休日……
僕は街を散歩していると、とあるスクールアイドル専門店に注目した。
僕はあの3人のライブを観て、そして花陽のスクールアイドルに対する情熱を知ってから、少しずつスクールアイドルという存在が気になっていた。
彼女達の輝きに満ちた表情を見ていると、不思議と暖かい気持ちになれたのだ。
もしかしたら、僕は彼女達が羨ましいのかもしれない。
記憶が無い空っぽの僕と違い、彼女達には目標がある。そして、その為に全力で今を生きている。
僕は、その姿にどこか惹かれているのかもしれない。
僕はとあるグッズを手に取る……
それはA-RISEのグッズだった。
A-RISEとは、UTX学園所属のスクールアイドルの頂点とも言える存在だ。
そういえば、穂乃果と初めて出会った時、彼女達のライブを観ていた……
A-RISEのライブの無駄のない動き、そして自信に満ちた表情……
彼女達にもまた、なにか目標がありその為に全力で突き進むからこそ、大勢の人々の支持を得られるのだろう。
僕はそのグッズを見つめながら、しばらく考え事をしていた。すると後ろから何者かの気配を感じた。
落ち着いて様子を窺うと、少し小柄の少女がこちらを見ていた。
「あの……なにか御用でしょうか?」
僕は後ろにいる少女に声をかけた……
すると、そこにいたのは以前、UTX高校付近で見かけた怪しい格好をした少女だった。
そして先日の講堂のライブを見ていた少女の1人でもあった。
僕は彼女の言葉を待っていると、彼女の視線は僕の手元にあるグッズに注目している。
もしかして、このグッズが欲しいのだろうか?
「あの……もし良ければ、このグッズはお譲りしますよ」
「えっ!? い、良いの?」
「あっ、はい……」
僕はそのグッズをその少女に引き渡した。
「あ、ありがとう……」
彼女は動揺しつつ、そのグッズを受け取りレジへ向かった。
僕はそれを確認すると、その店を後にした。
◇
僕が店を出て帰ろうとすると、先ほどの少女に呼び止められた……
そして現在、その少女と近くのファーストフード店まで移動していた。
彼女が言うには、僕が先ほど彼女に譲ったグッズはスクールアイドルファンには相当なレアグッズらしく、それを譲った僕に何かお礼をしたい……ということだった。
「さっきはありがとう。このグッズ、前から凄く欲しかったのよ」
「そこまで珍しい物なんですか?」
「アンタ知らないの? このA-RISEのグッズはね……」
それから彼女の話は数十分に渡り、続いた……
◇
「まあ、こんなところかしら? って、アンタ! ちゃんと聞いてたんでしょうね?」
「はい」
あれから彼女は、A-RISEのグッズの話の後、続けて曲や踊りについても話していた。
彼女のアイドル知識は、花陽と同じくらい、もしくはそれ以上だと僕は感じた。
「そう言えば、まだ自己紹介してなかったわね。私は矢澤にこ……音ノ木坂の3年よ」
「よろしくお願いします。僕は……」
矢澤先輩に続き、僕も自己紹介しようとしたが……
「知ってるわよ。 最近うちに転入してきた、2年の皇ライでしょ?」
「既にご存知でしたか……」
どうやら先輩は僕を知っているようだ。
「まあね。アンタ結構、噂になってるし……」
噂か……
まあ、女子高に男子1人などという特殊な状況なら、注目されるのは仕方がない。
それなら、先輩が僕を知っていても不思議はないだろう。
噂とやらが気にはなったが、少し怖いので聞かないことにした……
それにしても……
先ほども思ったが、矢澤先輩のアイドル知識の豊富さは思わず感心するくらい見事なものだった。
A-RISEはもちろん、他の人気ユニットのことにも詳しい。
その知識の多さは花陽と同等、もしくはそれ以上かもしれない。
「そういえば、お礼がまだだったわね。何が良い? あんまり高いのはダメよ?」
「えーっと……」
お礼など、特に考えていなかったのでどうしようか考える。
ここに移動する前にお礼などいらないことは既に伝えたのだが、彼女に『それでは気がすまない』と言われた。
別に欲しいものなど特に無い。
まあ、強いて言えば失った記憶くらいだが……こればかりは、彼女がどうにかできる問題ではないだろう。
さて、どうするか……
先輩は先ほど僕に語ったように、アイドル関連の知識が豊富だ。そして僕は何故かスクールアイドルという存在が気になっている……
「どうしたのよ? いきなり黙りこんで……」
「矢澤先輩……もし迷惑でなければ今度、スクールアイドルについて教えていただけませんか?」
「な、なによ? 急に……」
「スクールアイドルについて、少しだけ気になったので……」
「アンタもしかして、スクールアイドルになりたいの?」
「いえ、そういう訳ではないんですが……」
先輩は少し考え込み、そして……
「アンタ……明日、時間ある?」
彼女は僕にそう尋ねてきた。
「はい」
「分かったわ……お礼のこともあるし、特別に教えてあげる!」
「明日からアンタに、スクールアイドルとは何かを、きっちり叩き込んであげる! 覚悟しなさい!!」
彼女は立ちあがり、僕に人差し指を突き付けそう言った。
お礼と言う割には少し高飛車な態度ではあったが、僕はそんな彼女の態度に、不思議と嫌な感じはしなかった。
「それじゃあ明日、アイドル研究部の部室まで来なさい!」
「はい」
物をねだるのは流石に気が引けるし、丁度、スクールアイドルに対して少しだけ興味があったので、アイドル知識が豊富な先輩の話を聞くことは、僕にとっても何かプラスになることがあるのかもしれない。
取り敢えず明日は、忘れずに『アイドル研究部』の部室まで行ってみよう。
その後、先輩と長時間話をして疲れたこともあり、夕食の材料を買い忘れてしまった……
そして帰宅途中に見かけた店で、『ピザ』を買ってから帰宅した。
ピザを食べるのは今日が初めてのはずだが、これを食べていると不思議と懐かしい感じがする……
◇
翌日、僕は『アイドル研究部』の部室前まで来ていた。
部室の電気は点いているようなので、おそらく先輩はこの中にいるのだろう。
ノックをすると……
「よく来たわね! ライ!!」
先輩はそう言って、僕を部室の中に招き入れた。
僕は周囲を見渡してみると、その部室はアイドル関連と思しきグッズで溢れていた。
「本日はよろしくお願いします」
僕は内心でその数に圧倒されつつも、落ち着いて挨拶をする。
「よろしく……取り敢えずアンタは今から、私の弟子になりなさい!」
「えっ……?」
先輩はいきなりそんなことを言い出す。
一体、いつからそんな話になったのだろうか?
僕はただ、先輩からアイドル関係の話を少し聞ければ良かっただけなのだが……
「これから私のことは、師匠と呼びなさい!」
僕が先輩の言葉に困惑していると、彼女は勝手に話を進める。
さて、どうするか……
「これは命令よ! 良いわね!!」
仕方ない……
頼んだのは僕だし、取り敢えずここは先輩の……師匠の『命令』に従っておこう。
「イエス、マイ・ロード」
「何よ、それ?」
「『了解』という意味です」
「ふーん。まあ良いわ」
師匠は、先ほど僕が発した言葉の意味が分からないようだったが、適当に流していた。
それにしても、僕はどうしてあんな言葉を……?
「命令」という言葉を聞いた瞬間、そう答えた方が良いと思ったから口にした。
これも失くした記憶の……?
相変わらず、僕の記憶は謎に満ちている。
◇
それから……
彼女の『アイドル講座』が始まった。
「早速だけど、聞くわよ? 『アイドル』っていうのは何だと思う?」
質問の意図としてはおそらく、『アイドルとはどんな仕事か』と聞いているのだろう。
僕は思いついたことをそのまま答えた。
「お客さんに笑顔を見せる仕事……でしょうか?」
「違うわ! 間違っているわよ。ライ!」
どうやら違うようだ……
師匠は腕を組み、やや強めの口調でそう答えた。
それにしても、何処かで聞いたことのあるような台詞だな……
それはそれとして、僕は彼女の答えを待った。
「アイドルっていうのは笑顔を見せる仕事じゃないの。『笑顔にさせる』仕事なのよ! それだけはよーく覚えておきなさい!!」
「イエス、マイ・ロード」
「よーし! それじゃあ次は……」
師匠はそれから、僕にアイドルについての心得や理想についても熱心に語ってくれた。
◇
「今日はこんなものかしらね」
約数時間に渡り師匠のアイドル講座は終了した。
彼女のアイドルに対する想いは花陽と同じくらい強いものだった。
彼女はスクールアイドルに対して高い理想を持っている。
僕は最初こそ、彼女は単なるアイドルのファンなのだと思っていたが、ただのファンでは片付かない程の知識、そして高い理想……
もしかすると、彼女もスクールアイドルを経験しているのかもしれない。
「また明日も来なさい!」
今日だけ、少し話が聞ければそれで良かったのだが、師匠は明日も続けるつもりのようだ。
この学院に来てから今まで、僕に対しこんな風に強気な態度で接する人は初めてだった。その彼女もまた、僕を歓迎してくれる。
僕はその事が嬉しかった。
「それじゃあ今日は、この言葉で締めるわよ……にっこにっこにー!」
すると突然、師匠はその言葉と共に何かのポーズを取り始めた。
「……」
僕は咄嗟の出来事に反応が出来なかった……
「何黙ってるのよ? ほら、アンタもやりなさい!」
すると、先輩がやや不満そうな顔をして僕を見る。
仕方がない……やってみよう。
台詞は、確か……
「にっこにっこにー……」
僕は先ほど師匠の台詞を口にした。
少し、恥ずかしい……
しかし先輩はまだ、不満そうに僕を見る。
「声が小さい! もっと大きな声で!! にっこにっこにー!!」
「に、にっこにっこにー……」
誰も見てはいないが、やはり恥ずかしい……
その後、僕に動作に何か不満があるのか、何度もこの台詞やポーズを繰り返し練習する羽目になった……
この後は生徒会の手伝いがあったのだが……
僕は結局、遅刻した。
◇
あの後……
師匠の掛け声に付き合わされた後、生徒会室を訪れた。
「遅かったねライ君」
副会長は僕を、何故か微笑みながら見ている……
何かあったのだろうか?
「すみません。途中で師匠……先輩との用事が長引いてしまって……」
「結構楽しそうやったやん♩ ポーズまでは見れんかったけど」
「……!?」
僕はその言葉に動揺した。
まさか聞かれていたとは……
「せやけど、声はバッチリ録音しといたよ♩」
「け、消してください。 今すぐに……!」
僕はそう訴えたが、副会長はそのデータを消すつもりは無いようだ……
「ふふっ、ライ君もなかなか良い顔するようになったやん♩」
「えっ……?」
「最初の能面みたいな表情からすごく変わったと思うんよ」
「そう、ですか……?」
本当にそうなのか?
自覚が無いが、副会長がそう言うのなら間違いはないのだろう。
もしそうだとしたら、それは……
μ’sのみんなや生徒会の2人と師匠……
そして、この学院で僕に対し、気さくに接してくれた生徒達のお陰なのだろう。
◇
生徒会の仕事を手伝っている途中、僕はふと気になったことを、副会長に聞いてみた。
「副会長……」
「ん……どうしたん?」
「矢澤先輩は、アイドル研究部は何故、先輩1人に……?」
この学院の部活動は部員が5名以上揃わないと部活申請出来ないはずだ。
しかし……アイドル研究部は依然として健在している。
師匠には先ほど、他の部員について聞いてみたが、部員は師匠1人しかいないそうだ。
もしかして何かのトラブルがあって、他の部員は辞めてしまったのだろうか?
「うーん……ウチから話しても良いんやけど、にこっちに直接聞いてみた方が良いんやない? あの子、ライ君のこと気に入ってるみたいやから」
「えっ、そうなんですか?」
「多分そうなんやない? もし気に入ってなかったら、にこっちが、わざわざ部室に入れたりしないと思うんよ」
「なるほど……」
もう少し師匠に関わってみることで、何か事情が分かるのかもしれない。
とはいえ、それを知ったところで僕に何か出来るという訳でもないかもしれないが……
その後……
生徒会の仕事を手伝いが終わった後、僕は自宅で師匠から教わったことを復習することにした。
その間は、不思議と記憶のことは気にならなくなっていた。