そして、世界は反転する。
◆ ◆
すぅ~っと永遠に吸い込まれてしまいそうな、弾きだされそうな感覚が襲ってくる。激しい時の濁流の中に飲まれてしまったようで、どっちが上でどっちが下かもよくわからない。
ここはどこだ?
――ここは時が流れ着く場所。時の終着点。
俺はこの声を知っている。
――待っていた。
そう。あの世……隠り世で聞いた声だ。
俺の目の前を、彗星がぶきみな光をまといながら時の流れの中を突っ切っていく。そんなわけがないのに、彗星と目が合ったような気がした。
彗星は竜に例えられる。
いにしえの竜。邪神。ティアマト彗星。
彗星の一部が割れる。
邪神の爪。
それが青い星に落ちていく。
待て!
叫んでも届かない。俺は手を伸ばす。届かなくても、伸ばしつづける。叫びつづける。
隕石は集落に落ちる。集落が滅びる。時の無限リピート。
何度も運命の思う通りにさせてたまるか。ここで止める。俺が止める。
落ちていく。俺はどこまでも落ちていく。
俺はどこへ向かっているんだ?
――二人は父さんの宝物だよ。
――三葉、あなた、お姉ちゃんになるんよ。
俺は三葉に向かっているんだ。三年前の三葉へ。ここはその通り道だ。
――お母さん、いつおうちに帰ってくるん?
小さな四葉が病院のベッドの横で跳ねながら、お母さんである二葉さんにきいている。二葉さんは入院していた。二葉さんは来週と答える。喜ぶ四葉。三葉もうれしそうだ。二人は二葉さんの昔の写真をみている。結婚式の写真だ。
奥寺先輩にそっくりだった。
そうじゃない。逆だ。二葉さんに奥寺先輩が似ているんだ。奥寺先輩に二葉さんの記憶なんてないはずなのに……覚えていないはずなのに……写真も持っていないはずなのに……それでもつながっているんだ。
三葉と二葉さんは。
――どうして、お父さんと結婚したの?
三葉が興味津々で病院のベッドで寝ている二葉さんに尋ねる。
――出会った瞬間、この人だって思ったんよ。ずっとさがしていた人だって。あの人はなんとも思ってなかったようだけど。
――お父さん、ひどい。
――ひどい。
三葉のオヤジさんはなんも悪くないぞ。そんなんわかるわけねえよ。物語の中の主人公とヒロインじゃあるまいし。
三葉と四葉は二葉さんとお父さんの結婚式の動画をみている。
最初に動画に映しだされたのは隠り世だった。山の頂上にある天然の天空庭園。そこに流れる川の向こう側。その川の手前で、三葉の両親は結婚式を挙げた。先祖たちに報告するかのように、三葉のオヤジさんを糸守の先祖たちに紹介するかのように。
三葉の父さんはかなり緊張しているようだ。二葉さんがそれをみて笑っている。学者だから人前で話すことも仕事なのに、なんで緊張しているんだ? でも、すごく幸せそうだ。こっちまで幸せな気分になる。三葉のそういう気持ちが心地よく三葉の体温を感じるように俺の心に伝わってくる。
それにしても二葉さんに対する町の人たちの接し方はふしぎだった。巫女だからなのか? まるで神の子を産むことを約束された女性のようだった。
婆ちゃんが隠り世から奉納していた二葉の口噛み酒を持ってきた。奉納していた口噛み酒をつくった巫女が結婚するとその酒を持ち帰ることになっているらしい。
――あんなの贈られたら、神様、怒るんじゃないんかな?
――むしろ、うれしいだろ。まんざらでもない感じで受けとると思うぞ
――アンタとは一生意見が合わん気がするわ
土建屋の男と元放送部の女性が話している。こどもたちとちがって、仲良くなさそうだ。
結婚式が進み、三葉のオヤジさんに高そうなペンがわたされた。
隠り世にもっとも近いこの天空庭園でお互いの名前を手のひらに書くと来世でも、なんやかんやで、名前にはふしぎな力が宿っていて、なんちゃらかんちゃらという説明が司会者からあった。
その説明の間に、そのペンでオヤジさんは二葉さんの手のひらに「としき」と自分の名前を書いた。二葉さんも自分の名前を相手の手のひらに書いた。
二葉さんは手のひらをじっとみつめていた。そんな二葉さんのようすをオヤジさんは眺めている。
三葉が二葉さんを真似て、自分の手のひらをみつめた。当然、何も書かれていない。そんな三葉のようすを微笑みながら、ベッドから二葉さんがみている。
動画の中は笑顔であふれているのに、その風景はもう存在しない。彗星はすべてをさらっていった。俺はそれを取り戻すために、ここにいるんだ。
すこし時間が飛ぶ。
二葉さんの容体が悪くなったという連絡が三葉に入る。四葉がひとり、お母さんのいる病院へ行ったらしく、行方不明になった。三葉が必死でさがしまわっている。まるでどこかでみたアニメ映画のワンシーンだ。
走りつづけて、三葉はようやく四葉をみつけた。四葉は三葉に泣きついた。こんなに狭い町で道に迷うほど四葉は幼かった。三葉と四葉はその足で病院に行く。二葉さんは持ちなおす。そして、しばしの時間を過ごす。
三葉の家族はこの二葉さんを中心に絆を紡いでいるんだ。
――僕が愛したのは二葉です。神社じゃない。
――出ていけ!
――糸守町の長に僕はなります! 二葉との約束ですから。
――勝手になさい!
家族の中心である二葉さんを失って、三葉の家族は崩壊した。
三葉の心に父親との切れかけた心細い絆だけがわずかに残った。
そして、入れ替わりの日々の記憶。三葉の東京での奮闘の日々。三葉の目に映る東京は俺がみていた東京とは別物だった。キラキラと輝いていた。
これが三葉の世界なのか。俺はまだ三葉と出会っていない。三葉に会いたいと思った。今までの会いたいとはすこしちがう。
――今頃、奥寺先輩と二人でデートか。
――ちょっと東京へ行ってくる。
三葉、奥寺先輩はおまえだったんだよ。おまえに話したいことがたくさんあるんだよ。伝えたいことがあるんだよ。
彗星が来る。
おまえは来るな。
やめろ。やめてくれ。たのむから。
糸守に彗星が落ちる……。三葉の大切なものをすべて消し去っていく……。
隕石が落ちて、変わり果てた糸守の町によろよろとして力のない三葉が戻ってくる。隕石の影響で、交通網が混乱していて、三葉が帰ってきたときには、すでに深夜をまわっていた。三葉には自衛隊員が付き添っていた。
あんなに輝いていた風景が灰色にみえる。
あたりの土埃がひどい。
パトカー、救急車、消防車があふれるほど待機している。自衛隊も。そこは戦場のようだった。怪我をしている人。自分の力では動けない人。もう息をしていない人。
そこにはただ地獄があった。
道路にはKEEP OUTという黄色と黒のテープが張られて、封鎖されている。
その手前で三葉は膝から崩れ落ちる。自衛隊員に抱きかかえられる三葉。死んだような状態から、突然三葉は泣き叫びはじめた。そんな彼女をみて、自衛隊員の女性の顔もゆがんでいく。風景がゆがんでいく。
三葉は自分を支えていた自衛隊員を振り切って、町の中へ入ろうとする。三葉は「邪魔しんといて」とその女性を振り払おうとする。「うちに帰るだけやから」と。
婆ちゃんと四葉、そして、お父さんを呼ぶ。テッシー、サヤちんも。学校のみんな、古典のユキちゃん先生も……。
みんな、みんなみんな、死んだ。
三葉の言葉にならない気持ちが俺に流れ込んでくる。俺の心まで壊れそうになるほどに。
三葉は「なんでやの? なんで! なんでなんで!」と叫び、泣いている。
なんで、俺はここにいるんだ。なんで、俺は何もできないんだ。すぐそこに泣いている三葉がいるのに。手を伸ばせば届くところに三葉がいるのに。どんなに手を伸ばしても届くことはない。声すら届かない。
どんなに近くにいても……時間が……ずれているから……。
俺と三葉は連続していない。
――ラプラスの悪魔を目覚めさせよ。おまえならできる。おまえにしかできない。
――さぁ、三葉を救って来い!
あぁ。いま、決まった。本当の覚悟ってヤツが。
相手がいにしえの竜だろうが邪神だろうがなんだろうが関係ない。ティアマト彗星、おまえはかならず俺が倒す。
――勇者よ、目覚めなさい。
またあの声がきこえた。意識が途切れてくる。
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