ガゼフは王都の街を見回っていた、巡回警備だ。本人としては民とも触れ合える、日頃の貴族と関わることで生まれるストレスを癒す機会にもなっていた。
もっとも、それには政治としての裏がある。王国は帝国と戦争状態にあり、率直に言えば負け続けている。決定的な敗北を喫することなく、負けて負けて状況は悪くなり続けている。
これには民もうんざりしているのだ。重税を課し、働き盛りの若者をよりにもよって収穫の時期に奪い去り、挙句の果てには帰ってこないこともある。鬱憤はいつ爆発してもおかしくない……そのガス抜きがガゼフの巡回の目的である。
「--む?」
薄暗闇の路地に変な視線を感じた。確かにガゼフを疎む貴族は多いし、お前のせいで息子が死んだと憎しみを向ける者もいる。が、基本的には庶民から王のそばまで至ったガゼフを英雄視する声が強い。そのどちらとも異なる空虚な視線があった。
「どうしましたか、戦士長」
無論、巡回だ――子飼いの兵を連れている。というか、子飼いでないと貴族の息がかかった者が何をしでかすかわからない。騎士が民衆を守るのは昔の話……今は貴族の私兵となり果てた。戦士長の名誉を地に落とすための無差別殺人と言うのが笑い話ではないのだから――笑えない。
「いや、あそこに何か――」
注意を向けると、それが誰なのか分かった。
「おお、ブレインじゃないか。お前、今まで何してたんだ――?」
近づくにつれ、その酷い有様があらわになった。頬はこけ落ち、服はボロボロの泥まみれ……王都にふさわしいような恰好ではないが、スラムは年々広がっている。そんな恰好をしても路地裏では目立たないことも事実だった。
「ひどく衰弱してるじゃないか! お前、剣も持ってないのか。いや、まあいい――食事にしよう。腹に食い物を入れれば元気も出るさ」
「でも、戦士長。部外者を王城に入れるわけには……」
「おお、そうか。ならそこらの食事処にでも入ることにしよう。お前らの分も奢ってやるさ。なに心配するなよ、こう見えても戦士長なんかやらせてもらってるんだ、金はある」
「おや、ありがたいですがよろしいので?」
「王城で食えばタダだしな、うまいところ知ってるか?」
「それなら、あそこにしましょう。安くて量も多いところを知ってますんで」
「よし、行くか」
なれなれしく肩を組んだガゼフを引きはがしもしないで、ブレインは小さくすまんなと
だけ言った。
「なあ、ブレイン。あの御前試合の後はどうしていた? 俺には色々なことあった」
食べながら、話して聞かせる。どうにもこういうのは苦手だ。いかに鈍感なガゼフとて、ただならぬブレインの様子を見ればなにかあったことくらいは分かる。
とはいえ、簡単に聞いていい話でもないだろう。なにせ、武器の一つも持っていない。それでもエ・ランテルから王都までこれたのはさすがと言うほかないが、そもそもどこにいたのかもガゼフには知る由もない。
「……ガゼフ」
飯を腹に詰め込んで、それだけでも血色が多少がよくなってきたブレインがぽつりとつぶやいた。
「なんだ、ブレイン」
茶を飲んで、続きの言葉を待つ。
「……お前は、生きる意味が失われたことがあるか?」
もう一口、飲む。
「俺は王国戦士長……王をお守りすることが役目だ」
「ああ、聞いた」
「最悪の事態が起きたとき、どう王をお守りするかを考えたのだ。そう、一生懸命――当の王ご自身に風邪かと心配されるくらいに考えて、考えて……どうしたと思う?」
「……お前のことだ、修行して技を編み出したとかだろ?」
「そう、できればよかったのだがな……いかんせん、武技の一つや二つでどうにかなる事態ではないんだ、これが」
「……それは、もしかしてーー」
「英雄と呼ばれようと、人間ではどうしようもないことがあるものだよな――ブレイン。互いに大変な思いをしたものだ。本当に」
二人は奇妙な共感を覚えていた。今まで生涯をかけて挑んできて積み上げた武が、砂の城だと思い知らされた。もっとも、それを与えた女が同一人物だなどとまでは夢にも思っていないのだが。
「これがな、なぁんにも思いつかん。自分という存在下どれだけ矮小か思い知ったよ。だからな、俺は決めたよ」
「……なにを」
「その時になったら全力を尽くすのみ。どうにかできるかなど知らんし、可能性を議論するなど性に合わんと忘れていた。だから、もう何も考えていない」
ガゼフはむしろ穏やかな表情で言い切ってしまった。
「………………は?」
ブレインはそれだけを言うので精一杯だった。
「だからな、どんなに考えても無理なのだ。どうしようもないものは、どうしようもない。無理に突破法を考えることさえできないのだ。だから、考えても無駄だ」
「諦めると言うのか? 英雄と呼ばれるお前が――」
「そうかもしれん。だが、その状況になったとしても俺は剣を置く気はない。ただ、やれることをやれるだけやるだけだ。この身は王へ捧げた身……最善を尽くすのが俺の義務だ。そして、無理でもやれるだけやりましたなどと言い訳する気はない。やらなければならんのなら”やる”さ」
相変わらず方法なんて想像もできないけどな――と笑うガゼフを見て、ブレインは(ああ、この男に俺は負けたんだ)とストンと納得できた。今まではまぐれか何かだと思っていた気がする。だから、あれは間違いだったのだと自分に言い聞かせるように剣を振るい続けて。けれど、違うのだ。これがガゼフであるなら、自分ごときは勝てるわけがない。
「……あれ?」
目に熱いものを感じた。そして、それはとめどなく溢れてくる――
「今は泣け。そして後で王国戦士団に入ってくれると俺は嬉しい」
ぽろぽろと涙を長し続けるブレインに、ぽんと肩を叩いて彼は店を出て行ってしまった。代金を多めに払い、彼をそっとしてしておいてやってくれと店員に言い残して。
「ああ……ああああ」
涙が止まらない。視界が歪んで、自分さえも分からなくなってくる。
「--ッ!」
よくわからない。けれど、確かに何か熱いものが心を焼いて……
「ガゼフ! 俺と……俺と勝負しろォ! ガゼフ・ストロノーフゥゥゥゥゥゥ!」
叫んだ。
「いいとも。ついてこい」
そして、この男はそれを受けるのだ。断る理由ならいくらでもある。戦士長が負けては、どころか苦戦しても侮られる結果になる。けれど、勝ったとしても何にもならないのだ。だが、そんなことは関係ない。
「お前が使うのは刀だったな、受け取れ」
そう、差し出してくる刀を。
「いや。刃を潰したやつを貸してくれ。模擬刀でもいい」
辞退した。それは殺し合いに使うものだ。そして、命の取り合いの覚悟……それも他ならぬガゼフの命を狙いに行くのは……なんというか、そう。違う気がした。そこまでの覚悟がブレインからは消え失せてしまっていた。
「なるほど。ならば、アレフ……悪いが倉庫から訓練用のを持ってきてくれ。二本な」
ニヤリと笑って、部下にそう命じた。
「……感謝する」
「いや、俺のことを気遣ってくれたのだろう? 気にするな」
ガゼフはこういう男だ。別にブレインは武器を模擬用にしてくれなどと言っていない。ただ自分が本物を使うのはどうかと思ったからそっちを要求しただけ。けれど、ガゼフは当然のようにそれに付き合ってくれるのだ。
「--行くぞ」
「ああ、全てを出し切るがいい。--来い!」
そして、両者がぶつかる。
「「おおおおおおお!」」
それは剣舞のようなものだった。二人ともが完全に剣筋を見切っていてかわし続けている。
「ガゼフ……俺は、俺は自分のことを最強だと思ってた! それをお前が打ち砕いた!」
「俺も同じことを思っていたよ、ブレイン! 俺の前に敵はいない。居るのは雑魚ばかり――戦いにもならんような弱者ばかりと自惚れていた!」
「だか、俺はお前に負けた。ああ、何かの間違いだと思ったよ! だからこそ、俺はフリーで剣の腕を磨き続けた。間違いを正すためになァ――」
「お前がいた! お前が俺に弱者ばかりではないと教えてくれたからこそ、俺は人を見ることができた! それまでは、取るに足らぬと見てさえいなかったんだ――」
「それは違った! ああ、違ったさ――俺がうだうだやっている間、お前は国のことを考え、部下を育て……立派な人間になっていた。お前はすごい! 俺なんかとは違う、尊敬される人間じゃあないか!」
「部下を育て――だが、俺自身はどうだ? お前は強くなった。腕を磨き続けて……なあ、気付いているか? 俺が
「人は強くなれる。誰かのために戦い、誰かのために命を賭す。人間はそのために生きられることをお前が示してくれた!」
「人は強くなれる。人の身にありながらどこまでも力を磨いていけることを俺はお前に教えてもらった!」
そう、相手を傷つけるつもりなど毛頭ないのだ。相手を信じているからこそ、これくらいはかわしてくれると信じるからこそ全力の一撃を放てる。模擬刀でもその重さと頑丈さは容易に人の命を奪える。けれど、そんなことは怖くない。
「「--だから、お前が羨ましい!」」
本当に怖いのは相手の期待を裏切ること。これくらいはかわしてくれると信じてくれるから舞ってくれるのに、当たってしまったら情けない。相手が失望することはないだろう。それでも、自分が自分に失望する。
「俺を導いてくれ、ガゼフ・ストロノーフ……ッ!」
「俺に力を貸してくれ、ブレイン・アングラウス……ッ!」
このぶつかり合いは儀式なのだ。例えて言うならば河原での殴り合い……全力で本音をぶつけるからこそ、無二の親友となれる。そう、今この二人は全力で友達になろうとしているのだった。
「「だって、お前は強いから!」」
剣がぶつかった。折れて、そばに突き刺さる。
どちらからともなく、握手をして。それを見ていた戦士団の者たちも歓迎する。感動して涙ぐむものでさえ。
「よろしく頼む、ガゼフ」
「こちらこそ、お前の力を当てにしている。ブレイン」
ここに友情の契りがかわされた。
そして、それを滝のような涙で見る者たちがいた。誰にも気づかれずに立つ人影は6名。
「うう……ッ! いいはなしですねぇ」
もちろん、涙を流しているのはベアトリスだ。彼女は特にこういう話に弱い。
「かか。いいノリじゃねーの。思い出すぜ、お前とのケンカを。なあ、蓮」
皮肉気な笑みを浮かべているが、付き合いの長い蓮には言葉の端に隠しきれない憧憬が察せられた。
「アレはお前が一方的に突っかかって来たんだろうが。だが、理解はできる。本音をぶつけりゃ、そりゃさっぱりするさ」
「いや~、一昔前の青春漫画って感じ? 読んだことないけど、ああいうのだったら悪くないね。まあ、この世界にはないんだけど」
本城は司狼に比べたら素直だ。女であるゆえに、ちょっと共感はしづらいようだがそれでもいいものだと感じている。
「いや、あるぞ。データ化された漫画がライブラリに残っている」
「え? それマジで、蓮君」
「マジだ」
「では、藤井君。ちょっと一週間ばかり休暇を頂いても?」
「あのね、ベアトリス姉さん。あなた一人休んでいいはずがないでしょう。どうせ、疲労、眠気無効の指輪があるのだから夜にでも読んでいればいいじゃない」
「いやいや、それだと玉のお肌が痛んじゃうんですよ。螢も、女の子ならお肌の管理はきちっとやらなきゃいけませんよ」
「いや、別に劣化するわけないからいいじゃないの」
「ちょっとそこに座りなさい、螢。女の子のたしなみというものを教えてあげます」
「おやおや、説教されてやんの」
「まあ、それはいいとして――蓮君。首都をせん滅するあの作戦のことだけど」
「ああ、あれか。戒」
作戦、と言われても戒、螢、ベアトリスの三人で王都を滅ぼしてきますと要約できるような作戦を言われただけだ。始めは戒一人でやる気で、しかしベアトリスが首を突っ込んできた。言い出せなかったが、蓮には初めから採用する気はなかった。
「延期だ。期限未定の延期だよ。大体、ここにプレイヤーが居たらどうするつもりだ? 危険だし、それに――あの戦士長なら殺すことはないだろう」
「それもそうだね」
一瞬だけ殺気を放っていた戒は沈黙する。殲滅した方が危険はないと思うが、これは蓮の決定だ。逆らいはしない。
「……帰るか、俺たちの家に」
蓮は踵を返す。家が恋しくなった。もちろん、今の蓮はリアルのことなどほとんど忘れてしまって”藤井蓮”の半ば記憶に食い潰れた状態。それでも波旬と人間の区別はつく。
あの剣舞は決して、独り相撲ではなかった。自分が信用するお前なら問題ないと言う傲慢な
河原の決闘シーン(河原じゃない)はDies系二次創作で書いてて楽しい部分です。
ガゼフ、ブレインの犯罪行為知らんけど。というか、中世ファンタジー的世界観だと前科者が人生やり直すのは楽な気がする。やり直す前にスパっと人生終わってるのが大半なのがオチでしょうけども。