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弱者に縋る女がいた。
女にとって、弱者の存在は救いだった。
悲痛にあえぐ顔を覗きながら内臓をかき回す興奮。憎悪にまみれた形相で襲い掛かる者たちを足蹴にする快感。
強者としての矜持を崩した時の、何とも言えぬ幸福感。
何故それらが救いになりえたかと言えば、女もまた、ありふれた弱者の一人であったからだ。
両親の愛情を奪いつくした兄の弱者だったからだ
色情の滾った似非神官の弱者だったからだ
目の前で無二の親友を食い尽くす亜人達の弱者だったからだ
絶対的な力によってこれまでの研鑽を否定する先祖返りの弱者だったからだ
足元に積み重ねた骸の上が唯一安息をもたらす揺り篭。迸る鮮血こそ魂を潤す生乳。
女にとって殺人は生涯に寄り添う伴侶であった。
それは今日も今日とて変わらないはずだった。
漆黒の全身鎧に身を包む男は少々手ごわい相手だが、動きが雑で読みやすい。
全速力で間合いに飛び込み、ヘルムの隙間へスティレットを滑り込ませればそれで終わる。
あとは武器に仕込ませていた魔法を起動させ、超至近距離で打ち放つ。
『まだまだ終わりじゃないんだよぉ!』
さらに腰元のスティレットを追加で差し込み同じように魔力を放つ。執拗に執拗に。
手ごたえはあった。
スッといってドスっとやって、それで生きていられた者を女は知らない。
しかし未知であることが必ずしも不在の証明になるとは限らない。往々にして現実とは常識の先にあるものだ。
『本当に、お前には感謝しているよクレマンティーヌ
後に待つ大きな戦いの前にお前と戦い、戦士としての戦い方を知ることが出来て良かった』
声が聞こえた。
それは女が望んでいた悲鳴でも断末魔でも、ましてや命乞いなんかでもない。圧倒的優位に立つ強者が眼下のものを見下す声色だ。
やめろ、そんな目でワタシを見るな。
次の瞬間、鋼鉄に覆われた男の両椀が女の矮躯を尋常ならざる膂力によって抱擁する。それは押さえつけ胸部のプレートで潰すようにして決して女を離さなそうとしない。さながら巨大な地割れに飲み込まれたかのように。
つづいて、男の着こんでいた全身鎧が光の泡となって掻き消えて、その下にあるおぞましい正体が外界へと露になった。
一言でいえば『死』の具現体。
絢爛な漆黒のローブをまとった大柄な白骨死体の魔法詠唱者の姿。女の知識に該当するとすればそれはエルダーリッチだが、目の前の存在がそんなものと次元が違うことくらい馬鹿でも理解できる。女を締め付ける剛力と、感触からして前の鎧以上とおぼしき白腕のありえない強度。祖国の宝具をも凌駕しかねない魔力を宿したローブと、何より全身を突き刺するような絶対的威圧感。
そして鉄の皮とともに、傲慢なある種落ち着いた態度もその表層から剥がれ落ちる。
吸い込まれてしまいそうな深淵な眼孔から女をうかがう赤黒い光はベタ塗りの憎悪に彩られていた。
男、否『死』は世界の条理を語るがごとく不遜で傲慢な己の身の丈を女に告げる。
『良かった、本当に良かったとも。しかしだ、今日の私は史上稀にみるほど機嫌が悪い。
そんなところへノコノコとお前たちが私の依頼人へ手出しをしてきたとなれば、わかるか? わかるよな?』
わかるかと問われれば言われるまでもない。自分が竜の尾を、いやそれ以上の何某かの逆鱗に触れてしまったのだということくらい。
半分とばっちりだが。
『やはりマタタビさんの助言を無視してルプスレギナを連れてくるべきだったか?
五体をじっくりと擦りおろし、治癒で破壊と再生を繰り返せば少しは気が晴れたかもしれないが、いや
……時間の無駄だしナーベラルで問題なかったな。ではそろそろ終わらせよう』
『おまえぇえ!? まさかぁああア』
女を閉じ込めていた白骨の檻がゆっくりと、しかし着実に折りたたまれていく。スケイルアーマーのプレートがポロリポロリと剥がれ落ち、女の終幕に喝采するように朽ちた大地で跳ね上がった。間違っても肉体から奏でられるはずがない禁断の圧迫音が静寂の墓所に響き渡る。
大概の者なら命の先に心が潰れる絶望そのものの極限状況でありながら、けれども女の魂は潰えていなかった。
女にとっての絶望は眼鼻の先にある『死』という結果ではなく、自分が弱者である事実と敗北そのものであったから。
だから抗ってしまう。
絶望に浸り諦めることを忘れた狂戦士の四肢はがむしゃらに眼前の『死』へ向かっていく。
引っ掻いた爪ははがれ、つかみかかる指は捻じれ曲がり、打ち付けた膝の皿は粉砕されて、噛み付いた歯は抜け落ちて、なぶりつける腕は折れ、蹴りつけたつま先は逆側へ向いた。
それでも衝突する魂は砕けない。
絶望という名の安寧に抗い永遠に続くように思われた苦しみの中で、クレマンティーヌの意識は潰えた。
llp、。;lp@khjkm、。」;lpl;。
◆◇◆
ナザリック地下大墳墓:9階層 守護者統括執務室
山のように束になった執務を片付けていた合間に一本の〈
うるさい女だ。唐突に連絡するなり、ズーラ―ノーンという組織のカジットという魔法詠唱者について頼んでもいないのに詳しく一方的に説明してきた。
情報源を伏せているというのもあるが、そもそも非常にわかりづらい論調であったため彼女が何を言いたいのかを理解するのに手間取った。そして理解とともに胸中に去来したのは大いなる呆れだった。
「マタタビあなた、そんな馬鹿げた偶然があっただけで本当にタブラ様がいると思っているの?」
『でもさ、あのアイツの存在を見過ごして最悪の事態を招くよりは、その馬鹿げた妄言を信じて馬鹿を見る方がマシなんじゃないかって思うんです』
「大した確信ぶりのようだけど、確証が得られていないのであればやることに変わりはないでしょう
どうせ、ナザリック側からあなたの調査を支援することは出来ないのだから。気になるのなら一人で勝手にやりなさい」
『端からそのつもりですよ。ただタブラのことに関してだけは、アルベドさんにも頭の端っこに留めてもらっておいた方が良いと思いましてね』
「……それはどうもありがとう」
有難迷惑だった。
『アルベドさんがアインズ様の幸せを願い続ける限り私もアルベドさんの味方ですから。どうぞ好きなだけ利用してください』
「…………」
拗れた自己否定精神からくる自分を投げ売りするようなスタンス。アインズ様からの好意を受けている彼女はもっと自分を労わるべきなのだが、それを口にすれば彼女の拒絶を招く。アインズ様の言葉ですら彼女の根底を覆すことは出来なかったのだからアルベドは黙っているしかない。
『ではでは失礼いたします。アインズ様から許可は取りましたが、私の方はしばらく王都で情報収集とかその他etcでナザリックから離れますんで、何か御用があれば連絡ください。今後ともよろしく』
「ええ、じゃあね……ふぅ」
魔法の効力が切れたのを感じ取ると自然にため息が出てきてしまった。
まだしもデミウルゴスやパンドラズアクターのような知恵者と読み合いをする方が、彼女の相手より幾分か楽だ。
出合った頃はぶっきらぼうだが人懐っこい愚かな少女であると踏んでいたのだが、なかなかどうして食わせ物だった。
彼女はナザリック内で唯一人アルベドのうちに燻る憎悪を見抜いたうえで、至高の存在にまつわる絶望的真実を告げたのだ。
シモベが神々のごとく奉る至高の41人の集いは、その実ただの遊興の集いでしかなかったこと。お隠れになられた至高の存在とはつまり、ナザリックという玩具を飽いて捨てて行った薄情者たちだったということ。そしてそんな儚い繋がりに友愛を尽くしてしまったアインズ・ウール・ゴウンという男の生きざまを。
アルベドがそれらを知ることをアインズ様は決してお望みにならないだろう。それでもマタタビがアルベドに真実を語ったのは、その事実を知ろうが知るまいが結局アルベドが
そしておそらくマタタビはその行動を止めようとはしまい。彼女もアインズ様ほどではないにしろギルド:アインズ・ウール・ゴウンに心を縛られている上に、大恩あるアインズ様にとって不都合な他の至高の存在を見過ごせるほど薄情にもなれはしないだろうから。だからマタタビはアルベドに自身を道具として利用させようとしていたのだ。
ならば望み通り使い潰してやろうと思っていたのだが、一方アインズ様にとっても今のマタタビは唯一無二の存在であるため、無暗に酷使して彼女の存在を損なってはならないのは難しい問題だった。
「ああ妬ましい! いくらアインズ様のためとはいえこんなことって無いわ……」
自己を投げ捨ててまでアインズ様を守ろうとするマタタビと、最後まで残り続けた彼女に心動かされるアインズ様。
この世界においてアインズ様の伴侶に最も相応しいのは、認めたくない事実であるがマタタビを於いてほかにいないのだ。
他の至高の存在についての問題が片付いたら、今度はお二方を結びつける謀略を巡らせなければならない。こちらの問題についてはデミウルゴスの手を借りられるので、パンドラズ・アクターと合わせ三人でじっくり練っていくことになるだろう。
果たしてこれから気が休まる時はやってくるのだろうか。
頭痛で重くなる頭を手で押さえながら、アルベドは山のような雑務を再開した。
◆◇◆
旧ネコさま大王国拠点:王城地下室
アンデットであるパーミリオンはかつてネコさま大王国のNPCの中で唯一飲食不要な存在だったのだが、当時はそれが酷くコンプレックスだった。
なにせ猫一色だったあの城の中でたった一人きりなのだから。飲食に限った話じゃないが、その隔絶っぷりはというと桃色の耳の象なんか目じゃない。
せめて飼っていた骨猫くらいにはそれらしいことをしてやりたかったので、食事の時間には全員集めてネガティブエナジーを吹きかけてやったものだ。今思えば劣等感から無意味なことを押し付けていただけだった気がして彼らには少し申し訳ない。
今でも食事行為に憧れみたいなものを抱いているが、目の前の
心なしか、ヤシの実ジュースを飲む時のそれに少し似ている気がする。
金髪ボブで、多分女の生首だろう。どんな凄惨な最期だったのやら、恐怖に歪んだ死に顔は今にも叫びだしそうだ。それを鷲掴みにしながら後頭部に突き刺ささったストロー、のような触手で脳液を啜る光景のおぞましさったらない。
もしこの世界に創造主がいるならばブレインイーターなんて種族を生み出した真意を是非問いたい。偶然の産物であってもおぞましい話に変わりはないのだが。
薄紫色の細長いのひょろり触手の手足と人型に、紫色のタコがそのままのっかたような異形の姿。
やがて脳漿を啜り切ったタブラ・スマラグディナは残った首を触手の根元の口の中へと飲み込んで満足げに腹をさすった。
「先ほどから人の食事をじろじろと。相変わらずマナーがなっていませんよ? パーミリオン君」
「そちらこそ相変わらず悪趣味なこったぜ。カニパリズムには多少の理解があるつもりだが、お前のソレは食事と言えるかも怪しいだろう」
反論を言い切ったところで失態に気付いたが、しまったと思った時にはもう遅い。タブラは眼の色を喜悦色に変え、犬がしっぽを振るようにおぞましく顔の触手を振り回しながら、自身の否定の言葉にまっすぐ飛びかかった。
「趣味だなんてまったく酷い言いようですね。あなたと食の定義を論ずればいずれ平行線に至り収拾がつかなくなるのは眼に見えてますが、異形と化したこの身にとってはこの行為こそ唯一の生きる糧であることは厳然たる事実です。たしかに脳に残された海馬から対象の人生記録を吸収する『脳食』は実際食事というよりは読書に近いかもしれませんし、そもそもブレインイーターも飲食不要な種族であることも相まって趣味的な側面を完全に否定するのは難しいでしょう。しかし世界から永劫の時を与えられてしまったわが身にとっては、ちっぽけで限られた儚い時を生きる者たちの在り方に共感する瞬間こそ唯一生への実感を得られるのです。特に死の間際、命の灯は消えかかる寸前で極一瞬大きく輝きます。たとえば今のクレマンティーヌ女史は本当に最高でしたね。絶対的、絶望的な状況でもなお弱者であることを認められない彼女は、常人なら砕けてしまうであろう精神的負荷を身に受けても止まるに止まれないのです。そして戦士として優れた過ぎた知覚能力によって体感時間を引き延ばされ永劫に近いほどの恐怖と苦痛を味わいながらやがて命尽きました。これこそ超越者である100レベルでは決して味わえない真なる恐怖! 生の実感! わかりますかね!」
「…………」
どうでもいい、なんて本音を口にすればそれが100倍くらいで帰ってくるのは眼に見えていたので沈黙を貫いて切り抜けようと試みる。
こんな狂人が付き合いだけはこの世界のだれよりも長いのだという事実を改めて思い、いつものように辟易とした。
彼との出会いは400年前のことだ。
当時パーミリオンは城跡に住み着く強大なエルダーリッチとして馳せたくもない悪名を広げてしまい、近隣諸国から度々やってくる討伐隊に迷惑していた。
そんなある日タブラ・スマラグディナは噂を聞きつけやってきて、〈
以来タブラは城跡に居候しながら様々な意味不明な要求でパーミリオンを振り回し続けた。秘密結社ズーラーノーンを結成してパーミリオンを勝手に盟主に仕立て上げたり、ホラー趣味で作った幽霊船にパーミリオンを乗せてカッツェ平野をうろつかせたり。先ほどタブラが脳食したカジットとクレマンティーヌの死体も、わざわざエ・ランテルの冒険者組合に忍び込んでパーミリオンが回収したものだ。
自らをこき使い続けるタブラの存在は腹立たしい。
しかし一方で魔神化し忠誠というアイデンティティを失ったパーミリオンはこの偽りの主人に依存していて、それをわかっているからこそタブラも容赦がなかった。それが二人の関係である。
長年の付き合いですっかり慣れてしまったからか、こっちが閉口してもしばらくするとタブラは性懲りもなく話しかけてくる。
「ところで前に君に話したモモンガ君のことを覚えておりますか?」
「あぁ雛形だったカジットの元ネタだよな?」
雛形とは端的に言えばタブラの悪意に人生を狂わされた、タブラに言わせれば『調理』された被害者のことである。
自分好みの人生を食すため、時にタブラは他人の人生に干渉してその人物を狂人に仕立て上げるのだ。
例えば今挙げたカジットの場合、母親への執着心を死霊系魔法研究へと向けさせるとか。
ズーラ―ノーンの十二高弟の大半はこんな連中ばっかりなのだが、タブラのカジット・デイル・バダンテールへの入れ込みようは特に強かった方だ。
というのもカジットはタブラの旧友であるモモンガという男とよく似ていたのだという。
方や己が過ちで失った母親を外道に身をやつしてまで取り戻そうとするカジットと過去の栄光に心を置きざりにしたモモンガ。
彼らの人となりはタブラから既に聞かされていて、実は前からパーミリオンはモモンガ(アインズ?)にはシンパシーを感じていた。
「モモンガ、本人はアインズって名乗ってたけど奴とは今日会ったぜ?」
「……わざわざ自分から言わないとは意地が悪いですね。実はクレマンティーヌを殺害したのもどうやら彼のようでしてそれを話したかったのですが
そうですか既にカッツェ平野に来ていましたか」
マイペースなタブラが気を落とすのは実は珍く、それが愉快でパーミリオンは追撃を図る。
懐から一つの珠を取り出しこれ見よがしに見せつけた。
「死の宝珠だ、懐かしいだろ?
今日来たアインズに友好の印だとかでもらったんだが、これはどういう意味だと思う?」
死の宝珠は錬金術師であるタブラがこの世界の素材を用いて生み出した唯一無二のインテリジェンスアイテムだ。
だから死の宝珠から製造者について問いただせば、タブラ・スマラグディナの存在に辿り着くことは可能なのである。
とすればアインズは、カジットから奪い取った宝珠の手引きでタブラの関係者であるパーミリオンの元に訪れ、背後にあるタブラの存在を見越したうえで宝珠だけ置いて帰ってしまったということになる。
もしもタブラの言っていたモモンガの人物評『仲間の作り上げたもので完結し、それ以上の宝はないと思考を閉ざした者』が正しければそれは妙なことだ。
タブラに気付けば一目散にやって行きそうだったのに。そうでなくともパーミリオンに探りを入れもしないとは。
「察するにつまり餞別と言ったところでしょうか。彼がこの世界に来ていた可能性は想定していましたよ。
しかし単独ならまだしも拠点付きで訪れていたとすれば、あの凝り固まった妄執がどうにかなるわけないと思っていたのですがね」
「あんたが実は相当嫌われてたとかじゃねぇの」
「ふむ、その可能性は……いや彼女たちならもしや、彼の考えを変えられるのか?」
「おいおい」
一つの可能性に思い当たり、なにごとかぶつぶつ呟き今度はタブラは自分の世界にこもりだした
「……まったく、最終日の戯れがこんな失態に結びつくとはわからないものですね。
さらにマタタビ君がいるとなれば一筋縄ではいかなくなる。しばらくは状況が動くのを待つしかないでしょう。
何を言ってるか理解できないが、こいつの悪だくみが傾いてくれればこちらはご機嫌だ。目を付けられたアインズのことは少し気の毒に思っていたところだし。
「しかし本気なんだな。俺には理解できないぜ、かつての旧友を食べようとする意気込みなんざ」
「理解を求めた覚えはありませんよ。スケルトンの『脳食い』には少し手順が必要ですが、それでも彼は特別ですから」
ゾッとするようにパーミリオンは自身の頭蓋に手を当てた。
「おや嫉妬ですか?」
「馬鹿言ってんじぇねぇよ……」
ちなみにタブラは次の王国編以降しばらく出番ありません。むしろタブラの動きを止めておくために今回ズーラ―ノーンの話を挟み込ん見ました。