「――もう許せない……! あんたなんか! あんたなんかあ!!」
「伊予、やめろ!!!」
伊予と呼ばれる女の子が、ナイフを突き立て、人めがけ刺そうとする。
そしてそれを制止せんとする、一人の青年――
実にドラマティック、まるでフィクション世界のよう――というか、まんまフィクションの話だけども。
「ここ! ここだよ白雪! 僕がやりたいのは!」
そうしてその仮想世界――そのアニメは再生を止め、件の伊予ちゃんが人を刺そうとする所で止まった。
絵だけ見れば、物騒すぎる。
「ふーん。 で、どっちなの? 刺す方? 刺される方?」
「そんなの決まってる。 刺される方だろう!?」
普通に考えれば色々ヤバい思考だが、慣れきった人間にそれを判断する能力など備わるわけなかろう――
「……そう。 いつも通りだね時雨」
私、白雪。
どこにでもいる吹雪型の二番艦。
そして私の隣で目をキラキラさせてるドMなんだけどSっ気もある女の子は時雨。
夕立に異常に愛されたい、普通とは程遠いちょっと変わった女の子だ。
「……ノリが悪いよ白雪。 君ってそんな性格だったっけ?」
「そんな性格にさせたのはあなた達でしょうが……」
私がこうなってしまったのは、今ここにいる時雨と、もう一人の変態、如月によってもみくちゃにされたからだ。
では何故もみくちゃにされたのか――私自身も理由は分からない。
とりあえず、気づいたら時雨達の隣にいたということは覚えている。
「というか昔からこんな性格なんだけど……」
「そうかな……まあいいや。 さっき僕が言ったように、このアニメみたいなことを実際にやってみたい――そう強く願っているんだ」
「協力してくれって?」
「物分りが良くて助かるよ! それで、もちろん協力してくれるんだよね? ね?」
満点の笑みを浮かべる時雨――どんだけ嬉しいんだ。
「分かった。 協力するよ」
「ふふっ……感謝するよ、白雪」
今度は不敵な笑みを浮かべる――見るからにおかしい人だ。
実はと言うと、こういったことは過去にも何度かあった。
とにかく夕立に振り向いてもらいたい――そんな歪んだ感情が、彼女を何度も突き動かしているのだろう。
とはいえ、私にとっては別にどうでもいい話――ならばということで、私はただただ傍観者に徹している。
だからこそ、彼女の望みにはなるべく協力してあげるし、止めさせたりもさせない。
まあ、行き過ぎるとアレだからそこは止めてるけど。
「まずはシチュエーション作りから始めよう!」
――作戦はこうだ。
まず、私が普段より機嫌が悪いように演ずる。
そして八つ当たりと評して、時雨を虐める。
それをたまたま見てしまう夕立。
そして、私白雪が懐から刃物を取り出し、時雨を刺す。
私はその場から去り、一方の時雨は夕立に介抱される――というのがこの作戦の全容だ。
なかなかに衝撃的で猟奇的な演出だが、時雨の欲望を叶えるには最適なものとも言える。
こんなので欲望を満たす時雨を心配してしまうが――まあ引き受けた仕事、そこは何も言わず、事を立てずにやっていこう。
こんな酷い役どころをやることも気になるが――やはり何も言わない方が安牌だろう。
しかし――この作戦、穴が空きすぎてるような?
「こんなので夕立ちゃん振り向くのかなぁ」
「こ、こんなの……!? 白雪、君は僕のことを見誤ってないかい?」
「はいはい。 ”白露型の頭脳”、”二十七駆の知恵袋”でしょ? それくらい分かって――」
「それともう一つ。 ”鎮守府の右脳”ってのも追加してね」
「あぁ……」
確かに最近、時雨は執務室に呼ばれて鎮守府に関する重要な話し合いをしていると聞く。
こんなバイオレンスな作戦を思いつく彼女だけども、実際は頭脳明晰で、鎮守府でも一二を争う程の頭の回転の良さを持つ。
純粋な学力だけでなく、なぞなぞやしりとりのような柔軟な頭脳を求められる遊びでも、その強さは天下一品だ。
そんな彼女だが、弱点は当然ある。
悲しいかな、夕立のこととなると途端にアホの子となるのである。
その瞬間だけ、時雨の知能は鎮守府ワーストクラスへと降下し、その姿を見せてしまうのだ。
見てる分には面白いが――これを街中でやろうものなら、この鎮守府の品格を疑われてしまう。
それだけは絶対に避けねば――ほぼ全ての艦娘が共通してる考えである。
「よくもまあ、自分でよく言えるよね、その言葉」
「まあね。 夕立にはいい顔見せたいし」
普段は謙虚なのだが――夕立が絡むとこうなるのは必然なのだろうか。
「それはそうと、白雪はこの作戦に異論はないかい?」
それはもう大あり――なのだが、それを口に出しても結局は無視されるのがオチだ。
むしろ言わない方がスムーズに事が運び楽である。
「……ないよ」
「そうか! では、作戦内容はこれで決定。 決行日はまた後日言うから、それまでには準備してくれ! それでは解散!」
その声と同時に、彼女は颯爽と消えていってしまった。
「……全く、面倒臭い人……」
悪態をつくのが私の悪い癖。
一度引き受けた仕事、曲がりなりにもしっかりやらないと――
――後、時雨から決行日が伝えられた。
「6月21日……って2日後!?」
今日は6月19日。
つまり決行日は2日後、意外と早かった。
「6月21……ってあれ、この日……」
6月21日――この日は何を隠そう、時雨が愛する夕立の誕生日なのである。
時雨としては、誕生日のサプライズなどと考えてるのだろうが、受ける側としてこんな作戦とんだ迷惑だ。
「時雨、決行日のことなんだけど……」
呆れた気持ちのまま、すぐさま内線電話機で時雨に訊く。
「ああ、夕立の誕生日だけど、それがどうしたんだい?」
「どうしたって、誕生日にこんなの見せられる気持ちにもなってって話を――」
「白雪」
いきなり真剣な感じ――普段なら珍しいことでもないが、こういう時だとさすがに珍しいものだ。
まあ、放たれる言葉はどうでもいいことなんだろうけど――
「人間は数十年生きるんだ、その長い生涯で様々な経験をするだろう」
「そうだね」
「その経験の中に一つ……スパイスを投入したって構わないだろう?」
なるほど、至極真っ当な意見だ。
ただ一つ、行動が全く伴ってないことを除いては。
「言いたいことはわかったよ。 でももう少し柔い感じでも良かったんじゃないかな、例えば――」
「白雪、僕が言うスパイスってのは……」
しまった、これは簡単には終わらないぞ。
仕方ないので、さっさと切り上げてしまおう。
「わかったわかった、じゃあ当日頑張るね」
「――であるからに――して――」
凄い、自分の世界に入ってしまってる。
「……夕立のことになると、どうしてこうなっちゃうのかな……」
何度思ってもしょうがない、とは言え、さすがに悪態もつきたくなる。
――Xデーは明後日だ。
――当日。
作戦通り、朝っぱらから感じ悪く振る舞う。
事前に同室で暮らしてる吹雪型の面々には伝えており、なんと幾分かの協力も得られることとなった。
あくまで幾分かであるため、従来の作戦にはなんら変化はない。
問題は――如何に夕立を一人の状態にさせるかどうかだ。
「夕立を一人にする方法?」
「うん、狙って一人にするのって難しいし、作戦中に誰か入ってちゃいけないから、一人状態の維持とかも大事だし……」
「ふっふっふ、それなら心配ないさ。 とっておきの秘策があるんだ」
とっておき――碌でもない気がしてならない。
「白雪、夕立の大好物と言えば?」
「夕立ちゃんの大好物……?」
一体なんだ、聴いたことないから分からない。
「……魚さ」
「……魚?」
回答に疑問で返してしまった。
「そう魚さ。 それも生ものの……」
「……生もの?」
ますます疑問は深まる。
「……えーとそれは、刺身の方の……」
「違う。 そのまんま、”生”さ」
ダメだ理解ができない。
刺身でもないなら、まさか――
「……生魚?」
「ビンゴ!」
そういって取り出したのは、スーパーで買っただろう鯖。
新鮮で、美味しそうだ。
「……それを使って夕立ちゃんを釣るの?」
「勿論。 夕立はこれに目がないからね」
ただの猫だ、それでは。
「そんなんで釣れてしまうの? 夕立を?」
「まあ、論より証拠って言うだろう? まずは実践だよ」
「は、はあ……」
普通に考えればおかしいやり方――だがあまりにもおかしすぎて、何も言えず、何もできなかった。
「そろそろ予定の時間だ。 さあ、始めよう」
言うことだけはカッコイイなぁ、時雨。
――廊下に規則正しく魚を並べていく。
この魚は道標になっていて、その廊下の先で私たちは待機する。
夕立本人には個人的に話したいことがあるということで、ある一室へ呼び寄せている。
だが部屋で件の演技すると、自然じゃないということでバレてしまうかもしれない――
そう思った時雨の提案で、その部屋へと向かう途中で好物の魚を配置し、夕立の進路を誘引し、自然に廊下で演技することを選んだ。
生魚作戦が成功するか、どうにも信じられないが、とりあえずやるしかないだろう。
なお、作戦場所は普段人は来ない場所に設定した。
鎮守府の端にあるこの場所は、夏になると肝試しスポットと化すが――それ故か、駆逐艦しかいないこの鎮守府において、訪れる者は誰一人としていない。
訪れるとしても、余程の物好きか野暮用で来る人か迷子になった新人ちゃんしかいないだろう。
とはいえ、こういう時にこそ何かが起きそう――という不安は少しだがある。
「さて、本当に引っかかるかどうか……」
廊下の曲がり角、夕立の進行方向的に考えると絶妙に見えない位置で待機する。
ドキドキしながらその時を待つ時雨は、私白雪の隣にて待機している。
さてどうなるか、夕立に伝えた時間はもう過ぎてるが――
とその時、虚無の先から床の軋む音が、速いテンポで聞こえてくる。
まさか本当に釣れたのか――そう思った矢先、夕立の恍惚な声が聞こえる。
「うーん、幸せっぽいー!」
(ええええええええ!?)
まさか、まさか、犬に見える夕立が、猫みたいに魚にホイホイ釣られた――
世紀の大発見だ、これは明日の朝刊に乗っちまうだろう。
――って、そんなこと思ってる場合じゃない。
夕立が近くにいるということは、それ即ち作戦開始の合図。
作戦開始に向け動く。
「……? 誰かいるっぽい?」
さすがは阿修羅の夕立、こんな時でさえも、その勘はやはり健在だったか。
だがもう既に時遅し、作戦決行だ。
「今なんて言った? 時雨?」
曲がり角から飛び出し、演技開始。
夕立はどんな顔で――と確認する暇もないくらい、必死に演技する。
「いや僕は君の今日の態度を――」
ここで私が胸ぐらを掴む。
「うっせぇ」
我ながら合わないことを言ってる。
「白雪……? いきなりどうしたんだ、君らしくない……」
時雨の演技はつぶさに緊張感を与える感じで、普通に上手い。
「あんたには何も分かりっこないクセに! いつもいつも偉そうに偉そうに!」
「違う、僕は――」
「言い訳は聞き飽きた!」
私はそう言って、時雨を突き飛ばし、懐から刃を取り出す。
「――!? 白雪!」
時雨を壁に追い詰める。
――さて、仕上げといこう。
「大っ嫌いよ、しぐ――」
「喧嘩はやめてっぽい!」
――意外な方向から声が飛んできた。
「なんでそうなってるか分からないけど、とにかく喧嘩はやめてっぽい!」
これ自体は普通に想定の範囲内。
プランBに移って――
「時雨を刺すなら……私が相手になる!」
夕立は座り込む時雨の前に立ち、ファイティングポーズをとっている。
まさかこのような行動に出るとは――しかし折られるわけにはいかない。
「夕立ちゃん、何馬鹿なこと言ってるの?」
「馬鹿なのはそっち! いきなりそんなことして……! 頭でも打った!?」
このまま引き延ばしてもしようがない、さっさと決着させよう。
「うるさい! 夕立ちゃん、まずはあなたから!」
「――! 白雪!」
時雨が叫ぶ――が、これはあくまでフェイント。
色々縺れた後、事故みたいに装って時雨を刺す算段だ。
完全アドリブだが――きっと時雨なら、理解してくれるはず。
さてその前にまず、夕立との組み合いを――!?
「っ、ぽい!」
夕立が叫んで、私を掴み――宙へと放り投げた。
一瞬の出来事だった。
その一瞬で見えた景色は、特段綺麗ではなかった――
「いったあああ!?」
「白雪!?」
背中からダイナミックに着地、重い音が鳴る。
背中に激痛が巡る。
「……私に勝てると思ったっぽい? 白雪?」
「くっ……」
反撃したいが、痛みがそれにストップをかけた。
もし痛みがなくても、どうやって投げられたか知らないからろくな対策もできずに立ち尽くすしかなかったろうが――
「まだやろうというのなら……今度はこれで済まないっぽい……?」
――もう何もできない。
作戦は、失敗だ――
「……ごめんなさい夕立ちゃん、実は私……」
「さっすが夕立! カッコよかったよ!」
――白状しようとすると、時雨が遮ってきた。
「あの、時雨……」
「どうやって投げ飛ばしたんだ? どうせなら僕も投げ飛ばして――」
「時雨!!」
――時雨と共に、事の顛末を洗いざらい話した。
それを聞いてる時の夕立の強ばった顔が、強く脳に焼き付いて離そうとしないのは悩みものだ。
「ふーん……」
夕立の鋭い視線が時雨を突き刺す。
「……ま、まあ夕立。 ちょうど誕生日で、いいサプライズになって――」
「ない! なってないっぽい!」
あぁやってしまった、怒らせてしまった。
こうなったら彼女はなかなか考えを改めてくれない。
「そもそも、こんな変なことをやろうとしてる時点でどうかしてるっぽい! 時雨の方が頭打ってるっぽい!」
「ど、どうかしてる……頭、打ってる……」
「そういえば時雨、この前も……」
「この前……?」
時雨に関しては心当たりがありすぎる――いったいどんなことだろう。
「私が寝てる時に、ベッドに潜り込んだこと、あったっぽい!」
「寝込みを襲った!? 本気の話!?」
なんだそれは、初耳だ。
チラッと隣の時雨を見ると、汗をダラダラ流している。
「その前は私の下着を盗んでたっぽい!」
「うわ、ただの危険な人になって……」
時雨が出す汗の量は増える一方。
「そうだ、その前にも……」
「ゆ、夕立、僕はこれから遠征に行かないといけないんだ。 悪いけどこの話は後に――うげっ!?」
その場から離脱しようと立ち上がったものの、夕立に襟を掴まれ、身動きが全く取れなくなってしまう。
夕立の腕力からか、とてもとても苦しそうだ。
「時雨、今日は何もないって、朝言ったよね?」
「えっ、いや、言って――」
「言ったよね? 時雨?」
「……言いました」
うわあ、地獄を見てる気分になる。
「嘘ついた時雨ちゃんには、しっかりと躾なきゃね!」
「しつ……!?」
何か大変なことになってる――あまり関わらないでおこう――
「白雪ちゃんも、勿論よ?」
「あっ、はい」
こうしてこの日は、ほぼ無駄に過ごすことになってしまった――という、悲しいお話。
キャラクター紹介
時雨:第二十七駆逐隊所属。 秀才で運動神経抜群、優しい性格でヒーロー気質な優等生。 旗艦の白露に代わって隊の指揮を執ることもあるほどの戦略眼の良さも持ち合わせる。 しかしそれは表の顔であり、夕立を目の前にすると途端にアホになる”裏の顔”を持つ。 その裏の顔を知るのは、姉である白露とよく厄介事に巻き込んでいる白雪の二人だけである。
夕立:第二駆逐隊所属。 普段の大人しさとは裏腹に、戦闘に関する実力は世界でも屈指クラスの化け物。 近接戦闘に関しては世界一と言われる。 付けられた異名は”阿修羅”、”ソロモンの悪夢”。 時雨とは仲良くやっているが、時折見せる時雨の裏の顔には辟易しており、その度に時雨を叱っているらしい。 そんな彼女、何故この鎮守府にやって来たかを何も知らない。