そんな伝説の始まりがこれ。
30分後に、もう1話投下予定。
証言者1:美形の兄貴。
5つ年下の弟。
明確な時期は不明だが、私は奴のことが嫌いだった。
理由を言うなら、私を見る目だろうか。
ふっと私を見て、時折首をかしげる。
耳を澄ますと、『なんか変だ?』などとつぶやきが聞こえてくる。
最初はなんのことかわからなかったが、奴は私に限らず、家の中のことや使用人のやることなどにもそんな反応を見せていて……やがて気づいた。
奴は私を、言葉や行動を否定していたのだと。
頭がカッとなった。
子供の頃の一年は大きい。
その上で5歳も下の弟に『もっとちゃんとやれよ』と指摘されるのは屈辱だが、それより許せないのは『私の対面を慮って直接口にしないこと』だ。
年下に庇われる。
チルレル子爵家を継ぐために色々と特別な教育を受けている私にとって、日常的にこんな恥辱を味合わされるのは、言葉にできないほど腹ただしいことだった。
観察していれば、父上も奴のことを将来有望と見ている気がする。
脳裏に浮かぶのは、『廃嫡』の言葉。
私は、弟から距離をとり始めた。
時には辛くあたり、直接的な暴力も振るった。
いくら頭が良くても、5歳の年齢差の体格差はなんともし難い。
弟は兄である私の暴力の前に、無様な姿を晒す……それが心地よかった。
そしてあの日、打ち所が悪かったのか、奴は私に殴られて壁に頭をぶつけて気を失った。
今思うと、奴は……いや、弟のイザークは、兄である私を立ててくれていたのだと思う。
イザークの優しさを断ち切ったのは、私だ。
弟が目を覚ますまで、私は見舞いにもいかなかった。
奴は私を見て、口元に妙な笑みを浮かべて近づいてきた。
その生意気な視線がしゃくにさわって、もう一度ぶん殴ってやろうと一歩近づいた瞬間、股間を蹴り上げられた。
あの痛みに腹の中の空気を吐き出したと思ったら、目の前で火花が散った。
そして気が付いたらベッドの上に寝かされていた。
後で状況を問いただしたところ、股間を蹴り上げられて前かがみになったところを鼻に手のひら……掌底というらしいが、それを食らったらしい。
流れるような動作で足を払われて倒れたところを、股間をもう一度蹴り込まれ、あとは馬乗りになられてボコボコだったそうだ。
それを聞いてゾッとした。
これまでずっと、暴力で優越感に浸っていたこと……それすらも奴のお情けだったことに。
屈辱に震えた。
怒りで頭がどうにかなりそうだった。
細身の剣を手に、奴を探して屋敷中を駆け回った。
そして父の言葉に、呆然とした。
『長男のお前に手をあげた罰として、イザークを地下牢に閉じ込めた』
地下牢への出入り口付近は、父が信頼するものたちによって監視されていた。
これは罰じゃない。
奴を私から守るための、父の配慮だと。
屋敷から離せば、監視の目が行き届かないこともある。
なんせ、私は後継者だ。
先を見込んで擦り寄ってくる輩は少なくない。
おそらく父はそれを恐れたのだろう。
殺してやる、いや殺さねばならない。
今はダメだ。
奴のことなんかなんとも思ってないとばかりに日々を過ごす。
3ヶ月、半年、いやもっと時間をかけてもいい。
監視の目が緩んだ時、もしくは父がもう大丈夫だと奴を地下牢から出した時……奴が私をぶちのめしたように、私も周囲が止めるまもなく殺してやると心に誓った。
復讐の念を隠しつつ日々を過ごすうちに、地下牢に閉じ込めたイザークの様子がおかしいという噂が聞こえ始めた。
おそらく、父が私を確かめているのだと思った。
私はせいぜい心配そうな表情を浮かべ、『弟は元気にしているのか?体調など崩してはいないか?』などと地下牢を監視する連中に聞いてみた。
すると連中、妙な表情を浮かべて言うのだ。
『え、ええ……元気です。とても元気ですよ、元気すぎるほどに元気です』
まだ私が警戒されているのがよくわかった。
いくら優秀でも、10歳やそこらの子供が地下牢に閉じ込められて元気に過ごしているだと?
言うに事欠いて、元気すぎるほど元気ですなどと……。
私はさらに待つことにした。
そうして2年。
ようやくチャンスが来た。
協力者の手を借りて、剣を手に地下牢への出入り口へと忍び込む。
2年ぶりの姿を見ることになるのか。
成長はしているだろうが、地下牢暮らしで心身ともに衰弱しているだろう。
知らぬうちに、笑みを浮かべている自分に気づいた。
そして、私は見た。
牢の中、汗を流しながら片手の指一本で逆立ち腕立てしている肉の塊を。
確かではないが、10秒ほど頭の中が真っ白になっていたと思う。
心身ともに、衰…弱…?
肉の塊は、腕を大きく曲げると、床を突き放すようにしてジャンプし、宙で回転、鮮やかに両足で着地した。
物陰に隠れて、こっそりと様子をうかがう私の耳に『なんだこのチートボディ…』などと、よくわからない言葉が聞こえてきた。
肉の塊は、汗を拭うこともせずに上体を起こしたり、背中を反らしたりを繰り返している。
いや、現実逃避はやめよう。
でかくなりすぎというか、身長からしてもう私よりも大きくなって……2年前の記憶と、目の前の姿にギャップを感じすぎて目眩がしそうになるが、年齢にそぐわぬ端正な横顔には確かにあいつの面影がある。
あれは、奴だ。
私の弟、イザークだ。
上半身裸の背中に浮かび上がる凹凸は、鍛え上げられた勲章のよう。
私は思わず、手に持った剣に目をやった。
二の腕に手をやる。
奴に比べて、なんとも貧弱に思えた。
単純な背格好という意味では、それほど大きな身長差ではない。
しかし、明らかに違う。
肉体から発する熱量が違う。
威圧感が半端ない。
まさに、大人と子供……いや、それ以上の差を感じる。
無理。
勝てない。
向こうが素手で、こっちには剣があるとか、そういう話じゃない。
私は失意の中、部屋へと戻った。
ある程度冷静になったところで、気がついて愕然とした。
地下牢の中で2年間、己の肉体を鍛え続けたその意味。
ひゅっと、喉から息が漏れた。
ガチガチと歯が鳴り出す。
身体が震え出す。
私が奴を殺そうとしていたなら、奴が私を殺そうと思っていたとしても何の不思議もない。
奴は、地下牢という不自由な生活の中で、己を鍛えあげていた。
私はどうだ?
殺す殺すという思いだけをつのらせて、こそこそと隙をうかがい続けていただけに過ぎない。
剣じゃなく、ブラスターを使えばどうか?
想像してみる。
すごい勢いで私に向かってくる奴にブラスターを撃つ、命中。
しかし奴は止まらず、私はぶん殴られる。
1発で半死半生の状態になった私に、無慈悲な追撃が飛んでくる……私は死ぬ。
脳裏に蘇るのは、あの圧倒的な肉の塊。
あの肉の塊が発する威圧感と熱量。
そして、2年前の屈辱。
あの肉の塊が、私の股間を蹴り上げ、顔面を殴り、足を払って転ばされ、馬乗りになって、顔面を何度も何度も……
私の口から、変な悲鳴が出た。
震える体を抱きしめて、ベッドにこもる。
その日は、いつまでたっても眠れなかった。
奴に対抗しようと、壁に向かって逆立ちした。
血のつながった兄弟、鍛えれば自分にもできるはずだと。
ただそうしているだけで腕がプルプル震えて、頭に血が昇って苦しくなる。
片手?
指一本?
しかも、腕立て?
片手の曲げ伸ばしの反動で体をジャンプさせるぅ?
余計に絶望しただけだった。
それ以来、私はろくに食事が取れなくなった。
あまり食べると吐いてしまう。
睡眠もろくに取れない。
奴に殴り殺される夢を見て悲鳴とともに跳ね起きてしまうからだ。
私は徐々に衰弱していった。
弟は相変わらず、地下牢で元気すぎるほど元気らしい。
新しい服を用意していたメイドからサイズを聞くと、奴がまだまだ成長しているのがわかる。
やめろ、やめてくれ。
私を見てみろ。
このみすぼらしい私を見てみろ。
特に最近は、ベッドから起きられないこともしばしばだ。
鏡に映った自分の顔を見て、いろんな意味で絶望が深まる。
奴に殺されるのが先か、衰弱して死んでしまうのが先か。
弟よ、イザークよ、私が悪かった、許してくれ。
すべてをお前に譲る。
だから、もう、やめてくれ。
うわ言のような祈りをささげながら、私はまた、夢の中でイザークに殴り殺される。
もう、跳ね起きる体力も気力もない。
医者も、両親も、首を振るばかり。
ああ、早く…楽になりたい。
人の心は、かくも簡単にスレ違います。
そして、悪意を振りかざす者は、その悪意に振り回されると。
どこかの警官:『悲しい、事件でしたね……』
チルレル子爵(父):『誤解にも程がある……』
……というか、みなさん。
もしかして美形の兄が都合よく死んでくれたとでも思っていましたか?
主人公は、おのれの力で運命を切り開きました。(兄の自爆風味)