ナザリック最後の侵入者   作:三次たま

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黒幕の裏側

 

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 私は私が大嫌いだ。

 

 自分の嫌なところなんて、数えればキリがないくらい。

 傲慢で知ったかぶりで、その癖人の気持ちなんて全くお構いなし。結局は自分の気持ちが最優先。

 まっすぐ努力するのが大の苦手で、すぐに脇道逸れてズルすることばかり考えている。

 すっごく短気で嫌なことがあったらすぐに頭に血が上って、暴力と暴言に訴える。

 協調性の欠片も無くて、誰かが仲良くつるんでるのを見ると壊したくってたまらなくなる。

 口の悪さは自信の弱さの裏返し。他人を貶すと自分がマトモに成れたような気になって、でも全然そんなことはないのもわかってる。

 

 わかってる。そう、わかっているんだ。

 

 自分はどうしようもないくらい至らない人間で、それのせいで他人にどれだけ迷惑をかけてきたことだろうか。

 父さんにも母さんにも、仕事場の人間にも、ナインズ・オウン・ゴールの連中にも、ナザリックの皆様方にも、アインズ様にも。

 もうホントに尋常じゃないくらいの大損害を与えてきたことは、紛れもない事実だ。

 それを私は理解している。

 

 理解したうえで、今なお私は変わらないままで、厚顔無恥にも息を吸ってのうのうと生きている。

 喋り方を気を付けようとか、カウンセリングを受けに行こうとか、せめて一人で抱え込まない様にしようとか、出来ることはあるはずなのに。けれども私は変わっていない。まるで「わかっている」ことが免罪符にでもなるかのように、周囲に負債をばら撒きまくっているのがどうしようもない私の現状なのだ。

 

 わかってることは言い訳にならない。それすらわかっているのに、心のどこかで「わかっているから許してほしい」と醜い言い訳を連ねるのがどうしようもない私の弱さ。だからこそ、私は私が大嫌いだ。

 

 

 

 ああ、ああ、どうしてアインズ様は、あんなに変わっていけるのだろう。

 自分を殺し、人間性も、享楽も、何もかも投げ打って、周囲の為に理想的に振る舞い続けることができるのだろう。

 自分とあまりに違い過ぎて、妬みすらも湧いてこない。元は同じ人間だったなんて思えないくらい、全く私と違い過ぎる

 

 私と違って、あの人は凄い。あなた(・・・)もそう思うでしょう?

 なのにどうしてあなた(・・・)は私の為にアインズ様を裏切るの?

 

 どうして? どうして? 教えてよ。

 

 

 ねぇ、アクターさん。

 

 

 

 

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 どす黒い衝動に塗れた心を引きずりながら、脳と体に刻まれた冷静さが我が身をゆっくりと導いていく。

 まるで心と体が剥離したかのような、夢遊病的感覚に酔いながらマタタビは霧の中をかきわける。

 

 辛気臭い濃霧に包まれた荒野、人呼んでカッツェ平野。

 マタタビは時折闊歩するアンデッド達の群れを隠形で避けながら、淡々と足を運ばせ目的地へと歩んでいく。

 

 やがて元は市街地であっただろう廃墟の群が姿を現し、それらは栄枯盛衰の哀愁を切々と物語っていた。

 住宅地、広場、枯れた噴水、神殿。かつては瑞々しく栄華を誇ったであろう民たちはもう居らず、スカスカのアンデッドたちがうようよしているだけだった。

 そんなダークファンタジー的なホラー風景だけれど、マタタビにはあまり他人事とは思えない。

 

 マタタビとアインズ様がいたリアル世界の外周区だって割と似たり寄ったりなものだった。

 あそこもちょっと路地裏を除けばリンチ死体とかガス中毒でくたびれた子供がいるくらい酷いもの。

 首都圏内ならまだいい方で、住民退去された地方都市の残骸の酷さはこっちのカッツェ平野とそう変わらない。まさに死都だ。

 

 うろつくアンデッドたちよりも、生々しいリアリティのほうがマタタビには遥かに不気味に思えたのだった。

 

(これがあの、ネコさま大王国の末路ですか。物寂しいものです)

 

 目的地にたどり着き、マタタビは足を止めて目の前の建物を見上げた。

 建物と言うか廃墟と言うか、いっそ遺跡と呼んだ方が適切かもしれない。

 

 ギルド:ネコさま大王国が誇った城塞型ホームダンジョン、ノイカッツェンエルンボーゲン城。その無残な成れの果て。

 

 かつて、お伽噺の白亜の城とも言うべき威容を成したこの城には、猫好きのロールプレイヤーたちがこれでもかと猫系のNPCを詰め込んでいたものだ。マタタビと同じケット・シーだったり、スフィンクスやバステトだったり白虎だったり骨猫のアンデッドまで。

 まさに防衛力そっちのけで作り上げられた全階層猫カフェとも言うべき、猫好きの夢そのもの。その過剰なまでの猫愛はかつて侵入者として訪れたマタタビにまで向かうほどで、変身解除して猫モードに戻ると向こうは一切攻撃をしてこなくなった事があったのを記憶している。連中は本物の猫バカだった。

 

 そんな夢の跡地が今や、見る影も無い有様だ。

 城の外壁は崩れ落ち、所々に穴が開き、あちこちに瓦礫が散乱し、ひび割れて欠けたり砕けたりした城壁。天高く聳え立っていたはずの円塔群は幾つもが崩れ落ちてしまって、もはや残っているのはほんの一部だけだ。

 ゲームの続編で没落した前作のダンジョンがこんな感じだったと思いつつ、マタタビは廃墟と化した城内へ足を踏み入れた。

 

 当然というべきか、やはり内装の荒廃も酷いもの。本来ならばそこは玉座の間であったり、謁見の間で在ったり、会議室で在ったり、様々な用途で使われていた場所なのだろう。しかし今となってはそのどれもが本来の機能を果たすことはない。

 ただ今は、周囲に散乱する大小さまざまなネコ科動物たちの骨……否、化石が広がった共同墓地でしかなかった。

 

 そんな見るも無残なギルド拠点の末路を想えばこそ、ナザリックは決してこれの二の舞を踏んではならないのだと強く思う。

 たとえギルド:アインズ・ウール・ゴウンが滅びてもだ。そのためにこそ()はあの人の手を取った。真に大事なものの為にだ。

 

 マタタビはふと足を止める。自分の一歩先の地点から明らかに場の空気が変わる気配を覚えたからだ。

 

(……ようやくか)

 

 風景は何も変わらない。歩いてきたのと同じ通路が先まで続いているだけである。

 しかし盗賊職最高位の探知スキルとケット・シーの生体感覚が警鐘を鳴らし、マタタビに危険を知らしめた。

 この一歩先こそ敵地であり、一切の油断もままならない。

 

 マタタビは、殺意と憎悪に煮えたぎる心を務めて抑えつつその一歩を踏み出した。

 

 我が脳と体に染みついた知識と経験と勘を頼りに、いつものように未知の死地へと散歩気分で。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 旧ノイカッツェンエルンボーゲン城の地下室は、地下墓のような辛気臭い石造りになっている。

 頭蓋骨に光源を埋め込んだランタンの照明が天井に横並び、薄暗く狭い通路を照らしていた。

 

 この地は錬金術師タブラ・スマラグディナが数百年がかりで資源の乏しい異世界から使えるものをかき集めて作ったトラップダンジョン。

 迷宮染みた複雑な通路には、この世界の住人では到底太刀打ちできない厄介な罠の数々が仕掛けられている。

 転移阻害、落とし穴、隠し扉、仕込み爆弾、猛毒ガス、転移トラップ、高レベルNPCの死骸で作ったアンデッドモンスターたち。いくら100レベルプレイヤーでも無傷とまではいかない代物である。

 逆に言えばプレイヤー一人殺せるかすら怪しいレベルでしかない。が、制作者であるタブラはその辺りは割り切っていた。

 

 数ある罠が一つでも作動してくれれば侵入者が来たというアラートになる。最奥までたどり着く者はすなわちタブラと同格の100レベルプレイヤーだ。

 それだけ分かれば及第点。あとはその能力を見極め勝てる相手なら滅ぼし尽くし、無理そうなら逃げるが吉。

 この地下拠点はタブラにとってそれだけのモノでしかない。

 

 精々思い入れがあるとすれば、内装を冒涜的神話の地下神殿のように若干アレンジしてみたことくらい。同居人であるパーミリオンには不評だったが、この地を守ってやってる義理があるからこの程度のわがままは許してほしいものである。

 

「寒い……寒い寒い」

 

 本日も変わりなく最奥の玉座に腰かけていたタブラ・スマラグディナは、しかし堪え切れない胸騒ぎに怯えひじ掛けを握りしめる。

 ズーラーノーンが心棒する邪神ロールプレイなど最早欠片も取り繕えない。

 異世界転移して以来自分の身で覚えたことのない死の恐怖を感じ、震える手である魔法が込められた羊皮紙(スクロール)をインベントリから取り出した。

 

 込められている魔力は第9位階。この世界の竜の皮で作った大変な貴重品だ。しかしタブラは無造作に巻き紐を解き、投げ捨てるような気分で本日20回目の詠唱を繰り返した。

 

未来視(フューチャー・フォーチュン)

 

 羊皮紙(スクロール)は蒼炎に焼け消えて、タブラの意識は少し先の未来へと飛んだ。

 

◆◆

◆◆◆

 

 死の支配者(オーバーロード)であるモモンガをこの世界の人々は『死』の具現体と呼んだ。であれば一体彼女は何と呼ぶ。

 そう、敢えて言えば『殺意』という概念が少女の形に押し込められた死神こそがマタタビと言う名の化物だ。

 

『お久しぶりですねタブラ・スマラグディナ』

 

 鈴の様な声が地下室に響く。

 声の主こそタブラの宿敵にしてマタタビその人に他ならない。

 

 まさに深窓の令嬢という言葉がふさわしい、静謐な美貌をたたえた学生服姿の黒髪の少女である。見るからに生まれと育ちに恵まれたとわかる、良家の箱入り娘と言ったところだろう。

 しかしそんな清廉な風貌は仮初でしかなく、今まさにどす黒い本性がコールタールのように滲み出さんとしていた。

 

 

『うふふあは、アハハ! アハハハアハハアハハハ!!』

 

 少女の口角が丸く歪んで狂った笑い声をあげた。それは壊れたスピーカーによく似ている。

 やがて腹を抱えて堪え切ったマタタビの表情は、仄暗い色に落ち着いていた。目尻に浮かんだ涙を指先で払うと再びその美しい顔には優しげな微笑が浮かぶ。しかしその瞳は、まったく笑っていない。

 むしろ憎悪の色を宿した鋭い視線が、タブラを貫き殺さんばかりだ。

 

『生まれて初めてですよ、誰かを殺したくなるほど憎んだことは』

 

 マタタビは左手に握る神器級の刀でカラカラと石畳を引っ掻いた。

 不快な音波が鼓膜を揺らし、タブラの正気(SUN値)を削り取る。

 

 非常に濃厚で、危険な殺意の濁流がタブラの見える世界を浸していく。

 マタタビは脱力気味に刀を握っているだけだ。だというのにタブラは全身を切り刻まれていくような錯覚を覚える。呼吸すら満足に行えず、喉の奥からはひゅぅっと乾いた音が漏れていた。

 

『では、死んでください』

 

 確定していることを教えるような冷たい口調でマタタビは言う。

 限界まで引き絞られた矢が放たれるように、キュウ、という風を引き裂く音を立てて銀の刃が空を奔った。

 

◆◆◆

◆◆

 

「死んでたまるか」

 

 タブラは羊皮紙(スクロール)の燃えカスを足元に見下ろして、苛立ちと共に踏みつぶした。

 

 タブラが開発した〈未来視(フューチャー・フォーチュン)〉は不完全極まりない未来視だ。

 その効果は発動術者が一定以上の興奮を催す直近の未来を、ほんのすこしだけ覗き見るというものである。

 

 ある者が使えば明後日魔獣に食い殺される死の未来を覗き見れるし、ある者が使えば月末の新刊本に驚喜する自分を知ることになる。

 来週に失恋する未来かもしれないし、来月にセックスする未来かもしれない。

 

 ようは発動者にとって印象に残るシーンを切り抜いて先読みできるというものである。

 

 効果のベースはスレイン法国で扱われていた未来予測の魔法だ。気に留めたタブラが法国の人材の一部を秘密裏に引き抜いてこの魔法を開発させ、20人がかりの大儀式魔法上昇(オーバーマジック)によって発動できるように仕組みを整えさせた。

 今使っているのはその大儀式で発動した魔法を羊皮紙(スクロール)に封じ込め、いつでも使えるようにした簡易版というわけだ

 

 400年以上この世界で生きてきたが、タブラ自身がこの魔法で覗き見た未来はこれまでたった二つだけだった。

 一つは言うまでも無く、今年起こる筈だった(・・・・・・・)モモンガによるカッツエ平野の大虐殺。それを遠方から覗き見るタブラ自身の記憶である。

 

 気弱な元サラリーマンが死の支配者(オーバーロード)に生まれ変わり、妄執の怪物となって超位魔法でカッツエ平野を蹂躙するという大絶景。

 いつか生目で見たいと夢見に焦がれていた。あるいはその先に続くであろう蹂躙の軌跡を影から見守って居たかった。

 

 しかしクレマンティーヌ女史の記憶を貪り、マタタビがともにこの世界に来ていたことを知ったタブラは再びこの魔法を発動させる。

 すると驚くことに未来が変わり、タブラをマタタビが殺しにかかるという光景しか見えなくなったのだ。

 

 つまり本来現れる筈の無かったマタタビの存在が、タブラの見ていた未来を良からぬ方向へ変えたに違いなかった。

 

「……彼女の存在は、もはや疫病神そのものだ」

 

 玉座で嘆息するタブラの姿に、クククと嘲笑を浮かべて近づく者が現れる。

 今のタブラの同居人にして、ネコさま大王国の元NPCであるエルダーリッチのパーミリオンだった。

 

 色とりどりの宝石に金銀でギラギラ下品に彩られている黒いローブは、彼の飼い猫(・・・)が喜んで好むからそうしているらしい。

 足元にすり寄る骨猫たちに目配せしながら、パーミリオンはカタカタと顎骨を揺らした。

 

「随分ご機嫌じゃねぇか。お前を悩ませる女神さまとは大したもんだぜ。拝み甲斐がありそうだ」

 

「全くだよ。さながら天誅のため遣わされたパンドーラのようだ」

 

「誰それ……いややっぱいいわ」

 

「そうかい」

 

「?」

 

 いつもなら、パーミリオンがわずかにでも興味を惹かれればタブラは容赦せずに数分間にわたる説明攻めをしていた。しかし今はそんな元気がない。

 それくらいタブラにとってマタタビは、不都合極まりない大敵だったのだ。

 

「……誰であれモモンガさんと同参する転移者の存在自体が、そもそも私の願望には不都合であり、そして予想外でもありました。ユグドラシルの終末まで彼の傍に付き添うメンバーなんているわけがありませんでしたから」

 

「お、そうなのか? 俺はあいつ滅茶苦茶いい奴だと思ったけど」

 

「良くも悪くもいい人止まりでしたからね。来るもの拒まず去る者追わず。

 かと言って誰かが外の世界に向けて手を差し伸べても、彼はナザリックに固執し続けていました。

 少なくとも私の眼には、以前会った彼は質の悪い地縛霊に見えてなりませんでしたよ」

 

「地縛霊……ねぇ。俺も似たようなもんだけど」

 

 パーミリオンは自分の胸元を見下ろした。

 タブラは心の中で首を横に振った。

 

「……まず半分の旧ギルドメンバーは引退後完全に興味も愛想もつかして寄り付きません。所詮ユグドラシルのギルドなどその程度の間柄ですから」

 

「ほーん、そうかい」

 

「残るメンバーだって、ナザリック程の大規模なギルド拠点をモモンガさんがたった一人で数年間維持し続けていたなど知れば、血の気が引く思いでしょうね。後ろめたくて近づき辛いにも程がある」

 

「じゃあむしろ「一人でギルド維持なんて無理でした!」とか言ってれば気楽だったのかもな」

 

「私はそう思ったよ。最終日のナザリックには私も訪れたが……あれは実に悍ましい空間だった」

 

 タブラ・スマラグディナはユグドラシル最終日のナザリック地下大墳墓の光景を思い出す。

 脳食い(ブレイン・イーター)という種族の特性があってか、タブラはこの世界に訪れてから『忘却』を経験したことが無い。だから人間時代の寸前まで憶えていたナザリックの在り様でも、昨日のことのように思い出せた。

 

「最後に目にしたナザリックの姿は、私の知る最盛期の頃と殆ど変わっていなかった。

 引退ギルドにありがちな、維持費削減によってNPCが減らされることも無く、設備やギミックが劣化していたり変わっていることも無かった。宝物殿にある在庫資金だってほとんど減っていない。

 メンバーが戻ってくれば今にでも息を吹き返すようだったね」

 

「おぉ? それのどこが怖いんだよ。話を聞く限り……俺には羨ましい話だが」

 

 パーミリオンは崩壊したネコ様大王国の元NPCである。なるほど、忠誠心を失って尚拠点だった廃城に縋り続ける彼にとっては理解しがたいロジックかもしれない。

 タブラはそれらしい例えを思い浮かべて説明する。

 

「マヨイガ、という怪異譚がある。わかりやすく言えば迷い家(まよいいえ)かな」

 

「ッチ」

 

 途端パーミリオンは嫌な顔をしたので、今回タブラは省略して話した。

 

 

「……ある村人が山中をさまよっていた時に、立派な黒い門のお屋敷に出会うんです。

 

 不審に思いながら村人が門をくぐると、まず色とりどりの花が咲き誇る美しい庭園に驚かされる。

 

 厩舎には良く肥えた馬や牛や鶏が繋がれていて、明らかに誰かが暮らしている様子。なのに家人の一人も現れない。

 

 埃一つない小奇麗な御座敷を覗き込むと、湯気の立つ出来立ての料理と茶が用意されていて、誰も居ないはずの台所から妙な気配を感じたという。

 

 まるで家屋の亡霊が人を求めて誘っているような不気味な感覚を覚え、男は背筋が震えたというんだと。

 

 それと同じものを私はナザリックに憶えたのですよ」

 

 タブラの話を聞いたパーミリオンはますます顔を顰めていった。

 彼は心情的にモモンガ寄りの人物だからだ。

 

「ちょっとひでー言い方じゃねぇの? 家屋の亡霊っつーか、一応ナザリックとかいうのはモモンガが頑張った証だろう?」

 

 タブラは思い切って率直に答えた。

 

「ああだから、私にはモモンガさんが生ける亡霊のように思えてならなかった。実際彼は私達ギルドメンバーを誘うために、あんな常人離れした真似をしでかしたんですから。

 本当に思い出すだけで今でも怖気が奔ります。まさに過去の姿そのまま、まるで時が停滞しているようだった。変な言い方ですが……あの空間には一切現実感がありませんでした。

 それに極めつけに驚いたのが……ギルドメンバーを祀った霊廟まで作られていたことだね」

 

「HAHAHA、だから地縛霊か。一応俺みたいなNPCだっていたんだろうが。だがお前の話が本当なら俺たちの自我が生まれたのはこの世界に転移した直後だったんだろう?

 まぁそりゃ……ちょっと不気味だわな。死んでも無いのに墓を建てられるとか怖すぎるわ」

 

「相変わらず素晴らしい共感力と理解力ですね。私はよき友に巡り合えて幸運です」

 

「そうかい、俺は不幸だぜ」

 

 タブラの賞賛をパーミリオンはそっけなく流した。

 照れ隠しであってくれればうれしいが、望みは薄いだろうと思われた。パーミリオンとの関係は、多くがタブラによる一方的な押しつけばかりであるからだ。良い感情を持たれてる見込みは無い。

 

 タブラは僅かに寂寥の念を覚えつつも、話の流れを本筋に戻した。

 

「まぁそんな訳でしたから、最後までモモンガさんの傍に誰かが残るなんて本来あり得ない筈だったんですよ。

 さもなくば、カッツェ平野の大虐殺の光景を〈未来視(フューチャー・フォーチュン)〉できるわけがない。

 同行者のプレイヤーが居れば必ず止めていたでしょう」

 

 彼と対等に向き合える者が一人でもいれば、あのグツグツに拗らせたクレイジー極まる妄執の怪物が生まれるわけが無かったのだ。

 つまり今のモモンガは変わったのだろう。タブラが望まない方向性に。

 

「マタタビって娘の存在が確定した時に〈未来視(フューチャー・フォーチュン)〉の光景が変わったんなら、そーゆーことなんだろーなやっぱし」

 

 あの気弱で温和だった男が、魔王として躊躇なく異世界を蹂躙するというギャップ的絶景。そしてその先に続くであろう圧倒的なナザリック地下大墳墓の覇道。

 是非とも己の眼で見たいと、三百年夢見に焦がれていた悲願だったのに。たった一人のイレギュラーが全てを破壊してしまったのだ。

 ギルドメンバーではなく侵入者。まったく盲点だったし、予測できていた居たところでどうすることも出来なかっただろう。

 

「まさに胸が引き裂かれるような絶望です」

 

「HAHAHA! マジで残念だったなぁ。いいざまだぜ外道野郎」

 

 彼がタブラに笑みをこぼすのは、タブラの不幸を嗤う時だけだった。

 パーミリオンは屈託なく笑いながら、インベントリから黒ずんだ珠を取り出してタブラに向かって投げつけた。

 

 タブラが造ったインテリジェンスアイテム死の宝珠。

 

 気まぐれに作ったそれはお気に入りだった十二高弟のカジットに託して、そんな彼はナーベラル・ガンマに殺された。

 やがてモモンガの手に渡り、十中八九死の宝珠の導きによってカッツェ平野に参じた彼は、何も言わずにパーミリオンにソレを渡した。

 

 そして最後にタブラの手元に戻る因果を想うと、彼からまるで「あなたとは決別しました」と言われたようだった。

 

 マタタビやアルベドとのやり取りでどのような心境変化があったのかはわからない。

 

 ただ少なくとも、死の宝珠が手元に戻ってきたことは絶対に偶然だったなんてありえない。それだけは言えた。

 

「前向きに生きられて死ぬ程羨ましいぜ、俺と同じアンデッドのくせによぅ」

 

「ああ、非常に残念。つまらない男に成り下がったものです」

 

「……別にあいつはお前を笑わせるために生まれてきたんじゃねぇんだけどな」

 

「ごもっともだ。前向きに生きていきたいなら勝手にすればよかったでしょう。

 彼が変わるなら、私だって前向きに他の楽しみを探すだけだから」

 

 そもそもタブラは自分がナザリック陣営に所在を知られることを望まなかった。

 モモンガという狂人の凶行は傍から見ているから楽しめるのであって、当事者になるなど真っ平であるから。

 

 もし見つかってしまえばモモンガや伴ったNPC達に生涯延々と付きまとわれ、悠久の時を束縛され執着され続けるだろう。 

 きっと死して朽ちる権利すら許されないのだから、堪ったものではない。

 

 だからある意味モモンガがタブラと決別するのなら、それはそれで都合が良かったのだ。

 自分のことを放逐して好きにやらせてくれるなら、暗黙の相互不可侵を築くだけで良いのだから。

 

「しかし……マタタビ君は許さないだろうね」

 

 マタタビという特異点の影響は、タブラの享楽だけでなく生存までも脅かす。

 彼女は悪い意味で特別なのだ。

 

「HAHA、自業自得じゃねぇかよ」

 

 パーミリオンは乾いた嘲笑を浮かべる。タブラは震える手を握りしめた。

 

「おっと」

 

 ふと、マタタビではない透き通った女声がタブラの脳に響き渡る。〈伝言(メッセージ)〉だった。

 

『タブラ様、タブラ様、ニグレドにございます。ご報告よろしいでしょうか』

 

 彼女はタブラが制作した3体のNPCのうち一人、情報系魔術特化型の魔法詠唱者ニグレドである。

 

「ああ、もちろん」

 

 タブラが軽く返事をすると、目の前にニグレドの顔が映像として現れた。〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を応用したテレビ通話の様なものだ。

 

 横目で見ているパーミリオンはニグレドの姿にうめき声をあげた。彼のリアクションのなつかしさにタブラは思わず微笑んだ。

 

「……うげぇ」

 

 ニグレドのスタイルはヒト並外れて優れている。なにせ基本的な骨格モデリングは守護者統括アルベドと同じだからだ。

 黒い襤褸のような衣服を身に纏いながらも、裾から伸びる白く細長い手足はギリシャ彫刻のような芸術性を感じさせる。よくよく見れば女性的な起伏と引き締まったウエストラインのバランスの調和に光るモノは見いだせる。

 

 ただ彼女の顔が、一般的な美的感覚と真っ向から遠ざかっていたのだ。

 ニグレドの顔には皮膚がなかった。

 

 ぼさぼさと伸びた黒髪の隙間からは赤黒い筋繊維が痛々しく剥き出しにされており、よって頬肉と瞼も無く円形の眼と純白の歯茎がそのまま露にされている。

 グロテスク極まりない赤黒い面立ちに反し、歯並びはシミ一つなく整っているのが却って不気味だ。瞼の無い眼は端から血走っていて、ぎょろッと開かれた瞳孔は狂気を孕みながら画面越しのタブラを射貫いていた。

 

 本人としては創造主との対話に歓喜し至福の笑みを浮かべているつもりなのだろう。

 しかしこうなるとテレビ通話と言うより呪いのビデオといったほうが適切だ。

 

「こいつの顔やっぱキメェよ。タブラおめぇ悪趣味すぎねぇか?」

 

『黙りなさい下郎。たかが中位アンデッドのシモベの分際で、御方に馴れ馴れしく接するだけに飽き足らず、御方と被造物である私を愚弄するとは何様のつもりかしら。死にたいのなら神殿にでも出頭しに行くといいわよ? 諸手を挙げて浄化魔法が大歓迎してくれるわ』

 

「シモベじゃねぇよ! こいつぁは俺にとっちゃただのやかましい居候じゃい!」

 

「ニグレド、安心してくれたまえ。彼の言う悪趣味とは、私にとっては賞賛の意味だから。ほら、他のギルドメンバーが同じことを口走ってたのを憶えてるかな?」

 

 ナザリックでギルドメンバー達にニグレドを初お披露目した時のこと。彼らはものの見事に恐れ慄き同士討ち(フレンドリーファイア)無効を忘れニグレドに魔法の空撃ちををしたものだった。

 彼らの愚痴が細やかな福音のように耳に残り、タブラの記憶にうっすらと刻まれていた。

 

『あれは、そういう意味だったのですね!? 悪かったわパーミリオン、折角褒めてくれていたというのに』

 

「……あーったく」

 

『しかし御身は相変わらずお美しいご尊顔であらせられる』

 

「そうですか」

 

「俺ぁどっちもどっちだと思うけどなぁ」

 

『あら、無暗に褒めちぎったって何も出ないわよ?』

 

「…………」

 

 ブレインイーター、エルダーリッチに剥き出し面。少なくとも人間社会で測るなら、3者の顔面偏差値はマイナス値にカンストしていることだろう。

 茶番に呆れたパーミリオンは足元の10匹の愛猫たちを傍に寄せて腕を組んだ。

 

「じゃあ俺ぁトンヅラするぜ、巻き添えで死ぬなんて御免だからな。さらばだ同居人」

 

「さらばです我が友パーミリオンよ。また会えることを心から望みます」

 

「〈集団転移(マス・テレポート)〉」

 

 パーミリオンはすげなく跡形も無く、愛猫たちと共にタブラの視界から消え失せた。

 

『友? え、シモベの者ではなかったのですか?』

 

 

 マタタビが白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に決闘を申し込むという情報を手にしてから、タブラは既に死闘の覚悟を固めていた

 最早いつ影に塗れてマタタビの凶刃が己を貫いてもまったく不思議ではない。もっと言えば今のタブラの周囲はこの世界で最も危険地帯だ。

 だというのになんだかんだと直前まで居残っていたパーミリオンの真意とは、果たして友情なのか酔狂なのか嘲笑なのか。

 

「何にせよ、嬉しいね」

 

『…………』

 

 関係性の如何はともかく、400年ほどの付き合いの長さだ。

 今生の別れかもしれなかったし、最後に顔が見れて良かったとタブラは心から思った。

 

 感傷の余韻を飲み込んだところで、気を遣っていたニグレドがようやく口を開いた。

 

 ニグレドは感慨深く、自身とタブラの再会の次第を振り返りはじめた。ある意味はじめまして、だったのだが。

 

『改めまして再びタブラ様と会い見えたこの世界の奇跡、そしてタブラ様への深い感謝を覚えます

 カッツェ平野の調査で御姿を捕らえた時の感動は忘れられません

 思わずアインズ様へのご報告すら放棄して、一目散に連絡を飛ばしてしまいました』

 

「私も驚いたよ。いきなり〈伝言(メッセージ)〉が届いたかと思えばあのニグレドだったんですから

 最終日……ナザリックを発ちこの世界に転移してから400年だ。正直また会えるとは思わなかったです」

 

『我々からすれば数か月のことだったのですが……何にせよ、御身が私の存在を憶えてくださっただけでも望外の喜びです』

 

 ブレインイーターの不忘能力を言及するのは野暮であろう。

 今のタブラにとって彼女の存在は生命線ともいえるのだから、良い意味になら勘違いされても構わない。

 

 タブラにとってニグレドは、気色悪いが都合の良い道具でしかない。

 400年前に気まぐれに作ったキャラクターが勝手に自我を得て動き出したとして、容易に受け入れられるかと言えば否である。

 

 彼女の在り様はチープなノベルゲームのチョロいヒロインそのもので、希薄過ぎる人間性には寒気しか感じない。画面越しにしか会ってないことも含め、彼女が血の通った人物であるとはタブラにはどうしても思えなかった。ギャルゲーにしては彼女の容姿はあまりに上級者向けだろうが。

 

 ただ都合の良い道具と言う『好感』だけを言葉に乗せて接してやれば、彼女は望んでタブラに利用されてくれる。

 

「本当に、ニグレドには救われたよ。私のことをモモンガ君に黙ってくれたのもそうだし、今のナザリックの情報を知り得なければ、取り返しのつかないことになっていただろうね

 モモンガさんもアルベドも、そして何よりマタタビ君のことも、」

 

『ナザリック……アインズ様、アルベド……マタタビ!』

 

 人名詞に反応したニグレドは、途端に髪を搔きむしり妖怪の如く荒々しく呪詛を唱え始める。

 

 

『私にとってはタブラ様の幸福が全てです。ナザリックがタブラ様より自由を奪い去り忠誠と言う名の束縛で飼殺すというのなら、命に代えても我が口を噤んで見せましょう』

 

 どの口で言うか。お前もまた無自覚にモモンガを追い詰めていた一人であったろう。

 運よくマシな立場を得られただけだ、お前は。

 

『そしてアインズ様。シモベたちを最後まで見放さず残ったくださった慈悲部下き御方。しかしあの方は許されざる罪を犯しました。

 我が最愛の妹にして、タブラ・スマラグディナの最高傑作アルベド。アインズ様に『愛せ』と命じられた彼女は変わってしまった……。タブラ様へ向けるべき忠義がアインズ様の下にあるなど許せません。

 アインズ様は、御身が誇る最高の至宝を奪い去った罪深き簒奪者に他なりません』

 

 最終日時点でナザリック地下大墳墓はモモンガだけの所有物だ。

 ギルドを引退した身としては、ナザリックを維持し続けたモモンガがNPCの設定を変えようが文句を言う筋合いも無いし、そもそも今更欠片ほどだって興味も無かった。

 

 確かにアルベドのモモンガへの従属は今のタブラには不都合な状況だ。しかし彼がナザリックを維持し続けたからこそナザリックとNPCが存続していることを考慮すれば、アルベドの忠誠はむしろ自然であろう。

 最終日にタブラの愚痴を耳にしてしまった彼女の場合、特に。

 

 むしろ、タブラの一声であっさり寝返るニグレドの方がどうかしているんじゃないか。口には出さないが、喉元にはこれでもかと毒が詰まっている。

 

『……そしてマタタビ! タブラ様が長年望んでいた、アインズ様によるナザリック地下大墳墓の栄えある覇道。かの輝かしい未来を打ち砕いた最悪の特異点にして、御身に死の影を堕とす災厄の凶星!

 ああ憎い憎い憎い憎い!! 殺してやる殺してやる殺してやるぞぉおおおぉぉ!!』

 

 ニグレドの悍ましい面相からどす黒い憎悪と憤怒が迸る。

 タブラも抱いているその想いが、マタタビからしてみれば逆恨み以外の何物でもないことは自明である。盛大に沸き立つニグレドを見ていると、否が応でも冷静な気分にさせられた。

 

「…………」

『御前での粗相、大変失礼しました。どうかお許しくださいませ』

「構わないさ」

 

 そして冷静な頭脳でもってタブラはマタタビの脅威に身震いする。

 マタタビは異世界転移からたった数週間で、佐々木正義と所縁を持ったツアーと接触を果たした恐るべき因果の持ち主である。真実を隠滅し続けることは理論上可能であるが、タブラにはいつか必ず彼女が自分に立ちはだかるだろうという強い確信があった。

 

 墓から佐々木夫妻の遺体を持ち去ろうが、死の宝珠を野に放つなどと言う失態を犯さずとも、たとえマタタビがツアーと出会うことがなかろうと、あの死の予言が揺らぐことは無いだろう。

 

 たとえ今、ここから離れて逃げ出したとしてもいつかマタタビの刃は己に届く。彼女の息の根が続く限りは。

 だから――

 

「――迎え撃つほかにない」

『……タブラ様』

 

 覚悟と言うにはあまりにも後ろ向きな、けれど強固な決意を口にする。

 何せ己が自由に生き残る術は、たったこれだけしか残されていないから。

 

 だったら使える手段を全て尽くして待ち構えるのが最善だ。

 

「大丈夫だよニグレド。私は死なない。

 連絡してきたということは、あちらに何か動きがあったんだろう?」

 

『はい、見事にタブラ様の想定の一つが的中いたしました。

 マタタビと白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の戦いが決着してから1時間後、ナザリック地下大墳墓に所属するほぼ全てのシモベが10階層玉座の間に終結した模様です。そして現在、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)の全ゴーレムが起動したことにより内外からの完全封鎖が為されております』

 

「やはり私をNPC達に接触させない気だな? ……あまりモモンガ君らしくはない一手だが。一番マシなのが来たね」

 

『しかし……本当によろしかったのでしょうか? 御身ご自身が御声掛けをなされば、シモベたちはタブラ様を守ろうとするかもしれませんのに』

 

「過信が過ぎます。モモンガさんはギルドマスターとしてあの地を守り続けていた。そんな彼と求心力で競うのは無謀です」

 

『……それは、そうかもしれませんが』

 

 仮にNPCを隔離せず何らかの動きを見せてきた場合は、

『あなたたちは騙されている。モモンガさんはナザリックを独占するためにこの世界に逃げ込んだ。創造主たちに会うためにも、彼を倒すのに協力してほしい』

と、広範囲に〈伝言(メッセージ)〉を拡散させて勢力を分裂させるつもりだった。

 

 多少混乱させることは出来るだろうが、不確定要素が多く期待値は少ない。

 だから向こうから隔離の方向に動いてくれて非常に都合が良かった。

 

「何にせよです。これは明らかに私の存在を意識した動き。やはりモモンガさんが私を仮想敵とみなしているのは、間違いがない」

 

 タブラには、ナザリックが全てな筈だったモモンガの心境の変化を知る由もない。

 ただマタタビという不確定要素の存在があれば、彼にどのような変容があっても全く不思議ではないことはわかる。

 

『なんと許しがたい!』

 

「手を出したのは私が先(・・・)さ。死んでやる気は毛頭ないが……流石にモモンガさんの相手は私の手に余るね」

 

 タブラは飾らずに本音を吐いた。

 

 たっち・みー を筆頭に、ウルベルト、ペロロンチーノ、弐式炎雷、やまいこ、ぷにっと萌え、武御雷、ヘロヘロなど。

 最盛期のギルド:アインズ・ウール・ゴウンには、それはそれは驚異的な能力と個性を併せ持つメンバーが数多くいたものだ。

 

 だが彼らの中で最も敵に回したくないのは誰かと問えば、ほとんどのメンバーが強くモモンガを推すことだろう。

 

 石橋を叩い壊して鉄橋を造るとまで形容された、一切の隙がない強靭な臆病さ。

 蓄積された膨大な戦術知識を活用した観察能力。常にその場においての最善を選び続ける判断能力。高度な駆け引きにおいて、化かし欺く天性の演技力と意外性。

 

 敵に回してこうまで恐ろしい相手はいない。

 たっち・みー を最強と呼ぶのなら、モモンガはギルド:アインズ・ウール・ゴウンにて最恐の存在と言えるだろう。

 

 そんな彼を律儀に相手などしてられるものか。

 

「モモンガさん達の相手はルべドにでも任せるさ。あれでも私の傑作だ。殺せはしないだろうが、十分な時間稼ぎにはなる。

 間も無くマタタビ君は一人で私を殺しに来る。彼女さえ返り討ちにできれば、あとはどうとでも逃げられるからね」

 

 タブラは自身のインベントリに手を伸ばし、黒い文様が施された小さな宝石箱を取り出した。

 

 蓋を開いて中におさめられていたのは、全ての光を吸収する暗黒の宝玉。

 見様によっては球体になり、幾何学を描いた結晶となり、あるいは平面でもあるような掴み処のない謎の物質である。

 見る者に狂気を抱かせるこの宝玉こそが、起動兵器ルべドの最上位指揮権を保有する操作端末であった。

 

 タブラは手に握ったソレを一瞥してから、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉に写るニグレドを見上げた。

 

「意外ですね。君はルべドのことが大嫌いだったはずなのに、反対しないのかい?」

 

『私が常々ルべドを嫌悪していたのは、彼女がナザリックを脅かす存在であると深く確信していたからです。

 今よりタブラ様の御意思によってナザリックを脅かすのであれば、ルべドはこの上なく役立つことでしょう』

 

「はは、なるほどね」

 

 思わず嗤わされたので、タブラは初めてニグレドの評価を上方に修正した。

 

『タブラ様の本懐はマタタビの抹殺ですよね?

 しかし本当に、マタタビは一人で来るのでしょうか。はっきり申し上げますと、後詰が居た場合タブラ様単騎での勝利は非常に厳しいかと』

 

「マタタビ君の単独襲撃は確定です。私を殺すには一番確実でもあるし、根本的に彼女の性格では他の選択肢はありえません

 それは私が一番よく分かっている(・・・・・・・・・・・・)

 

『しかし……』

 

 ニグレドの不安はもっともであり、客観的にタブラの言い分は論理性を欠いていた。

 もしタブラがマタタビの立場なら、明らかに待ち受けているタブラを一人で殺しに向かうことは無いだろう。自殺志願者でもない限り、誰だってそうだ。

 

 だが相手はあのマタタビである。感情の怪物でもある彼女には、一般的な論理性を当て嵌めてはないらない。

 マタタビは絶対一人でタブラを殺しに来る。

 

 そしてモモンガがNPCを動かしたのは、マタタビの動きに合わせて仕方なくと言ったところだろう。

 

「0には何をかけても0でしょう? 同じことです。あの二人が連携して動くなど、天地がひっくり返ってもあり得ません」

 

 いくら予想不可能なマタタビでも、この1点だけは揺るが無い。

 寧ろこの原点が揺るが無いからこそ、マタタビの行動は予測が出来ないのだ。

 

『確かに』

 

 ナザリックでのマタタビを知っていたことで思うところがあったのか、ニグレドは深く頷いた。

 

「……さて、そろそろかな」

 

 タブラは先ほどからの寒気が強くなる感を憶える。

 

 城に備えた罠類は一切起動していない。しかし、タブラの中にある大きな一つ(・・・・・)が襲撃者の接近を声高に告げていた、酷く懐かしい感傷と共に。

 

「ニグレド、間もなく君の元にも刺客が来るでしょう。そして間違いなく殺される。覚悟しておきなさい。もう逢うことは無いだろう」

 

『……我が役目はここまでと言うことですね? 承知しました。最後にタブラ様の御尊顔を拝見できましたこと、そしてお役に立てましたこと、深く感謝申し上げます。そして御武運を祈りましょう、我が創造主よ』

 

 ニグレドはタブラからの用済みと死の宣告を、意外とあっさり受け入れた。

 目に宿る狂気の灯は掻き消えて、生々しくも穏やかな死に顔をタブラに見せる。

 

「…………」

 

 思わず、怖気が走った。

 

「ありがとうニグレド。さようなら」

 

 これ以上道具(彼女)に気を遣っても得はない。

 ただ己に残る僅かな人間性の残滓が、タブラの喉を震わせたのだろう。くだらない。

 

 〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉と〈伝言(メッセージ)〉が途切れ、室内に静寂が舞い戻る。

 

 タブラは即座に次の〈伝言(メッセージ)〉を発動させた。操作端末である宝玉が怪しく輝いて、魔法効果と連動する。宛先は言う今でもなく8階層に待機しているルべドであった。

 

「最上位コードSS。モモンガを殺せ。殺し尽くせ」

 

『コマンド受領。承知しました、ギルドマスター:モモンガを排除します』

 

 合成された人間味の無い女声が返事を返す。

 

 タブラは即座に〈伝言(メッセージ)〉を打ち切り、溜息をついた。

 

「〈上位道具破壊(グレーターブレイクアイテム)〉」

 

 握っていた宝玉が跡形も無く砕け散る。

 これでルべドは壊れるまで止まらないだろう。あるいは、モモンガが死なない限りには。

 

「うん、これで良し!」

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 マタタビの愛好する恋愛漫画には、一目惚れと言うテンプレート展開が遍在します。

 

 通学中に「遅刻遅刻~!」と慌てて駆け出すヒロインが、曲がり角でぶつかった男子に一瞬でときめくアレですね。

 あのチープで薄っぺらくて砂糖吐きそうになるアレですね。

 

 もちろんこれは賛否両論ある展開。

 作品としてより多くの人の心を掴むのならば、少しずつ説得力ある描写を重ねて丁寧に想いを育む展開のほうが推奨されることでしょう。

 もちろんマタタビはソッチの展開も大好きである。

 

 しかし、頭を空っぽにして目の前の相手に脳みそピンクになる主人公ちゃん。

 そんな彼女に自己投影する感覚にしか獲られない栄養素もまたあると、マタタビは強く強く想うのである。

 

 今を生きる大多数の者達がそうであるように、マタタビは自分が何のために存在しているのかよくわからない。

 あるいはこれまで生きてきた軌跡を悔み、生まれてこない方が良かったかもとすら思うくらい。

 

 だから誰しも、存在意義が確定することを渇望する。

 天啓だろうと運命だろうと、薄っぺらくたって何でもいいじゃないか。もしも自分が彼女のように、「自分はこの人に恋するために生まれてきたのだ」と心の底から実感できるなら、それはどれだけ幸せで、そして安楽なことだろう。生き易そうで心の底から羨ましい。

 

 

 かつて、そんな風に思って時期が、マタタビにもありました。ええ若かったですよ数か月前の自分。そりゃ自分若者ですから。

 

 

 そして今更マタタビは、フィクションと思われていた一目惚れを我が身で強く実感してる最中でございましたとさ。

 

 半分冗談です。あーいやこれ違うな、うん。真逆。

 

 

 歩いているのは、朝日が刺した春風が気持良い通学路ではなく、厄介なアンデッドたちがはびこる地下迷宮。即死級の罠もあちらこちらに設置済み。

 

 そんな通路の曲がり角でマタタビが見出したのは、決して心ときめくイケメンさんなどではありませんでした。

 

 

 えー第一印象は、何と言うべきでしょう? そーですねー。

 

 前に、9階層の食堂で美味しいアイスパフェを食べたことがあったんですよ。

 濃厚なソフトクリームに甘酸っぱいイチゴとチョコがトッピングされた、甘くて蕩ける様な絶品なアイスパフェ。

 マタタビが9階層で初めてソレを食べた時は、もうほっぺが落ちるほど美味しくて、他メイドさんにドン引きされるくらい大声挙げちゃいました。そのくらい大好きで一生忘れられないほどの味なんです。この世の幸せはパフェにあったのかと、魔境を悟ったくらいです。

 

 

 で、今の気分はと言うと、そのパフェを、蠅がたかる腐った糞溜めにひっくり返された感じ。

 もっと言えば、その不快感を何百倍にも何千倍にも増幅させたかのような気持ちです。

 

 

 

 わかりづらい? そうですか。では一言で言いましょう。

 

 

 

 

(殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる)

 

 

 

 

 あなたのことを一目見た時から、ぶち殺してやろうと思いました。

 

 私はきっと、あなたを殺すために生まれてきたのでしょう。生きる意味をくれてありがとう、そして死ね。

 

『あんた、バッカじゃねえの?』

 

 

(っ!)

 

 耳障りな誰かの心の声に反応し、マタタビは我を取り戻す。

 

 

 ユグドラシルにて育まれたマタタビというアバター(肉体)は、殺戮(PK)に特化した存在である。

 備える能力そのものは、ケット・シーとしての感知能力を強化した純盗賊職のサポートタイプ。しかし、何千回と繰り返し肉体に染みついた殺戮(PK)の感覚が、この世界に実体として受肉した際に大きな影響を及ぼしたのだろう。

 

 マタタビはただ強く殺意を念じただけ。ただそれだけで理性と意識が弾け飛んで、思い浮かべる情景が既に現実と化していた。

 

 

 気が付けば刀を握り、黒曜石の台座の裏にもたれかかって、正面に座していたタブラ・スマラグディナを台座ごと刺し貫いていたのである。

 剣先の感触は確実に心臓を捕らえていた。

 

「……ゴプッ!?」

(!?)

 

 不思議なことに、皮肉なことに、襲撃者と被害者の動揺は見事にシンクロしていたりする。

 しかしそんなマタタビの心を置き去りに、死神の体が勝手に動き刃を振るう。

 

「ッ!!」

 

 今度はタブラが座す玉座ごと、豆腐のように切り裂いてタブラ・スマラグディナの背中を一閃。気色の悪い真っ青な体液が飛び散った。

『斬り傷が浅い。バッシブで斬撃耐性つけてる。毒は入れたけどすぐ動く。反応を許すな。息もさせるな』

(わかってます!!)

 

「〈光輝(ボディ・オブ)ガッ!?」

 

 咄嗟に足を蹴り廻し、こちらへ振り向きかけた憎きタコヘッドの側方へ。

 この瞬間シューズに仕込んでいたノックバック(吹き飛ばし)効果発動。そのまま頭を床に叩き落す。石畳にキスさせて一瞬でも長く口を塞ぐ。

 

「『瞬間換装』金属バッド!!」

 

 即座に金ぴかに輝く細長の槌を換装し、うつ伏せになったタコヘッドを滅多打ちに叩きつける。しかし殺しきるには

『まだ足りない』

 まだ足りない

 

 バッドを放り捨て、タコヘッドの上でノックバック(吹き飛ばし)シューズを両足交互にステップし続ける。

 HEYタコ野郎、延々と床に押し付けられる気分はどうかしら。

 

 空いた両手でインベントリから引き出したのは刀身2m近くの大太刀大山祇(おおやまづみ)と1枚のスクロール。

 盗賊のスキルによりスクロールの使用条件を踏み倒し、発動させる。

 

「〈超重力(スーパー・グラビティ)〉」

 

 魔法効果により一定範囲の重力が数倍に膨れ上がる。もちろん魔法耐性によってタブラは抵抗(レジスト)可能だが、全く問題ない。

 

 (くたばれ(『くたばれ』))

 

 狙いは言うまでも無く、大山祇(おおやまづみ)の運動のエネルギーを増幅させることだから。

 重さこそ力。腕力で刀を振るのはド素人のする真似である。

 振り上げた大太刀は過重力によって加速して、斬撃耐性を貫通し忌々しいタコヘッドを斬り飛ばした。

 

 

「ま、そんな簡単に終わるわけがないか」

 

「これは飛んだご挨拶だ」

 

 次の瞬間タブラの死体は、飛んだ首ごと靄となって掻き消える。

 そしてマタタビが切り崩したはずの黒曜石の台座と共に、タブラ・スマラグディナは健在な原形を取り戻した。

 

 

「うーん、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉? 事前に仕掛けてデストリガーで復活するようにしたんでしょ」

 

「良くわかったね。魔力系の魔法詠唱者(マジックキャスター)は間合いを詰められればまず君に成す術がないから。

 残機の一つでも無ければ勝ち目がないだろうから。」

 

「2つめや3つめもあるの?」

 

「かもしれないね」

 

 タブラははぐらかすように首を揺らした。

 しかし残念ながら、マタタビにポーカーフェイスが効くのは『読心感知』が効かないアインズ様だけである

 嘘特有の心の揺らめきが、マタタビには手に取るように理解できた。

 

「わかった。流石にありえ無いよね。

 そういえばあなたの基礎レベルが100から一切減ってないし、何か代わりのモノで経験値を消費したのかな

 例えば、私たちのいる床下に敷かれたガラスくずとか?」

 

 先ほどタブラを押し付けた床穴を覗くと、まるで屑になったアメジストの欠片がきらきらと敷き詰められていた。

 多機能探知アイテム『地味子の眼鏡』を起動させると、一つ一つが極小の経験値を吸収できるマジックアイテムのようである。世界級アイテム【強欲と無欲】の超々劣化版のようだった。そしてほとんどの粒たちが既に経験値を抜かれた後のようである。

 

「わかったわかった。君にお為ごかしは無駄ですね。全部、君の目算通りだよ。相変わらずの眼力だ」

 

 問い質し続けると、流石に参ってくれたのか彼はあっさりと肯定してくれた。

 

「お久しぶりですね、タブラ・スマラグディナ」

 

「ああ、()も元気そうで何よりだよ。小さい頃から、まるで変わってないね」

 

 余りにも見え透いた挑発だった。

 でも私は乗らざる得ない。私が私である限り。

 

「うふふあは、アハハ! アハハハアハハアハハハ!!」

 

 思わず腹を抱えて私は盛大に大笑いしてしまう。

 可笑しくて可笑しくて、どうしようもなかったから。

 

「ホントに、生まれて初めてですよ、誰かを殺したくなるほど憎んだことは」

 

 一しきり笑った後で、マタタビはインベントリに手を突っ込んで別の刀に持ち変える。

 さすがに大太刀は威力重視以外の時には使いづらいのだ。

 

「では、死んでください」

 

 体制を整えてから、己を一発の弾丸だと思い込み一直線に憎きタコヘッドへと斬りかかった。

 今度は一定の距離がある。防御の魔法を整えることも十分に可能だろう。

 

 しかし実際のところ何が来るのか、マタタビは薄々確信していた。

 

「〈完全なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉」

 

 ほら、やっぱり。

 

 彼は魔法発動と同時に、懐に刺していた木の棒3本ピキリとへし折った。

 アレは、マタタビの使う『瞬間換装』と同じ効果を持つ課金アイテムである。

 

 間も無くそこに現れたのは、真っ白な竜骨製の全身鎧(フルプレート)を纏うおぞましくも精悍な戦士だった。

 

 戦士はマタタビの無鉄砲な一撃を、軽々と剣で受け止めて見せる。

 

 ああこの佇まい、完璧なまでの絶望感。なんて懐かしく悍ましいこと。

 

「ねぇ、私の父さんと母さんを殺したのってタブラですか?」

 

「そうですよ」

 

 一目見た時からわかり切っていたことだった。

 タブラが父の死体を貪っていたことくらい。

 

 そしてたった今の問答で、彼がどうしようもなくマタタビの敵であるのだと心の底から納得した。

 




タブラ様の行動年表は活動報告に載せてます

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