情報を制限された状態で、銀英伝世界を認識できるかどうか?
子供の頃、前世の記憶があることを自覚した。
ここが銀英伝の世界であることに気づくまで、10年程かかった。
出遅れた出遅れた出遅れた!
スタートダッシュに出遅れた!
出遅れって、手遅れに似てるわね。
前世の記憶持ち転生なんて、幼児期からの努力ブーストが基本じゃないの!
いや、努力ブーストはかかってるのよ、かかってるの。
っていうか、私前世でもかなり努力してたし!
努力の質は変えられても、時間が有限である限り、量は変えられないのよ!
でもね、でもね、ここは帝国で、私は平民で、女なの!
うわ、貴族に目をつけられたら死ぬわ。
……っていうか、男尊女卑ってキツイ社会ねえ。
この状況で、この状況で、あなたなら何をする?
色々と努力はするけど、目立たないように、目をつけられないように必死よ?
平凡な容姿に生んでくれてありがとう、お母さん。
心の底からお礼を言ったのに、叩かれた。
解せぬ。
はあ、ここが銀英伝の世界……まあ、断言はできないけど、そういうことにしといて。
それに気づく理由が遅れたのは極めて簡単。
情報が、それほど出回らないからよ。
前世の日常生活を思い返してもそうでしょ?
どこで事故があった、とか、あそこで火事が起きた、とか、選挙のニュースも、地元の議員と首相ぐらいなんもんでしょ、意識するのは。
ラインハルトとか、キルヒアイスとか、そういうパワーワードが連続して飛び込んでくれば話は……ああ、いや、わかんないか。
ジークフリードとか、ラインハルトとか、割とありふれた姓名だから。
近所にミッターマイヤーさん一家もいるし、そのお隣の家の長男は、オスカーさん。
銀英伝のヘヴィなファンでもない限り、日常生活の中で情報のかけらなんてうもれていくわよ。
ちなみに、平民にとっちゃ、帝国皇帝がフリードリヒ4世とかいう名前は出てこないから。
皇帝陛下、ばんざーい……ってなもんだから。
そもそも、そんな機会もなくて、私も話に聞いただけ。
ああ、ルドルフは、『偉大なる初代皇帝様』らしいわ。
まあ、前世の歴史的に、『ルドルフ』って名前だけ聞かされても、ピンと来なかったとは思うけど。
先に言っておくわ。
ゴールデンバウム王朝なんて単語は耳にしなかった。
まあ、私の知識じゃ、それを聞いても……怪しいと思う。
正直、帝国って言っても、ここにいればよその国みたいなイメージよ?
前世日本の時代に、世界統一政府ができたとして……やっぱり、日本人は日本という地域と、統一政府のトップのことをニュースで知るぐらいじゃないの?
と、いうか……帝国とか、他の貴族とか、別の星のお話よ?
そう、単位が星なのよ。
うわあ、SF世界だあ……ってね。
じゃあ、同じ星に目を向けても、皇帝どころか貴族だってそうだからね?
ひとつの星にいくつも街があって……前世日本人の地球ほどじゃないけど、『ほかの街』が『ほかの国』の感覚だわ……人口とか規模はともかく。
この星を支配する貴族は、平民の間では一律で『お貴族様』かな?
これは後になってわかったけど、特に関わりもない平民がお貴族様の名前を呼ぶって、無礼に当たるから。
そりゃ、呼ばなくなるわ。
だから余計に耳にしなくなるし、認識できなくなる。
当主も、一族も、お貴族様。
自分たちの生活に関係してくる役人のレベルになってようやく、『ああ、これは〇〇様』ってとこ。
お貴族様が私たち平民を人間と思ってないように、私たち平民もお貴族様のことを人間なんて思っちゃいないのよ。
商売とか、職人とか、平常からお貴族様に関わる人間じゃないと、貴族の名前とか、認識できなんじゃないかしら?
極めつけに、私は女だから。
そりゃ、読み書き演算ぐらいは習うけど、男子と女子じゃ、教育の種類も量も違うのよ?
男尊女卑の社会だからね。
まあ、ほかの領地がどうなってるかは知らないけど……女性は子供を産み、育て、家庭を守る存在だっていう価値観なのよ。
女性には、余計な知識は必要ないってことじゃないの?
日本でも、昔はそんな感じだったって言うじゃない。
冗談抜きで、ここの女性への教育って読み書き演算、道徳(笑)教育ってぐらい。
平民でも、幼年学校とか士官学校に入ることができるとはいうけどね、平民の場合『親が社会的ステイタスを持っているか、貴族、これは帝国騎士でもいいらしいけど……の推薦がある』が条件で、士官学校はその両方が必要……はい、普通の平民はアウトです。
あ、貧乏貴族というか帝国騎士に金を積んで推薦してもらうっていうルートはあるのか。
失念してたわ。
でも、積むだけのお金を持ってるってことは……はあ。
あれ、お貴族様が自分の領地の平民を学校に行かせて、軍における自分の手駒にするってのは普通にありよね。
というか、むしろほとんどがそういうひも付きなんじゃないの?
ちなみに、幼年学校は10歳から。
じゃあ、10歳までに平民の子供は読み書きを覚えるわけよ……これが、小学校みたいな存在かしら?
それ以降は、男の子は(希に女の子も)高等学校に行って、役人を目指したりするわけね。
あとは、専門学校だったり、職人、技術者についたりして仕事を覚え出す……そういう感じ?
ほかの星のことは知らないわ。
とりあえず、この星というか、ここの貴族様の領地ではそう。
多分、平民には10歳までにある程度の教育を……っていうのが、帝国としての標準ってことじゃないの?
それさえ合わせれば、あとは自分の領地だから好きに運営しないさいってことだと私は思ってる。
地球という星の中にいろんな国があって、国ごとにやり方が違う。
貴族の領地って、そういうことじゃないかしら。
ましてや、星によって重力はもちろん、自転や公転期間の条件が違う。
星の中でも気候が違う。
帝国全体で統一されたやり方なんて、そもそも無理があると思うわ。
えーと、状況に応じて柔軟かつ……高度な対応……なんだったっけ?
つまり、そういうことよ、きっと。
まあ男女に関係なく、子供のお貴族様への印象は、『怖い人』『逆らったらダメな人』『近寄ったら危ない』『目を合わせない』……こんなとこ。
大人になって、平民でもそれなりの立場になって、ようやくお貴族様の誰が誰とか、そういう認識じゃないのかな?
で、割と強めのパワーワードの『自由惑星同盟』。
みんなの耳に入ってくる言葉は『反乱軍』です、ありがとうございました。
ああ、また反乱軍との戦争なんだ……大変だなあ、で終わっちゃう。
気づいちゃった今では、自分が嫌になっちゃうけど。
ねえ、これって気付かなかった私が悪いの?
私、銀英伝のことは知ってるけど、ヘヴィなファンでも何でもないのよ?
主要人物とか、大まかな物語の流れとか、そのぐらいしか知らないわよ。
ここまで言い訳したら、反対に何故気づいたのかって興味がわかない?
よくぞ聞いてくれました。
近所のおばさんに頼まれて、おじいちゃんの世話をしてたのよ。
……私は、家事手伝いです。
いいわね、このことはもう突っ込まないで。
話を戻すわ。
その、おじいちゃんが言ったのよ。
「ああ、死ぬまでに首都を見てみたいなあ」
まあ、平民にはちょっと、いやかなり厳しいわねえ……そもそも宇宙船に乗ったこともないし、宇宙旅行なんて、考えられないもの。
「知ってるかい。首都はオーディンって言うんだ」
へえ、ギリシャ神話っぽい……あれ、北欧神話だったっけ?
と、まあ、これが第一の引っかかり。
でもまあ、この他にもやっぱり老人はいろいろ知ってるんだなあと思って、ちょこちょこ機会を見つけて老人たちに接するようになったのね。
そうしたら、昔兵士をやってたって人が何人かいて。
兵士ってやっぱり、戦闘や戦争で各地を移動するから、やっぱり普通に暮らしてる人より、よっぽど物知りなの。
なんか、平民の兵士ってお貴族様に無理矢理とか、一発逆転を狙ってとか、そういうイメージがあったんだけど、『いろいろ世界を見てみたい』なんて、前向きな理由で兵士になる人もいるのね。
まあ、生き残る人は珍しいけど……お貴族様がろくでもないみたい。
そういうおじいちゃんと話すことによって、ね。
ぽつり。
ぽつり。
私の中に、何かが溜まっていったの。
そしてある日。
ぎゃぁぁぁぁぁぁ!
という感じです。
ねえ、私頑張ったよね?
頑張ったほうよね?
ほかの星はもちろん、同じ星でも、違う街の情報なんて興味なかったわよ。
街にいると、奴隷なんかも目にしないのよ。
時折、『〇〇の△さん、奴隷に落とされたって…』みたいな噂に聞くぐらい。
迂闊すぎる?
じゃああなた、島根県にいくつ市があるか知ってる?
徳島県は?
青森県は?
三重県は?
長崎県は?
私なんか、平成の大合併で故郷の地名がわけわかんないことになったわよ。
地球という星の、日本というちっぽけな国で、義務教育なんてものを施され、ネットワークで割と簡単に情報に接することができるのに、知らないでしょ?
日本の都道府県が怪しい人もいるわよね?
どこにあるか、あやふやな人もいるんじゃない?
これを世界に広げてみて?
太陽系、銀河系に範囲を広げて想像してみて?
今調べればわかるとは思うけど、調べようと思わない限り知らない。
そんなもんよ、人間なんて。
しかも、日本の教育レベルでそれよ?
日本の東京に住んで、地方の都市の名前や位置、方言なんかを熟知してる人のほうがおかしいのよ。
逆に言えば、地方に住んでる人には、大阪の梅田付近の地下ダンジョンを把握してないし、新宿駅では絶対に迷子になるの。
この星の1つの街に住んでる私が、星のことならともかく、帝国全体のことをいろいろ知ってるわけがないじゃない!
あ、地元の人、ごめんね。
馬鹿にしてるわけじゃないの。
私はただ……全力で言い訳がしたいだけなのよぉぉぉぉ……。
ごめん、ちょっと取り乱しちゃった。
ああ、いや……これからどうしよう。
確か、マリーンドルフ伯爵ってのが、ラインハルトに味方して助かるのよね?
と、いうより、私の住んでる土地を支配してるお貴族様の名前はわかったけど、聞き覚えないのよ。
でも結構な高確率で、お貴族様は滅びる。
私、平民だから、余計なことしなければ生き残れる?
でも、お貴族様が倒されるってことは、領地も占領されるってことよね?
戦闘は、起きる……わよね。
うわ、自分が女だってリスクが、ずしりとくるわ。
女は女ってだけで、リスクを抱えてるのよね……特にこんな男尊女卑の社会だと。
セクハラ、パワハラオヤジとか、今思えば可愛いもんよ。
冗談抜きで、お貴族様が『平民の美人を捕まえていく』ような社会よ。
まあ、なれた感じでケロっとしてる人もいるらしいけど……ねえ。
相手が望むように満足させてあげれば、お金までもらえるわとか、そこまでたくましくなれません。
あ、誤解しないでね。
お貴族様がどうこうじゃなくて、『みんながそういう社会に慣れてる』ってのが怖いのよ。
つまり、一つ間違えたら……平民のみんなもその価値観に従って暴発するってことだから。
赤信号、みんなで渡れば、大惨事……ってことね。
前世の知識もそうだけど、中途半端な原作の知識があるってことが、余計に無力感を覚えるわ。
多分やれることはあるけど、何をやっても無駄と感じる自分がいて。
この星はおろか、この街からも出ていく方法が見えない。
そもそも出て行けたとして誰を頼るのよ?
私の知ってる限り、父方、母方、親戚みんなこの星の住人よ。
ああ、自分の知ってることを話したところで、信用されるはずもない。
狂人扱いされて……考えるだけでも怖い。
うう、吐きそう……っていうか、吐いた。
根本的な解決は無理だ。
自分と家族、そして周囲の人間。
受動的にだけど、これらを守るように動ける範囲で動くしかない。
多分、比較的平和に、この星の支配者は入れ替わった。
お貴族様は、ラインハルトと戦うためにこの星から出て行ったけど、そりゃあ、この星にもお貴族様というか、部下なんかは残るわけで。
そりゃあ、降伏はしてくれたけど、そこに至るまでとか、この星から逃げ出す前にいろいろやらかすとか……まあ、いろいろあったわ。
私は、母と弟を失った。
ご近所付き合いをしていたみんなも、幾人か死んだ。
ああ、ミッターマイヤーさん一家はみんな無事だったけどね。
オスカーさんは、そもそも兵士として連れて行かれたわ……わかんないわね。
私は、頑張ったと思う。
そんな私に感謝する人がいる。
そんな私を罵る人がいる。
助かったと思う人が居るからこそ、助からなかった身内がいる人にとっては、私は悪魔だ。
その過程で、私は友人を少し、知人を少し失った。
はあ、英雄様ねえ……私には関係なかったわ。
万骨枯れて、だっけ?
所詮私は、万骨よ。
その後も、私はひっそりと生きていった。
日々を淡々と生きていった。
え、子供?
はは、産めないわよ、そんなもん。
いろいろあったって言ったでしょ。
帝国が生まれ変わろうと、平民の権利が増えようとも、『女性が子供を産み、育て、家庭を守る』って価値観は根強いわ。
これが、私にとってどういう意味かわかるでしょ?
この社会で言うところの女性にすらなれない私には、この社会に居場所なんてないわ。
まあ、親を失った子供たちを集めて……世話してたってとこよ。
そんな生活に救いがなかったとは言えないけど、喪失感のほうが大きかったわ。
こんなことになるなら。
あの時、あの瞬間、家族も友人もみんな振り捨てて、原作世界の中に飛び込んでいくべきだったかしら。
でもたぶん、その時は別の後悔をするんでしょうね。
あのまま、家族と一緒にいるべきだったって。
ねえ、私ってさ……ここが銀英伝の世界だって気づかないほうが幸せだったんじゃないかしら?
作者が転生すると、多分こんな感じになるというか、かなり悲惨な目にあって死ぬと思います。
むしろ、銀英伝の世界ってことには気がつかない可能性が高いでしょうが、前世知識のせいで半端に先が見えるから周囲をどうにかしようとして、反発を受け、何もできないままに周囲から吊るし上げられ、暴行、そして死亡ですかね。