全員が警戒態勢を取る。すさまじいものが来る――そんな顔を漆黒の剣の面々がしていたので、黄昏の彼らも一応顔を引き締めておく。実を言うと、彼らはどんな不意打ちが来ようがンフィーリアのもとに届かせるつもりはなかったし、それが可能だ。この程度ならいくらでも反応出来るのだ。
「くっくっく。ここまで森に深く入り込まれるのも久方ぶり。まさか、数を頼みにしているわけでもあるまい……?」
不気味に声が何重にもなって響く。すぐ近くにいるのに気配が辿れない。声の方向が後ろからも前からも。とはいえ、やはり黄昏にはそいつは前にいるとわかっている。
「ペテル、ンフィーリアさんを連れて下がれ。司狼、ベアトリスついて行ってやれ」
蓮と螢が前に出た。
「ほほう……? 仲間を下がらせるとは、なんとも義侠心にあふれていることでござる。だが、逃すつもりはないのでござるよ」
ござる? と首をかしげる蓮。
「へえ、言ってくれるわね。やれるのなら、やってもらおうじゃないの」
螢がさらに前に出る。
「ちょ――螢ちゃん、マジックキャスターなのになんで前に」
ルクルットが慌てて引き留めるが、前には出ない。……出れないのだ、そのすさまじい威容を前にしては。ちゃんと立っているだけでも褒めてほしいところだったが、前に蓮が出ているからということを自覚しているからあまり言えない。
「問題ありません。さ、先に帰りますよ」
ベアトリスが後ろを向いて、背中を押す。あっけらかんとした態度――まるでひ弱なゴブリンでも相手にしているような。
「敵を前に隙を見せるとは、なんたる蒙昧!」
さっと影が走った。
「やらせると思う?」
螢が杖で弾いた。漆黒の剣には何か動いたと思ったら大きな音がした、という程度の認識しかない。レベルが違いすぎてバトルを認識することもできない。
「さ、行きますよ!」
連はこれが契約である以上、ンフィーリアをモンスターに殺されるような羽目にならないよう行動している。これが人間の魔法による暗殺なら、そこまでは契約に含まれていないと言うがモンスターからは守る。
ゆえ、これが最善手だと思った。ここでアレの相手をするのは一人でもよかったが、それだとあっちが納得しない。モンスターを相手にするときは不意打ちを最も警戒すべきだ。罠を張り、追い込み殺すだけの知能がないのだから。
こんな不確定要素が満載のところからはさっさと退散するべきなのだ。その結論を出したことはベアトリスも分かっていて、だからささっと逃げるべく行動している。
「でも――この気配、相手は森の賢王です!」
「そうだ、いくら藤井さんや螢ちゃんが強いって言っても荷が重すぎるぜ」
「問題ない。この程度なら倒せる」
「それは……できるならやめてください。彼のおかげでカルネ村はモンスターの脅威から守られているんです」
「分かった。ならば、適当に相手して逃げることにする。そのために早く引いてくれ」
「……分かりました! ご無事で」
ンフィーリアと漆黒の剣は司狼とベアトリスに守られ、森の入り口まで戻っていく。
「さて、こちらは――」
「ふふふ。中々やるでござる。隙あらば、と思ってたのでござるが――な」
「そっちこそ、姿を見せたらどう? それとも焼き出した方がいいのかしら……」
「酷いことを言うお方でござるな。まったく、そんなことしたらそっちもただではすまぬでござろう」
「別に私たちは困りはしないけどね」
「ゲリラを見つけるのに使う枯葉剤ではあるまいし、そこまで目立つことはさすがにさせない。森の賢王だったか、さっさと出てこい。木ごと輪切りにするくらいならやりかねん女だぞ、螢は」
「なんか、そっちの男の方が話がわかるでござるな」
「ちょっと、人を話を聞かないチンピラみたいに言わないでくれない?」
「それは、ちょっと済まんでござる。お詫びに姿を見せるのでござる」
「……それでいいの? あなた」
出てきた森の賢王は。
「--ハムスター、か?」
「あら可愛い」
警戒心0だった。というか、気が抜けた。
「螢、適当に追い返してくれ」
「いいの? 藤井君。こんなんでも、一応始末しておいた方がいいと思うのだけど」
「別に構わんだろ。ンフィーリアさんからも生かしてくれるよう頼まれたしな。ここで始末する必要もない。ああ、それにだ。エンリとか言う娘にも迷惑がかかるんじゃないか」
「……それもそうね。適当に痛みつけておきましょうか」
「中々の自信。それがしの攻撃に耐えきれるか、お手並み拝見と参ろうぞ!」
「ま、適当にやることにするわ――」
森の賢王はけして容易いモンスターではない。そもそも人語を解することからして知能が高い。書物を読み解くなど貴族か商人くらいのこの世界においては、200の年月を経た彼よりも賢い人間がどれだけいるか。
ハムスターそのものの外見に相手を油断させる効果はない。強力な爪、強靭な四肢――そして、蛇の尾。先の一撃はこれによる不意打ち。この世界の人間にとっては恐るべき魔獣であり、他の何物でもない。正々堂々など、野生に生きる彼にとっては素知らぬこと。武士みたいな口調とは何の関係もなく、不意も打てば足手まといを狙ったりもする。
--野生の生き物だ。勝てば正義。勝つことだけが全てで、負ければ何も残らない。
「……っふ!」
尾の一撃。
「遅いわね」
ひらりとかわして、懐へ。
「それで、勝ったつもりでござるか?」
三発。正拳をきれいに打ち込んで……弾かれる。
「あら? ザクロにしないよう手加減したんだけどーーしすぎたか」
「手加減など、それがしには不要でござる!」
爪。鋼鉄すら引き裂く爪が走る。
「で、そんなノロイものが何だと?」
回避した。
「いつまで避けられるのでござろうかな!?」
「いや、別にいつまでも避けていられるしーー」
身のこなしが違う。獣のそれではなく、洗練されつくした殺人技術。軍人の最高位は伊達ではない。
「何を、強がりを――でござる!」
「とってつけたような語尾」
「この! このこのこの――」
すべて避ける。これがガゼフならば五宝物を使ってやっと受け止めきれる連撃。受け止められる、だ。避けるではない。
「尾。そして爪。これだけかしら」
「……ならば、からめ手を使わせてもらうでござるよ。チャームスピーシーズ〈全種族魅了〉」
「ああ、魔法も使うの」
「ば、ばかな。……でござる。なぜ、通用せんでござるか!」
賢王は動揺を見せる。動揺など、戦場においては致命的な隙だ。螢はそんなことわかりきっているから、単にただの獣かと唾棄するが――それは違う。単にこの魔人のレベルが高すぎるだけ。冒険者ならもっとつまらない油断をするし、すぐに動揺する。
「レベルが違うもの。魅了対策なんて怠っていたら、何もできないわよ?」
「ぐぐぐ――だが、それだけで勝ったなどと」
「ああ。もういいわ――
賢王の隣の木が縦に避けた。螢は何もしていない……いや、賢王にはわかった。魔法を使ったのだ。だが、それは――
「……は?」
木が倒れる音が響く。大人でも抱えきれないような大木が鮮やかに切断されて左右に折れ倒れた。
「さっさと終わらせようかしら。でも、殺してはいけないんだったわね」
「あ……あああああーー」
がくがくぶるぶると震えている。ハムスターが震える様はなんとも愛くるしいものではあるが、本人――本ハムスター? はシャレではない。魔法であることはわかった。だが、何をしたのかすらわからない。
攻撃系の魔法? そんなことは分かっている。だが、隣の木は大木――縦どころか横にすら切れるようなものではない。賢王にも、何度も攻撃してようやく倒せる。それをまるで卵のように気楽に。
動物だからこそシンプルに理解した。
「降参でござるよ。焼くなり煮るなり好きにするでござる~」
すなわち、勝てないと。彼女がその気になれば、先の男の言通りに輪切りになる。縦か横かは彼女の気分次第。
「ううん、でも私が似ても焼いても炭になるだけだし」
「螢、料理の材料にするな」
蓮はやれやれとため息をついて。
「あー。言うことを聞けば助けてやるぞ?」
「その~野生として実力を知らない人に従うのはちょっと……」
「……」
もう一つ、木がバラバラになった。
「ーーヒィ! ナマ言って申し訳ないのでござる!」
「いや、それは別にどうでもいい」
「それがし、一生殿についていくでござるよ!」
「……ん?」
「それがし、役に立つでござるよ。この森の南を縄張りとしているでござる。すべて殿に献上するでござるよ」
「いや、待て。なぜ俺がお前を配下に置くようなことになっている? 別にカルネ村を襲わないならそれでいいんだが」
「殿ほどのすさまじい力を持つお方に仕えることこそ武人の誉れでござろう」
……武人?
「……別にいらないんだが」
「そんな~。頼むでございよ~。木の実とか、薬草とか探せるでござるよ~」
「螢、こいつ飼うか?」
「藤井君がいいならいいんじゃない? 放し飼いにするなら餌代は要らないでしょうし」
「特に飼いたいわけでもないんだがな」
「そうケチなこと言わずに~。との~」
「ええい、うっとおしい。まあ、いい。配下にはしてやる」
「ありがとうでござるよ」
「あ、いや。待て。お前を連れて行くとカルネ村にモンスターが襲ってこないか……?」
「む。カルネ村というのは、村のすぐ近くにある村でござろうか? そうだとしたら、それがしがいようといまいと関係ないと思うでござる」
「……どういうことだ?」
「なにやらとてつもない何かが歩き回っているでござる。……おそらく、逃げ惑ったモンスターの一部が森から出るかと」
「ああ……なるほど。ならばーーいや、あとで考えるか」
どうせ連れて行かなければうるさいことになるのだ。説得するにしてもンフィーリアに任せてしまえばいい。
「……本当にやり遂げてしまったのですか」
「これが――森の賢王。すごい気迫だ」
と、目を輝かせるのだが。黄昏にとってはこんなハムスターがねえ、という感想しかない。担がれているのではないと知っていても、担がれているような気分だ。
「あ、そうだ。螢、乗ったらどうですか? 騎獣みたいでカッコいいんじゃないですかね」
ぷぷ、と笑う。螢がハムスターに乗るかわいらしい場面を想像したのだろう。
「ちょっと姉さん。何を変なこと――」
「それはいいな。乗ったらどうだ」
「え、そんな。藤井君まで何言いだすの?」
「そんじゃ姉さんは街までコイツに乗っていくっつーことで。ところで、コイツの名前何よ?」
「そう言えば、決めてなかったな」
螢の方を見てみる。
「そうね……クレインティエレ、なんてどうかしら」
ドイツ語で小動物。
「仰々しい名前だな。ハムスケでよくないか?」
「では、これからそれがしはハムスケと名乗るでござる」
「いや、俺が言ったんだが、お前はそれでいいのか……?」
「殿に名付けてもらった名前、大切にするでござるよ」
「そうか。で、それはどうでもいいとして。コイツの話によるとモンスターの生息圏が変わって森から出ているらしい。それはハムスケがいても変わらない。どうする? ンフィーリアさん」
「え、僕ですか?」
「俺は別に置いて行ってもいいと思ってるしな。それで、どうする? コイツをカルネ村の守りにしてもいい」
「それは――いえ、いい話だと思いますが、そこまで頼ることはできません」
「……そうか」
そして、カルネ村で休息をとる。一日過ごしてからエ・ランテルへと帰還する。その合間。
「……エンリ。真剣な話があるんだ」
「えと……なにかしら? エ・ランテルへっていう話だったら断ったはずよね」
そして、それをデバガメする者たちもいる。一応は隠れている者と、無駄に高い身体能力を活かして遠いところから見る者。
「僕は話がうまくない。だから、そのまま言うよ」
「ンフィー……? なんで、そんな……」
真剣なの、という言葉は闇に消える。雰囲気に飲み込まれてしまっていた。常のンフィーリアでなく、混乱する。
「エンリ。僕は君が好きだ」
「え……? 本気、なの――」
「本気だよ」
「でも、そんなこと。今まで、そんなこと言ってなかったじゃない」
「恥ずかしくて、ごまかしてしまったんだ。けど、藤井さんに言われて気付いた。この村は年を越えることができないかもしれない。……エンリも」
「……ッ! それはーー」
反論はできなかった。そう、はたから見てカルネ村は冬を越せるかどうか怪しい。次の年を見られるか、住人でさえ不安に思っているのだ。
「だから、後悔しないために一歩を踏み出そうと思った。エンリ、好きだ! だから、僕と一緒になってくれ」
いつものおどおどした態度とは違う。思い切った、というよりも思い詰めた態度。だからこそ、それは真実なのだと分かる。こんな深刻そうに言う彼を、からかいだなどと疑うことはできない。
「う――それは……あの……」
とはいえ、そういうのは全部からかっているだけか、ちょっとした粉かけとしか思っていなかったエンリだ。答えは出せない。
「……また来るよ。だから、答えはその時に聞かせてもらえないかな? エンリは、ここを離れるつもりはないんだろう」
「え、それは。そうよ、お父さんとお母さんが眠ってるここを離れたくないもの。ンフィーと一緒に行った方がいいのは分かってる。ンフィーがそう言ってくれるなら、ネムにもいい暮らしをさせてあげられる。……でも」
「わかってる。エンリはそう言うよね、いつも決めたことを曲げなかった君なら。だから、僕は君と一緒に居られるようおばあちゃんを説得するよ」
「それ……は。本当にいいの、ンフィー。そんなことをしたら、都会の暮らしが……」
「元々僕は都会の流行に乗るなんかより、薬師の研究の方が楽しいんだ。おばあちゃんもそうだから、きっと質の良い薬草が手に入るこの村に移住することだって許してくれる。説得するさ」
「ん……分かった。待ってるね、ンフィー」
その次の日、ルクルットとペテル、ベアトリスにニヤニヤされながら小突かれまくったのは言うまでもない。
ンフィーリアが告白できたのは環境の違い。原作だと普通に要塞化していますが、この作品ではちょっとした柵が立っているくらいです。召喚ゴブリンの力を借りてちょっとしたものを作って、住民に弓の引き方を教えたくらいです。
カルネ村は相当なハードモードですね。困ったらおせっかいな人たちが何とかしてくれますが、そもそも困るような事態は小さな村にとって起きたら滅ぶくらいの大事件です。