僕と海未はあの後、携帯ショップの店内に入った。
この店には初めて入るので、右も左も分からない状態であった。
しかし海未の助けもあり、なんとか機種をいくつかに絞ることができた。
「こちらはどうでしょうか?」
海未が1つの機種を手に取り僕に薦めてきた。
「うーん。悪くはないが・・・・・・少し値段が高い気がする」
「言われてみればそうですね・・・・・・それでは、こちらはいかがですか?」
海未はそう言って、次の扱いやすそうな機種を薦めてきた。
「うん。これなら良いかも。値段も手ごろだし・・・・・・それに色が綺麗だな」
「色・・・・・・ですか?」
「ああ。深い『海』のような青・・・・・・こういう色は好きだ」
「そ、そうですか・・・・・・」
僕がそう言うとなぜか、海未が頬を赤く染め、その顔は少し俯いていた。
熱でもあるのだろうか?
僕は海未が心配になり声をかけた。
「海未? なにやら少し顔が赤いけど・・・・・・大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です! 何でもありません・・・・・・」
海未は少し動揺した様子でそう答える。
しかし、ふらついた様子も無いので彼女の言葉に納得することにした。
「そっ、それでは、手続きの方を済ませてしまいましょう」
「ああ・・・・・・分かった」
そして、海未が選んでくれた機種を選択し、携帯の契約手続きに入った。
・・・・・・
「ありがとう。海未のおかげで助かったよ」
「いえ・・・・・・このくらい、なんでもありませんよ」
海未はそう言ってくれたが、携帯の件や記憶探しの件もあり、僕は海未に世話になりっぱなしだった。
この恩は取り敢えず、彼女の特訓を手伝うことで返すことにしよう。
「操作方法については問題ないですか?」
携帯の操作については、説明書を熟読したこともあり、問題なく操作できる。
どうやら、こういった機械類の操作は得意なようだ。
「ああ。問題なく使える」
「それはなによりです・・・・・・それでは早速、連絡先を交換いたしましょう」
そして海未の携帯に自分の携帯をかざし、連絡先を交換した。
「これでいいかな?」
「はい、これで完了です。それにしても・・・・・・ライは不思議ですね」
連絡先交換が完了した直後、海未はそう呟いた。
不思議か・・・・・・
そう言われたのは初めてだな。
何故そう思うのか気になったので聞いてみた。
「どの辺が不思議だと思ったんだ?」
「そうですね・・・・・・1つは、記憶を失くしているのに、それでいてどこか落ち着いているところでしょうか・・・・・・」
「・・・・・・なるほど」
「もう1つは・・・・・・ライは最近、何か鍛錬などの経験はありませんか?」
海未にそう言われ、心当たりがないか考える・・・・・・
しかし、ここ最近で鍛錬などしてはいないし、そういった記憶も戻っていない。
「いや、特にないな」
「そうですか・・・・・・これは、先日の特訓の時に気付いたことなのですが・・・・・・」
おそらく僕が海未の練習を始めて目撃した日だろう。
あの時、僕は何かをしていただろうか?
僕はそう考えつつ、続けて海未の言葉を待った。
「私が扉を開けたとき、ライはこちらを向きながら、右足を後ろに引いて間合いを取っていましたよね?」
「・・・・・・僕がそんなことを?」
「はい。普通の人なら振り向くとき、ただ顔だけをこちらに向けるものですが・・・・・・貴方のはまるで、日ごろの鍛錬のようなもので刷り込まれたムダのない動きのようでした」
もちろん僕にはそんな意識はなかった。
鍛錬の記憶か・・・・・・思い出せない。
しかし、新しい切り口にはなるかもしれない。
「ライはもしかしたら、記憶を失う前は日常的に何かの鍛練をしていたのだと思います」
海未がそう推測した。
それにしても、海未の観察力も凄いものだった。
知り合ってから、まだそんなに日が立っていないというのにこの分析力・・・・・・
もしかしたら、今後も彼女と接していくことで、記憶回復の手掛かりがつかめるかもしれない。
もう少し話をしてみるべきか・・・・・・
「そういう海未の方こそ、何かやっているのかい? 僕の動作に気付ける君も何か鍛錬をしているのだと感じるが・・・・・・」
「そうですね。と言っても私の場合はおそらく、ライとは違った鍛錬になるとは思いますけれど・・・・・・」
そう言うと海未は暫し考え込んだ後、やがて話し始めた。
「私の実家は日本舞踊の家元ですので、日ごろからその稽古をしています。他には、弓道部の練習もしていますね」
凄いな・・・・・・
海未は日ごろの稽古に加えて、μ'sの活動もあるのだ。
並大抵での努力ではそこまでは続かないだろう・・・・・・
毎日それだけの量をこなして疲労がたまってはいないだろうか?
僕はそれが気になったので聞いてみた。
「確かに、稽古やμ'sの練習が続くとさすがに疲れます。ですが、ちゃんと息抜きの時間も取っていますよ」
「例えば?」
「そうですね・・・・・・先ずは、穂乃果やことりと出かけたりしています」
海未はこの言葉の後に、『今こうして、ライと出かけることも息抜きになっていますよ』と言ってくれた。
こうして彼女を連れまわすことが何か負担になっていないか心配だったが、息抜きになっているのなら幸いだ。
「他には・・・・・・読書をしていますね。特に小説などはついつい感情移入してしまうことがあります」
「読書というのはそんなに面白いのか?」
「はい。もっとも、小説などは読んでいるうちについつい感情移入してしまい、感情が昂ぶって疲れてしまうこともありますが・・・・・・」
読書か・・・・・・
落ち着きたいときには、丁度いいかもしれないな。
「よろしければ今度、お勧めの本をお貸ししましょうか?」
「そうだな・・・・・・お願いするよ」
海未は稽古やμ'sの練習を両立していて、根を詰めすぎて疲労がたまっていないか不安ではあったが、今言ったような息抜きもちゃんとしているようで安心した。
話も一通り終わったところで、僕は先程から感じていた気配の正体に声を掛けた。
「さて『二人とも』・・・・・・僕たちに何か用事かな?」
「はい?」
「「・・・・・・!!」」
僕のその言葉を聞いた瞬間、後ろの物陰から2人の少女が現れた。
「海未ちゃんにライ君・・・・・・ぐ、偶然だね・・・・・・」
穂乃果がとっさに誤魔化そうとするが、それは通じない。
「穂乃果? それにことりも・・・・・・2人して、どうしたのですか?」
「えっと・・・・・・これはその・・・・・・」
・・・・・・
「全く・・・・・・2人とも何をしているのですか?」
「だって・・・・・・海未ちゃんとライ君が私たちに内緒でデートなんてするから」
「私も、ちょっと気になっちゃって・・・・・・」
「デート?」
なるほど・・・・・・
若い男女が休日に2人きりで歩いていたら、普通はそう感じるものなのだろう。
僕としては、そんな意識はなかったが・・・・・・
「違うの?」
「違っ・・・・・・」
「ち、違います! デートではありません!!」
穂乃果の答えに僕が反応する前に、先に海未が否定した。
「だけど2人とも良い雰囲気だったよね?」
「うん、うん! 特に海未ちゃんなんて、さっき携帯ショップにいたときに、すごく可愛い顔してたし!」
携帯ショップと言えば確か・・・・・・海未がなぜか頬を赤く染めていたことがあったな。
あの様子は確かに可愛かったと思う。
僕がその時の海未の様子を振り返っていると・・・・・・
「い、一体・・・・・・いつから見ていたのですか?」
「えーとね・・・・・・2人が待ち合わせするところからだよ♪」
ことりがそう答える。
つまり最初からいたということか・・・・・・
僕たちを付け回した動機として考えられることは、単なる好奇心、あるいは海未が心配だったというところだろうか?
「それであの時、どんな話してたの? 教えて!」
「えっと・・・・・・あれは確か・・・・・・」
「何でもありません! ライも答えなくて良いですから・・・・・・」
「そ、そうか・・・・・・分かったよ」
僕が覚えている限りのことを答えようとすると、それを海未に遮られた。
すると、穂乃果が不満そうに海未を見つめる。
「え~・・・・・・海未ちゃんのケチ」
「拗ねたって駄目です。教えませんからね!」
まあ、下手にあの時の会話を教えたら、海未の特訓のこともバレるかもしれないな。
とはいえ、このまま何も話さなければいらぬ誤解を受けることになるだろう・・・・・・
「穂乃果、実は・・・・・・」
僕は『特訓』の件は伏せつつ、今日のことを話すことにした。
・・・・・・
「・・・・・・と、言うことなんだ」
あれから・・・・・・
海未と僕は2人の誤解を解いた。
僕が携帯を持っていないこと・・・・・・
それを知った海未が『一緒に買いに行こう』と提案してくれて、そのついでに記憶探しの手伝いをしてくれたこと・・・・・・
『特訓』の件は知られないように注意して、2人に事情を説明したがうまく隠せただろうか?
「な~んだ。そういうことなんだね。海未ちゃんとライ君、凄くいい雰囲気だったから勘違いしちゃった」
「全くもう・・・・・・それで、2人はどうして私たちが出かけることを知っていたのですか?」
「おそらく、この間の会話を聞かれていたんだろう・・・・・・どうかな?」
『この間』というのは、先日の特訓の日のことだ。
やがて、穂乃果が答え始めた。
「えへへ・・・・・・実はそうなんだ!」
「ど、どこまで聞いていたのですか?」
海未が不安そうにそう尋ねる。
『特訓』のことがばれていないか、気になるのだろう。
「えっとね・・・・・・確か、『貴方のことは、私も気になっているので・・・・・・』のところから?」
「そ、そうですか」
穂乃果の答えに海未がホッと胸を撫で下ろす。
どうやら『特訓』の内容までは知られていないようだ。
それはそうと、先ほどの穂乃果が言っていた海未のセリフは『貴方の記憶のことは、わたしも気になっているので』だったのだが・・・・・・
彼女が聞き取った言葉だけだと、確かに恋人のやり取りのように聞こえても不思議ではないかもしれない。
・・・・・・
「それにしても、ライ君の記憶かぁ・・・・・・」
あれから海未と僕の誤解も解け、僕たちは帰り道の途中で寄った、ある公園で談笑していた。
やがて、話題は僕の記憶のことになった。
「今日は何か手がかりが見つかったの?」
ことりがそう尋ねてきた。
とはいえ、記憶のことについては、僕自身は何も感じなかった。
僕はそのことをことりに伝える。
「そうなんだ・・・・・・」
すると、ことりが心配そうな表情を見せていた。
気を遣わせてしまっただろうか?
「もっとも、海未の方は何か気付いたみたいだけどね」
「そうなの? 海未ちゃん」
穂乃果が海未にそう尋ねる。
「ええ。私が気付いたのは・・・・・・」
そして海未は先ほど指摘していた、僕の癖について話し始めた。
すると、2人は僕のある『癖』について知ると驚いていた。
「すごいねライ君! 振り向くときにそんな動きしてたなんて」
「僕も海未に言われるまでは気付かなかったんだけど、どうやら僕にはそういう癖があるみたいなんだ」
もっとも僕は、そんな動きに気付ける海未の観察力に感心していた。
「2人はライの癖について、他に何か気付いたことはないですか?」
そして海未が2人にもそう尋ねた・・・・・・
2人はそれぞれ考え始めて、やがて穂乃果の方から先に声が上がる。
「う~んとね・・・・・・私が気付いたのは、話し方がなんか昔の人っぽいところとか?」
「あっ! 私もそれがちょっと気になってたの」
ことりがその話に同調する。
昔の人間か・・・・・・
「たしかに・・・・・・ライは、同じくらいの年齢の男性と比べても、どこか落ち着いた雰囲気があると感じます」
「うん。ライ君はなんていうか、他の男の子よりも大人しいっていうか・・・・・・堅いって言うのかな?」
「っていうより、大人っぽい?」
なるほど・・・・・・
僕にそういった堅苦しいところがあるから、なかなか他の生徒とも打ち解けづらいのかもしれない。
まあ、女子生徒しかいない音ノ木坂に男1人という、特殊な環境で過ごしているという理由もあるかもしれないが・・・・・・
もしかしたら今後は少し話し方や態度を変えてみた方が良いのだろうか?
それについて3人に聞いてみた。
「いえ・・・・・・そこまで気にしなくても良いと思いますよ」
「そうそう! 海未ちゃんだって、いつも丁寧語だし」
「それに、落ち着いている男の子って格好良くていいんじゃないかな」
「そ、そうなのか・・・・・・?」
その後も、僕たちは楽しく会話を続けた・・・・・・
記憶もなく、頼りに出来る友人もいない僕に、こうして親身に接してくれる海未たちの存在は、僕にとって救いだった・・・・・・
この楽しい時間がこれからも続いてほしい・・・・・・
僕はどこか、そんな風に願っていた。
・・・・・・
海未と出掛けてから数日経過したある日のこと・・・・・・
「ラ~イ君!」
「ん? なんだい、穂乃果」
「あっ、本当だ。右足が動いてる」
「え?」
穂乃果はそう言って僕の足元を見てきた。
「うん! この前、海未ちゃんが言ってたでしょ? ライ君が振り向くとき、右足を後ろに引いて、間合いを取ってるって・・・・・・」
「それで、声をかけてきたというわけか・・・・・・」
「えへへ・・・・・・実はそうなんだ。何かステップの参考になるかなぁって思ったからつい・・・・・・それじゃあ、次の授業始まるから、私いくね。またねライ君!」
「ああ、また・・・・・・」
そして穂乃果は廊下だというのに走り出していった・・・・・・
先生から、彼女を注意する声が聞こえる・・・・・・
またある時は・・・・・・
「ライ君、ちょっと良いかな?」
「なんだい? ことり」
「ちょっとここの問題教えてほしくて・・・・・・」
「ああ、ここは・・・・・・」
先ほどの授業を思い出し、ことりの前で実際に問題を解いてみた。
「ありがとう。おかげで助かちゃった♪ それにしても・・・・・・」
ことりが不思議そうな顔で僕の足元を見つめる。
「海未ちゃんが言ったとおりだなぁって・・・・・・」
「え? ああ・・・・・・間合いのことか」
「うん。つい気になっちゃって・・・・・・ごめんね、まじまじと見ちゃって」
「いや、気にしてないよ」
「ありがとう。それじゃあまたね♪」
「ああ・・・・・・また」
またある時は・・・・・・
「ライ君? ちょっといい?」
「はい。なんでしょうか? 副会長」
「ふーん。なるほどなぁ・・・・・・」
副会長もやはり僕の足元を見てきた・・・・・・
「えっと・・・・・・もしかして副会長も?」
「まあ、あれだけ噂になると、うちも気になるな~って」
「・・・・・・」
いつの間にか噂になっていたようだ。
そして・・・・・・
「皇くん。ちょっといいかしら?」
「まさか、会長も僕の癖が気になったんですか?」
「え、何のことかしら? 私はただ、この書類の書式について聞きたいことがあったのだけど・・・・・・」
「あ、すみません。ちょっと勘違いしてました・・・・・・それで、この書式ですが・・・・・・」
こうして、僕の『癖』が気になる生徒から、次々と声を掛けられた。
もっとも、ことりや会長は本当に用事があったみたいだったが・・・・・・
この癖・・・・・・
今後は控えた方が良いのだろうか・・・・・・?