犬のリビドー
それはあくる日、珍しく非番のクライムが王都の街中を歩いていた時のことだった。
王都の中でも馬車の通行が多いメインストリートの隅っこに路上駐車している馬車が一台あった。馬車の主人であろう有力貴族フィリップが、石畳に降りて一人の女性に言い寄っている。
女性のほうはどこかの屋敷のメイドであろうか。外に出歩くには不自然なくらい精緻に編み込まれた上等のドレスに匹敵するであろうメイド服からは魔力の気配すら感じさせた。艶やかな黒髪を肩かた鎖骨にかけて緩やかに伸ばし、透き通る白い肌に気品の感じさせる清廉な顔立ち。通り過ぎるモノは皆、自然と彼女の方へと意識が引き寄せられてしまう。
一見して二人は主従の間柄なのだろうかと通りかかったクライムもそちらを覗き見るが、どうやらそうではないらしい。
「こんな昼間に使用人が出歩いてるなんておかしなことだ。大方粗相を働いて追い出されてしまったのだろう
よければウチの屋敷へ来ないかい?」
「結構でございますフィリップ殿下。ワタクシめは主人にお使いを頼まれていますので失礼します」
「それは変じゃないか。君のような見目麗しいレディが使用人などという小間使いに身を窶し、あまつさえお遣いだなんて馬鹿らしい。
ならどこの屋敷の者か言ってごらん、すぐに君の身元を引き取ってあげるから」
「……本当に結構でございますから」
どうやら女性のほうが訳ありなのは間違いない。それに付け込んでフィリップが手籠めにしようと寄り掛かっているというところだろうか。
仮に女性がついさっき放浪の身となり街中をさまよっていたとすれば、有力貴族であるフィリップに魅入られたことは一見幸運なことに思えるが、彼の女癖の悪さは王国中でもっぱらの評判だ。大抵は使い潰され最終的に娼館送りになり不幸を迎えることになる。
ともすれば誰かが庇ってやるのが正しいのだが、貴族に楯突けばろくなことにならないのは言うまでもない。周囲は気の毒な視線を投げかけながらも口出しを控えた。
フィリップを撒こうとする彼女のイラつきには、そういった気持ちだけの同情に対する嫌悪が含まれてるようにクライムには思えた。
ならクライムが取りべき行動はただ一つ。自らの主人に迷惑がかかることは当然懸念したが、迷惑以上に主人は目の前の有様に納得しないだろう。
クライムは一歩踏み出し二人の間に割って入る。
「フィリップ殿下、そのあたりにしていただけないでしょうか。彼女は嫌がっています。これ以上詰め寄るようであれば、殿下の気品が問われるでしょう」
「なんだお前は。誰かと思えばラナー姫の腰ぎんちゃくではないか。
平民上がりの分際でこの私に楯突こうというのかね? 少しは分をわきまえたまえよ!」
あまりに予想のついた身分差による常套句を投げかけられてもクライムは物怖じしない。
しかし状況は芳しくない。こうする他にないとわかっていたが、それでもあまりに分の悪いこと。役に立たないなら無暗に突っ込んでもお節介に変わりなかったと後悔してももう遅い。背中の彼女の方からも先ほどの比ではないほど腹立たし気な雰囲気を感じ取った。
そんな膠着する状況の中で動き出したのは女だった。突然彼女はクライムの足元へ跪くと、口元から細長い舌を伸ばして
――あろうことかクライムの靴を舐め始めた。
「あぁ! ご主人様! ご主人様ではないですか! この卑しい雌豚めをまだ見放しておられなかったとはなんと慈悲深いことでしょう!
先日私はご主人様の言いつけを守れずに、疼くわが身の可愛さに負けて●●●で●●●●を●●●してしまったというのに。
でもでもやっぱり仕方なかったですよね! わかってくださいますよね! 私はご主人様無しではもう生きていけない体にされてしまったのですから!
ある日は●●の●薬を飲まされ発狂寸前だった私を●●●の●●●●の元へ放り込み、ヌルヌルの●●で三日三晩●●●●ました! ある日は●で貧民街の●●に●●●けられ、数日間●●●●どもの●●●にされました! ●●の魔法で●●に●●させられた状態で●●●の●●がはびこる●●に放置されました!
始めは嫌で嫌で仕方なかったのに、段々癖になっちゃって最後に自分がどうしようもない●●●だと気づかされてしまいました! 最高です!
でもでもでもでもやっぱり一番良いのはご主人様の●●●で! もうご主人様の●●●の●●●●●になっちゃって、他所では生きていけないのですよ!
だからだからありがとうございますこれからもご主人様に――」
「変態だぁー! こんな娘付き合ってられん! 早くしろ馬を出せ! こいつらの言ってること聞くと頭おかしくなりそうだぁー!」
自分の知らない異世界の変態性に恐れおののき、とうとうフィリップは馬車に逃げ込んですぐに走らせた。
少女は下から馬車が見えなくなるまで伺って、居なくなったとわかった突端立ち上がって地面に砂利交じりの唾を吐いた。
「……アハハハハ! ざまぁみやがれ処女厨め!」
顔を真っ赤に染め上げて目尻に雫を垂らしながら、勝ち誇ったように握りしめた拳を天に掲げた。
「……えぇ」
クライムと周囲はあまりにも無残すぎる勝鬨を見て、胸のすいたような、それでもやっぱりモヤモヤするような、何とも言えない感を抱いた。
◆
あれからしばらく時間がたって、場所は昼下がりの飲食店。
クライムと共に円形の食卓を囲む黒髪のメイド少女は上目遣いに容赦のない文句を垂れ流した。
「……こんなことになったのは、大体クライムさん――もといご主人様が悪いのですよ?」
「出来ればその呼び方だけはやめてくれませんか?」
そういいながらも詫びだと言って少女は飲食店でクライムを食事に誘ったのだ。むしろクライムの方が奢りたいくらいだったが、メニューを頼んですぐに少女の方が先払いで会計を済ませてしまったのでどうしようもなかった。
「ハイハイ。もしクライムさんが声をかけなくても、連れていかれた先から逃げ出すくらいどうてことなかったんですよ?
ところがどこぞの平民風情が横槍入れて面倒になりそうだったから、仕方なく私が淫語マシンガンしてフィリップの野郎を撃退してやったんです。
これで野郎はクライムさんの変態性に度肝を抜かれ、無礼を働いたことなんか気にもならないでしょう。ほれ見たまえ、仇を恩で返す私の聖人っぷりを!」
「私が介入してしまったことに関しては本当に申し訳ございません。……もっとも別の意味でよからぬ風潮が立ちそうですが」
「仕方ないし、きっと大丈夫ですよ。私のアレが演技だったことくらいみんな察してくれますし、フィリップのクソ野郎一人がどう喚こうが『お前が言うな』って思てくれます」
「そう、ですね。本当に申し訳ありませんでした」
今後の展開が読めなさすぎるのがネックだが、結局後の祭りなのだから気にしても仕方がないのだろう。
もっと禍根を残さずやり過ごす手があったのではと振り返っても、悔しいが彼女のアレ以上のモノが思い浮かばないのも事実だった。彼女の言う通り、自分のお節介が招いた結果なのだ。
反省しながらしばらく、互いに無言で卓上の料理に手を付けて、やがて食べ切ったころに少女が会話の口火を切った。
「ところでクライムさんて本当に人間ですかね?」
唐突な一言にいかなる含意が含まれているのか咄嗟に判別がつかず、ムッとしながらも生真面目にクライムは応答する。
「人間です。少なくとも私の主人に拾われ忠誠を誓ったその時からは」
「あーいやいやそういうことじゃあなくってさー」
少女は猫背気味にクライムを見上げ、右手で横から自分の顔を指さした。
まるで芸術品のような端正な顔立ち。南方人種固有の艶やかな黒髪は透き通る白い肌によってより映えて、周囲のものは皆彼女の一挙手一投足に目を奪われている。
そんな彼女が今度は自身のメイドドレスの襟元に手をかけ、ボタンを一つずつおろし胸元の肌を外界に晒はじめた。クライムは何事かと不思議そうに訝しむ視線を送り、それを見て彼女は呆れたように手を戻した
「やっぱりだね。クライムさんは私のことを性的対象としては一切見ていない。普通男ならその気がなくても美少女のお開けには、不快感を含め、何らかの性的反応を示すはずなんだけど、クライムさんは全くの無反応です」
「?」
そういって今度は向かい側のクライムからして斜め後ろ方向に指を向ける。クライムが振り返ると後方席に掛けていた青年がビクッと顔を赤くしてそっぽを向いた。
彼女がこういった反応を求めていたのは合点した。確かに少女、マタタビが美少女と自称することは全く傲慢でも何でもない。しかし思うところが無いこと自体はしょうがなくないか。
「別に気にしてないですよ。ただクライムさんの朴念仁っぷりが不可解だっただけ。
欲情ってのは生物が子孫を残すための重要な能力の一つですし、それが見るからに欠陥してれば心配にもなります。自覚はなかったんですか?」
「そんなことで人間性を疑いますか、普通……」
自分の女性を捉える機能はおかしかったのだろうか。思えば主人との縁故で冒険者チーム蒼の薔薇の方々とは懇意にさせてもらっていて、リーダーのラキュースを始めガガーランやティア・ティナなどの魅力的な女性との交流はあったが、特にこれといって性的魅力というものを感じたことはなかった。
「身近に同性の知人がいれば少しはわかりやすいのでしょうが、生憎巡り合わせがないもので」
「そうなんですか? 意外です。 ……というか異性の知人はいるのね」
やはり自分はズレてるのだろうかという思考がよぎったが、しかしクライムは考えを改める。この世で唯一、よりにもよって自らの主人にだけは分不相応な傾慕を抱いてしまっていたことに思い至ったからだ。もっともそれが普通のことかと言われればやはり自信はない。クライムは顔を赤くしながら心の袋小路に潜り込んだ。
「良かった、好きな人自体はいるんですね」
「んなっ!? い、いませんよ」
そんな心中の葛藤を覗き込んだかのように少女は安堵を口にする。少女のこういった鋭さがクライムは非常に苦手だった。自分も人のことは言えないが、友達が少なそうな人だと思った。
「きっとクライムさんの中ではそのヒトの存在があまりにも大きすぎて、他の異性に一切意識が向かないんでしょう。一途なのは素敵なことです」
「やはり……そうなのでしょうか」
「自分に嘘ついても碌なことありませんよ」
本来は許されざる恋慕であるため、改めて認めることに抵抗が強くあったがここまで見透かされてしまったなら恋心自体は認めてしまうしかなかった。そしてきっと彼女が言うように、クライムは他の女性へ意識が向かなくなるくらい主人への想いが強いことも真実なのだろう。
もっとも諦めて忠義を尽くすように割り切るしかないのだが。
「ところで私が人間じゃないというのは、正直申し上げますと言われ過ぎのように思うのです」
「あっとごめんなさい。ただまぁ何と言いますか、モノのたとえで、あなたが私の知ってるとあるサキュバスによく似てまして」
大の男に向かってサキュバスに似てるとはどういう言い分だろう。というかサキュバスが知り合いというのはいろんな意味で聞き捨てならない。
「何ていうか結構変わり者なんですよねぇ、そのヒト。サキュバスって本来万年発情期で全方位の異性に色情を感じる種族なはずなんですけど、彼女はよりにもよって精力皆無のエルダーリッチにゾッコンなんです。
男性だって理性剥がせば大抵はケダモノだから、そうじゃないあなたもひょっとして人外に惚れる異常性癖でも持ってるのかなぁって疑ってかかっただけです。気を悪くしないでください」
「……どうやったらそれで気を悪くしないんですか?」
謂れのない言いようには流石のクライムも腹を立てた。もっといえば想い人が人外扱いされたような気がして、王国の第2王子とのやり取りを想い出していい気はしなかった。
あからさまに不快感を示すとようやく自らの失言に気付き、少女は急に申し訳なさそうにクライムを見た。
「そうですよねそうですよね本当に、ごめんなさい……」
クライムでも強く納得できるくらい彼女から悪気は感じなかった。普通なら許す気にはなれないのだが、撤回を求めても応じない
「撤回してくれたのなら……もういいです。あぁそういえば、エルダーリッチに惚れるサキュバスって伝奇小説かなんかですか?」
「あぁ……えっと、そうですね。もう絶版になってて本屋には売ってないと思いますけど、タイトルは『オーバーロード』です」
「そうですか」
クライムは気にしても仕方ないと追及を諦めた。思えば出合ったばかりの間柄なのだから、何の事情があるにせよ詮索するのは失礼すぎる。
果たしてこの少女が如何なる理由で街中に躍り出てるのかなど、今の自分が聞くものではないのだ。
「ところでさっきフィリップの野郎がクライムさんのことラナー姫の腰ぎんちゃくって言ってたけど、
ひょっとしてクライムさんが好きな人ってそのお姫様のこと?」
「ブフッ!?」
◆◇◆
その昔、茶釜が声優をやっていると聞いたので、彼女が出演したアニメというのを視聴してみたのです。
今思えば、いくら弟だからってエロ翼王にアニメ紹介をしてもらったのは間違いでした。あれはセクハラです、間違いない。
まさかR18のベリーハードなエロアニメを普通、年端もいかぬ少女に見せますか? 頭おかしいでしょ。おかげでしばらく茶釜とは近づけなくなったし、年端もいかぬ少女とか自称したせいでうっかり実年齢バラしてさらに面倒なことになってしまったのだ。
しかし人生わからないものです。こうして当時の彼女のセリフを覚えていたことが、変態貴族を撃退する口撃手段になりえたのですから。エロをもってエロを制す。素晴らしい護身術です……あぁ死にたい。
そもそもの話、こんな美少女外装のメイド服姿なんかで街中をうろつかなければ良かった話なのです。本当に失策でした。
歩くたび周囲からの欲情が〈読心感知〉でダイレクトアタックされてメンタルがやばい。もう止めようと思った寸前でクソ貴族に絡まれてマジで最悪。
唯一良かったことは、クライムさんと親交を持てたことくらいでしょう。彼からまったく、同情心と性的視線を向けられなかったので対面しててもすごく楽でした。お礼に食事がてら、軽い恋愛相談にのってあげましたよ。もっともお節介だったでしょうけど、それは御相子ということで。
かくして彼と別れた現在、二度と人目につかぬよう最高位の隠形で身を隠しながら、予約していた宿屋へ向かっています。
王国での情報収集の一日目は都市の探索と拠点確保だけだったのですが、明日からは忙しくなるでしょう。シャワー浴びてとっとと寝て翌日に備えるに限ります。
屋根伝いに街中を駆け回り、そろそろ遠目に宿屋が見えてきました。恥ずかしながら気を緩めていたその時に、強大な力を感じさせる気配を受信した。
「100レベル? 誰?」
瞬時に弛緩していた脳内血管に血が巡る。アイテムボックスから扱いなれた日本刀を取り出して臨戦態勢を整えた。
それからプレイヤーの可能性を懸念したが、直ちにそれは打ち消した。
「この気配の色は
この世界に来てからというもの〈読心感知〉をはじめとして様々なスキルの能力が変質された。
その中でも広範囲系の索敵感知スキルについては、ゲームの時には不可能だった索敵対象の識別までもできるようになっていた。
さらに言えば、その対象が臨戦常態なのかそうでないのかも。
「知っている気配。それが単独で戦闘モードにまでなるとすれば考えうる対戦相手は……ツアー?」
先日マタタビが
彼の身の安全からも、
「ちくしょう行くしかないか」
遠慮してはいられない。近隣の屋根の瓦を踏みつぶし気配を消しながらでの最高速度でその地へ向かう。
やがて辿り着いた場所は治安の悪い貧民街の路地裏だ。
ここまで近づけば〈読心感知〉の範囲内に入り、ツアーも索敵できるかと思いきや実はそうでもない。ややこしい事情なのだが〈読心感知〉は元々敵対認証スキルである。対象者が術者であるマタタビを認識していなければ、あるいはマタタビ側が対象者を認識していなければ発動しないのだ。
それに対戦相手の方はツアーであるとは限らないので、屋根上から俯瞰しながら先に感知できる
見つけた。
ズタ袋に包まれた瀕死の女性を抱え込んで、暴力の気配を感じさせるガラの悪いチンピラと対峙する、白髪の矮躯な老人の姿。
臨戦態勢ってまさかこんなチンピラに喧嘩吹っ掛けてたの?
その光景を眺めながら驚愕と失望が渦巻いた。マタタビが靴まで舐めて回避した準戦闘行為に、これからセバスは及ぼうとしているのだ。
対戦相手の気配が感じ取れないなんてそりゃ当たり前だ。こんな低レベルな奴に力を見せつける愚か者だったとは流石のまでマタタビも予想ができなかった。
マタタビは盗み聞きのスキルを発動させる。
『そうそう、白金貨10枚はこの状態の彼女にはつりあわないほどの高額だと思いますが。これで双方あったことを忘れてはどうでしょうか?』
『あ、ああ……』
『それに、次回あったときは彼女の治療に掛かった金額は請求させていただきます。無論、これはあなたが彼女を引き取りに来た場合ですが……金銭には糸目をかけずに治療行為を行うつもりですので、高額になることを約束しますよ。それと保証金ですので彼女を引き取りに来る場合は、全額の返済もお願いします』
「……おじいちゃん何してんの」
馬鹿者にも程がある。
振込詐欺に引っかかる後期高齢者を見るような目で眺めながら、私は溜息を吐いた。
ようやく今回から王国編です。長かった、すごく長かった
ところでオリ主の淫語セリフ読みたい変態さんは活動報告へどうぞ。
でもまさか居ないですよね?
一月八日 運営さんからクロスオーバータグ付けるように警告されてしまいました
多分オバロ世界での忍術の設定にNARUTOのモノを混ぜ込んでしまったせいだと思います
ストーリーそのものには特に影響はありません