牛悪魔は車を追い越すほどの速さで迫ってくる。アゼットは立ち上がりそれを真正面から見据える。突然撥ねられた際にできた傷はもう治っている。シックスが治したのだ。
拳銃を構えて叫ぶ。
「で!? どうすればいいの!?」
「適当に撃ちまくれ。近づいてきたら避けろ」
「ざっくりしてるわね……!」
言われたとおりに弾丸をバラ撒く。牛悪魔の巨体故にその殆どが命中する。しかし効果は見られない。牛悪魔は怯む様子さえ見せないまま目と鼻の先にまでやってくる。
そろそろ回避行動に移らなければ。アゼットは真横に飛び退く。あの速度で走っていたら急には曲がれないと判断してのことだ。
そう考えていた彼女の目の前で牛のような顔がはじけ飛ぶ。蟹のような鋏が飛び出し、今まさに彼女を潰さんとして閉じられる。
エリエルは目の前で起こっていることにまるでついていけない。ただぼんやりと、だが鉛のように重たく恐怖がのしかかり、無意識のうちにシックスの手を掴もうとする。しかしその手は空を掴んだ。と思いきやすぐに小さな手に掴まれた。
「すまない、一瞬出掛けてきたものでな」
振り返った先にはシックスと、彼女に担がれたアゼットがいた。
彼女はアゼットをゆっくり下ろし、この場にそぐわない穏やかな口調で語り掛ける。
「今見たとおり、悪魔や魔人との戦い……強力な天使との戦いでは相手がどんな手を隠し持っているか分からない。注意を怠らないようにな」
その場にへたりこんでしまったアゼットの頭をポンポンと叩く。少しだけ撫でてやる。アゼットはそれを鬱陶しそうに払い除ける。そうした反応も彼女の微笑みを誘ってしまうのがアゼットには腹立たしいようだ。苛立ちを隠さずにシックスに言う。
「で? 結局あなたの力を借りなきゃ死んでたところなんだけど?」
「初めはみんなそんなものだ、少なくとも魔人はな。ほら、あそこにフリーになったマナが浮かんでいるだろう? 吸い取ってみろ」
シックスが指差した先には光の粒子が浮かんでいる。長年見てきたあの光の名前を初めて知って少しだけ感心したアゼットは、光に向けて掌をかざす。ゆるゆると光が掌に吸い込まれていく。
「相手の体からマナを削って、隙を見て吸収する。これが悪魔との戦いの基本だ。まあ、相手が取り込み直すこともあるし、仮に吸収できたところですぐには力にならないがな。……おっと、のんびり話している場合ではなかったか」
悪魔が彼女らを睨み付けながら攻撃する機会をうかがっている。牛っぽかった悪魔は今では顔から鋏を生やし、背中に幾つもの眼球を背負い、前足には不気味に蠢く蔦を纏わせ、尻尾の先は刃物のように鋭くなっている。
シックスを警戒しているのか、悪魔はすぐには動こうとしない。しかし敵を圧し潰そうと動き続ける鋏からは、後退の意思は見えない。シックスは微笑みながら呟く。
「これは確かにお前だけでは厳しそうだな……ふむ、私も一緒に戦うか」
「あなたが戦うなら私いらないじゃない」
間髪入れずに文句を言うアゼットに笑いかける。
「そう言うな。これはお前の『お楽しみ』なんだからな」