうよ。ここで最後なのはおまえだけだ」
「……強気だが、頼みの勅使河原はいないぞ」
「関係ないね。おまえは俺一人で十分だ。どうやって勝負する?」
「おまえが決めていい。準備はして来たんだろう? そっちのほうがいいだろう? 俺との戦いで腕力勝負はありえないからな」
「睡眠薬ゲームにしよう」と俺は提案する。
ユキちゃん先生の顔が引き締まる。警戒してるようだ。
「俺の勝利条件はユキちゃん先生を眠らせることだからな。妥当なバトルだろう?」
自称郵便局員の袋の中身を考えているときに思いついたゲームだった。
俺は袋に入った粉を取り出す。
「10錠分ある。これだけあれば即効性もあるだろう。ペットボトルを2本用意して、俺が片方のペットボトルに睡眠薬を入れる。俺が後ろを向き、おまえがシャッフルし、次におまえが後ろを向き、俺がシャッフルし、互いにそれを飲んで、眠ったほうが負け。無味無臭だ。入っているかどうかはわからない」
「……なるほど。四葉の場所は?」
「そんなの推理すればいいだけだ。すでに、だいたいの場所は見当がついている。このバトルで俺が助けたいのはユキちゃん先生の身体だ」
「なるほど……手の甲に四葉につけられたらしい傷をつくるとか、フェイクは入れるべきだったかな。監禁はしていないよ」
俺は目の前の自動販売機でペットボトルの水を2本購入する。ユキちゃん先生はじっと俺の動作をみている。
時々、糸守の町民が通った。家庭訪問かい? なんて聞いてきた。命のやり取りをしているわけだが、まわりからはそういうふうにみえるのだろう。まったく。
ユキちゃん先生……さぁ、考えろ。どうすれば睡眠薬が入ったペットボトルを見分けることができるのか?
俺はペットボトルを開けた。袋を破った。粉を入れようとする。
「500mlはちょっと多いな……少なくしないか? 飲み切れそうにない」
「あぁ」
きた。
ルールの変更。自分のトリックを成立させるために行われる常套手段だ。
水を減らしたからといって、それがなんだっていうんだ? わからない。このゲームを思いついてから、ネットで調べてみたが、類似のゲームはいくつか存在した。が、そこで使われているトリックを差しはさむ余地はこのゲームにはない。水を減らす。これはユキちゃん先生のアドリブだろう。つまり、ユキちゃん先生は恐ろしく頭の回転が早い。今日の朝のテストの解答解説のときからそれは知っていたことだ。
このままゲームを進めれば俺は確実に負ける。そんな気がする。
フィクションの世界ならともかく、これを実際に現実にやってのける人物がいるとは。そのことに驚くよ。まるで物語の中の出来事のようだ。
俺は所詮、学校一の秀才程度。頭脳戦でユキちゃん先生に勝てるとは思ってないよ。
俺は水の量を3分の1まで減らす。微調整をする。
「これでいいか?」と俺はユキちゃん先生に尋ねる。
ユキちゃん先生は顔を近づけてじっくりとペットボトルを観察する。
「あぁ」
俺は粉を入れる。粉が飲み口につかないように……慎重に……。
そうか。水を減らしたことによって、ペットボトルのすり替えトリックを封じたのか。俺が2本のペットボトルを持っていれば2本ともすり替えて、どっちが睡眠薬入りのペットボトルか把握することができる。その手は思いつかなかったな。どっちにしても、封じられたわけだけど。
しかし、それだけだろうか? 封じただけじゃ勝てない。
粉を入れ終わった。
準備はできた。
俺が後ろを向き、先にユキちゃん先生がシャッフルする。すこし時間がかかっているようだ。
「いいぞ」
今度はユキちゃん先生が後ろを向く。次に、俺がシャッフルする。無造作に。
これでどっちがどっちかわからなくなった。
やっぱりおまえは凄いよ。
ペットボトルの水滴の状態。ペットボトルが置かれて動かされたあとの冷えたテーブルの状態。どっちに粉を入れたのか、ユキちゃん先生ほどの頭脳なら推理は可能だろう。その準備はできているんだろう?
ユキちゃん先生はテーブルに手をふれる。撫でるように。
これは想定していたよ。
ペットボトルを置いたところは冷えている。ペットボトルをどう移動したか、ある程度は触れることで推察できる。だが、それだけでは『答え』にはたどり着かない。
ユキちゃん先生はニヤリと笑い、一方のペットボトルをとった。
運否天賦にしかみえないが、このバトルにそんなものが介入する余地はない。
しかし、このバトルの本質はそこにない。
考えさせることこそが俺の狙いだ。俺の本当の狙いを隠すために。
俺はユキちゃん先生の対面の椅子に座る。
俺はこの後、ユキちゃん先生に腹を刺される。そこへ誘導する。
椅子に座ったときが攻撃のチャンス。
「決着をつける前に訊いておきたいことがある」
「なんだ?」ユキちゃん先生は首を傾ける。
「おまえの正義はどこにある?」
「彗星の民が正義の組織だとは思っていない。そこからカネをもらっているから、俺はその指示に従っているだけだ。そもそも、彗星の民を腐らせたのはどこのどいつだ? おまえら、国民だろう? 今さら、何を政治のせいにしているんだ? 糸守の住民が死ぬのをなんで政治のせいにしてるんだ? 国民が投票しないことが政治を腐らせるんだ。政治を腐らせたのはおまえらだ。政治家はシステム通り動いているだけ。自覚しろよ。糸守を殺すのは俺たちじゃない。おまえたちだ」
「そんなものは屁理屈だ」
饒舌だな。緊張が解けたからか? それとも、何かの策か? 大丈夫。そこに思い至るということは十分に頭はまわってる。ユキちゃん先生に話を合わせろ。
「国を動かすのは票じゃない」
ユキちゃん先生は椅子に座る。俺の対面に座る。
「政治は言葉で語るものじゃない。一票で語るもの。それ以上でもそれ以下でもない。カネと契約で語るのがビジネスのように。たった一人の英雄の力で、世界を変えられてたまるか。革命を起こされてたまるか。糸守は消滅する」
ユキちゃん先生はペットボトルのキャップを外す。
「そんなことはさせない。ここであきらめたら、どこでなにをしていても、俺はきっと笑えない。アイツと一緒にいても、な。だから、俺はこの運命も未来も、全部ぶち壊すんだ」
俺もペットボトルのキャップを外す。
「決着をつけよう」
俺とユキちゃん先生は同時にペットボトルに口をつけた。
天気の子が公開される前までには……決着をつけたいです。