物心ついてから、なんだかふわふわした感覚が常にあった。
地に足がついていないというか、こう、なんと言えばいいのかしら。
そうね、食事の際の、ナイフとフォークに激しく違和感を覚えるの。
パンとかフリカッセじゃなくて、ワインもなんか違うの。
悩んで悩んで、いろんなものを食べてはまた悩み。
そのせいで、小さい頃は食いしん坊って言われてた。
そして10歳、私は完全に前世の記憶に目覚めた。
でも、前世の知識はともかく名前は捨てた。
今の私は、ダニエラ。
メルケル男爵家の三女、お貴族様よ。
男爵家といっても、下っ端。
両親も、良い意味で庶民感覚があったから助かったわ。
まずは現状認識と、改革への足場固め。
与えられた領地は豊かではなく、むしろ貧しいぐらい。
でもそれが良い。
80点を90点にするのは難しいけど、20点を50点にするのはそんなに難しいわけじゃない。
もちろん、投下する資本は乏しいけど、先行技術や理論が存在する以上、後追いに関しては比較的楽ができる。
と、いうか……宇宙船でバンバン戦争やってる世界で、貴族の領地経営のお粗末さというか、原始的経営に頭が痛い。
貴族の子女が先頭に立って領地経営というか土にまみれるのはどうかと言われたけれど、『私は美味しいものが食べたいの』の一言で、親も兄も黙らせた。
技術の進歩は未来に向かっているはずなのに、文化の進歩が妙にちぐはぐというか、戦争の影響なのかしらね。
そして、私とみんなの叡知を結集した改革案は、6年目あたりから完全に軌道に乗った。
昨日よりも今日、今日よりも明日。
豊かになっていく実感に、領地経営に関わるみんなはもちろん、荘園で働くみんなも手応えを感じていた。
うん、前世の記憶がある私としては、農奴の件もどうにかしたいんだけど、奴隷を解放したところでその受け皿がない状態なの。
一応、教育なんかも進めてはいたんだけど、教育水準って、一旦断絶すると大変なのね。
文字を読む、文字を書くという習慣がないと、そこにたどり着くまでがものすごく大変。
貴族令嬢でありながら、土にまみれ、陽に焼け、父も母も、何かを諦めた感じでため息をつく立派な私。
お父様、お母様、労働が私を幸せにするのよ。
基本的に、『働かせる側』がこういう言葉を使うのだけど、私の場合はどちらになるのかしら?
そして10年目。
第一次領地改革計画の一区切りの年。
今や、見合いの話すら持ち込まれなくなった私の目に映る、金色の大地。
果樹園では、摘み取りが始まっている。
食卓を鮮やかに彩るだろう、青物の緑の畑が目に眩しい。
やればできる、やればできるのよ。
涙を浮かべ、農奴と肩を組んで陽気に歌い躍る貴族令嬢。(白目)
今や私は、歌って踊れる立派な農婦です。
何故、ほかの貴族がこれをやらないのか。
そんな私の疑問に答えてくれたのは、貴族社会の現実ってやつだった。
それは、第二次領地改革計画に着手しようとした矢先のこと。
上位貴族に、よくわからないいちゃもんをつけられたと思ったら、あれよあれよという間に罪が確定し、当主であるお父様と後継者の兄が殺され、領地を没収された。
没収された領地は賠償として、いちゃもんをつけてきた上位貴族のもとへ。
なるほど……太ると、食われるわけね。
貧弱なボディを、たゆまぬ努力で魅力アップさせたところで美味しくいただかれるというわけなのね。
わかった。
貴族が努力しないのは、努力の成果を奪われる事を分かっているから。
その証拠に、上位貴族の領地は、豊かなものがほとんど。
あれは、必ずしも努力したからじゃない。
他人の努力の成果を奪ってきたからなんだ。
ぼーっとした頭で、なんとなく、前世で農家の心を殺す方法を聞いたのを思い出した。
収穫直前で、畑を焼き払う。
これを2年続けると、農家のほとんどは労働意欲が潰えるそうよ。
たぶん、貴族のほとんどは、先祖のどこかで心を折られてしまったのね。
私は、貴族でありながら、貴族として最も必要なことが分かっていなかったのね。
力がなければ守れない……当たり前のこと。
そんな当たり前のことを、私はわかっていなかった。
私の中で、何かが折れた。
私だけじゃない、私のせいで、メルケル男爵家そのものが終わってしまった。
母と義姉は、毒をあおって自裁の道を選んだ。
上の姉は、嫁ぎ先から離縁された。
下の姉は、離縁こそされなかったけど、かなり肩身の狭い思いをしているらしい。
私の努力が、メルケル家を潰した。
追い打ちをかけるように、奪われた領地で新しき支配者に逆らって反乱が起きた。
見せしめのために、すべてが殺されたと聞いた。
ともに土を耕した農奴も、肩を組んで歌った農奴も、酔って素敵な芸を披露してくれた農奴も、死んでしまったのか。
本当の意味で、10年にわたる努力の全てが殺された。
ああ、メルケル家だけじゃなく、私がすべてを殺したのか。
もはや、私の目からは涙すらこぼれなかった。
それから10年。
私は、貴族どもが……腐肉を漁るハイエナどもが大勢死んでいくニュースを無感動に受け入れた。
支持基盤に違いはあれど、所詮は権力抗争だと醒めた認識しかできない。
その中にはかつての知人も、父を殺して領地を奪い取った貴族も混じっていたけれど、私の目から涙がこぼれることはなく、口元に笑みが浮かぶこともなかった。
私の心は既に死んでいたから。
ついに生存者が出たよ、ヤッタァー!(ただし心は死んでいる)
まあ、人間は死ぬ生き物だからいつかは死にますけど。
やはり私は、女性キャラには優しい。(白目)