「三葉……おまえは今、何をしているんだ?」
「だから、俊樹に避難のお願いを……」
「今の電話は首相官邸からだ」
「えっ!?」
「窓口ではなく、上の人間にも直接確認をとった。服部総理からの直接命令だそうだ」
なんで、それを今、この俺に言おうとしてるんだよ。
なんで、今、内閣総理大臣、服部首相が出てくるんだよ。
「糸守町の町民を絶対に避難させるなとのことだ。仮に緊急で避難すべき事態が発生したら、直ちに官邸に連絡するようにとのことだ」
なんだ、その指示は?
そっか。これが……ユキちゃん先生が言っていた決定的な一手。
これはけん制だ。官邸に連絡をすればその理由を問われる。隕石が落ちると予言されたからなんて、口が裂けてもいえない。
動いたか……彗星の民。
官邸からのあらゆる避難命令へのけん制。
こんなのどうやって覆せばいいんだよ。
それに服部首相登場って、どんだけ避難のハードル上げるんだよ。
身体が震える。今までの人生で感じたことのないプレッシャー。国を敵にまわすってこういうことなのか。これほどのものなのか。吐きそうだ。日本政府に楯突くなんて。一介の高校生が背負えるもんじゃない。
世界を救うって……英雄になるって……こんなにも険しいものなのか。
もう、ギャグだぜ。
KEEP OUT
黄色いテープで立入禁止措置が取られたその前で、自衛隊員の女性に付き添われながら、泣き崩れる三葉の気持ちを思い出した。
俺が走るのをやめたら、誰が三葉の涙を止められるんだ。
俺のケータイが鳴った。誰だ?
『決定的な一手はわかったかな?』
ユキちゃん先生だった。
「あぁ」
『降参するかい?』
ケータイを持ったまま、俺は俊樹をみた。
「俺は……糸守が好きだ。糸守の山並みが好きだ。坂が好きだ。食べ物が好きだ。空気が好きだ。街並みが好きだ。……みんなが好きだ」
『もうすぐぜんぶ消えてなくなる』
「そうはならないさ」
俺はじっと俊樹の目をみつめた。
「そして、おまえは俺が倒す。かならず倒す」
『やれるものなら、やってみろ』
電話は切れた。ユキちゃん先生の声でヤツは笑っていた。
「三葉! おまえは何と戦っているんだ? いや誰と戦っているんだ?」
「今、それは関係ない。さっきから言ってる通りだ。糸守に彗星が落ちる。確実に」
「それを信じることはできない。それに首相命令がある」
「みんなを避難させてほしい」
「それをすれば糸守が終わる。高校生なら、わからんわけではないだろう? 官邸の命令を無視することの……その意味を」
どんな救世主も初めから救世主だったわけじゃない。
奇跡を起こしたから、救世主とよばれた。
すべての退路は断たれた。もう活路はない。それでも俺は走る。例え、道がなくなったとしても。救世主になるために、俺はここに戻ってきたんだから。
これは悲劇の物語なんかじゃない。これは奇跡の救世主の物語だ。
「糸守のみんなを守りたいんだ」
「その言葉に嘘がないことはわかる。俺はこどもを信じない親ではないから。しかし、俺は糸守を預かるこの町の責任者でもある。本当の理由も明かされず、住民を動かすことはできない。三葉、おまえの言葉は住民を避難させる理由にはならない」
そして、俊樹はすごく悲しそうな顔をした。それは俺を通して、べつの誰かをみているような、そんな表情だ。
誰をみている……?
「もし、おまえが本気で隕石が落ちると言っているなら、糸守を救う方法はたったひとつだけだ」
あるのか? そんな方法が。俺は生唾を飲んだ。
俊樹は俺の手を取って、俊樹の胸に当てた。
「…………」
「私を殺すことだ」
「!?」
こんな発想はカケラも考えていなかった。説得が不可能なのはあくまでも宮水俊樹だけ。副町長なら説得は容易に可能。命を落とすことすら想定して仕事を遂行する。これが町の長という人種の覚悟なのか。
この町長を説得するなんておこがましい。俺はいったい何様だったんだ?
「もし、本当に糸守が消えるなら、神に、この命を差し出そう」
「何も死ぬ必要なんてないだろ!?」
俊樹は困ったように笑った。その表情はやさしげにみえた。
「三葉は本当に彗星が落ちると思っているんだな」
胸が痛くなった。
俊樹は彗星が落ちることを信じたんじゃない。彗星が落ちてくることを本当に俺が信じていることを信じたんだ。だからこそ、俊樹は絶対に町民を避難させない。彗星は落ちないと確信したから。避難させる理由が完全になくなったから。
「おまえが本気で住民を避難させたいなら、俺を殺せ。死ぬ前に、避難指示は出してやる」
俊樹は自分の胸をトントンと親指で指した。
「なんで、そこまで……」
「責任を取るとはこういうことだよ」
首相が死ぬと与党の法案が無条件に次々に通るって話をきいたことがある。命にはそれほどの力がある。世界を変えるだけの力が。
「おまえがどんなに真剣にお願いしようとも、隕石が落ちるから住民を避難させてほしいと言われて、動く行政はこの世界には存在しない。この俺も同じだ」
世界を救うって、こんなにも過酷なものなのか……。
「めちゃくちゃな指示を出すためには根拠を示す必要がある。町長の……俺の命はそれに十分だ。命を落とせば理由も隠せる」
俊樹は入れ替わりの記憶をなくしているんだろう。俺ももうすぐ忘れる。
「おまえに私を殺す覚悟があるか?」
これはそういう物語なのか……?
世界を救うって……救世主って、英雄ってなんなんだ?
俊樹は俺にペーパーナイフを握らせる。手がじんわりと汗ばんでいる。俊樹の緊張感が伝わってくる。ペーパーナイフだが、人を殺すには十分だ。俊樹は服をはだけさせる。
俊樹は本気だ。
これは説得するしないの問題ではない。信じる信じないの問題でもない。
殺すか殺さないかのほうが、よほど本質に近い。
根本的に、俺はやり方をまちがえているんだ。
「さぁ、おまえの本気さを教えてもらおうか……三葉ッ!!」
「くっ」
俊樹は俺を止めようとしているんだ。
くそぅ……。
こんな……こんな……こんなのって……。
「三葉……おまえは誰だ?」
「救世主さ」
俺は力なく答えた。
「ならば」
俺を殺せ……か?
命を賭して職務を全うする。それが俊樹のアイデンティティ。
俊樹は俺の涙をぬぐった。
俺は泣いていたのか……?
「それでも彗星は落ちてくる」
「おまえが言うと本当に彗星が落ちてくるような気がしてくるよ」
「本当に落ちてくるんだよ」
「俺は今日の日のために生まれてきたのかもしれない」
人生を積み重ねてきた50代とは思えない。まるで少年が口にするような軽い言葉だ。
これはどういう意味だ? そうか。覚悟が決まっていないのは俺のほうだったのか。
俊樹は悲しそうな表情を浮かべた。
人はこんなにも悲しい表情ができるものなのか。
民俗学者として、二葉さんと出会って、数々の難事件を解決に導いて、巫女で名探偵の二葉さんと結婚して、神主になって、三葉と四葉の父親になって、二葉さんと別れて、町長になって……これだけの人生を送ってきた男とは思えない。まるで空っぽの人生を送ってきた男のようだ。
何が彼をそう思わせているんだ?
二葉さんは彼に何をしてきたんだ? 彼の人生の中心には二葉さんがいる。
……あぁ……そうか。
二葉さんか。
彼は満たされていないんだ。今も過去も。
「世界を救うために生まれてきたとか、そんな悲しいこというな……最後にもう一回だけお願いするよ。みんなに避難指示を出してくれ」
「私のプライドに賭けて、それは受けられない。受けさせたいなら、私を殺せ」
「わかったよ」
これで確定した。宮水俊樹を崩すことはできない。
俺は俊樹に背中を向けた。ドアに向かう。
「そのときはあんたを俺が殺すから」三葉じゃなく……俺が。
背中越しに言った。
「三葉……相談になら、いつでも乗る。本当のことを話したくなったら、いつでも来い。俺はおまえの父親なんだから。責任は俺が取るから……俺はおまえを信じてる……」
信じてると信じる。同じ言葉なのに、意味が全然ちがうんだな。
「俺の命は……」
俺は何をしにここに来た?
糸守を救うため? そうじゃないだろ。三葉の涙を止めるためだ。
「言っただろ? 俺は救世主だって。たった一人の父親も救えずに何が救世主だよ。ぜんぶ丸ごと救ってやるよ」
俺と三葉で。
◆ ◆
「アイツじゃ糸守は救えない。本人が言っているんだからまちがいない。立花瀧という男はそれほどの器じゃないんだよ」
「あの、標準語……やなくて日本語の使い方まちがってますよ。本人って、奥寺先輩は私やないですから。って、私も……俺も日本語の使い方がおかしいですね」
「あぁもうッ! ややこしいな、これ! 頭がこんがらがってくる」
そういって、奥寺先輩は髪の毛をかきむしった。
「今日の奥寺先輩、ちょっとヘンですよ」
私はあははと笑った。
メイクもしていない。ノーメイクの顔は初めてみた。なんか……似てる……。
おかあさん。
「おまえが眠っているとき思い出したんだ。一方的にこっちの想いを伝えるんじゃなくて、俺はもっと宮水一葉の言葉に耳を傾けるべきだったんだ。糸守を救うために。鍵を握っているのは宮水一葉だ」
糸守を救う……??
「あなたは誰ですか……?」
この『君の名は。リメイク』は原作でカットされてしまった宮水俊樹の説得シーンをノーカットで描きだす物語です。俊樹の説得難易度は限界まで上げています。瀧と三葉は俊樹を説得できるのか?