ナザリック最後の侵入者   作:三次たま

64 / 80
まっことにお待たせしました最終章突入です
此度も捏造マシマシですが、どうかご了承いただければと思います。


最終章
プロローグ


 

 

◇◆◇

 

 それは風の涼しい夏の夜のことだった。

 

 星の瞬く夜空の下で木組みのキャンプファイヤーを囲んで、20と幾何の有象無象が朗らかな宴を開いていた。

 

 七色に輝く鱗のリザードマンは、忍者装束を纏った老人イジャニーヤに差し出された焼き魚に目を輝かせ「故郷のモノにも食わせるぞ!」と意気込みながらむしゃむしゃと頬張っている。

 酒を飲み過ぎ頭を痛めたミノタウロスの魔法剣士は翼亜人(プテローポス)の聖魔術師に介抱されて、情けない感謝の言葉を言い連ねていた。

 四本の大魔剣を自在に操っていた暗黒騎士の複腕は、彼の意外な甲斐性によって他の者たちへの食事の配膳に役立っている。

 エアジャイアントは竜巻を巻き起こす魔法の斧を足りなくなった薪の調達のために振るっていた。

 そんな様子の二人に「お前らも飲めよ!」と絡みつくのが、酒におぼれて真っ赤な顔のドワーフ王だ。今はこんな彼でも戦場で大槌を振るう姿には王族としての威厳と力強さを感じさせるというのだから、世の中というのはわからない。

 そんな彼と肩を組んで下品に笑うオッドアイの男はまさかのエルフの王族だったりする。酔った勢いで若かりし死者使いリグリットの乳房を鷲掴み、反撃の金的蹴りに悶絶するエロフ王の姿からは、エルフ族の将来を存分に不安視させるものがあった。

 

 ここに集うのはこの世界における有力種族の中でも、英雄の壁を越えた一際大きな力を持つ者たちばかりである。彼らに共通するのは世界を汚す魔神達への対抗意識と堅い団結であった。

 

 今宵の宴はとある小国を蝕んでいた蟲の魔神の討伐への祝勝会であった。

 勝利の立役者にして宴の主賓である吸血姫の少女キーノは、白衣の聖女トウコの膝の上にぬいぐるみのように抱きかかえられている。「すごい魔法だったねぇ、殺虫剤みたい」「そうだろうそうだろう!」「すごいすごい」「ところでサッチュウザイってなんだ?」そんなやり取りでトウコにおだてられていた彼女は、普段の泣き虫ぶりが嘘のようにどや顔でフンスと鼻先を伸ばしていた。

 

 種族間の遺恨を乗り越え共通の敵を前に一つに集う者たちの姿。

 白銀の駆動鎧に意識を宿していたツアーは、少し離れた木陰にたたずんで、上等な金銀財宝を眺めるのと同等以上の居心地を憶えていた。

 そんなツアーに一人の男が声を掛ける。

 

「いいものでしょう、仲間がいるっていうのは」

 

 ササキマサヨシ。ぷれいやー にして、人間種から輩出された魔神対抗戦線への代表選士。そしてこのパーティーにおけるリーダー格の男だった。

 彼は人並み外れて優れた剣士ではあるものの、今の彼の強さはこの集いの中でも中堅より少し下程度のレベルである。それでも彼がリーダーとして全て者達に推されるのは、カリスマ性とも呼べる竹を割ったような快活な性格と、そして魔神との集団戦におけるチームメンバーの優れた統率力によるものだった。

 

 種族も戦闘スタイルもバラバラな者たちを見事に連携させる手腕は、彼の統率者としての圧倒的な経験値を物語っていた。「ユグドラシルの経験が役に立つとは」などと意外そうに口走っていた。

 

「仲間、仲間ね」

 

 ツアーはマサヨシの言葉を反芻して、自分にそれが当てはまるかどうかを考える。

 ツアーはすぐさまそれを一蹴した。

 

「どうだろう。私の正体が彼らに知れたら、きっと失望されるだろうから」

 

 耳の良いイジャニーヤの意識に気を配りながら、口数少なくツアーは応える。

 

 仲間たちはツアーのことを鎧を脱ぎたがらない恥ずかしがり屋の変わり者と断じている。

 だがもし鎧の中身が空洞で、その正体が世界最強の白金の竜王だと知られれば彼らの憤慨は免れまい。

 

 本当は今日の戦だって、駆動鎧に本腰を入れて魔力を注ぎ戦わせればツアーただ一人で解決していたことだろうから。

 

「それじゃあ台無しではないですか」

 

 マサヨシは見透かしたようにニヤニヤと笑って、ツアーの心根に踏み込んだ。

 

「いいものですよね、全ての種族が一つに集っているこの光景。すぐに終わらせるのは惜しいでしょう。

 そんなあなたの気まぐれに、私たちは確かに救われているのですから。あまりに気に病まないでいただきたい」

「相変わらず甘い男だね君は。胸襟を明かさない者を受け入れるその度量、恐れ入るよ。

 精々、背中を刺されないように注意したまえ」

「おや、心配してくれますか」

「……」

 

 冗談めかしたマサヨシに、ツアーは答えない。付き合うのも馬鹿々々しかった。

 マサヨシは喧騒が広がるかがり火を背中に回して、ドカリと腰を下ろして夜空を仰いだ。

 

「誰にだって隠し事はあります。話せば解決するなんて言いますが、話せないから秘密なんです。

 独りでに抱え込むことは辛いですが、それでも尚我々が無駄に謎を秘めながら生きるのは、守りたいものがあるからだ」

 

 それは、誰に対しても誠実で豪放気楽なマサヨシの言葉とは思えなかった。

 

「プライド、周囲の期待、己の信条、そして大事な人。色んなものを背負って我々は生きている。

 誰しも完璧ではありませんから、背負ったものと現実の折り合いをつけるために嘘と秘密を使わなければいけません。たとえそれがどれだけ不合理な事でもね」

「君にも、あるのか?」

「もちろん。ツアーのそれなんて可愛いくらいの酷いことだ。……折角だし、懺悔のつもりで話そうか」

「べつにいいよ?」

 

 遠慮のつもりでどちらとも言えない返事をしてしまったツアーは、結局マサヨシの懺悔を聞く羽目になった。

 

「私はね……女性関係がだらしない……らしいんだ」

 

 要約すれば、元の世界でのマサヨシは複数の女性にもてはやされていて、妻と娘がいる筈の身で食事に誘われることが多かったそうな。人が善いというか好意を無下にできないマサヨシの悪癖が断ることを許さず、結果的に妻と娘に多大なる迷惑を掛けてしまったそうな。

 一線を越えなかったにせよ、家族に内密でこのようなことをしでかしたのは一家の大黒柱として決して許されざることであると、マサヨシは頭を抱えて悔やんでいた。

 

「まったく恥ずかしい限りです」

「言うほどかい? 君のような魅力的な雄なら複数の雌を侍らせても許されそうなものだが」

「君たちの価値観をあてはめないでくれ給え、気が揺らぎそうだ」

「そうかい、揺らぎそうなのかい」

 

 ストイックというか気の小さいものだとツアーは内心嘆息した。

 

「そういえば、娘がいるというのは初めて聞いたな」

「ああ二人いる。一人は……ちょっとぎくしゃくしたせいで家出された。もう一人は丁度、今のキーノくらいの見た目の女の子だ。二人とも元の世界に残してしまっていますから……何としても帰る手段を見つけなければ」

 

 ツアーはキーノを愛でるトウコの様子を改めて見やった。

 

「なるほどだから――」

「そういうことです。ですから改めてお願いします。元の世界に帰る手段について、ツアーも何か手がかりを掴んだら教えてください」

「あいわかった」

 

 ツアーは座り込むマサヨシに背を向けながら、明るい宴の喧騒のほうへと歩いて行った。そしてやはりツアーには、彼の度量の広さが心配だった。

 

 

 

 

 場面は暗転する。満点の夜空と暖かく輝く篝火の風景が淡く歪み、酷く見慣れた聖堂の天井風景へと切り替わる。

 昔の夢などくだらないものを見てしまったと、ツアーは己のつまらない懐古に辟易とした。

 

 今ある人格とはこれまで生きてきた記憶と経験の総決算であり、その道行こそが人生というもの。

 快いものであれ忌まわしきものであれ、過去は重んじられるべきである。されど過去の思い出に囚われすぎて現在を疎かにするのは愚か者のすることだ。

 

 自戒と共にツアーはまどろみの心地を振り切りながら、のろのろと上体を寝床の台座から持ち上げる。

 待ちかねていた客人の気配がとうとうやってきたからだ。

 

 コンコンコンコンと4回、やけに仰々しいノック

が鳴り響く。

 

「入ってきてくれたまえ」

 

 開かれた両扉の先から、漆黒の全身鎧(フルプレート)を纏った騎士モモンと、ガクセイフクと呼ばれる黒い着物に身を包んだ黒髪でツインテールの少女サクラが姿を現した。

 どちらもユグドラシル由来の装いであることは知っているが、ツアーにはまるで両者が別世界の住人のように思えて仕方がなかった。

 

 腕組してふんぞり返るモモンをそのままに、サクラは恭しく気品のある仕草でツアーに向かって深くお辞儀をした。髪型が変わっているのもあるが、それはツアーの知る彼女の在り様とは似ても似つかない。

 

「お久しぶりです。先日は大変な迷惑をおかけしてしまったこと、改めてお詫び申し上げます。

 あなたにはもっと早くにお尋ねするべきだったのですが、身辺整理が慌ただしくこのように遅れてしまいました」

 

「ワケは知らないが、酷くややこしい事情であることは察するよ。とにかく【傾城傾国】の精神支配を掛けられていない君と、こうして相見えることができたのだから。それだけでも喜ばしいことだ。

 もちろん事件の仔細に興味が無いというわけではないがね。さぁ話してくれたまえ。君がどうして精神支配を受けて、その支配権があの奇妙な悪魔の手に渡ったのかを。あの悪魔ヤルダバオトの真意を」

 

 ツアーの中では、ヤルダバオトと彼女の関係が単純な支配被支配のそれとはどうしても結びつかないのだ。

 隠す気があったのかも怪しいが、振り返ればヤルダバオトと彼女の振る舞いは不自然な部分が多すぎる。

 

 あれだけの邪悪な魂と強大な力を併せ持ちながら、リ・エスティーゼ王国で成したヤルダバオトの悪行は余りにも矮小過ぎた。むしろ王国で冒険者をしていたイビルアイことキーノが言うには、ヤルダバオトには明らかに王国の国政を改善させる意図すらあったという。

 

 そしてモモンによってサクラが奪還された時ですら、ヤルダバオトは別段動揺することも無く明らかにツアーへ余力を見せつけたままあっさり撤退してしまったのだ。サクラへの温情を思わせるような捨て台詞を残して。

 

「気に障ったら詫びるがね。私には君とヤルダバオトが精神支配に関わらずグルだったんじゃないかとすら思えてしまうんだよ。例えばそう、私を何らかの目的で王国の動乱に巻き込もうとする狙いがあったとかね」

 

 支配を掛けられていたにもかかわらずやけに自由だった振る舞いのサクラ。

 それを気遣うかのようなヤルダバオトの言動。その不自然な撤退。

 ちぐはぐな全てを一線につなごうとすると、どうしても妙な筋書きが出来上がるのだ。

 

「他にも気にかかることは多い。君が私と初対面する直前に戦っていたダークエルフや吸血姫もうそうだし。

 それにモモン、君のことが一番よくわからない」

 

 ツアーがぎろりと目配せをすると、聞きかねたかのようにモモンは腕を下ろした。

 彼は口を開こうと前へ踏み出したが、それを渋面模様のマタタビが制した。

 

「いいですよアク……モモン。ツアーには私が話をつけたいの」

「ではどうぞ」

「本当にごめんね。いつもいつも(・・・・・・)ありがとう」

「……別に」

 

 モモンに意味深な視線を向けてから、サクラは改めてツアーにまっすぐ向き直る。

 

「勘違い、行き違いというのはこの世に起こる不祥事の中で最も馬鹿々々しい事の一つです。傍から聞く分には笑い話にできましょうが、当事者達からすればたまったものではありません」

 

 やけにに実感のこもった重い口調で彼女は続ける。

 

「私が精神支配を受けてしまったこと、そしてヤルダバオトの下についたこと、ツアーを巻き込んでしまったこと。どれも全部、色んな事情が絡み合った偶然なのです。もちろん後ろ暗い事情だってありますが、最終的にツアーには全て話すべきだと思っています。でも今はまだ、そうするわけにはいきません」

 

「そもそも事情に首を突っ込んだのが私の方である自覚はある。とはいえ謝罪の旨を口にするなら、もっと胸襟を開いてくれても良いと思うが?」

 

「それはお互い様というべきでしょう。私一人の問題ならよかったのですがね。そうじゃないから、こちらからすべて明らかにするのはフェアじゃありません。ヤルダバオトからの私の伝言は覚えていますよね?」

 

「……ああ、私が隠し事をしているという話だったか。さて、要領を得ず何のことを言及しているのかもわからないが」

 

「私のお父さんとお母さんの死についてですよ」

 

 その時空気が揺らいだ。もちろんツアーの心と連動して。

 この世のありとあらゆる弱小生物が軽く浴びるだけでも死に瀕するであろう、竜王が誇る圧倒的なオーラ。

 思わず漏れ出たそれを受けて尚サクラは、ただまっすぐにツアーの瞳の遥か深くをじっと見据え続けていた。

 まるで全てがこの少女に見透かされているかのように思えて、ツアーは何百年かぶりの恐怖心を煽られる。

 

 ただただ怖い、この少女が。持ちうる戦闘力や悪辣な知恵などではなく、全てを暴き出さんとするその瞳にツアーは果てしなく戦慄する。

 一体次はどのような言葉を発するのか。張り詰めた大弓の玄を見るのと同じように、ツアーは少女の口元をじっと見つめた。

 

「いえ、やめましょうか。何だかまどろっこしい気がします」

 

「…………」

 

「父さんと母さんが死んでたって知って、あれからいろいろ考えたんです。どうすればいいのか、どうするべきか。いろんな人に色んなことを言われて、それで自分なりに考えて決めました」

 

 そして次の瞬間、決定的な一言がツアーの心へ叩き込まれた。

 

「私はもう両親から逃げません。何としてでも父さんと母さんを蘇らせて、ツバキを残した元の世界に帰りたい。たとえツバキが死んでいても。だからツアー、どうかあなたの力を、始原の魔法(ワイルドマジック)を、私たち家族の為に使って頂けませんでしょうか。かの転移現象の根源たる竜帝(ドラゴンカイザー)、その息子であるあなたの力が必要なのです」

 

 再びツアーの動揺と共に、聖堂の中の空気が揺れる。それはあまりにも皮肉な血縁の因果だった。

 

 

 

 

『力を貸してくれ! 君にしかできないことなんだ!』

 

 まことに血は争えないというものか。

 

 200年前、マサヨシが魔神戦争の解決のために初めてこの聖堂を訪れた時もツアーに対して似たような口説き文句を説いたものだ。魔神戦争の原初の引き金たる竜帝(ドラゴンカイザー)の息子であったツアーに対して。

 

『元の世界に帰る手段について、ツアーも何か手がかりを掴んだら教えてください』

 

 そして同じく元の世界への帰還を願ったのだ。よりにもよって、事の諸悪たる竜帝(ドラゴンカイザー)の息子であったツアーに対して。まったく! この親子は!

 

「サクラ、君はどこで何を知った?」

 

 彼女は虚空の穴に手を伸ばし、一冊の古ぼけた手帳を出して見せた。

 

「これは私が影分身200体を動員しスレイン法国の秘蔵書全部をひっくり返して見つけた、六大神筆頭スルシャーナ直筆の手記です。

 記述によると、過去のプレイヤーたちは悉く始原の魔法(ワイルドマジック)を知る様々な竜王達から『竜帝の汚物』と呼ばれていたそうですね。詳しい事情まではわかりませんが、他の蔵書の様々な記述からも、竜帝とプレイヤー転移現象が深くかかわっていたことが読み取れました」

 

 サクラはどこまでも淡々と冷静に調べ上げた情報を言い並べた。

 恐るべしはその神懸かりな直観力と尋常ならざるリサーチ能力。話に聞くプレイヤーがひしめく大魔境、ユグドラシルにてたった一人で悪名を馳せた辣腕は本物だったのだ。

 欠片でも、後ろ暗さを持つ者すべてが彼女の天敵なのであろう。

 何せ今まさにツアーは彼女に成す術も無い。そして怒りとも羞恥ともつかない激情によって脳漿を熱く煮えたぎらせていたのだから。

 

「…………」

 

 サクラの推理を前に、ツアーができるのは沈黙という名の消極的な肯定を示すことだけだった。

 

「そうですか」

 

 しかしそんなツアーをサクラは糾弾することはしなかった。糾弾以上に恐ろしい真似をしでかすのだ。

 彼女はゆっくりと両膝を崩して(・・・・・・・・・・・・・・)床につけ両手を前(・・・・・・・・)に置いて頭を垂れたのだ(・・・・・・・・・・・)

 ツアーは声を大にしてやめてくれと叫びたかった。しかしどうしても喉が動かなかった。

 

「歴史に大いなる変容をもたらしたあなたの父親のことです。悠久を生きるものにしか推し量れない、並々ならぬ事情があるのでしょう。それでもどうか改めてお願い申し上げます。家に、帰りたいのです。やっとそう思えたんです。だから、お願いします! 力を貸してください! 武器でも、財宝でも、世界平和でも、私に尽くせることなら何でもします!」

 

 その有様は、願いは、ことごとくツアーの心の最も痛い部分を串刺しにする。

 手を取りたい、力になりたい。彼女の言葉は確かにツアーの心を強く揺り動かした。

 

 だか、しかし、それはできないのだ。

 世界の守護者として(・・・・・・・・・)、力の乱用は決して許されない大罪なのだから。

 

「頷くわけにはいかないかな。我が正義に誓って」

 

 だからツアーは堅い決心で喉口から拒否の言葉を絞り出した。

 

 すると見かねたモモンがへたり込んでいたサクラの襟首を鷲掴み乱暴に持ち上げた。

 

Unsinn(馬鹿々々しい!)!  話になりませんね! 因縁を有しながら懇願を無下にする蝙蝠蜥蜴も! そして軽々しく首を垂れる貴女も! その所業すなわち、慈悲深くも痛ましく願いを聞き届けた御方への侮辱と知れ!」

 

「……放して!」

 

 首からモモンの手を振り払って少し俯いたマタタビは、埃のついた服を振り払った。

 そして数秒天井を仰ぎ、そのままゆっくりと瞳を閉じた。

 

「ええそうね、そうだね、そうですね。あなたの言う通りだ。彼が私に尽くしてくれるのなら、私だってできる限りを尽くさなくては」

 

 どこかかみ合わないやり取りを経て、彼女の何かが切り替わる。

 かちりと。何かの歯車が入れ替わる。世界の守護者としては決して歓迎できない存在へと変貌した。

 

 獣が牙を開くようにサクラは、サクラだった何かは凄惨な笑みを浮かべてツアーを鋭く睨みつけた。

 そして再び虚空の穴に手を伸ばし、右手には刀を、左手には御旗を握りしめた。

 

「あは、アハ、あははハハハはは!! ではこうしましょう白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)

 『平和の戦旗』による安心安全のPvP(タイマン)。勝った方が負けた方の言うことを何でも聞くの!

 互いに譲り合えないのなら、戦いの中で解り合う他ありません。イザ尋常に決闘といきましょうではありませんか!」

 

 彼女が手に取ったのは人間国家カルサナス都市国家連合で有名なマジックアイテム『平和の戦旗』。

 フィールドを保護する特殊な魔法効果によって、傷と魔力の喪失を無効化し絶対に死なない戦いを行えるアイテムだ。

 それが彼女の手にあるということは、これもユグドラシルのアイテムだったというわけか。

 

「お勧めはしないかな。小賢しさしか取り柄の無い盗賊風情が、純粋な強さで私に勝てると思わない方がいい」

 

「純粋な強さ? 何をおっしゃる。強さとは、己の理想を現実にする力のことだ。どれだけ大層な破壊力や戦闘力を誇ろうと、己を縛った奴なんかに私は絶対負けませんよ。さぁ外に出ましょう。空は決闘日和のいい天気です」

 

 言うことに欠いて、サクラは外でこの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)を迎え撃とうとするのか。

 その不遜で自信に満ちた闘気はツアーの琴線に確かに触れる。数百年かぶりに竜の血が戦いを前にざわついた。あるいはこんな気持ちは初めてかもしれない。

 

「クハハハハハ!! よく言った」

 

 この時ツアーの中の何者かも、彼女につられてかちりと歯車が切り替わった。

 

「ああ、そうだね。こうして袂を別ててしまえば我々は戦うしかないだろう。互いの心の整理の為にも、この因縁に決着をつけようか」

 

「あなたの心など知ったことか。ただ私はアインズ・ウール・ゴウンの名に誓ってあなたに勝つ、それだけです」

 

「大いに結構!」

 

 ツアーは身を委ねていた台座の上から立ち上がり、天井の壁画へ向かって咆哮を飛ばす。

 合図とともに聖堂の天蓋は6枚に切り分けられて、地表へと続く巨大な大穴が開通する。この()を進むのは400年前にこの聖堂に閉じこもって以来のことであろう。

 

「……ねぇモモン、ちょっと」

 

 サクラはモモンの耳元に口を寄せてひっそり何事かを囁いた。

 それにモモンが頷いたのを見ると、ツアーをまっすぐ見据えた。

 

 無言でツアーも首肯を返すと、サクラはツアーの背に飛び乗った。

 

「しっかり掴まって居ろ」

 

 翼を広げ、一気に飛翔する。地上まで数秒の距離を一瞬で飛び越え、二人は大空へ舞い上がった。

 アゼリシア山脈中に立ち込める雪雲すら突き抜けて、雲一つない晴天と雲海の狭間に浮かび上がる。

そして雲海の切れ先から、その下に広がる光景を目にしてサクラは思わず息を呑んだ。

 

 そこには彼女がかつて見たことがないような広大な空間が広がっていたのだ。見渡す限りの平原、森林、点在する集落や都市。

 その遥か向こうにはどこまでも広がる草原地帯が見え、さらにその先に見えるのは海と呼ばれる広大な湖だ。

 

「やっぱり奇麗ねこの世界は。私たちの世界と違って」

「…………」

「まぁ帰らないわけにはいかないんだけどさ。たとえ何が待ち受けていても」

「そうかい」

 

 サクラはツアーの肩越しに、その景色を見つめ続けた。

 

 やがてサクラは暴れても良さそうな平原を見つけて指さして、ツアーに降りるように指示をする。

 ツアーはなるべくゆっくりと着陸すると、背のサクラは気持ちよさそうに伸びをしてから飛び降りた。

 

 

 無言で示し合わせるツアーとサクラは100メートルほどの距離を取り、それからサクラが左手の御旗を掲げで「起動」と一言声を掛ける。

 それはツアーの使う『世界断絶障壁』によく似ていて、球体上のバリアを直径300メートルに張り巡らせて空間全体を包み込んだ。

 

 サクラも獣の様な悍ましい笑い声を響かせ、ツアーは天高く宣戦布告の咆哮を挙げた。

 

「アハハハハハ!! あははあははは!! アハハハハ!!」

「GAAAAAAAAAAOOOOOH!!」

 

 

 

◆◇◆

 

「精々楽しんでください、お嬢様」

 

 聖堂に一人残されたモモン――を装うパンドラズ・アクターは、誰に聞かせるともなく呟く。

 心底楽し気に、愉快気に。

 

「貴女が白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)を戦いの土俵たたせた時点で、勝敗はすでに決している。衝動に流され貴女に手の内を晒しつくした愚かな蝙蝠蜥蜴は、たとえこの戦いに勝とうが敗けようがうが最早ナザリックの敵ではなくなるのですからね」

 

 この戦いは既にアインズ様に監視されている。

 アドリブの名手マタタビが白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の全ての手札を暴き出し、観察力と戦闘研究を極めたアインズ様がそれを見て徹底的で完璧な対抗策を導き出す。

 これこそ対人戦闘における理論上最高値の戦術と言えるだろう。ゆえにこの戦いの勝敗に確たる意味はないのである、少なくともナザリック地下大墳墓にとっては。

 

「もっともあの方がアインズ・ウール・ゴウンの名に誓ったということは、言葉通り負ける気はないのでしょうがね」

 

 マタタビの能力値を誰よりもよく知るパンドラズ・アクター。彼にとってみれば、圧倒的な種族的アドバンテージを誇る100レベルクラスのドラゴンへの彼女の挑戦はあまりにも無謀だった。

 

 しかし彼女の耳打ちを聞けば、その計算もすぐに誤りだったと理解できる。

 確実ではないが、これは彼女にもかなりの勝算がある勝負だ。

 

 パンドラズ・アクターはドッペルゲンガーの変身能力によって、マタタビの姿へと変身する。

 そして彼女がよくする伸びのポーズをルーティーンのように真似をしてから、まずは聖堂の台座へと手を伸ばした。

 

「さて、私も役割を果たすと致しましょう。アレがこの地を容易く留守にしたということは、あまり期待はできませんがね」 

 

 




最終章前座 
VSツアー

 タブラ様がいなければ、きっと彼がこのSSのラスボスでした。
 もしこのSSが14巻以降に出てたらマサヨシの名前がリクになってたのは言うまでもありません。

 この5年間何度も心が折れてエタリまくって、それでもどうにかここまで来れました。
 全ては皆さまが下さったご意見と評価と挿絵と誤字報告とここすきと感想のおかげです。本当に感謝しかありません。ありがとうございます。

 今後も冗長な展開などで皆様の期待に沿えないかもしれませんが、それでも最後までお付き合いしていただければと思います。厚かましいようですが、どうかお願いいたします。


 あと最後に一言、マタタビは信じるな
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。