疾風走破は鬼畜と踊る【完結】   作:gohwave

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登場人物紹介

クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。年寄りは嫌い。
カイ:自称鬼畜の助平おやぢ。老若男女を問わない。
ハイドニヒ:バハルス帝国侯爵にして邪教の神官。無垢なる者が好み。



第18話「疾風走破、見学する」

◇◆◇

 

 アーウィンタールの北地区――。

 神殿から外套(マント)を被った人の影がふらりと出てきた。

 階段を降りるその影は足取り滑らかに、多くの参拝者が行き交う中を軽やかにすり抜けていく。

 驚くべき達人の技であるが参拝者の誰一人としてその動きに注目する者はいない。

 その達人――クレマンティーヌは認識阻害の外套(ステルス・マント)のフードの奥で欠伸をかみ殺した。

 

(ここにもあの餓鬼が居た気配は無し、と……)

 

 北地区神殿の養護施設でも黒髪の少女は見つからなかった。

 この地区にある孤児院の場所を神殿内で確認して出てきたところだ。

 

 少女を捜し始めて10日ほど経つ。

 所詮は暇つぶしであり、クレマンティーヌとしても死に物狂いで捜している訳ではない。

 養護施設も孤児院も1日に一箇所、場所が近いときや気が向いたときだけ複数箇所を見て回る程度だ。

 そして黒髪の少女についてはその痕跡さえも捉えていない。

 

 日はまだ昇りきっておらず市場が賑わうまではしばらく時間がかかるだろう。

 

「……つまんね」

 

 暇つぶしとは言え成果のない行動を続けるには強い動機と執念が必要だ。

 そしてその両方をクレマンティーヌは持ち合わせていなかった。

 

 北地区の孤児院が神殿から離れた場所にあれば、まだ良かった。

 人捜しを後日に延期できるからだ。

 だが孤児院は神殿からは目と鼻の先であり、もう一度ここまで来るのも面倒臭い。

 クレマンティーヌは深くため息をついた。

 

「――うんじゃま、せっかくだから行って調べてきてあげましょっかねー」

 

 誰に聞かせるでもなく恩着せがましく呟くと彼女は孤児院へと足を向けた。

 

◇◆◇

 

 警邏中の帝国騎士や足早に市場へと向かう商人たちの間をクレマンティーヌは縫うように進む。

 認識阻害の外套(ステルス・マント)は充分に機能しており、眼前を横切る彼女に気を留める歩行者は居ない。

 生まれながらの異能(タレント)や魔法による探知に警戒しながら、クレマンティーヌは例の遺跡とモモンについて考えていた。

 

 まず、カイの話によるとモモンと連れの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は遺跡には入らず、野営地の護衛として待機していた。

 バハルス帝国所属と思われる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の集団が調査隊を監視していたというカイの情報と合わせると、帝国の差し金であると判断して間違いないだろう。

 請負人(ワーカー)を選抜して集めていたことから察するに、最初から遺跡調査の難しさを理解していたと考えられる。

 その上で何かを調べる必要があったと

 そして、遺跡に入った請負人(ワーカー)たちは誰一人帰還しなかった。

 

(遺跡調査は失敗? ……いや。請負人(ワーカー)全滅という結果が答えか?)

 

 皇帝ジルクニフがこの結果をどう判断するかにクレマンティーヌの興味はない。

 請負人(ワーカー)を全滅させた遺跡に何が潜んでいるのかも知る必要はない。

 彼女の関心は遺跡調査の終了後に引き上げた漆黒のモモンの行き先だけだ。

 

 遺跡調査は請負人(ワーカー)の全滅を以って終了した。

 野営地に残されたモモンたちは数日の待機の後に遺跡から引き上げたという。

 カイに調べさせたところ、モモンは本拠地であるエ・ランテルに戻ったらしい。

 その情報自体に間違いはないだろう。

 だが、遺跡とズーラーノーンの隠れ家を瞬時に行き来したカイと同様、モモンが――あのアンデッドが転移魔法を使って、今この瞬間にクレマンティーヌの眼前に現れないとも限らない。

 

(くそ……。居場所が分かっても安心できねーのかよ)

 

 その上、彼女が帝都で得た情報の中に気になるものがあった。

 皇帝ジルクニフの住まう皇城に(ドラゴン)が現れたという噂話だ。

 

 最初にその話を聞いたのが中央市場だったため信憑性の低いデマの類だと思っていた。

 だが大衆酒場(パブ)でも同じ話を耳にして、(ドラゴン)にまつわる何らかの事件が皇城で起こったことを確信する。

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)(ドラゴン)の攻撃で全滅したとか、フールーダ・パラダインが(ドラゴン)を魔法で撃退したとか、鮮血帝が弁舌巧みに(ドラゴン)を説得し支配したとか、様々な噂が流れている。

 (ドラゴン)が飛来したのであれば皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が全滅しても無理はない。

 帝都に大きな被害が出ていないところを見ると、(ドラゴン)は暴れることなく引き上げたのだろう。

 そこにはフールーダの力が強く働いたのかも知れない。

 だが――。

 クレマンティーヌは心中で苦笑する。

 

(流石に皇帝が“説得”はねーか。御伽噺(おとぎばなし)じゃあるまいし……)

 

 人間の賢者が(ドラゴン)との知恵比べに勝利して追い払ったり、味方につけたりする伝説は枚挙に暇がない。

 そんなものは所詮寓話であり、学問嫌いの子供を釣るための甘い菓子だとクレマンティーヌは思っている。

 (ドラゴン)のような圧倒的強者が人間ごときの口車に乗せられて、自らの利益を諦めることはないだろう。

 それに近い出来事があったとすれば、せいぜい宝を与えて見逃してもらったか、あるいは別の犠牲者を差し出したかだ。

 

 そう確信するクレマンティーヌだが(ドラゴン)と遭遇した経験はない。

 あくまでも知識としてその脅威を知っているだけである。

 大陸最強の種族と目されており、古竜に分類される老成した(ドラゴン)であれば、百を越える難度の個体が当たり前だという。

 スレイン法国であっても討伐可能な部隊は漆黒聖典ぐらいであり、個人で勝負になるのは隊長ともうひとりぐらいだ。

 そして()()クレマンティーヌは自分が(ドラゴン)のような強大な存在に勝てないと断言できる。

 

 自身の攻撃がまるで通用しない助平親父。

 その助平親父に連れられて入ったダンジョンで戦った怪物(モンスター)

 そしてエ・ランテルの墓地で対峙した不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 これらの存在によって彼女は“身の丈”というものを改めて叩き込まれてしまった。

 

不死者(アンデッド)魔法詠唱者(マジック・キャスター)に抱き殺され、助平親父に蘇らせられて、逃げた先に(ドラゴン)が現れる……。私の人生はどこに向かってんのかね)

 

 諦観にも似た泣き言を思いながら、それでもクレマンティーヌは生き延びるための手段を模索する。

 

帝都(ここ)も安全じゃない……か。上手いことあの助平親父(カイ)を騙して、聖王国か南の方にでも行けりゃいーんだけどね)

 

 騙す対象(ターゲット)であるカイはと言えば、出稼ぎのために帝都アーウィンタールを離れカッツェ平野に行っていた。

 バハルス帝国が常時募っている依頼で、大要塞近辺のアンデッド討伐がその目的だ。

 転移魔法が使えるカイであれば日帰りで依頼を片付けることも出来るはずだが、目立つことを避けるために大要塞に数日泊り込むらしい。

 遺跡調査の()()()を掠め取るつもりが、調査そのものが失敗に終わったための代替措置だという。

 

 馬鹿正直に働いて日銭を得ようとするカイに呆れつつも、クレマンティーヌは少しだけ延びた自由時間を有益に活用することにした。

 

◇◆◇

 

 北地区の孤児院は他の地区の孤児院よりも広く大きかった。

 その理由が立地によるものか、寄付の多さに起因するものかは分からない。

 入口近くに設置された馬車小屋は大きく、今も一台の馬車が停まっているのが見える。

 周囲に自分の動きを見ている人間が居ないことを確認してからクレマンティーヌは建物の中に入った。

 

 建物に入ってすぐに受付窓がついた職員の部屋があり、通路の先にはいくつかの扉が並んでいる。

 漏れてくる子供達の声を耳にしながら、倉庫と思しき部屋でクレマンティーヌは資料を調べ始めた。

 

 北地区の孤児院も今まで訪れた養護施設や孤児院と同様に孤児たちに関する情報がまとめられている。

 名前は勿論のこと、髪や瞳の色などの外見、肉親や出身地の名前、引き取り先などが克明に記してあった。

 だがカイが捜す少女を思わせるような記録はひとつとして見つからない。

 クレマンティーヌはそれなりの時間で調査を切り上げて書庫を出る。

 

 悪いタイミングで通路の奥から大勢の子供たちが、身なりの良い男に連れられ出てきた

 素早くクレマンティーヌは壁を背にすると、子供たちの様子を伺いながらやり過ごす。

 壁に張り付いた外套(マント)姿の彼女に注意を払う者はいない。

 生まれながらの異能(タレント)持ちの不在にクレマンティーヌは安心した。

 

 大人に連れられて子供たちは広間に入っていく。

 どうやら食事の時間のようだ。

 広間を覗き込むと子供達の嬌声が飛び交う中、雇われ人と思しき年増女と身なりの良い貴族の男が、笑顔で食事の配膳をしている。

 その男は数日前、クレマンティーヌが中央神殿で見かけたズーラーノーンの配下にいる人物だ。

 

(あいつ……ここにも顔を出してんのか?)

 

 施しは貴族の嗜みのひとつであるが、その支援が無制限に行えるというものではない。

 人と金を動かす以上、派閥や懇意にしている地域など目に見えないしがらみが多い。

 加えて支援の額や規模は支援する側される側、双方にとって鞘当ての道具にもなる。

 ひとりの貴族が派閥や縄張りを超えて自由に支援できているとすれば、帝国貴族全体がそれだけ弱体化していると言えなくもない。

 では、多方面に援助を行える者は何故それだけの力を持ち得ているのかという疑問が生まれる。

 そして死と混乱をもたらす秘密結社(ズーラーノーン)と関わりがある以上、公にできない暗部を隠し持っている筈だ。

 男の挙動を改めて観察すると、奉仕者の笑顔の合間に時折険しい表情が浮かぶのがクレマンティーヌには見て取れた。

 

(単なる小児性愛者(ペドフィリア)か? それとも誰かを捜してる?)

 

 金と権力を持つ貴族が特殊性癖に走るのはよくあることだ。

 その是非を問うつもりはクレマンティーヌには毛頭ない。

 気になることはただひとつ。

 この男が自分にとって利益となるか邪魔となるか、それだけだ。

 

(そーいや、まだあのインチキ儀式やってんのかね。あんなお遊びで何人殺そうが邪神なんか来やしねーのに。ん……待てよ?)

 

 クレマンティーヌの中にふと疑問が生じる。

 儀式で犠牲になった生贄の中にカイの捜している黒髪の少女はいなかったのか。

 あるいはこれから犠牲になるであろう生贄の中にはいないのか、と。

 

 その答えを持っているのは、今、孤児たちと一緒に笑っている貴族の男だ。

 だが、それを確認する時が今ではないことはクレマンティーヌにも分かる。

 

 柔らかいパンをむさぼり肉の入ったシチューをかきこむように食べる孤児たちを眺めながら、クレマンティーヌは貴族の奉仕(ノブレス・オブリージュ)が終わるのを待つことにした。

 

◇◆◇

 

 孤児院での施しを終え、帝国侯爵のハイドニヒは馬車の中でひとつ安堵の息をつく。

 その理由は慈善行為が終わったことによるものではない。

 皇帝ジルクニフが帝都アーウィンタールに帝国貴族を招集したからだ。

 

 この召集の目的が戦費の調達にあるということは顔見知りの官吏から聞いている。

 ここ数年、リ・エスティーゼ王国に戦争を仕掛ける前に毎年行われるものだ。

 たとえ金が奪われる触れであっても、例年通りの動きはハイドニヒを含めた帝国貴族たちを安心させる。

 それほどまでに絶対君主である鮮血帝への恐怖が植えつけられているのだ。

 

 そしてハイドニヒには安心するもうひとつの理由がある。

 信奉する邪教の儀式の目処が立ったからだ。

 ハイドニヒを中心とした邪教の信者はその殆どが貴族である。

 もし邪教崇拝が明るみに出れば処分や粛清されるため、その信奉は秘密裏に行われている。

 だが邪教崇拝が発覚せずとも、帝国貴族が理由なく集まれば皇帝に目を付けられることになる。

 すぐにでも儀式を行って邪神と盟主への崇拝を捧げたいハイドニヒたちにとって、今回の皇帝による召集は渡りに船であった。

 

 その一方で問題も生じる。

 召集に合わせて儀式の予定を立てたため、急いで生贄を調達しなければならなくなった。

 施しの名目で施設や孤児院を見て回っているハイドニヒであれば、ただ無垢な者ということであればすぐに用意できる。

 だが今回の儀式でハイドニヒが求める生贄は、無垢でかつ高貴な幼子だ。

 馬車の振動を感じながら彼は考え、そして連絡窓から御者に声をかけた。

 

「ザムラの店に寄ってくれ」

 

◇◆◇

 

 アーウィンタールの屋敷へと戻ったハイドニヒは執務室の椅子に腰を降ろした。

 大振りな椅子が疲れた身体に魔法のような安心感を与えてくれる。

 ハイドニヒを安心させた理由は椅子の座り心地だけではない。

 儀式に用いる生贄が手配できたからだ。

 

 ザムラにはハイドニヒが傘下の両替商をひとつ任せている。

 その店は()()高めの金利を設定しているが、その代わりほぼ無条件で貸付を行っている。

 利用者の殆どが信用や財産に乏しく帝国銀行や表の両替商から金を借りることのできない者だ。

 そんな利用者の性質上、ときに荒事になることもあったりする。

 

 ザムラの店の利用者に元貴族の夫婦が居た。

 幾度となく金を借りてくれた良客だったが次第に返済が滞るようになり、ついに返済が不可能になってしまったらしい。

 返済ができなくなった理由についてはハイドニヒの知るところではない。

 ただ、その夫婦に幼い双子の娘が居ることをハイドニヒは知っていた。

 普段であれば資産を差し押さえて債権を回収する代わりに娘たちを手に入れたのだ。

 

 ザムラの店で直接娘を買った訳ではない。

 孤児院で行われる養子縁組の手続きを用い、とある貴族が娘たちを引き取り、その際に謝礼金を与えた。

 勿論、そんな貴族は存在せず、ハイドニヒの名も夫婦には知られていない。

 

 夫婦は謝礼金の一部をザムラの店への返済に充てた。

 そして残った金でまた散財するだろう。

 それはハイドニヒにとっては、どうでもいいことだ。

 何より元貴族で無垢な命が手に入ったことが大きかった。

 双子という希少性を考えれば、邪神へと捧げる生贄としての価値は高い。

 これで儀式に必要な条件は揃った。

 皇帝の招集に応じ帝都を訪れている信者全員に連絡は済んでいる。

 後は儀式の日が来るのを待つだけだ。

 

「これで準備は整った、か……」

 

 盟主かその使者が姿を現せば、儀式はより素晴らしいものになるだろう。

 だが贅沢は言ってられない。

 儀式を重ねて邪神への揺るがぬ忠誠と崇拝を見せることで、盟主や使者が授かった奇跡を我らも得ることが出来るのだ。

 

 決意に口元を引き締めたハイドニヒの目の前に、いつの間にか金髪の女が立っていた。

 

「お、おまっ……貴女(あなた)様は!?」

 

 見覚えのあるその顔にハイドニヒはすぐに言葉を改めた。

 

 どこから来たのか、どうやってこの屋敷に入ったかは問題ではない。

 盟主と使者の持つ力はそういうものだ。

 かつてハイドニヒの仕事を手助けした使者は外套(マント)に身を包み、その金髪から獣の耳を生やしていた。

 獣の耳は獣人(ビーストマン)に変異したということではなく、ただの飾りのようだ。

 それでもこの女が持つ力と獣性をよく表しているようにハイドニヒには思えた。

 

「おひさー。どーやら私のこと、覚えててくれたみたいだねー」

 

 女は童女のような顔に屈託のない笑みを浮かべ軽い口調で挨拶した。

 ハイドニヒは慌てて心地よい椅子から離れると女の前に跪く。

 

「ご来訪、心より歓迎いたします。盟主様と貴女(あなた)様のお力で我ら豊かに暮らしております」

「……あー。そんなに(かしこ)まらなくてもいーって」

 

 ひらひらと手を振る女にハイドニヒはもう一度、深く頭を下げた。

 

 盟主や使者の持つ力は(ドラゴン)のように強大である。

 先日、突如として皇城に現れた(ドラゴン)が多数の帝国騎士を葬り去ったと聞いた。

 皇帝ジルクニフはその(ドラゴン)と取引をして、それ以上の被害が出ることをなんとか回避したらしい。

 帝国貴族を震え上がらせる鮮血帝でさえ(ドラゴン)の前では商人のように交渉を行うのだ。

 ただ裕福なだけの帝国貴族の自分が、使者と対等に言葉を交わせる筈もない。

 事実、この金髪の使者は屋敷に居る他の誰にも気づかれずハイドニヒの執務室に姿を見せた。

 これはいつでもハイドニヒを殺せるという警告であり、偶々(たまたま)今回は姿を見せる必要があっただけのことだ。

 

「それで……どのような御用向きでありましょうか?」

 

 その問いに金髪の使者は値踏みするようにハイドニヒの顔を見つめ、それから執務室をぐるりと見回す。

 ハイドニヒは帝国屈指の資産家であるが、屋敷の規模はそれほど大きくない。

 執務室もごく普通の広さで、華美ではないが侮られない程度に質の良い調度を使っていた。

 

「そろそろさー。あの儀式……やるんだよね?」

 

 使者の言葉にハイドニヒは驚いた。

 だが彼女たちに隠し事などできないという現実を思い出す。

 

「はい。邪神様と盟主様への我ら信者の忠誠をお見せいたします」

 

 金髪の使者は満足そうな笑顔で頷いた。

 そんな使者の様子に、儀式によって我らの思いを示さねばならない、とハイドニヒは改めて誓う。

 

「うんじゃま、その儀式を見学させて欲しいんだけど……。いーよね?」

「勿論でございます。是非ともご観覧ください」

 

 使者はハイドニヒの返答に軽く手を振って了解の意思を見せた。

 それから彼女は何事かを考える素振りをする。

 

「それともーひとつ、聞きたいことがあんだけど」

「なんでしょうか?」

 

 使者の笑顔が邪教を崇めるに相応しいものに変わる。

 

「今まで儀式に使った生贄のこと、詳しく教えてくんない?」

 

◇◆◇

 

 帝都アーウィンタール北地区の墓地は、皇帝の住まう皇城から最も遠い場所にある共同墓地だ。

 そこにはハイドニヒ領出身者を弔うための霊廟があり、その地下にハイドニヒが作らせた儀式を行うための隠し部屋――邪神殿がある。

 そして今、この邪神殿は異様な熱気に包まれていた。

 

 壁面には邪神を模した意匠のタペストリーを飾り付け、神殿内部は永続灯(コンティニュアル・ライト)ではない赤い蝋燭を灯す。

 僅かに漂う錆のごとき血の臭いがハイドニヒの恐怖を、そして歓喜を煽ってくる。

 

 神殿に集まった信者はローブを身に纏い髑髏(どくろ)を模した覆面を被っていた。

 その二十人ほどの男女のいずれもが、ここバハルス帝国で一角の地位を持つ貴族である。

 だが今の彼らの口から言葉が発せられることはない。

 その息遣いは熱く、これから行われることへの情熱と期待が含まれていた。

 

 興奮は当然だ。

 久方ぶりの儀式なのだから。

 だが、それだけではない。

 

(使者がご覧になられる……)

 

 祭壇の前に立つ神官役のハイドニヒは僅かばかり視線を傾けて入口近くを見やる。

 そこには金髪獣耳の女と薄暗い色の上下を着た男が並んで立ち、こちらの様子を興味深げに眺めている。

 

 クレマンと名乗った金髪の女は素顔を晒しているが、男の方は泣き顔にも笑い顔にも見える奇妙な仮面を付けている。

 魔法的な素養がないハイドニヒには、あの男から強大な力というものは感じられなかった。

 だが、クレマンが仮面の男に気を使っている雰囲気は見て取れる。

 仮面の男は盟主様により近い地位の人物なのだろうとハイドニヒは結論付けた。

 

 信者の前で挨拶を行い、次に邪神への感謝と信奉をハイドニヒは唱える。

 何度も唱え既に(そら)んじている内容だが、使者の参観に緊張した彼は何度か言葉を間違えてしまった。

 それでも儀式の入祭をなんとか済ませ、ハイドニヒはひとつ息を吐く。

 

 信者の熱い視線がハイドニヒに集まり、神殿が期待に満ちてきた。

 その期待に応えるためハイドニヒはローブを脱ぐ。

 それを合図に全ての信者がいっせいにローブを脱いだ

 皆、頭部を包む髑髏の覆面以外、身に付けているものはない。

 いずれも盛りを過ぎた皺だらけの醜い老体である。

 だが邪神の力をほんの僅かでも授かりさえすれば、老いという時間の流れにも抗える筈だ。

 ハイドニヒは傍らに置いていた袋を取り出すと、その中身を床にばら撒いた。

 それらは四大神の神殿から拝受した聖章の数々であり、中には帝国皇帝ジルクニフの姿絵もある。

 

 ハイドニヒと信者たちは奇声を上げ、笑いながら、聖章や姿絵を踏みつけ罵った。

 唾を吐き、小便をかけ、四大神とバハルス帝国における権威の全てを徹底的に(おとし)めるのだ。

 

 信者の熱狂を蝋燭の炎が照らす中、神官のハイドニヒは参観しているクレマンと仮面の男の顔を盗み見る。

 四大神を嘲り、皇帝を蔑む。

 この命がけの背徳行為。

 これこそが闇の神――邪神を賞賛し崇めるものだとかつての使者にハイドニヒは教わった。

 

 しかし、二人の男女は信者たちの行為に感銘を受けているようには見えず、時折、余所見さえしている。

 ハイドニヒは自分たちの行為が足りないと考え、儀式を次の段階へと進めることにした。

 

「我ら邪神様の御子は歪んだ権威を、偽りの神性を、脆弱な加護を憎み、そして(おとし)めた。次なるは邪神様への感謝と崇拝を、この醜き肉体をもって証明するのだ」

 

 そう宣言したハイドニヒが手を挙げると、左右に居た信者が金の杯と瓶を差し出す。

 ハイドニヒは金の杯に満たされた水に、瓶に入ったライラの粉末を溶かした。

 杯の水が闇の色に染まったことを確認してから一杯あおり、それから杯を信徒に渡す。

 信者たちは皆、奪い合うようにライラの水を舐め、啜り、飲み干した。

 

 全員がライラの水を飲んだのであろう。

 興奮し幻覚に囚われた信者たちは、汚れた床も構わず肉体を絡ませ始めた。

 男と女、女と女、男と男。

 一人が二人を、二人が一人を弄び、老いさらばえた首を腕を乳房を陰部を濡らし愛撫する。

 

 神殿が興奮に満ちてゆく様をハイドニヒは満足そうに眺めた。

 信者たちと違いハイドニヒは行為に没頭する訳には行かない。

 ライラの水だって、口に含んだ振りをしただけだ。

 伯爵の老いた妻を抱きながら、ハイドニヒは二人の参観者を盗み見た。

 

 二人が儀式を見ながら何事かを話している。

 クレマンの表情からは感情は窺い知れず、仮面の男はそもそも表情が確認できない。

 それでも二人の仕草は儀式に満足していない様に見える。

 干からびた女の唇を吸いながら、ハイドニヒは次の手を打つことにした。

 

「偉大なる邪神様よ。いと尊き御身を我らはこの身に感じております」

 

 ハイドニヒは立ち上がると両腕を高く掲げる。

 

(にえ)を! 御身に無垢なる魂を!!」

 

 信者たちは即座に肉の交合を止め、ハイドニヒの言葉に従って皮袋を二つ持ち上げた。

 出入り口近くにあったそれを、全ての信徒がまさぐるように触りながら台座へと運ぶ。

 生贄に触れることで邪神への忠誠を捧げるためだ。

 

 二つの袋の中にはハイドニヒが調達した元貴族の双子の娘が入っている。

 強い薬で眠らせているだけで、()()死んではいない。

 台座に載せられた二つの皮袋が僅かに動き、中の娘たちに息があることが分かる。

 

 ひとつの袋を三人の信者――合わせて6人の男女が台座を囲む。

 その全員の手には銀に輝く鋭い刃物が握られていた。

 

「我らの手で高貴で無垢なる魂を邪神様を捧げます。若き肉を、血を、涙を、汗を、魂を、御身にお受け取りください」

 

 ハイドニヒの言葉に6人の信者が、次いで全ての信者が唱和する。

 6人は銀の短剣を振りかざすと二つの皮袋に突き立て――

 

「ちょおっと待ちなぁ」

 

 それは参観をしていた仮面の男だった。

 

 台座の傍らに立つ男の手には6本の短剣が握られている。

 信者の手からいつの間にか短剣が奪われていた。

 

 ハイドニヒは驚愕し、そして納得した。

 これもまた彼が邪神から得られた加護の力なのだ、と。

 だが、邪神への奉納を妨げる理由は何なのか。

 

「……お前ぇら。生贄を捧げるのがちぃっとばかし早かねえか?」

 

 神殿をゆっくりと見回すと仮面の男は蓮っ葉な口調で言った。

 全ての信者が非難するようにハイドニヒを見る。

 

 儀式の流れに間違いがあったのだろうか。

 ハイドニヒは狼狽し救いを求めるように仮面の男を、そして金髪の女クレマンを見る。

 だが仮面の男は表情が分からず、クレマンはニヤニヤと笑うだけで、その真意が掴めない。

 

「邪神様はよぉ。その程度の乱痴気騒ぎじゃ満足しねえって言ってんだよぉ」

 

 呆気(あっけ)に取られる信者たちの前で仮面の男は風変わりな服を脱ぎ捨てた。

 信者たちよりは若いものの、決して美しいとは思えない中年男の裸体が露わになる。

 

 男は金の杯に残っていたライラの水を口にした。

 立ちすくむハイドニヒの覆面をずらすと男は唇を押し付ける。

 ハイドニヒの口腔にライラの水と中年男の呼気が流し込まれ、思わず咳き込み口を拭った。

 

「……な、何を!?」

 

 儀式を進めるため飲む真似だけしていたライラの水を大量に飲んでしまったのだ。

 男は仮面の下に僅かに見える口元を邪悪に歪ませた。

 

「アンタだけノリが悪いみてえだったからなぁ。景気付けをしてやったんだよぉ」

 

 男の言葉と同時にハイドニヒの視界がぼやけてくる。

 ライラの水が身体中に染み渡っているのが分かった。

 

 ハイドニヒの心から皇帝への恐怖が消えた。

 邪神への信仰が、盟主への信奉が、使者への敬意がより強固になる。

 そして、眼前にいる仮面の男が()()()()()()()()()()()()

 

「俺ぁ、年齢や性別じゃあ差別しねえ鬼畜モンだからよぉ。まとめて面倒見てやるぜぇ」

 

 中年男の甘い言葉にハイドニヒは自身が屹立するのを感じた。

 

◇◆◇

 

「面白い物があるからって、のこのこ顔を出しゃ黒ミサのお達者倶楽部かよ。お前ぇら(ズーラーノーン)の趣味はどうなってんだ、あぁ?」

 

 隠し扉を開いてクレマンティーヌとカイは地上へと出た。

 夜気に包まれた共同墓地に、二人以外の人影はない。

 クレマンティーヌはその両腕に二つの皮袋を抱えている。

 

「んー? あんなもん意味なんて無いよ。てきとーに悪いことさせて弱みを握るのが目的だし」

「なんだぁ? ヤラれ損かよ。せめて若い雌の一人や十人でも居れば……って、なんでお前ぇは参加しなかったんだぁ?」

「いやー。薬でイカレた年寄りはあんまり趣味じゃないなーって」

 

 カイが儀式に乱入した時にクレマンティーヌは素早く神殿から退出してその終了を待った。

 老人との性行為などは彼女の楽しみにはない。

 

「けっ……。お前ぇがサボったおかげで、こっちは竿もケツもフル回転だぜぇ」

「だからこーやって荷物を持ってあげてるじゃん。……って、カイちゃん、後ろもヤラれちゃったの?」

 

 クレマンティーヌは今にも吹き出しそうな顔で渋面のカイを見る。

 

「ったく……。年寄りの性欲ほど厄介なもんはねえなぁ」

 

 カイは面倒臭そうに自分の尻をかいた。

 

「それよりさー。ホントにあいつら殺さなくて良かったの?」

 

 儀式に集まった者たちは、その従者と共に今は眠りについている。

 勿論、カイの魔法によるものだ。

 クレマンティーヌの速度と剣技をもってすれば、忘れ物を届ける程度の気安さで皆殺しに出来るだろう。

 

「あいつらは()()の下請けだろぉ? 店子が潰す訳にゃいかねえだろうが」

「気にしないと思うけどなー?」

 

 ズーラーノーンは元よりクレマンティーヌとしても皆殺しにしても問題はない。

 ただ手応えがなくて面白くないだけだ。

 

「俺は気を遣える鬼畜モンなんだよぉ。戻ったら口直しにお前ぇを犯しまくるからなぁ。覚悟しとけよ」

「あーはいはい。ところでさー。この餓鬼どうすんの?」

 

 クレマンティーヌは両脇に抱えた皮袋を揺すってみせる。

 生贄として殺されそうなところをカイに言われて持ってきた。

 袋の中身はどちらも金髪の少女だ。

 顔も着ている服もそっくりだったので、おそらくは双子だろう。

 魔法か薬で昏睡状態にあるが、カイの信仰系魔法なら容易く治療できる筈だ。

 

「持って帰って隠れ家を孤児院にでもするー?」

 

 考える素振りを見せるカイにクレマンティーヌは皮肉を言った。

 言われたから運んでいるだけで、知らない子供(がき)などそこいらに投げ捨てたところで気にしない。

 ただし隠れ家で面倒を見るなどは真っ平御免である。

 

「……()()()にでも預けるとするかぁ」

「あそこって?」

「あの雌の武器屋に決まってるだろぉ」

 

 思わずクレマンティーヌは顔を顰める。

 予想はしていたが出来れば行きたくない場所だ。

 武器屋の娘のはしゃいだ顔が目に浮かぶ。

 この時間ならば既に眠っているかも知れないが。

 

「あの雌には貸しがあるからなぁ。餓鬼の一人や二人、押し付けるくらいワケねえだろ」

 

 そう言って歩き出したカイをクレマンティーヌは浮かない表情で着いて行った。

 

◇◆◇

 

 ムーレアナの武器屋から隠れ家のある共同墓地は近い。

 クレマンティーヌとカイは人影の少ない夜の帝都を並んで歩いていた。

 クレマンティーヌの腕に皮袋はすでに無い。

 

「――ったく。人の顔見るだけでぴいぴい泣きやがって……。なんで俺様が小芝居やんなきゃいけねえんだ」

「良かったじゃん。餓鬼ども押し付けられたんだからさ。けけっ」

「今どき“泣いた赤鬼”なんて流行らねえんだよぉ」

 

 武器屋のムーレアナに生贄の子供たちを預けようとしたが、カイの魔法で回復した子供たち――女の双子だった――が自分の家に帰ると泣き出したのだ。

 実の両親に売り飛ばされ、殺されかけたことを理解していない双子を黙らせるためにカイが人攫いを演じ、クレマンティーヌ扮する()()()()()()はそのカイを追い払って見せた。

 双子――クーデリカとウレイリカという名前らしい――は、クレマンティーヌの言う通りに武器屋に身を寄せ、仕事に出ている姉の帰りを待つことで落ち着いた。

 武器屋の女主人には金だかマジック・アイテムだかをカイが密かに渡していたが、それはどうでも良いことだ。

 

「……そういや、あの餓鬼どもには姉貴がいるんだってなぁ?」

「そんなこと言ってたねー。名前はなんて言ったっけ。確か……シェ……アルシェ……だったかな? それがどーかした?」

「こんだけ手間を取らされたからなぁ。借りをそのアルシェちゃんに身体で返してもらうんだよぉ、くっくっく」

 

 クレマンティーヌはそんなカイの目ざとさに感心し、そして能天気さに呆れる。

 家を出た人間の殆どが故郷に戻ることはないことをクレマンティーヌは知っていた。

 それは命を失って戻れなくなるからであり、あるいは環境や肉親と決別していて戻る気がないからだ。

 スレイン法国に残してきたものがちらりとクレマンティーヌの頭をよぎる。

 

「それまではお前ぇの穴という穴を犯しまくるからなぁ。覚悟しとくんだなぁ」

「……あーはいはい」

 

 僅かに漂っていた感傷的な気分をカイにぶち壊され、クレマンティーヌはおざなりな返事をする。

 どうせカイの言う鬼畜行為など、快楽を受け入れさえすればままごとのようなものだ。

 

 二人は無言で夜の帝都をしばらく歩いた。

 隠れ家のある共同墓地が見えてきたところでクレマンティーヌはカイに聞く。

 

「――で? どうよ?」

「……あぁ? なにがだ?」

「あいつら、餓鬼を生贄に使ってたんだよ?」

「そりゃ、むさくるしいおっさんよりは餓鬼の方が生贄っぽいだろうよ。まあ俺様だったら雄か雌かも分からねえような餓鬼じゃなくて、出るとこ出てる生娘を使って――」

「だーかーらー。それってマズいんじゃないの? 捜してる子、いるんでしょ? えーっとカ、カル……なんだっけ?」

 

 暢気(のんき)だったカイの雰囲気が急に殺意を帯びる。

 

「……カルボマーラ様だ。次、間違えたら殺すからなぁ」

 

 叩きつけられるような殺気にクレマンティーヌは口を閉じる。

 だが、そんな彼女の言葉の意味にカイも気づいたらしい。

 

「……ひょっとしてカルボマーラ様が生贄にされる、て言いたいのか?」

「あ……うん……」

 

 クレマンティーヌは素直に頷く。

 アンデッド討伐の仕事を終えたカイを宗教団体(サークル)の儀式に連れて来た理由だ。

 

 神官役の貴族は、今までに黒髪の少女を生贄にしたことはなかったと言っていた。

 あの男の偽教団に対する信奉に偽りは感じられないし嘘を言う理由もない。

 現時点ではカイが捜す少女は犠牲になっていないが、将来的な可能性を示唆したつもりだった。

 

 カイが呆れたような、それでいて哀しそうな表情を浮かべる。

 その淀んだ瞳はクレマンティーヌを見ていない。

 

「……あの御方がそこいらの有象無象に捕まるかよ」

「――え?」

「カルボマーラ様は俺の10倍強えからな」

「カイちゃんよりも……強い?」

 

 新たな事実を聞かされ、クレマンティーヌは混乱する。

 自分が倒すどころか傷つけることもできない男より、あの黒髪の少女は強いという。

 これが冗談でなければスレイン法国と同じ神人や先祖返りがカイの国にも居るのだろうか。

 それだけの強者が居るならば、クレマンティーヌの逃亡先として最も適した場所かも知れない。

 

 ふとカイが立ち止まる。

 

「――おやぁ? お客さんが来てるようだぜぇ」

 

 そう言うカイの視線を追うと隠れ家の入口付近に二つの人影を見つけた。

 あのフードを被った人影はクレマンティーヌも覚えている。

 ここ帝都(アーウィンタール)に来た日以来のカジット・バダンテールと、その従者だ。

 

「……ふん。客ってぇ言うよりは()()ってとこだな」

 

 最初に出遭ったときよりは慣れた口調でカイが言う。

 クレマンティーヌもまた自分に近い者の出現に安堵した。

 

「おんやー? カジっちゃん、こんばんはー。……いや、もう、おはよーかな?」

 

 クレマンティーヌの挨拶に眉根を寄せたカジットは少し存在感が()()

 以前よりは幾分だか力を取り戻したように見える。

 

「ようやく戻ったか、クレマンティーヌよ。そしてカイ」

「家賃の支払いだったら明日にしてくれねえか。組合から金が出るのが明日だからよぉ」

 

 カイの戯言に鼻白む様子もなく、ただカジットは皮肉めいた笑みをその邪悪な顔に浮かべた。

 

「そちらさんの下請け会社には手ぇ出してないぜぇ。まぁ生贄の方は将来の肉壺候補としてかっぱらったがな、くっくっく」

「あいつらの儀式に何か問題でもあった?」

 

クレマンティーヌが聞いた。

 

「……何だ? それは?」

 

 何も知らない素振りのカジットに、先ほどまで行われていた偽儀式の顛末をクレマンティーヌは説明する。

 カジットは呆れた表情を浮かべ、ため息をついた。

 

此度(こたび)の訪問はお主達に用があってのことだ。そんな下らぬ儀式のことなど(あずか)り知らぬ」

 

 あの儀式とカジットたちの来訪が無関係だと知り、クレマンティーヌは少し安心した。

 今の彼女にとっては組織(ズーラーノーン)は敵に回せる相手ではない。

 カジットは従者を横目で見ながら口元を歪めた。

 

「だがこの隠れ家の家賃は……安いものではないからな。いずれ何らかの形で払って貰うことにしよう」

「こちとらしがない日雇い人夫だからよぉ。無理のない返済プランをお願いするぜぇ」

 

 カイの冗談に応じたカジットにクレマンティーヌは余裕のようなものを感じた。

 取り戻した力が余裕の源なのだろうか。

 

「んで? 私達に何の用事があんの?」

 

 クレマンティーヌはカジットに尋ねた。

 先ほどまでとは打って変わってカジットの表情が厳しいものに変わる。

 

「帝国が……バハルス帝国がリ・エスティーゼ王国に宣戦を布告したのだ」

 

 カジットが何度も従者に視線を送りながら言った話は、クレマンティーヌにとって別に驚くほどの事ではない。

 

「……あらー? 遅かったねー。それっていつもの戦争(やつ)でしょ? てきとーに小競り合いだけして有耶無耶のうちに終わっちゃう」

「違う!」

 

 クレマンティーヌの軽い言葉をカジットが強い口調で否定する。

 思わずクレマンティーヌは鼻白んだ。

 

「帝国の宣言文にはかつてエ・ランテル近郊を治めていたという大魔法詠唱者(マジック・キャスター)の名が記されておった」

「大……魔法詠唱者(マジック・キャスター)?」

「そうだ。その名をアインズ・ウール・ゴウン魔導王という」

 

 初めて聞く名前にクレマンティーヌは戸惑い、傍らのカイを見る。

 カイの表情は険しかった。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンだと?」

 

◇◆◇


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