手放した、はずだった。
「ほう、良い声色で名を呼ぶものだな」
幼いのに妙に迫力のある声が聞こえたかと思うと、彼女は自分の体と心がすっかり元通りになっていることに気が付く。いったい何が起こったのかと周りを見回すが、天使は警戒するように距離をとり、野次馬たちも何が起こったのか分かっていないようだった。困惑する彼女に真後ろから声がかけられる。
「相手が可愛い女の子でなきければ、そんなに愛しそうに名前を呼ぶことはできないものだ」
咄嗟に振り向くが誰の姿も見えない。呆然としていると服の裾を小さく引っ張られる。
「……こっちだ。よほど混乱しているようだな」
視線を下ろした先にいたのは、まだ少女の入り口にたったばかりのような女の子だった。幼女と呼んだほうが合っているとさえ思えるその幼い女の子は、ますます困惑を深める女の表情を見て、愉快そうに微笑んだ。
「困惑するのも無理はないか。普通1体しか出てこない天使が4体も出てきて、死ぬほど魔力を吸われたかと思えば無傷で棒立ち、挙句に……これだ」
幼女はくるくると回って自分の姿を女に見せつける。眩い金髪に黒いドレス姿は、確かに夜に映えるが、そんなことより幼子が出歩いていい時間ではない。この混乱の中でマイペースに振る舞う異常さもあり、いっそ自分が死後に見ている幻覚と考えたほうが妥当に思える。頭の中で色々と考えながらじっと幼女を眺めていると、彼女がふんわりとした微笑みを返してきて、場違いなものだと思いながらも安心させられる。安心したところで、天使は何をしているのだろうかと、ふと考える。
女が幼女の頭に突き刺さろうとする槍とそれを掴んだ手を見たのは、完全に同時だった。再び緊張する女に対し、幼女は微笑んで言う。
「ああ、勿論お前にも『お楽しみ』は必要だろうが、今日のところは私に任せてくれ。お前はそこの女の子と……これを頼む」
空いた手で肩に提げたポシェットを取って女に手渡す。女が屈んで少女の頭を膝の上に乗せたのを確認して天使のほうを向く。
「全く羨ましい……帰ったらカクテルちゃんにしてもらうか」
軽口を叩きつつ槍を天使ごと放り投げる。2体の天使の隙間にその1体が入り込み、態勢としては正面で向かい合う形となった。傷だらけの1体を除いて。幼女が指を鳴らした瞬間、ボロボロの天使は弾け飛び、溢れ出た光の粒子は瞬時に幼女の体へと吸い込まれていった。既に死に体だったとはいえ、成す術無く取り込まれてしまった様を見た野次馬たちは言葉を失ってしまう。
鳥のような鳴き声をあげる天使たち。幼女は獰猛な笑みを浮かべて呟く。
「退屈しなければいいが……せいぜい足掻くといい」
夜にあって尚明るいこの街に、赤い右目が光り輝いた。