幼い姉妹を剣を持った鎧の男が追いかけている。
「……見つけた」
通る声は出さない。螢もまた軍人教育は受けている。トリファからの正規のものではないとはいえ、だからこそ逆に一部に偏っていてそこは強い。
「軍人ですかね。鎧とはまた、なんとも時代錯誤な」
「魔法がかかっているものなら外見は関係ないだろう。……とはいえ、魔法はかかっていないように見えるが」
「そうね、力は感じない。紋章が入っているわ、見たことがない」
「藤井君なら分かるかな? ただ、彼もギルドのすべてを把握しているわけじゃないだろうし。それに、他の何かという可能性もある」
「何より、彼は弱すぎる。恐怖感を与えたいだけだとしても、まだやりようはあるでしょうに」
魔人である彼女たちから見れば、男のそれはよちよち歩きとしか呼べないものだった。鎧の重さに振り回されてるし、剣だってまともに握れていない。まあ、単純に上を求めすぎているというだけの話だが。超人基準で見られたら、人間はそりゃ見劣りししまう。
「待てや、おらァ! 逃げても無駄だぜ、嬢ちゃんたちィ」
なんて、チンピラみたいなセリフを。
「いや! そんなことさせない。ネムだけは、ネムだけは守るんだから!」
そう言って、握りしめた小さな手を引いて速度を上げる。あくびするような速度、けれどこれが人間で、幼い彼女には限界で。
「ひゃははは! そら、速く逃げねえと死んじまうぞぉ!」
斬りつけた。ただの布に防御性能などない。……浅い。あれでは人は死なない。けれど、森の中では命を失いかねない。出血が体力を奪い、助けがなければそのまま野垂れ死ぬ。
「--ッキャア!」
倒れこんで、それでも妹を守るように抱え込んで。
「……あれ、妹を命がけで守る自分がカッコいいとでも思ってるのかしら」
「そうだね、螢。あの男こそ、人間らしい人間だと言える。まあ一人芝居のアレもそれらしい。どうせあの娘も変わらない」
絶対零度に達する冷ややかな目を向ける。”人間”に対する憎悪。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、なんて言葉があるが袈裟を着てれば立派な仏教徒だろう。そりゃあ憎い。
そして、人間と言ったものーー彼らを土蜘蛛と貶めた恥知らずどもは、神を崇める信徒ですらない。神とは満天下をその渇望によって染め上げたもの。つまりは神こそ生物の生みの親であり、人間は一番”近い”だけの似姿。波旬の細胞。自由意志などない哀れな人形。”袈裟”どころではない爪の先っぽ、髪の一本。
「ええ、どうせそこの女も同じでしょう。妹を愛する自分がカッコいいと思っているだけ。そこの妹を殺してあげれば、そこらへんに打ち捨てるわ。いくらでも見てきた」
「あの男も、少女も変わりはしない。だが、弱いな。正規の軍人かチンピラか知らないが、あの程度でチンピラができるなら、一般人はそう強力な力を持っているわけでもなさそうだ」
「そうは言っても、戒。あれが細胞なら力を供給されるかもしれない。油断はできないと思いますよ」
「どうだろう。限界はあるはずだ、アレは限界を超えて破裂しようがむしろ好都合かと思うだろうからね。早々に自滅するならばそうそう脅威ではないはず」
「……ま、なんだかんだ言っても確かめてみないことには始まりません。それに、騎士として幼子を殺す輩は見逃せません」
男は下種な笑みを浮かべて剣を突き立てようとしてて。ああ、いつまで時間をかけているのだなどと思う。
「そこまでです、下種め。……あれ?」
普通の斬るというよりは叩き切るだけの拙い手作りに見える歪んだ剣はーー電を模した細剣に受け止められる。そして、それは帯電さえしている。一目瞭然、武器としての格が違いすぎる。
「ギーーかふっ」
彼は電撃に打たれて死んでしまった。
「ええ……いやエフェクトですよ? なんで、これくらいで死ぬんですか。攻撃力なんてないも同然なのに」
と、そんなことを言う。弱いのは分かっていたが、それでも。実際のところ、それは伝説級〈レジェンド〉というもはやオーパーツに等しい武器であった。それでもまあ、信じられぬ弱さだったのだが。
「い、今のうちにーーきゃあ!」
この人は危ない。殺気なんてもの、エンリには分からないがそれでも悪意くらい感じ取れる。そう、これは……あとまわしにしてくれただけ。
「逃げられると思ったの? やっぱり現実が見えていないのね」
後ろにいた人。……いつのまに? 刃が喉元に当てられる、動いたら死んでしまう。それにこれーーこの剣、変な形してる。でも、きれいーー血に汚れるのを罰当たりだなんて、場違いなこと考えてしまうくらい。
「あれは弱すぎて死んでしまったから、あなたに聞くことにしたわ。あなたたち、何のなの?」
「え? え? え? えーー」
「答えて。手加減してもらえるなんて勘違いは……ああ、するか。お前たちに現実の認識などというものを期待しても無駄というのはよく知っている。どうせ都合のいい妄想の中に逃げ込むだけだったな」
ぐり、と突き付けた刀で顔を上げさせる。喉元がわずかに切れて血が滴る。あの騎士たちとは温度が違う、生理的な嫌悪とは程遠い、本能的な寒気。まるで、象を目の前にしたアリ。そして、それは自分を踏み潰そうと足を上げている。
「ッお姉ちゃん!」
「大丈夫、大丈夫だから」
幼子は妹をしっかりと抱きしめて震えるのを隠すようにする。無駄? 当たり前の話だ。けれど、それだけは嫌だ。いや、いや、いやーーそれがエンリを動かす全て。ネムだけは死なせたくないという想い。
「そこの女、何者だ! 王国の者か? なぜこんなところに手練れがいるんだーーというか、何してるんだ……?」
先の男の仲間らしき二人組が現れる。追っていたのは一人だけではない。でも、それは犠牲が増えただけ。
「では、君たちからも聞くことにしようか。お前たちは何者だ?」
そして、男たちは後ろからの声を聞くことになる。全く気付かないうちに後ろを取られた。実力差が歴然としすぎている。
「はーー。ギャアアア!」
聞こえたと思った瞬間に激痛。腕も足もまるで満遍なくのこぎりで削られているような。
「すべて腐れ。塵となれ。何者でもないお前たちにはふさわしい末路だ。実を言うと僕はお前たちのような塵屑をあまり目にしていたくないんだ。できれば早めに答えてくれると嬉しいんだが」
彼らは動けない。そもそも動く”もの”がない。手も足も腐り落ちて地面のしみになった。絶望、などというものを理解できるだけの強さを持たない彼らは現実を受け止められない。とりあえずのーー言えと言われたことを思い出して言う。
「俺たちは帝国の手のものだ! 鮮血帝から命令されて国境沿いの村を襲撃している。鮮血帝にこのことを知られればどうなるか理解しているのか!」
「……へえ」
さらなる悲鳴。彼らの精神を焼くそれの正体は腐食。肉ごと腐らせる腐食で神経が直に侵され激痛を発している。……四肢切断よりもよほど酷い状態となっている。実際、さっさと切断しないと命に関わる。
「あ……たす……たすけ……ママ……」
ヒューヒューと細い息の中から助けを求める声。もう一人はウソがばれたら自分もこうなってしまうのかと恐れて。
「分かった。言う! 言うから、俺だけは助けてくれ。そう偽装しているだけで所属は法国なんだ。黒粉を潰す作戦の一環として国境沿いの村々を襲撃して、帝国の仕業に見せかける指令を受けている。なあ、本当のことを言ったんだ。助けてくれ。命だけは」
自白した。けれど、それが本当かなんて戒が知るはずもない。拷問のテクニックとして先を促す。
「なるほど。……それだけか? 言っていないことがあるだろう」
感情のこもらない瞳を向けられて。
「本当だ。嘘じゃない、神様に誓ったっていい。ああ、そう言えば上層部は王国を滅ぼそうとしているらしい。だから、この作戦行動もそれの一環かもしれない。そうだ、上は黒粉を生産する王国に見切りをつけたんだ。どうせ、そいつらだって黒粉の生産にかかわってるに決まってる。そうだ、トブの大森林なんか辺鄙なとこに住んでるのはそのために決まってーー」
「もういい」
腐り堕ちた。固有名詞が多くてわかりづらいことこの上ない。しかも途中から憶測になっていったし、自身で思い込みを助長していた。あれでも監禁すればもっと情報は吐かせられる。そもそも一般常識でありそうな”黒粉”や”トブの大森林”も何のことかわからないのだ。それでも
「すべて腐れ。消え失せろ。貴様らの顔など見ていたくもないんだよ」
慢心という病。なまじ強力な力を持っているからこそ、足元を気にしない。その場の感情に突き動かされてしまう。
「--ひ」
だが、それを見ていたエンリにとっては神の仕業に等しい。魔法も使わず……実際は使っていたのだが、ただ見るだけで屈強な帝国騎士を殺してしまった。そして、彼らは自分のことを汚らわしいものを見るような目で見てくるのだ。
「あ……ああ。ああああ」
心のすべてが恐怖で塗りつぶされる。きっと、剣を突き付けているこの人も化け物なのだ。森の賢王などよりも、ずっと強いのだろう。
「ねえ、助けてあげましょうか?」
そう、切っ先を突き付けてくる化け物がささやいた。
「それ、
……くびる?
「ああ、その細腕じゃ無理かしら。なら、これを上げる」
ナイフを放る。つまりは殺せと言うこと? ……ネムを。
「解説すると、縊るというのは首をねじ切るということよ。あなたたちでは、その程度でも死ぬのでしょう?」
それは、たぶん噂に聞くアダマンタイト級でも死んでしまうと思う。下を見て、私を不安そうに見上げるネムと目が合って。
「……逃げて」
そう、ささやいて。ナイフを取る。
「逃げて! ネム」
妹を放し、背中を押す。せめて一太刀。たった一秒でも時間を稼げれば。
「もういいですよ、螢」
いつの間にか後ろにいた女の人が、彼女の腕を抑えていた。エンリの手からはナイフが消えている。いつの間にか取ったのか。
「彼女たちは違います。細胞は恐怖しません」
「……ベアトリス。そうね、あなたがそう言うなら見てみようかしら」
化け物に瞳を覗き込まれる。恐怖に身がすくむ。けれど、見返した。きっと、その方が時間が稼げる。
「お姉ちゃん!」
え? そんなーー
「ネム!? なんで。逃げなかったの……」
目の前が真っ暗になる。すう、と力が抜けて。
「確かに、自愛の塊には恐怖を耐えるだけの器がない。”立ち向かう”気概などあれらに持ちようもない。それを前にした時には現実から目をそらすか、壊れるか。なるほど、確かにーーこの子はあれらとは違うわね」
抱き留められた。すう、と意識が暗黒に落ちていく。
「まあ、いいでしょう。ただ黄昏を荒らされるわけには行かない。そちらの法国兵の仲間だけ殺しておくことにしましょうか」
「いや、ベアトリスと螢は藤井君に報告してきてほしい。細胞どもを相手にするのは僕一人で十分だ」
「……戒兄さん。攻めるのならば少なくともツーマンセルは組むべきじゃないかしら……いえ、これは!」
三人、弾かれたようにそちらを見る。その方角は正確にカルネ村の方角を指し示していた。
「バビロン、何をするつもりだーー?」
キャラ紹介
櫻井螢
魔名は獅子心剣〈レオンハルト・アウグスト〉だが、トリファに付けられたため唯一水銀から魔名を授けられていない。
黒円卓には後から参入した人。そのため実戦経験が少なく、保有魔力(殺した人間の魂)が少ない。にもかかわらず他の奴らについていけている才女。ではあるのだが、やっぱり実力的に劣るために天才のイメージはない。(よく頭の出来を心配されるし)
今のところパーティ投票で一位。一見クールビューティの愛されドジっ子?