【マタタビの至高の41人大百科】
No.14:ヘロヘロ
穏やかで人当たりの良い性格。仲間同士の和んだ雰囲気を好み、マタタビとの相性は非常に悪い。
彼の選んだスライム種族である古き漆黒の粘体《エルダー・ブラック・ウーズ》は、酸攻撃に特化した能力だ。それをモンクの打撃攻撃と併用することにより、凶悪な武器破壊能力を実現させている。
DMMORPG『ユグドラシル』には数多くの職業と種族があり、個々人でプレイスタイルは多岐にわたる。その中でも武器破壊というただ一点にのみ特化させたPVP用の能力編成を選び取ったその真意や如何に。彼もまたDQNギルド、アインズ・ウール・ゴウンの立派な一員なのだろう。
PVPでマタタビの武器類を嬉々として破壊しつくした姿からは、非常に陰湿な面が明らかに垣間見えた。制作NPCであるソリュシャン・イプシロンの性悪さはかなりの部分で彼の性質由来なように思う。
◆◇◆
『世界核子』
天高く浮かぶ白竜ツアーがポツリとそれを唱えた瞬間、マタタビの生存本能はうるさいほどの大警鐘を心音と共に鳴らし始めた。
その魔法がどんな効力なのか、マタタビは知らない。
けれども、まるで花を見て思わず心安らぐように、赤いカエルを見て毒と気付くように、原初の階層意識に刻み込まれたマタタビの何かが声高に叫ぶのだ。
全力で身を守れと。
だからツアーの業がその効力を発揮させる直前まで、マタタビは全力の防御態勢を整えた。
スキル『瞬間換装』で防御力の高いメイド服に着替え、シャルティアさんから返してもらった盗賊用の盾キトンシールドを装備。
魔法スクロール〈
忍術〈口寄せの術〉で防御特化68レベルモンスター大福招き猫を召喚し、念のため〈不動金剛盾の術〉で物理防御を整える。
更なる防御を重ねようとした直後、それは起きた。
天蓋を滑空するツアーのシルエットが太陽の如き極大光となって、あまねく領域をその破滅の光が包み込んだ。
急造した防御のこと如くが打ち砕かれたその刹那、マタタビの脳裏に走馬灯の如くかつてのとある記憶が蘇る。
◆
懐かしさよりも苦さが勝る、不愉快極まりない思い出である。
この世界に訪れるより数年前。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが前身、旧クラン:ナインズ・オウン・ゴールにマタタビが在籍していた頃のことだ。
ウルベルトや建御雷と同様に たっち・みー に対抗意識を燃やしていたマタタビは『平和の御旗』で1対1のPVPを申し込んだのだが、まぁ案の定ボロ負けした。
もちろん、それなりに準備したつもりだったのだけれどね。
事前に彼が纏う
自分でもらしくないくらい石橋を叩いて慎重に立ち回り続けたのだけれども、しかし全く歯が立たなかった。
すべての対策と罠と準備を真正面から踏みつぶされて、この上なくあっさりと完敗したのである。
『……もういいや』
自分の真っ赤なHPバーがゼロへと擦り切れた瞬間に、マタタビの中の何かがポキリと折れたような気がした。
もう何をやっても彼には勝てっこないのだと。あるいはとっくに消えかけだった彼への闘争心が、すっかり燃え尽きてしまったのである。
やれるだけの手を尽くして届かなかったのなら、心残りのしようがない。どれだけ空に手を伸ばしたって何も掴めやしないのだ。
そうしてマタタビは彼との関りを心の中で完結させる。ユグドラシルを始める前から続いていた父との絆にけじめをつけたのだった。
もう悔しさの欠片だって残されていなかった。
なのに何で、なのに何で――
『なんで勝った方が悔しそうなのよ』
勝者な筈のワールドチャンピオンは力なく項垂れていた。
仮想のゲームアバターでしかない立ち姿から、辛気臭い悔恨が放たれている。
『悔しいに決まってる。親として師として、その素晴らしい才能を育て切ることが出来なかったんだから』
『何のこっちゃですね』
『剣を一切使ってこなかっただろう。ひたすら距離をとって、直感と反射神経とアイテム頼りの戦い方だった』
『ユグドラシルは剣道と違うんだから。前衛戦士に真正面から挑む盗賊がどこにいるの』
『ごもっともだ。だけど私は知っているから、悔しくて仕方ないんだよ。桜はホントは正面勝負が一番強い。
なのに私が君を……』
『嫌味はよして。あと名前を呼ぶなクソマサヨシ』
◆
『世界の守りが発動されました』
全身を満たす光と音の奔流の中で、場違いな機械音声が頭に流れこむ。
その間違いなくユグドラシル由来なナレーションと共に、マタタビの体は謎の障壁に包まれて大衝撃が遮られた。
敗北を覚悟したものの、どうやら死の予感は外れてくれたらしい。
アルベドさんが貸してくれた【
スレイン法国の文献によると、
だから世界級アイテム保持者同士が他の世界級アイテムの効力を無効化できるのと同じ原理で、
ワールドエネミーじゃあるまいに、それにしたって今の破壊力はたかが一個人が放ったものだとは信じられなかった。
光が止んで開けた視界に広がるのはガラス化した焦土。平和の御旗の限定領域である直径300メートルの地表が、まるでスプーンに掬い取られたような巨大クレーターとなっていた。
もしこれを生身で受けていれば、マタタビの場合10回死んでも足りないぐらいだったろう。
だからマタタビはこの場にいない恩人に声を掛ける。
「ありがとうアルベドさん。さて」
体にも、特に異常は無い……はずだ。
上空から見下ろすツアーの様子は、マタタビの無事を思った通りと言わんばかりの態度だった。
始原の魔法は経験値消費による大技だ。それもこれほどの威力のモノを使ったのならば、絶対に狙いがあるはず。
しかし情報不足で相手の手札が読めないのなら、とりあえず動いてみてから考えよう。下手にあれこれ考えるよりは脳筋先生万歳である。
「『瞬間換装』学生服!」
防具であるメイド服から動きやすい衣装に着替えるマタタビ。
ふっと息を吸い込むのと同時に、地面の中から駆動鎧が飛び出して斬りかかってきた。ご立派だった鎧の外装も流石にあの爆発に飲まれては無事じゃすまなかったらしく、ところどころ穴が開いたり欠けたりしてる。
既に『読心感知』で知覚していたマタタビは僅かに半身を捻って回避し、がら空きの胴体に
明後日へ吹き飛んだ鎧の次に、今度は上空から流星の如く降下するツアーの竜爪が迫り来る。
この世界に一切の空気抵抗は存在せず、膨大な竜体の質量を重力加速で存分に上乗せした、100レベルプレイヤーでも一撃死レベルの強大な一撃だ。
「当たらないね、そんな大振り」
躱すためにマタタビが大きく跳躍したあとの地面は、大爆発と見まごうような衝撃によって蹴散らされた。
そして彼の猛攻は止まらない。
「GA!」
今度は爆ぜた土埃を飲み込むように、飛び上がったマタタビ目掛けて白金色の火炎が放たれる。
マタタビは前と同じく水遁忍術で相殺しようと印を組むが、自分の中のMPがうまく流れないことに気付く。
「嘘でしょ!?」
MPが操れないという信じられない緊急事態に脳は混乱する。なにせユグドラシルではまずあり得ない事だ。
これがマタタビが知りえない始原の魔法の効力で、先ほどの大爆発はその下準備だとでもいうのか。
考えながらも反射的に両腕で顔面を覆うが、マタタビはモロにツアーの白炎に受ける
火炎吐息の威力自体はツアー自身の体力と共に減衰しており、今のところは第5位階魔法と同じ程度。
されどハイスペックな能力値から算出される基礎威力はなお強力で、まして受け手であるマタタビの耐久値はアインズ制作の量産デスナイト1体と等しいほどに貧弱だった。
「あ゛あ゛あああ゛あ゛づい゛あああ゛!!!」
熱い、痛い、ヤバい。
意識がぶっ飛びそうになるような苦痛に喘ぎながらも、HPレッドバーのところでギリギリ攻撃を堪え切った。
「あ……あぁあ」
肌が焼け付いてひりひりする。目を開こうとしたが、瞼の肉が焼爛れくっつき開かない。
マタタビは苦痛に朦朧とした意識の中で、頭上から振り落とされる尻尾の叩きつけを気配感知で右に避ける。
よろけて倒れこむようにして右方に傾き、背中を向けて全力疾走。
距離をとるために走りながら、片手でインベントリに手を突っ込み様々なアイテムを検証する。
MPを扱う忍術、使用不可。
武器に宿る魔法効果、基本的に使用可。ただしHPとMPを吸い上げて威力を上げる武器の魔法効果、MP吸収のみ無効。
治癒魔法と同一の効力を発揮する回復ポーション、使用……可!!。
ポーションが有効であると理解したマタタビは、さらに即座に最高級品四本を掴み取る。
「させるものか!」
「ッ!! うっ!」
追い立てるように邪魔する駆動鎧の剣群掃射を避けて躱しながら、回復瓶を握りつぶして自分の頭上に浴びせかけた。
「……死ぬかと思った」
「ッチ」
治癒効果は正常に働いた。傷はふさがり爛れた瞼がぱっちり開く。
焼け付くような肌の感触も元通りになり、コンディションがばっちり回復。
「今度はこっちの番ですから」
駆動鎧は眼鼻の先だが、ツアー本体からはかなり距離が取れてる。
だからマタタビはインベントリから前にも使った封印札を取り出した。
以前も使ったこの魔法効力を無効化する札は、希少素材である
「またその札か」
魔法行使やMPを介する効果は何故か使えなくなっているが、アイテム単体の効果ならちゃんと使えるのは分かっている。
「有効打を出し惜しむ訳ねぇでしょ、ほら」
懐に迫り直接ぴたりと張り付ければ、マジックアイテムである駆動鎧は操り糸が切れたように力無く地面に崩れ落ちた。しかし――
「GAAAAA!!」
後衛位置のツアー本体からこちら目掛けて火炎吐息が吹きすさぶ。
マタタビは即座に離脱するが、駆動鎧はそのまま炎に飲み込まれた。貼り付けた封印札が燃えて灰へと掻き消える。
「やっぱ同じ手は無理ね」
いくら封印札と言えど、物理的に燃やされてしまえばどうしようもない。
そして封印という手段が取れなければ、HPという概念の存在しない駆動鎧への対処法は更に限られてくるだろう。何せこいつは本体のツアーが無事ならば、焼かれようが槍に刺されようが二つ分断されようがゾンビのように動き出すのだから。
「『世界移動』」
解き放たれた駆動鎧は、空間転移でマタタビの背後へと回り込んで両腕で黄金剣を振るって斬りかかった。
すぐに振り向き刀で受けるが、浮遊する剣群と再びの火炎放射が迫り、マタタビは距離を取らされる。
流石に息が上がったマタタビは「平和の御旗」の領域境界、半透明の壁に背を預けながら溜息を吐いた。
「だっる」
なるほどこのまま鎧の強靭さを担保にし、転移と剣群の手数と本体からの後方支援で持久戦を続けていれば、MPと魔法行使を封じられたマタタビはいずれ負けるかもしれない。
さっきのように一撃もらえばマタタビには致命傷なのだから。
ああなんて不思議な戦い方なのだろう。
本当は本体の方が強いのに、安全性を取って駆動鎧任せの戦い方。臆病で堅実で正しい在り方を愚直なまでに貫いている。
何かを恐れて自分が動くのを躊躇する、まるで彼の生き方そのもののようだった。
だってツアーはずっとずーっと何百年も昔から、聖堂に籠りきりなのだから。
父さんに呼ばれるまで駆動鎧を出すこともせず、今日マタタビが問いかけるまで本体が動くこともなかったのだから。
「ねぇツアー、竜帝の子。どうしてあなたはプレイヤー転移現象の手がかりを知って居ながら、父さんと母さんに何も言わずに黙ってたでしょうか」
「…………」
むっつりと閉口するツアーだが、マタタビは彼の感情を手に取るように感じ取れていて、そしてその内情にも大よその検討が付いていた。
「怖かったのでしょう? 八欲王も魔神戦争も、そして我が一家の離散問題も、全ての問題の元凶はあなたの父である竜帝の仕業だ。
それを知られたら、父と母から嫌われてしまうかもだから。
いやまぁ、人間出来てる両親に限って嫌ったりすることはありませんがね。
けど今の私がしたように始原の魔法の力を乞われるのは当然の成り行きです。あなたが恐れているのはそこでしょう?」
自信を込めた推測はどんぴしゃりと的中する。
ツアーは嗤うように苦く笑って、閉じていた口先を開き始めた
「ああそうだ、知っていたんだ。私の力が彼らの望みをかなえられる可能性があることを。
だから怖かった。私も父である竜帝と同じ過ちを起こしてしまうのではと、そう思わずにはいられないから」
「だからあなたは今ある世界の平和のために、私の両親に何も言わずに黙ってたと。やっぱりそういうことなんですね」
「見殺しにしたと言っても、差し支えないだろうさ。いうなれば私は君の親の仇。憎んでくれて構わない」
「あほ。精々が親の仇の子供だろ。そも竜帝さんとやらにしたって、今の私の眼中にはない」
堂々と罪科を背負い虚勢を張るツアーの姿は、まるで自分の鏡を見ているようだった。
馬鹿だなぁ。ツアーもマタタビも、簡単に人のせいにできるチョロいメンタルだったらば、こんなに拗らることは無かったでしょうに。
「君がどう思おうが気にしない。
私のかつての仲間には竜帝のことを知っていた者が居てね。君の両親の死後に私の正体を明かしたところ、ものの見事に全てを見抜かれた。そして裏切り者の烙印を押されてしばらくは仲間じゅうから総スカンさ……ハハハ。あたりまえだよね! 今でもリグリットには正体を隠してた事ぐちぐち言われてるぐらいだからさ」
「あっそ」
「だからマサヨシとトウコの願いを握りつぶした私にできるのは2つだけ。竜帝やプレイヤーの如き私的な力の乱用を、自他ともに決して許してはならないこと。
そして彼らが救った素晴らしいこの世界を何としてでも守り切ること、それだけだ」
「なるほどね、くそ真面目野郎ですか」
マタタビは、断片的なツアーの生涯の道筋を思い起こし、それを一本の線になるよう頭の中で紡いでいく。
世界を混沌に貶めた竜帝を父に持ったことへのコンプレックスと、そして同じ力を受け継いだ自身への自己嫌悪。
500年前、ツアーが真なる竜王の中で唯一八欲王たちに挑んだのは、きっと責任感によるものだ。
そんな性格に目をつけられて、没落した八欲王の従属神から体よくギルド武器を押し付けられた。
竜帝や八欲王のようにはなるまいと意を決したツアー。ストイックな彼は外界への興味を一切断ち切り、何百年も宝物に囲まれ聖堂の中に引き籠る。
『結局他の竜王たちと同じく力があるだけのくだらない存在だったんだね』
『……なんだって?』
そんな折マサヨシ達との出会いによって、断ち切っていたはずのこの世界そのものへの強い愛情が芽生えることになる。
だがそんな世界への愛を貫くためには、それを教えてくれたマサヨシ達との友情を裏切らなければならなかった。自分が竜帝と同じ過ちを成さないために。
友を裏切り世界の平和をとったツアーは、罪悪感と正義感を拗らせ今現在に至ると。大よそそんなところだろうか。
この推測がどれだけ当たっているかはわからないが、なんにせよ一つ言えるのは
「ツアーってかなり面倒くさい奴ですねー」
「世界で一番君にだけは言われたくない」
「どうかな。流石に数百年単位の生い立ちでこじらせる奴なんて見たことねぇですから」
マタタビやアインズ様も大概だが、コイツもコイツで随分面倒くさい性根になってしまったらしい。
この3者の共通項がある人物の存在であることを想うと、なかなか笑える話だった。
「昔から、こうなんですよ。父さんに深入りでかかわった連中は老脈男女全員が全員拗らせる。
小さい頃からずっと見てきた私が一番よく知ってます。あれは我が親ながらとんでもない魔性の男ですよ」
「なら君は父親似だよ」
「……ご冗談を。殺すぞ」
似てるなどと宣うツアーの心無い言葉を皮切りに、マタタビの体が芯から熱くなってくるような気がした。
でも今はそんなちゃっちいことに構ってる場合ではない。
ようやくだ。ようやくツアーのことを解ってきたような気がするのだ。
彼がこれまで何のために何と戦ってきたのか。
そんな彼相手にマタタビが、己の望みを押し通すには何をしなくちゃいけないのか。
どうすれば、頑なな彼の心をへし折れるのか。
「お喋りはここら辺にしましょうか」
考えた果て結局のところ、マタタビが為すべき勝利はたった一つだけだった。
「覚悟しやがれ世界の守護者。あなたに世界は守れない」
「小娘が、やってみろ!」
マタタビは腰かけていた領域の障壁を、両足で垂直に踏みつける。
それから全身をバネの反作用のようにして、水平方向に向かって跳躍した。
己は弾丸。飛んだ勢いに自分の足が置いて行かれそうになるほどに、ただまっすぐに狙いに向かって射出する。
先の狙いは、ツアー本体ではなく駆動鎧。走力の勢いそのままに、ノックバック効果を上乗せしたスタンプキックをお見舞いだ。
「せい!」
魔法効果による吹き飛ばしとマタタビ自身の最高速力が上乗せされた勢いは、駆動鎧を反対側の障壁に叩きつけるに至らしめた。糸が切れたように空の四肢をグニャグニャ回しながら、ガシャガシャと金属音を鳴らす。
ダメージは殆どないだろう。しかしツアーの認識が追い付かない今のうちに、マタタビは両手にメリケンサックを嵌めリボルバー拳銃を握りしめた。
それから至近距離まで接近。駆動鎧の流麗な外装にむかって、マタタビは残段数6分の5を発射させた。
もちろんガンナークラスを取得してないマタタビの銃撃威力などお察しだ。格下の敵すら満足に屠れないし、火力だけなら手裏剣の方がマシなくらい。
しかしそれでも、この攻撃には意味がある。
放った大粒弾丸にある細工が仕掛けられているからだ。
「……酸か」
「そゆこと」
被弾した鎧の個所からジューと悲しい煙が昇り、白金色の御立派な駆動鎧はその耐久値を削られていく。
高レベルダンジョンにのみ生息するスライム種最凶モンスター古き漆黒の粘体《エルダー・ブラック・ウーズ》。
ナザリックの旧ギルドメンバーヘロヘロと同一種族のそいつらから低確率でドロップできる、何でも溶かす最強酸『
それをこの弾丸に込めて撃ち放ったというわけだ。
それからマタタビは全身の力を抜いて、大きく息を吐いてから拳を固めた。
「なんちゃって怒りの鉄拳!!」
メリケンサックにHPを吸わせ、衝撃波をまとわせて両手でがむしゃらに連撃を放つ。
ツアーの『世界核子』に巻き込まれたダメージも合わせ、あれだけ頑丈だった駆動鎧にひびが走り、まもなく胸板に大穴が開いてバラバラに砕け散った。
これぞヘロヘロ式武器破壊術。ユグドラシルにて数多の前衛プレイヤーたちを苦しめてきた史上最悪の戦術。
ヘロヘロと仲の悪かったマタタビ自身、PVPで何度も痛い目を見させられてきたものである。
だからマタタビもその技を流用し、ユグドラシルでは100個近いギルド武器を同じ方法で破壊してきたものだった。
「ヘイヘイツアー、ビビってるぅ~♪」
「黙れ、ギルド武器は壊させないよ。私の魂に懸けてね」
スキル読心感知とマタタビの勘が、駆動鎧を破壊されたことへのツアーの畏怖を感じ取る。
マタタビの狙いを知っているのだから、そりゃあ否が応でも連想してしまうだろう。
◆
マタタビの戦闘における本領は、どちらかと言えば閉所の屋内戦にある。
それでもわざわざツアーが座していた聖堂の中ではなく、こんなだだっ広い平原で戦いに申し込んだ理由。それはもちろんツアーの持つ八欲王のギルド武器の在処を探るためだった。
ツアーが聖堂という場所でギルド武器を守護してるなら、考えられる在処は二通り。
一つは聖堂内部のどこか。もう一つはツアー自身が腹かケツ穴にでも隠し持っているか。
これを確定させるためだけに、あえてツアーに有利な屋外戦を申し込んだワケ。
結果的に彼がマタタビを伴って外に出てくれたから、十中八九ツアーが武器を持っていると確定した。
まさか留守の場所に世界滅亡スイッチを置き去りにするわけがないだろう。念のため留守番を任されたアクターさんがマタタビの姿に変身して、聖堂内を物色させて何も見つからないことを改めて確認してくれた。
それを〈
あとはマタタビがツアー自身の手札を削り、確実なタイミングを見計らって〈最上位窃盗〉でギルド武器を奪い取る。
これが最初から考えていた大よその作戦だった。
(ま、結構しんどいんだけどね……)
ただでさえ、今までの戦闘経過はその全てが一切綱渡り。MPを封じるという未知の手段や、彼自身の戦闘経験の豊富さになんども死にかけたものだった。
それに、鎧を壊して得意げに壊してやったはいいものの、実はマタタビにとっては駆動鎧とツアー本体のコンビネーションよりずっと、ツアー単体を相手取る方が遥かに手強かったりする。
パワースピード耐久値にHP。無限撃ち出来る火炎吐息と高い制空能力。常識破りな壊れ能力満載の始原の魔法。
実際に戦った感触からして、ツアーの能力の総合値はワールドチャンピオンであった全盛期たっち・みーとタメを張れる。
そんな彼の最も恐ろしい点は、決して自分の能力に慢心しないところだった。
平均レベルが50を遥かに下回るこの世界にて、100レベルクラスの存在が油断と慢心を断ち続けるのは決して容易ではない。転移直後のナザリックの守護者たちやマタタビ自身がいい例だ。
だが彼は500年前八欲王たち生存競争に身を投じたことで、同格との戦い方を魂に刻み込んだ経歴がある。また、魔神戦争に参加したことで様々な能力者の知見を得たことも非常に大きい。そこにおける本来の意味での経験値の蓄と質は、お遊びでしかないユグドラシルとは訳が違うのだ。
あるいはそれは、ユグドラシルを人生そのものと捉えていたアインズ様の在り方と非常に似通っている様な気がした。
(二人がまともに出会って居たなら、仲良くなれたかもしれねぇですね)
こんな化物にどうにかマタタビが食らいつけていた理由は二つだけ。
一つはドラゴンという巨体種の性質上、スピードと小回りの利くマタタビのような相手の対処が苦手だったこと。
そしてもう一つは、彼がマタタビとの接近を過剰に恐れ、対処が楽な駆動鎧の遠隔操作を主体に戦ってくれていたからだ。
後者は当然、そうなるようにマタタビが仕向けた。
戦闘序盤、マタタビが片腕と神器武器2つを犠牲にしてまで彼の片目を奪ったのは、ツアー自身に臆病風を吹かせるため。わざと大きな声でアクターさんとの〈
それでも、けれど、重ね重ねでくどいけど、マタタビは何度も何度も死にかけた。
間も無くホントに死ぬかもしれず、偽りの死でも怖いものは怖かった。ただ死の恐怖を超越して、彼に勝ちたいという思いがマタタビを戦いに赴かせる。
アインズ様の名に懸けたのだ。敗けられるはずが無いだろう。
◆◇◆
ツアーは己が極めて冷静さを欠いてることを自覚する。
竜の心臓は焼爛れるような苦痛で鼓動を速め、滝汗が鱗から流れて極寒に投じられたように身が強張った。
こんなことなら初志貫徹して挑戦なんて受け入れるべきではなかったと、ツアーは情けなく過去を悔いた。
そもそもこの戦いは、ツアーが抱えていた佐々木一家への負い目のために、サクラに対しての気持ち程度の償いとして引き受けたものだ。
そんな傲慢な心情の隙をつかれて、ツアーは今かつて無いほどに追い詰められている。心情的にも状況的にもだ。
竜帝の所業の暴露、佐々木一家への罪悪感、犠牲をいとわずツアーの眼を刈り取る狂気、巧みな戦闘経験による隙のない立ち回り、ギルド武器を奪取するという末恐ろしい最悪の魂胆、見せしめのように駆動鎧を破壊して見せるパフォーマンス。
サクラの全ての立ち振る舞いが、ツアーの闘争心をどす黒く塗りつぶし、心を折ろうと図ってくる。
確実にわかるのは、すべてが彼女の手のひらの上ということ。己が負けるかもしれないこと。
消えかけの灯の如き、わずかに残るツアーの矜持が辛うじて意識をつなぎとめる。
しかし迷いと恐怖に濁ったツアーの隻眼は、最早サクラの神速を追いかけることがかなわなかった。
追いかけれども、追いかけれども、全て紙一重で逃げられる。
無力感と絶望がドロドロとツアーのプライドをズタボロにする。
ふと心のどこかで零れ落ちるように「勝てるわけがない」と泣き言を連ねはじめ、そこからはもう早かった。
いつのまにやらツアーの腹に潜り込んでいたサクラは、右手を赤く輝かせて鱗の上に手を添える。
「『最上位窃盗』」
間も無く彼女の手元には水晶の刀身をした煌びやかな剣が握られて、それを即座に左手に持つ拳銃の口を剣の刀身へと添える。
それからまるで満開した花のように晴れやかな笑顔で、サクラはツアーを見上げて言った。
「ね、言ったとおりでしょ? ツアー、あなたに世界は守れない」
ツアーは万感を込めて答えた。
「ああ。私の負けだ、ササキ サクラ」