道に倒れる転生者の章の締めくくりです。
死にたくない。
それしか考えられなかった。
宇宙時代、それはいい。
男はいくつになっても子供心を忘れない生きものだからな。
地球を飛び出し、
問題は銀英伝だ。
いや、銀英伝の世界そのものをどうこう言うわけじゃない。
これから、銀英伝の原作真っ只中ってタイミングが最悪だ。
帝国は支配者がひっくり変わる。
同盟は、帝国に滅ぼされる。
フェザーンもまあ、そんな感じか。
銀河の創世とか、歴史の新たな1ページとか、綺麗ごとにごまかされちゃいけねえ。
国の興亡ってやつは、つまるところ、社会の大混乱さ。
しかも、原作ではほとんど語られなかったが、帝国の社会体制が、同盟の民主主義をどう飲み込んでいくかってところに俺は恐怖を感じる。
ついでに言うなら、帝国の経済システムと、同盟の経済システムの融合っていうか……恐ろしい大混乱が引きおこされるのを想像しちまう。
ソ連崩壊後の大混乱なんか、目じゃないレベルだろう。
まあ、俺たちの目に触れた大混乱のニュースが真実かどうかってところは、今更確かめようがない。
仮に、同盟が帝国を滅ぼしたところで大混乱が起きるのは間違いない。
人口は、帝国が同盟の約2倍だったか?
500年続いた専制国家で、民主主義を語るというか布教するなんて、原始人に三角関数を説くようなもんだろ。
あれ、帝国での平民の教育環境ってどうなってんだ?
まあ、思想関係はろくでもない感じだろ、どうせ。
とすると、歴史に介入するなら、同盟と帝国の戦争が延々続くというルートが目標か。
嫌すぎる未来しか見えねえ。
お互いに疲弊しきって、講和の目もあるか?
……よし、諦めよう。
そもそも、俺が歴史に介入しようとして、何ができるかって話だ。
原作知識がある分、有利に立ち回れる可能性はあるが……状況が変化すれば、原作知識に縛られる可能性も高くなる。
結局のところ、目の前の現実ってやつから状況判断及び、選択するしかない。
それに、歴史に介入しようとすれば、ほぼ自動的に軍人コースだ。
身近に、戦死のニュースが飛び交う世界だぜ?
冗談じゃねえ。
1兵卒の運命なんて、上官任せの敵任せじゃねえか。
どうせ死ぬなら、俺は自分の選択によって死にたい。
政治家?
無茶言うな。
下っ端じゃ意味ねえし、偉くなりゃ戦犯コースで殺される。
ああ、国民に殺されるってルートもあったな、正気じゃやってらんねえよ、そんなもん。
俺は生き残る。
これから先の社会大混乱を乗り越えて。
まず、ここがこの世界における俺の原点だ。
そうだな、ひとまず60歳を目標にするか。
多少の不便なんかは受け入れるが、ただ生きているだけなんてのはゴメンだ。
生きてるから奴隷でもいいじゃないかって言われてうなずけるか?
生きるってのは、死んでないって意味じゃねえだろ。
それも踏まえて方針を決めなきゃいけねえ。
前世の両親が『手に職をつけろ。そうすれば食いっぱぐれはない』って言ってたな。
くく、1000年以上も昔の言葉だが、こいつが真理ってやつかもしれねえ。
じゃあ、何の職がいいか。
技術者……は、軍に徴用される危険があるな。
いや、単に技術者っていうのも、ふわっとしすぎてるな。
もう少し、具体的な方針が必要か。
集団というか、社会にとって有能なスキル。
この集団というか社会は、帝国でも同盟でもってことじゃなきゃいけねえ。
周囲から重宝される。
ちょっとかぶるが、周囲の人間に大事にしてもらえるってのは重要な要素だろ。
同盟が帝国によって滅ぼされるなら、危険視されないスキルってのも必要か。
そうすると、昔からある職業というか、スキルってことになるな。
……医者か。
社会の混乱を避けるというなら、ハイネセンなんかの都会は危険だな。
暴動に巻き込まれるリスクが高い。
まあ、そんなこと言い出したら、この銀河のどこにも住めねえよって話になるが。
ただ、良くも悪くも都市部ってのは情報が早いというか、状況の変化に対してレスポンスが早くなる。
そのレスポンスが辺境に届く前に、何度も何度も反応しちまう……みたいにな。
辺境だと、これからの激動の時代の変化ってやつを、距離という防壁がある程度防いでくれることを期待できる。
つまり、社会全体が悪化していくというベクトルを、緩やかに受けていくわけだが、その緩やかさが俺には、生き延びるってことには必要なんだ。
無論いいことばかりじゃないがな。
最新機器を必要とする先端医療なんて、最新機器がなけりゃ何もできないってことになりはしないか?
これは、賭けだな。
目標は、辺境星系だ。
村のお医者さんというか、離島の医者ポジション。
あれはあれで大変とか、オールマイティに診察できなきゃいけないから辛いとか言ってたが、生き延びるためならなんでもねえよ。
なんでもねえというか、耐えられる。
按摩やマッサージを含めた、原始的な医療技術を中心にした……もちろん、医者になる過程で最新医療ってやつも学ぶ。
でも、薬草なんかの知識も必要だな。
薬が足りないとか、普通にありそうだ。
先端医療を軽視はしないが、先端医療に頼らない医学を身に付ける。
ははは、仲間から異端視されるだろうな……でもそれがいい。
出世とか無縁の、僻地へと赴任する全自動ルートが敷かれるってことじゃねえか。
いや待て。
上に睨まれて軍医ルートって罠があるのか。
やべえ、見落とすとこだった。
しっかりしろや、俺。
選択肢をひとつミスったら即死亡のクソゲーレベルの過酷さを覚悟しろ。
俺は目を閉じ、もう一度考えた。
よし!
やることを決めたなら、やるしかない。
まずは勉強。
それと体力作りだ。
体力ってのは、若い頃に積み上げた量で決まるって言ってたからな。
医者として日々を過ごすために、体力は必須だろう。
医者になるため、地方で中核となる星系の大学へと進学。
ああ、ハイネセンなんかに行くと、妙なしがらみができそうだからな、敬遠した。
ある教授が俺のことを『熱心な学生』と褒めてくれたが、命が掛かってんだよ、当たり前じゃねえか。
いけね、口に出てたか。
待て、待ってくれ。
学生の時点で患者の命の重みを理解しているとは……なんて、感動した目で俺を見るな!
そんな勘違いルートを、俺は望んじゃいねえ。
やばい、修正が必要だ。
妙な噂が広まったせいか、教授たちがマンツーマンってレベルで俺を指導してくれている。
いや、それはありがたいが、ちょっと待ってくれ。
おいこら、ここはお前ら俺に嫉妬の視線を向けるところだろ?
あいつなら仕方ない、みたいに頷いてんじゃねえ。
俺は、医者としての技術は身につけたいが、出世はしたくないんだ。
よし!
辺境星系における、医療弱者を救いたいんですって主張が受け入れられた。
嘘じゃねえ。
俺は俺の命を救いたい。
その過程で、医療弱者を救うことにもなるだろう。
さらによし!
薬草っていうか、薬学絡みの指導者を紹介してくれた。
勉強がはかどるぜ。
頭でっかちになっちゃいけないからな、自分で薬草を育てたりもする。
その一方で、複雑な化学式で構成された薬品を、合成したりもした。
専門家になるつもりはないが、オールマイティにならなきゃいけねえ。
なんでもまんべんなくできる医者。
それが俺の目標だからな。
わかっちゃいたが、めちゃくちゃ忙しい。
最近はずっとタンクベッド睡眠にお世話になっている。
食事も、軍用のレーションだ。
やべえ、ぶっ倒れた。
おかしい、理論上は睡眠も栄養も足りているはずなのに。
医者の不養生?
アンタは医者だが、俺はまだ医者じゃない。
何が俺をそこまでさせるのかだって?
俺は、俺は……生き延びたいだけなんだ。
口には出せない言葉を飲み込みながら、俺は涙が止まらなかった。
少し、心の余裕ってやつがなかったのかもしれねえ。
逸る心を抑えて、少しペースを落とした。
それでも同級生からは『生き急いでる』なんて言われるがよ。
やはり、人間身体が資本だ。
対策として、日課に運動を組み込んだ。
食事も、1日に1回は普通の食事を取るようにした。
週に2回は普通の睡眠をとる。
生き延びる努力の過程で過労死とか、洒落にもならねえ。
授業に研修。
卒業までの日々が淡々と続いていく。
研修で、軍医に付けられて宇宙船に乗せられたときはどうしようかと思った。
まあ、戦場に行ったわけじゃなく、辺境巡察の軍ってやつだったから、何もおこらなかったが。
骨折と打撲の患者が少々と、心理カウンセリングの真似事が1人、それと虫垂炎の手術が1件ぐらいか。
だから、『コイツ、つかえる』みたいな目で俺を見ないでくれ。
評価されるのは、正直嬉しいがよ。
医者の卵に対して、使えるもへったくれもないだろうに。
卒業、いざ辺境星系へ……ってわけにもいかねえ。
それなりの都市の、それなりの大病院で、まだお尻にくっついてる卵の殻をひっぺがすための実地研修だ。
これを2年。
ああ、なんか首席卒業みたいだったが、俺の人生の目標にはなんも関係ない。
うん、関係ない。
だから、俺の目標は、辺境で、医療弱者を、救うことです。
ポジティブに考えよう。
医者としての、周囲からの俺の将来への期待度は高い。
つーか、ラインハルトの名前が俺の耳に入ってきた。
やばい。
同盟の最後の日が近づいている。
早く、早く研修終われ。
俺の赴任先はもう決定してるんだから!
おお、ここが俺の終の棲家か。
開拓が始まったばかり……と言っても、俺が生まれる前から続いてる……絵に書いたような辺境星系の開拓地。
へえ、最近鉱物資源も発見されて、これから発展が見込める……なんか不吉ワードきました。
ま、まあいい。
60歳まであと30年と少し。
頑張ろう、ゆっくり頑張ろう。
この開拓地、俺が赴任するまで、ちゃんとした医者はいなかったらしい。
なんかすごい歓迎されてる。
いや、俺はまだ新米のぺーぺーで……。
ああ、でもちょっと泣けてきた。
ようやく、ようやく俺はここまでたどり着いた。
小さいながらも、診療所まで用意してくれた。
それなりの設備も。
自分が生き延びるためにやってきたが、全力でこの人たちの期待に応えていきたいと思う。
そしてそれが、俺の命を救うことにもなるだろう。
おかしい。
うまくいきすぎてる。
いや、俺はやっぱり新米の医者だからな、毎日てんてこ舞いさ。
ただ、前世で言うところの村のお医者さんとか、離島医師のイメージとはちょっと違った。
考えてみりゃ、宇宙船があって、ビームだのシールドだのを使って戦争する世界だもんな、エネルギーの問題に関しては俺の取り越し苦労だったようだ。
いや、いきなり故障とか、予備が動かないとかあるな、油断はできねえ。
そう、通信ネットワークと、情報の集積だ。
こんな時どうすれば……って時に、調べることもできるし、距離に限りはあるが通信で先輩の医者に患者のカルテ込みで相談することもできる。
俺が思っていたよりも、かなり恵まれている。
いや、油断したら死ぬ。
新米の医者のせいで誰かが死んだとかになったら、みんなに吊るし上げられて殺されるに決まってる。
俺は、医者として誠実に日々を過ごしていくしかない。
ミスをしたら死ぬ。
患者も、俺も。
患者もそうだが、住人とのコミュニケーションは重要だ。
はは、いつの時代も病院ってのは老人の溜まり場になるんだな。
悩みを聞いてやり、その過程で身体の調子を尋ね、近所の人間で様子のおかしな人はいないかを聞いて、時間が許せばマッサージなんかを施す。
何故か拝まれた。
俺は俺のためにやっているだけだ……とは言えないから、医者として当然とか、俺は普通の医者ですなどと言っておく。
医者であることに慣れるために忙しく働いていたら……同盟が滅んでた。
あっさりしてんな、って感じだ。
いや、ハイネセンやその他の重要拠点なんかでは激しい混乱があったに違いない。
戦闘が行われなかったとしても、社会は混乱する。
人が多いってことは、それだけの狂気を内包する可能性があるからな。
まずは俺の選択が正しかったとしておこう。
しかし、辺境星系の試練はここからだ。
社会システムの混乱による治安低下もそうだが、支配体制の変化に伴う摩擦等……死はどこにでも転がっている。
医者になったことで、それが余計に身にしみた。
帝国から、ここを管理するための人が来る……ここが分岐点だな。
チクショウ、やっぱりもめたのか……って、忘れてた!
同盟国言語と、帝国言語って別の言葉じゃねえか!
俺は医者になる過程で熱心に習わざるを得なかったけど……まあ、全く別の言語体系ってわけでもないし、帝国の役人や士官クラスの軍人ならみんな同盟の言葉はわかるか?
ああ、でも興奮したら意思の疎通すら危うい……よな。
そりゃ、揉めるわ!
待て、待て待て待て……俺は死にたくないが、そんなこと言ってる場合じゃ……っていうか、医者の前で死なせるようなことができるか!
一触即発の中、俺は自分の額をメスで切り裂いてから、ど真ん中に飛び込んだ。
額の傷は小さくても結構な出血を伴う。
医者には当たり前の知識だがな、一般人はどうよ?
住人も、帝国の奴ら……軍人はさすがに慣れてるか、それでも血まみれの俺の顔を見て息を飲んでいる連中がいるな。
ここが勝負どころだろ!
失敗すりゃ死ぬんだ、死んだつもりでやってやらあ!
前世のドラマか何かの一場面、上着もシャツも脱いで上半身裸で、両方を睨みつける。
帝国言語と、同盟言語、ゆっくりと、繰り返す。
……空気が変わった。
ああ、俺の言葉を聞いてくれる。
これでなんとかなる。
なんとかなった。
無茶しないでくださいとか言われたが、死ぬより無茶なことなんかあるものか。
あれ、ところで君は誰?
なんか睨まれた。
ああ、あのおばあちゃんのお孫さん。
……睨まれる要素あったか?
人知れず恨みを買ってるのかもしれん……気をつけねば。
反乱?
ああ、ロイエンタールのあれか。
あれ、レンネンカンプ?だっけ?
この星には関係なかったというか、最近急に人が増え始めてて忙しい。
人が増えれば患者が増える。
ああ、やはり社会の混乱の余波がこんなとこに現れるのか。
いろいろなものが足りなくなってきた。
特にやばいのは薬関係。
大きな声で言ってやる!
こんなこともあろうかと!
ああ、こんなこともあろうかと!
この星で育つ薬草園を、患者の老人達の手を借りつつコツコツと世話してきたのだ!
干したり、茹でたり、やることが多すぎるけどな。
もちろん、入手できる範囲は限られてるが、やれることがある、それだけでもありがたい。
いわゆる普通のカプセルみたいな薬しか知らない人間が驚いている。
そう馬鹿にしたもんじゃない。
薬の形状やら、見た目はどうでもいいんだよ……この辺は、前世日本人の感覚に感謝だ。
結局は、薬効成分があるかどうかが問題なんだからな。
あ、患者が死んだらこの怪しげな薬のせいにされて、俺も死んじゃう?
俺は医者だ。
患者を救うために最善を尽くす。
それは、俺の命を救うための最善でもあるのだ。
患者が助かった。
俺も助かった。
またタンクベッド睡眠のお世話になっている。
前向きに考えよう。
俺には、タンクベッド睡眠をとれる余裕がある。
俺の死に巻き込まれるのでは……と悩んだが、『私がお世話しないと、先生が死にます』などと押し切られた。
まあ、なんというか、結婚した。
診療所を手伝ったり、薬草の世話をしたり……正直助かります。
人が増えているのは、都会から逃げてきた結果らしい。
……俺は間違ってなかった。
ああ、でもここの治安と、星系の治安が気になる。
患者でもある老人たちに相談してみる。
老人たちのコミュ力を舐めてはいけない。
子供たちを一緒に遊ばせる?
なんかのイベントで、一体感を抱かせる?
さすが年の功だ。
ポンポンとアイデアが出てくる。
え、あれ、なんでそんな元気なの?
なんでそんなやる気なの?
生きるのには、目的が必要ってことか。
子供が生まれた。
開拓住人と移民住人の間でいざこざが起きた。
やっぱり俺か!
目立ちすぎると、嫌なフラグが立ちそうであれなんだが、そういうわけにもいかない。
……ひどい人間と言うなら言え。
妻と一緒に、赤ん坊を抱いてみんなの前に出て行った。
お前ら、この無垢な赤ん坊の前でさっきと同じことが言えるか?
この赤ん坊の前で、罵り合い、傷つけ合い、殺し合うことができるのか!
何とかなったが、妻にめちゃくちゃ怒られた。
いや、その場に君もついてきたよね……と、口にしたらものすごい怒られるはず。
これは、多分、世界とか時代とか関係ない真理だ。
まあ、死にはしないから受け入れる。
しかし、我が息子。
あの状況で泣きもせず笑ってた。
大物になるかもしれん。
……俺の命を危険を晒さない程度に頼む。
両親が、2人の孫の顔を見るためにこの星にやってきた。
『いいところだねえ』と言われて、嬉しくなった。
そのまま、ここに住むことになった……いいのか、田舎だぞ?
最期を看取った患者さんの家族に泣きながら感謝された。
なぜだ?
助けられなかったのに?
この星を襲おうとしてた賊が、一掃されたらしい。
なんか軍の人が会いに来た……ああ、俺が血だらけになった時の。
どうやら色々と頑張ってくれてるらしい。
心の底からありがとうと言わせてください、え……こことは別の、辺境星系の開拓地が?
自分は、そこの軍人みたいに処罰されたくなから勤務に精を出しているだけって……はは、そういうことにしておきますか。
え、いや、やめてくださいよ、あの時の事を言うのは。
『人の命を救おうとする医者の前で、お前らは傷つき、死のうというのか?ふざけるな!お前らは、生きるためにこの星を開拓してきた、違うか?アンタラは、役人か?軍人か?どちらも人を守るために、毎日汗を流して……』
やめてくれ!
さっきの仕返しのつもりか……え、あの時、泣いてた?
俺は覚えてない!
そんなこと多分言ってないし、泣いてないし、後ろの人も、頷かないで!
知りません、俺は普通の医者だから、知りません!
俺は必死だっただけです!
そ、そうですね、俺は医者として働いてるだけで、あなたも軍人として働いているだけ!
そういうことでいいですよね?
息子たちが殴り合いのケンカをした。
理由を聞くと、『俺のような医者になりたい』っていう長男と『家族より患者を大事にする医者なんか絶対にならない』っていう次男。
何故だか、前世の母親の言葉を思い出した。
『生きていてくれるだけでいい、生きていてくれるだけで嬉しい』
ああ、本当だ。
生きていてくれるだけで、生きているだけで。
それはそうと、お前らが殴り合ったせいで幼い娘が泣いている。
それは許さん。
いいのかなあ。
こんなに幸せでいいのかなあ。
昔馴染みの患者が死んでいく。
新しい命が生まれる。
医者を目指して、長男が星を出ていく。
おかしいぞ。
どこかに落とし穴があるはずだ。
ああ、これが落とし穴か。
政治には興味がない。
俺は医者だ。
次男が、この星で働き出した。
俺は、誠実に医者を続けていく。
誠実に、誠実に、医者を続けてきた。
気が付けば、俺は60歳になっていた。
開拓地は、既に街と呼べるものになっていた。
星は、ここを拠点に新たな開拓地を拡げて発展しつつある。
診療所は、いつしか病院と呼ばれる存在になっていた。
俺以外の医者もいる。
不意に、景色が歪んだ。
涙が流れている。
ラインハルトは死んだ。
キルヒアイスは死んだ。
ヤンも死んだ。
ビュコックが死んだ。
銀河統一という歴史の流れの中で、多くの英雄が死んでいった。
それ以上の、数え切れない程の、名も残らぬ人間が死んでいった。
ああ、俺は……いや、生き延びたなんて、そんな言葉を使うべきじゃないだろう。
この星で。
この広大な銀河の中で。
数え切れない程の、名も知らぬ人間が生きている。
俺は生きている。
俺は生きてきた。
誰にも否定させないぐらい、俺は生きてきたし、生きている。
「お父さ……じゃなくて、先生」
慌てて涙を拭う。
振り返る。
ああ、わかっているよ。
患者が待っているんだろう。
娘は看護師を目指して研修中だ。
やれやれ、医療一家だな。
嬉しい半面、苦労するだろうなと思う。
医療の道を選ばなかった次男が寂しい思いをしないよう、気をつけねば。
そういえば、最近母の体調が悪い。
父が死んで……そろそろ、覚悟しなきゃいけないかもな。
俺はこれからも生きていく。
誠実に医者を続けて生きていく。
なにかから逃げるためではなく。
前を向き、胸を張って生きていく。
医者として。
人として。
皆様、よろしければ彼にささやかな拍手を。
コイツだけ運良いな、と言われたらアレですが、彼はほかのキャラと明らかに違うところがあります。
逃げるだけでなく、時には立ち向かい、臆病なほど慎重で、歩みを止めず、そして重要なのは、他人の手を借りまくっているところです。
人と繋がり、繋がった人が様々な形で彼を助けました。
私の考える、『生きる』というひとつの形です。