執務室にて、はたから見れば独り言のように〈伝言/メッセージ〉で喋るアインズ。
それはマタタビとの定期連絡だった。
「セバスの件、マタタビさんが居てくれて助かりました。
セバスが自分から報告してくれたおかげで話が早く済みましたし、マタタビさんが関係施設を処理してくれたおかげで後腐れなく王都から撤退させることが出来ました。
でも正直言えば、マタタビさんにしては気が利きすぎて気持ち悪いくらいです」
『……察しろ。言いたくない色々があったんですよ』
「あーセバスの製作者がたっちさんだから……まぁ言いたくないならいいですけど……ところでそれよりなんですかアレ! あのクソ爺にメイドハーレムけしかけたのあなたでしょマタタビさん!」
『違いますよ。私じゃなくてデミウルゴスさんが提案したんです』
「生殖実験ってナザリック強化の為だから横槍入れられないのが性質悪いですね。
……ところで女性としてはハーレムってどうなんですか?」
『個人的には理解がありますよ。
まぁ女性同士の仲が良ければ、セバスさんとあの雌豚の群れなら問題ないでしょ』
「言い方、っていうかそんなもんですか?」
『私の場合リアルで実物見てるんでね。つーか何? アインズ様もハーレム作りたいんです?』
「いやそういうわけじゃ」
『いいんじゃないです? アルベドさんの他にもシャルティアさんナーベラルさん他プレアデスと一般メイドに、あーあとアウラさんとか綺麗どころ揃いじゃないですか。
アインズ様さえちゃんとしてりゃあ、ピンク色の火花とか散らないでしょうし。それにいい加減、デミウルゴスさんの視線がウザくて仕方ない』
「……当事者じゃないからって上から目線で」
『当事者ですよ。万が一外堀埋められて私とアインズ様が婚約する羽目になったら逃亡許可くださいね?
絶対ドタキャンしてやりますからさ』
「あたりまえじゃないですか」
アインズとマタタビは同郷でありユグドラシルでの思い出も分かち合う唯一の存在である。
しかし二人の間でなされるコミュニケーションは〈伝言/メッセージ〉によるものが大半で、もっと言えばそれも不定期だ。
それでもユグドラシルだったら一月にあるかないかという頻度だったのが、異世界に転移したため必要に応じて一週間に2~3回へと変わったのは当事者からすれば大きな変化である。
一回につき大体1~20分ほどの時間。
暗黙の了解で過去のギルドメンバーについてはほとんど触れないことになっている。抜けたマタタビからすれば気まずい話だし、アインズも届かない過去を思えばつらくなる。
やり取りしている間こそお互いに早く終われと悪態をぶつけあうものの、終わった後から二人はその時間の貴重さを思い出すのがいつものことだ。
過去を共有する者同士にしか分かち合えないシンパシー。
異形種として転生してしまった自分たちが、かつては紛れもなく人間だったのだというアイデンティティの確証。
互いへの微妙で歪曲な思い遣りを感じた時の、何とも言えない脱力感。
口数以上に意味合いが深いこのやり取りには、二人それぞれに共通しない意味合いも多くある。
支配者としての孤独の発散や、自己否定への賛同などその他色々。
アインズにとってのその一つが、ナザリック内における情報把握だった。
『そういえば私、デミウルゴスさんのゲヘナに巻き込まれちゃったんです。断ろうとしたけど巧いこと丸め込まれちゃいました」
「……何ですかそれ」
『まさか知らないの? えっと、近々王都で行われる魔王計画の一部のことですよ。
デミウルゴスさんが魔王役として王都で暴れ、最終的に聖王国でアインズ様に潰されるってシナリオの」
「全然聞いてないんですけど」
心当たりのない話に骸の額へ青筋を浮かべるアインズ。
『そりゃないでしょう? そうとう大規模な作戦だからまさかデミウルゴスさんが報告してないなんてことは……
せめて兆候くらいはあったはずですけど』
確かにそうだとアインズも思い、これまでを振り返ってそれらしきことがなかったのかと頭をひねらした。
結局思い浮かんだのは執務室に積み上げた、怪文書のごとき報告書の連なった白き巨塔だった。
「いやー、全然心当たりありませんねー」
『ダウトですよ、イきり骨太郎様』
メッセージ越しでもマタタビの勘は甘くはなかった。
『……まぁいいですけど、わかりました。後で企画書類横流ししてあげます』
「本当にありがとうございます!」
珍しく心からの感謝をマタタビに向けるアインズ。思わずメッセージ越しに頭を下げていたのは内緒だ。
『じゃ、切りますよ』
「ではよろしくお願いします……ふぅ」
念話が途切れた直後、もしやと思い怪文書の山をあさってみると案の定それはあった。
A4紙が幾枚も綴じられた書類。表題には『ゲヘナ計画書』と記されていた。
横流しの約束をしてしまった手前、すぐ見つかってしまったとなれば間違いなくマタタビはアインズを罵倒するに違いない。
それを思ってアインズは折り返しに〈伝言/メッセージ〉を飛ばすことを辞めにした。
すると天罰が当たったのであろうか。書類に手を付け読み込もうとした直後、執務室の扉をたたく音が響き渡る。
「デミウルゴスです。先日ご報告いたしました『ゲヘナ』の予定変更と要望についてで御話しをしたいことがあるのですが」
まさに噂をすれば、とでも言うべきか。
あまりに間の悪いタイミングでの来訪に思考が混乱するアインズ。
思わず素の対応で「ちょっと待って⁉」と出そうになったのを精神正常化によって何とかこらえる。
そしてロールプレイを気取って、後にしてもらう旨の台詞回しを捻り出そうとしたところそれを遮るように、聞きなれた女性の腹立たしげな声が聞こえた。
「私は反対よデミウルゴス! 彼女をゲヘナに組み込むのはリスクが高すぎるわ」
守護者統括アルベドの声だった。
反目するようにデミウルゴスも声を荒立てる。
「アルベド、君は彼女の名前を出しただけでやたら過剰反応したようだが、そんな体で冷静な判断が下せるとでも?
大体君の意見は聞いてないんだがね」
会話内容を聞き、ユグドラシルでも異世界でも諍いの火種となるマタタビを想って感慨深い趣を覚えたアインズ。
だがすぐに切り替え二人を鎮めるために、訓練していた支配者ロールを切り出した。
「扉前で騒々しいぞ。静かにせよ。
アルベド、デミウルゴス、共に部屋に入れ」
「はっ、御前にて見苦しい様を見せてしまい申し訳ございません。
では失礼します」
アインズの一喝に声を合わせて応対するアルベドとデミウルゴス。
うんうんとアインズが思ってる合間に、扉に手が掛けられて二人が入室していく。
入ってきて扉が閉められた次の瞬間、アインズは「やっちまった」と後悔した。
◆◇◆
執務室の扉は意外と薄い。
まるで聞きなれない朗らかな声色が、廊下越しから耳に入ってしまうくらいには。
「……ところでそれよりなんですかアレ! あのクソ爺にメイドハーレムけしかけたのあなたでしょマタタビさん!」
「……当事者じゃないからって上から目線で」
その声の持ち主が絶対の主人であることを、アルベドは絶望的な心境で受け止める。
おそらくアレが、支配者としての表体に隠されたアインズ様の真の姿なのだろう。
配下の者には決して見せないありのままの表情。
こっそり扉の隙間から覗き見たくなる衝動が沸き上がるがこらえる。自分にはそれを見る資格が無いし、あるいは見たところで女としての敗北感がより深まるだけだろうから。
そう考える自分を鑑みて、いまだ自分はマタタビへの完全敗北を認めていなかったのだなと意外に思えた。
彼女と違い、自分は土俵にすら立てていなかったというのに。
扉の装飾を眺め呆然としていたアルベドに、小声で声をかける者がいた。
「やぁ、アルベド」
「……デミウルゴス」
橙色のスーツに身を包み、鋭利なオールバックヘアーと長耳を伸ばした悪魔。デミウルゴスは扉の向こう側の声を聴き、愉快気な顔をアルベドに向けた。
ムカつくが、下手に同情されるよりは全然良かった。
「アインズ様は〈伝言/メッセージ〉でマタタビ
「ええ、だから終わるまで待っているの」
そっけなくアルベドが返事をすると「そうかい」と軽く流し、手元に持った書類を差し出した。
おそらくアインズ様にこれから提出するモノなのだろう。
「どうせならこれでも読んで気を紛らわせるといい」
「ありがとう」
受け取って表題を見ると『ゲヘナ計画修正案』と記されていた。
どうやらこの間提出した計画書を再構成したもののようだ。
何故またこんなものを。
紙の端に指をかけ、何気なしにパラパラと内容を捲り見る。
主な変更箇所は二点。一つは王国民への被害が減らされていること。二つ目は作戦にマタタビを参加させていることだった。
「ねぇこれって」
「本当にありがとうございます! ではよろしくお願いします……ふぅ」
アルベドが口を挟もうとした直後に室内のアインズ様が会話を終えた素振りを見せる。
それを感じ取りアルベドにかまわず扉に掛けようとするデミウルゴスの腕を、アルベドは思わずサッとつかみ取って強く言った。
「これはどういうつもりかしら? わざわざナザリックへの収入を疎かにしてまで、ママゴトに興じるなんてらしくないわよ」
「ママゴトとは心外ですね。たかが一国を手中に収めるより、彼女を御せることの方が遥かに重要でしょう」
正論だ。
素直にそう思い、アルベドは自身の失言に内心歯噛みする。
たった今の自分は感情の赴くままに非難を吐き出してしまった。その感情とは端的言えば、マタタビへの嫉妬心。
マタタビをアインズ様と近づけるための試みの一つに対し、感情の部分が先んじて反目したのだとアルベドは冷静に自己分析する。
既に覚悟はしていたはずなのに、存外に己とはままならないものだ。
掴まれた腕を振り払い、デミウルゴスは今度こそ扉に手をかけアインズ様へと呼びかけた。
「デミウルゴスです。先日ご報告いたしました『ゲヘナ』の予定変更と要望についてで御話しをしたいことがあるのですが」
言ってしまったことは仕方ないと諦め、アルベドはすぐに意識を切り替えた。
状況を最善へとコントロールするための行動を逆算し、直ちにそれを実行する。
「私は反対よデミウルゴス! 彼女をゲヘナに組み込むのはリスクが高すぎるわ」
あえて奥の方にも聞こえる声で見せかけの反論を繰り出した。
デミウルゴスもこめかみに血管を浮かび上がらせ反応する。
「アルベド、君は彼女の名前を出しただけでやたら過剰反応したようだが、そんな体で冷静な判断が下せるとでも?
大体君の意見は聞いてないんだがね」
案の定一触即発の空気が生まれ、そしてそうなれば我らが主は黙っちゃいないだろう。
ありのままの態度は鳴りを潜め、表層に再び支配者としての威厳が浮上した。
「扉前で騒々しいぞ。静かにせよ。
アルベド、デミウルゴス、共に部屋に入れ」
「はっ、御前にて見苦しい様を見せてしまい申し訳ございません。
では失礼します」
後味悪そうにデミウルゴスが睨みつけるのをすまし顔で流して部屋へ入る。
机上越しに構えて座したアインズ様はやはり威厳に満ち満ちていた。
しかし瞳の色を伺えば守護者同士の諍いに対して慌てているのが感じ取れた。
同時にそれを都合よく利用してしまうことへの罪悪感にも胸を痛めた。
「デミウルゴスの要件はわかったが、アルベドの方は何の用だ?」
「いつもの定時報告にございます。さして火急を要することでもないので先にデミウルゴスの件についてで話を済ませるべきと愚考します」
「わかった。ではデミウルゴス、修正したゲヘナの計画について
「承知しました」
マタタビが加入するという話を聞いて、どうやら既にアインズ様は計画の根底自体が大きく変わっていることに気付いておられるようだ。
「行う作戦は基本的に当初の計画と大きく変わることはありません。
八本指と国王派閥を衝突させ、そこへ第三勢力の魔皇ヤルダバオト一行に王都を強襲させます。王国にヤルダバオトの悪名を広げさせ、聖王国で起こす事件への布石を作るのが狙いです」
「以前私が命じた『魔王計画』へと繋げるのだったな。
やはり先までの概要と大して変わらないようだが、しかし修正案というのだから何かが大きく変わったのだろう?」
「その通りにございます。
当初の計画におけるもう一つの狙いであった王都の資源の簒奪についてですが、これは今回八本指を除く一般市民については対象外とします。
その理由こそ、修正したこの作戦における最大の目的であるマタタビ様の作戦参加に関わってくるのです」
「彼女の参加が最大の目的、か」
アルベドがママゴトと称し、デミウルゴスが最大の目的と豪語したマタタビの作戦参加。
元の作戦と修正案の違いを端的に言うなら、手段と目的の逆転というのが的確だろう。
「元のゲヘナ計画をマタタビ様の研修に利用させ、当初の狙いでありました資源獲得や魔王計画もあくまで副次的成果として扱います」
「う、む……なるほど。共同作戦の実践経験を踏まえ、あの性格難を解消させようというわけか」
本人が聞けばさぞ顔をしかめることだろうことを想像し、アルベドは内心苦笑いを零した。
一見――アルベド自身そうだったが――彼女のためだけに大それた作戦を用意するのは非常に馬鹿らしく思えるだろう。
だが先日の精神支配事件以降ナザリックでは、特に守護者の間で良くも悪くも彼女の重要度は変容した。
守護者すら圧倒する実力と、アインズ様の求心を受ける程と発覚した高い地位。一方でその求心を退けてしまう性格難。
一国を手中に収めるより彼女を御せることの方が遥かに重要。デミウルゴスはそう言ったが、付け加えるなら、一国を手中に収める程度なんて生易しいくらいマタタビは難攻不落で厄介だ。
だから決してデミウルゴスの行動は大袈裟ではない。
今や彼女の影響力は、ナザリック全体の方針を歪めてしまう程に凶悪なのである。
「はい、ですので善性の強い彼女の反感を買わぬよう、ヤルダバオトがもたらす王国への被害を極力抑える必要があるでしょう」
「デミウルゴスは、マタタビがナザリックに無関係な人間共が傷つくことを気にすると、そう思うのだな?」
意外そうなアインズの反応にデミウルゴスとアルベドは揃って冷や汗を垂らす。アインズ様がその一点を見逃しているとはまるで予想がつかなかったからだ。
現行のナザリックにおける至上命令は世界征服である。
仮にアインズ様の征服欲とマタタビの善性が食い違ってしまったなら、最悪のシナリオが出来上がることは想像に難くない。それを回避するための保険としてパンドラズ・アクターと共謀し精神支配をかけているのだが、それで抑止する状況というのも長期的にみればあまり望ましくない。
ましてやそんな事情を知らないデミウルゴスの戦慄はアルベドの比ではないだろう。
「殺生自体に嫌悪を抱いてる訳ではなさそうなのですが、ナザリックの者で喩えるならばセバスが一番近いと思われます。
彼の場合は……例外もありますが……基本的にナザリックの利益を優先した行動がとれます。しかし忠誠心の無いマタタビ様でありますと修正前の計画ではやはり厳しいかと」
突っぱねられれば最悪今後、マタタビのメンタルケアという地獄のような工程を続ける必要があったのだが、幸いアインズ様はすんなりと受け入れてくれた。
揃って二人は胸をなでおろす。
「デミウルゴスが言うのならきっとそうなのだろう。であるなら今後の計画についても多少調整を入れる必要が出てくるか。
私としてはこの計画で推し進めるのも悪くはないと思っているが、アルベドは反対なのだったな?
ここまで話を聞いて、アルベドの意見はどうなのだ。是非聞かせてくれ」
扉前で繰り広げた諍いを気にしたアインズ様がアルベドにも意見を求めるのは必然的行動だ。
そしてこういった流れから出される意見への比重は、普通の反論よりやや高い。和を重んじられて慈悲深いアインズ様は、守護者同士でもなるべく円満に話が進んでほしいと考えておられるからだ。
究極的叡智を誇るアインズ様にはこのような小細工は無意味なのかもわからない。
ただアルベドは、やれるだけのことはやろうと思った。今後挑まなければならないであろう至高の存在を想って。
「僭越ながら正直に申し上げますと、反対です。
ナザリックへの収入が減ってしまう点も問題ですが、それ以上に不確定要素の強いマタタビを参加させるにはにリスクが大きいかと。
まして魔皇役のデミウルゴスがそのフォローを兼ねるとなると相当の負担になってしまいます。
そこで妥協点として、デミウルゴスの副官にパンドラズ・アクターを付けるのはいかがでしょうか?」
「パンドラズ・アクターをか?」
実際のところアルベド自身、作戦そのものには反対ではなかったのだが、同時にマタタビの抑止力となる彼も参加させたいと考えていた。
しかしアインズ様はパンドラズ・アクターを表舞台へ立たせることに何故か抵抗感が強い。今も強い動揺がアインズ様の中で巻き上がるのをアルベドは確かに読み取っている。
だから癇癪した振りをしてまで意見が通りやすいように仕向けたのだが、果たして受け入れられるかどうか。
心音の脈動がうるさく鼓膜を叩きつける。
やがて困ったように指骨の先で額を引っ掻き、アインズ様は諦めがついたようにけだるげに告げた。
「……うーむ仕方ない。パンドラズ・アクターをデミウルゴスへ預けよう。好きに使ってくれ」
「承知しました」
「要望のほど、聞き入れてくださり感謝します!」
「いやいいさ。とはいえアイツだけでは不安だからな。私もモモンとして王国に向かうとするか」
パンドラズ・アクターの加入とアインズ様直々のバックアップ。
想定以上の譲歩を頂くことが出来たというのに何故だろう。アルベドは何だか胸騒ぎを覚えた。
アインズ様がゲヘナに参加するよってだけの話なのにテンポ悪すぎ。全然話が進まない。
もっと軽いノリで救済とか虐殺とかサクサクやりたい