「--は?」
時間は合わせた。セリフが終わるのと同時にユグドラシルは終わったはずだった。俺が見ているのは無味乾燥な自宅の壁のはずだった。なのに。
「終了延期か。まったく、つまらないことをする」
目の前にあるのは変わらず円卓の机。考えられるのは延期くらいだろう。何かトラブルがあって終了時刻が引き延ばされた。興がそがれたな、面白くない。
「興冷めだ。ああ、まったく明日も仕事があるのにーーこんなやるせない気分で眠れるか。すっきりしないな、絶対」
まあ、あれだ。運営のトラブルはいつものことで、サービス終了後までプレーヤーが付き合う必要もないだろう。こんな気分だが、さっさとヘッドホンを外して寝るとしよう。
「あれ?」
感触がない。
「なんだ? リアル側の感触をいじるのは違法だろ。なんで何もないんだ」
頭をガシガシやる。すると気付く。感触がある。もちろんヘッドホンのそれではない。髪の毛の感触、さらさらと流れるその感触は仮想現実ではありえない。というか、現実のそれとは髪型が違う、髪質が違う。触覚をいじるのは違法だし、そもそもそんな感触の再現なんてデータ量的に不可能だろう。
「……これは」
弄って違法なのは触角、そして味覚。指をなめてみると味がするーー気がする。いや、指なんかに味はないだろ。アイテムボックスからポーションを取り出す。血のような色の低級ポーション。
「え、飲むのか。これ」
と思ったが、飲み干す。……えも言えぬ味がした。なんだ、この味。本気で言いようがない。まずくはないーーがおいしいわけでもない。本当にいわく言い難い味でリアクションに困る。とはいえ、いつものゲームとはわけが違うことは確認できた。ゲームでは単に動作するだけだ、味などない。
「これ、のんびりしてる場合じゃねえな」
まずい。とんでもなくまずい状況だ。何が何だかわからないが、通常の状況じゃない。ああ、オリジナルの藤井連は日常を大切にするキャラだったが、彼同様に俺の日常もぶっ壊されちまったらしい。
ここは、とにかくNPCを確認するか。仲間として使えるかどうかは重要だ。一人で複数のプレイヤーなど相手にできるものではない。基本的にNPCはプレイヤーには勝てないことを前提にビルドしてあるし、思考ルーチンは同じレベルなら勝てるくらいには単純。単純なNPCにもできるようなことをやらせたために、はっきり言ってギルド戦以外では雑魚である。つまり1対1なら勝てる。
その役目は大体三つ。一つ、デバフをばらまいて嫌がらせ。二つ、超位魔法ぶっぱ。三つ目、ただの楯。
接触するべきは一つ目だ、単純戦闘力が低い奴。ただのサポート役なのだから当然の話だが、以前NPC暴走イベントがあったことを考えるとその方がいい。そいつと一対一が適当か。ちょうどいい具合に侵入者迎撃用の陣形そのままだ。変えるのが面倒でそのままにしたと言えるが。近いのは……ルサルカか。
NPCに何かあれば異常のことがわかるかもしれない、などと期待して。
「……」
無言で通路を歩く。鳥居が無限に並んでいるようで、そのままワープゲートみたいな通路だ。黒く淀んだ部分を触ってみる。SFならこういうのは変なところに飛ばされるものだがーー石の感触がした。ただのデザインでしかない、当たり前か。そして、そこにつく。
「ルサルカ、こちらに来い」
話しかけたわけではなく、ただのキーワード。NPCならキーワードで動くはず。動かないならギルド機能がおかしくなってるし、襲い掛かってくるようなら……運営のイベントか? 終了を延期してまではありえないか。
「はぁい。なにかしら、レン君? 寂しくなっちゃったのなら、あたしが温めてあげましょうか。ベッドの中で、ゆっくりとーーね」
小さな体で、それに反した薫るような性的な笑みを浮かべた彼女は……
「ウェディングドレスぅ!?」
ウェディングドレスを着ていた。誰だ、やった奴。つうか、なんでしゃべれる!? そんなくねくねしたポーズデータ実装した覚えはないぞ。
「あ、これハイドリヒ卿にもらったの」
あいつか、というか来てたのか。顔出せよ。よくこんなビラビラな服をデザインできたものだ。俺なら絶対やらねえ。
「あー。で、ルサルカ。何か変わったことはないか?」
「変わったこと? うーん、ちょっと思いつかないわね。何かあったのかしら。どいつもこいつもかわりゃしないわよ。ま、シロー君なんて何考えてんだか分んないけど」
くすくすと笑いながら答える。なんだ、こりゃ。ありえないーーNPCが受け答え? しかも、この場にいない人間まで引き合いに出して。そんな超高性能AIを実装したゲームなどあるはずがない。
「ルサルカ、お前。俺のことをどう思う?」
ありえないのは分かった。ならば、敵意のあるなしでも判別しておこう。こいつらの設定は軍人だ、しかもこいつに限っては魔女。設定通りならば、しがないサラリーマンの身で見抜けるとも思えないが。
「え~? レン君をどう思うか、ね。それは、えっと~。なんていうか~、運命の人みたいな~」
ものすごく甘ったるい口調で言う。好きなやつは好きなのだろうし、実際そういう声を出すエロゲのキャラは好きだった。けれど、限りなく現実に近い”ここ”で聞くと……
「お前……勃たたねえよ」
なんというか、きもちわるい。というか、俺自身はこいつに何もしていない。いや、ゲームの中で作成したか? ともかく、好意が元をたどれば元ネタにしか行きつかない。理由のない行為など気持ち悪いだけだ。いや、元ネタ的にただヤりたいだけか。
「ひどっ! うう、レン君はあたしなんていらないんだ。愛を囁いておいてポイ捨てなのね」
さめざめと泣き始めた。見た目は中学生といってもいいくらいのコイツが泣き出すと、なにか悪いことをした気になってくる。というか、こいつはどっちだ? 元ネタと同じ存在なのか、それともそう”振舞っている”NPCなのか。魔女という属性を考えると涙など素直に信じられはしないが。
「ああ、悪かったルサルカ。ほら、立て。調べなきゃいけないことがあるんだよ」
手を差し出す。
「うん? 調べなきゃいけないことって何かしら」
手を取って、ケロリと立ち直りやがった。やっぱり魔女だな、こいつ。ていうか、やべえ。握った手が超柔らかでやばいんですけど。なんかいい匂いも漂ってくる気もする。リアルじゃ女の影なんて周りになかったから、慣れてないんだよな。やべえ。
「……何をしているのかな、藤井君。それに、”マレウス”」
マレウス、と強調して呼ぶ。引っ掛かりを覚える。いや、設定にも書いたか。そう、皮肉で呼ぶときは名前じゃなく魔名で呼ぶ。なぜなら魔名そのものが皮肉だ。神様の呪いと言い換えてもいい。もっともルサルカに限っては大体魔名で呼ばれてたが。
「あたしはレン君に話しかけられただけよ。ちょっと仲睦まじくしていただけじゃない。嫉妬は見苦しいわよ、ゾーネンキント」
ゾーネンキント、それは現れた彼女ともう一人……彼女の中にある人物を指し示す魔名。この彼女は氷室玲愛とイザークの融合個体である。
「それで藤井君の役に立てたの?」
「うーん。それは、ねえ。これから役に立とうと思ってるの。主にベッドの中で」
「いい加減にしなさい、ビッチ。ちょっと人気が出てるくらいで調子に乗るんじゃないわよ、今の世は処女を求めてるの」
「むぐ。それを言うならあんただって処女ないじゃない」
「私のは儀式で破られただけ。藤井君以外の男に体を許したことなんかないわ。100年以上ヤリまくってたあなたとは違うの」
「なんですってェ」
口論が繰り広げられる。レベル1とレベル100だが、その
そして、それを見ると思いだす。夜都賀波岐として集まった者たちを繋ぐ絆には表と裏があった。
表ーー女神の世界を壊した天狗道に対する憎悪。
そして裏ーー藤井連に対する思慕。男もいるし、この場合は思慕と言うには恋愛感情じみていて正しくないかもしれないが藤井連の総受けなのは変わらない。そして、それは陣営が割れる原因にさえなった。
これは……もしかすると痴情のもつれで俺が刺されるかもしれない。割と切実に。リアルでは女と付き合ったこともなかったのに。
……これは、どうしよう。童貞に女の扱い方など期待するべくもなく。
キャラ紹介
ルサルカ・シュヴェーゲリン
魔名はマレウス〈魔女の鉄槌〉。意味する呪いは「誰にも追いつけない」
中世の生まれであり、夫に裏切られて魔女裁判に処された時に黒幕から魔術の薫陶を受けて村に復讐する。その後は魔女の名に恥じない性欲と血にまみれた生活を送る。黒円卓に属したのは不老不死を求めて。しかしその原動力が主人公の前世の好きなタイプになりたいからというのは気付いていない。
たいていのルートでひどい目にあう人。
氷室玲愛
魔名はゾーネンキント〈太陽の巫女〉。意味はぶっちゃけ生贄。
dies iraeと続編で性格が変わっている。力がなく未来もない生贄から、穢土太極代行総指揮者という動けないリーダーの代わりに仲間を統率する権限を持ったためである。リーダー相応の力を得たはずだが、本編ではにらめっこしかしていない。しかし根底にある主人公への一途な想いは一貫しており、どうせ死ぬからと秘めていた恋心をはっちゃけただけに過ぎない。
でもやっぱりメンタルは弱い。