クレマンティーヌ:ズーラーノーン十二高弟のひとり。今日も
カイ:助平おやぢ。今日も回復魔法は絶好調。
第11話「疾風走破、推察する」
◇◆◇
「なんで……なんで、あんなのが居るんだよ……」
樹齢百年は超えているだろう巨木の陰で“
ラドロンは野盗だ。
十数人規模の名も無き野盗団のリーダーをしている。
野盗団はカッツェ平野の北端に根城を構え、近くの街道を通る商隊を襲って生活していた。
小さな村の農夫だったラドロンが野盗になったのは一昨年の事だ。
毎年起こっていたリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の戦争という名の小競り合いが終わった後、同郷の知人と共に村を捨てた。
殺そうが殺されようが何の見返りもない生活に嫌気が刺した。
それならば人を殺せば金や食料が得られる野盗の方がマシだ。
元農夫の集まりに野盗稼業ができたのは、ラドロンが
月明かりのない深夜でも日中と同じように物が見える
それがラドロンの
この力でラドロンは仲間に率いて獲物を襲い、金品の強奪を何度も成功させた。
そんなラドロンの野盗団に別の野盗団の残党数人が加わったのは三日前のことだ。
ラドロン達よりも規模の大きいその野盗団は、なんでも吸血鬼に襲われて壊滅したらしい。
野盗団壊滅の事情には興味がなかったが、野盗団の人数が増えたことで目先の物資が必要になった。
そこでラドロンは普段なら狙わないバハルス帝国へと向かう荷馬車を襲うことにした。
時は夕暮れ。
昼と夜の境は最も視認が難しくなる時間であり、ラドロン達が何度も襲撃を成功させた時間だ。
獲物は幌付きの荷馬車が二台。
護衛と思しき二騎の馬は先頭で並んでおり、周囲を警戒している様子はなかった。
ラドロンが林の中から指示を出して馬上の二人を矢で射落とした。
落馬した護衛二人に驚いたのか二台の荷馬車も止まる。
これでどちらの荷物も手に入る。
ラドロンはほくそえんだ。
荷馬車二台ということは店を持たない行商だろう。
中に女でも居ればありがたいが、贅沢は言ってられない。
まずは金と食料だ。
しばらく女を抱いていないことをラドロンは思い出した。
この仕事が片付けば、どこかの街で女を買おう。
ラドロンはそう考えながら、荷馬車の動きを注視する。
後ろの荷馬車から御者が降りた。
フードを被った細身の
矢を射掛けた仲間二人に後ろの荷馬車に行くよう手で促す。
腰に武器が見えたからだ。
こちらの人数を見て戦意を喪失すれば良し。
そうでなくとも大人数でかかれば始末できる。
御者がするりとフードを脱ぎ
仲間の後を追おうとしていたラドロンはその姿を見て動きを止める。
夕焼けに金髪を輝かせた革鎧姿の若い女だ。
変わったことに頭の上に大きな耳、腰からは尻尾が生えている。
だが手足にそれと分かる爪はなく、武器を持っているところを見ると獣人ではない。
ラドロンは紫に輝く女の瞳に得も言われぬ恐怖を感じたが仲間はそうでなかった。
「なんだぁ? 色っぽいのが乗ってるじゃねえか。こいつも売りモンかぁ」
「……あんた達、何人居るの?」
まだ幼さが残る女の声に安心したのか、ラドロンの仲間達からは下卑た笑いが起こる。
「心配すんなよ。姉ちゃんが満足するくらいの人数で犯ってやるぜ」
「足りなきゃ
男達の笑い声が広がる中、猫耳尻尾の女はあたりをぐるりと見回す。
そして林の中に居たラドロンと目が合った。
「!?」
偶然だろうか?
女の瞳がやけにはっきりと見える。
女の口が大きく新月の形に歪んだ。
腰の
(――違う!)
ラドロンは確信した。
あの女は間違いなく気づいている。
ここに――林の中に居る
「そんじゃあ、私を満足させてよねー」
女はそう小さく呟くと流れるような動作で
最初の犠牲者はボラッチだ。
酒が好きな乱暴者で「仕事」のときは頼りになる男だった。
岩のような頭が両断され赤と灰色と色々なものが飛び散った。
次の犠牲者はラトリだ。
小さいくせに大食いで、眠たそうな目のわりに細かいことに気がつく男だった。
仲間の死を呆然と見ていたラトリの頭がぽとりと落ち、その首から赤い血が驚くほどの高さに吹き上がった。
二人が犠牲になっても、他の仲間は声を上げることができなかった。
林の中からラドロンは仲間達に逃げろと叫んだ。
そして自分も逃げだした。
一度たりとも後ろを振り返ろうとは思わなかった。
巨木の陰に身を潜めていたラドロンは、あの女が自分達――いや、人間に勝てる相手ではないと感じていた。
女の動きがそう感じさせたのではない。
動きがラドロンには
ラドロンが巨木の陰で隠れて数刻が経った。
荷馬車を襲撃した黄昏時から時は過ぎ、あたりには夜の帳が降りている。
仲間は生き残っただろうか。
もし生き残ったとしてもボラッチとラトリが居なくなったのは大きな痛手だった。
今後は
あんな化け物が現れる地域で「仕事」などできる訳がない。
周りの気配を窺いながらラドロンは、巨木の陰からほんの僅か身体をずらす。
あるいはもうしばらく時間を稼ぐべきか。
迷いながらもラドロンが巨木から離れようとすると――
「あんれー? かくれんぼはもう終わりー」
声が聞こえた瞬間、ラドロンは走り出した。
後ろは見なかった。
見る必要もなかった。
女の声は真上から聞こえたのだ。
がさがさと落ち葉や枯れ木を踏む音が林に響く。
足音を気にする余裕はない。
ただただ、あの女から離れるため、ラドロンは林の中をがむしゃらに走る。
しかし――
「お兄さん、わりと目が良いみたいだねー」
「……あ、ああ」
ラドロンは立ち止まった。
走っていた先に猫耳尻尾の女が立っている。
紫の瞳がやけに鮮やかに見えた。
「こんなに暗いのに逃げるときもちゃーんと木や岩を避けてたね。すごいすごーい」
女はぱちぱちと手を叩く。
汗だくで息を切らしているラドロンに比して、女は汗をかいておらず息が上がった様子もない。
ラドロンは目だけを動かして女の周りを見るが逃げられそうな方向は見つからなかった。
「そんな特技を持ってたら野盗になるのも分かるなー」
「だ、だったら――」
ラドロンは精一杯の愛想笑いを浮かべると女の瞳も笑いの形に歪む。
「でもねー。野盗は悪い仕事なんだよー。悪いことしたら相応の報いってものを受けなくちゃねー」
紫の瞳に魅入られ身動きが取れない。
生まれて初めてラドロンは自分の能力を憎んだ。
こんな暗い林の中で猫耳尻尾の女をはっきりと見せるのだから。
女の右手が赤く煌めいたと思った瞬間、ラドロンの視界は暗闇に包まれる。
突如訪れた闇が女の姿を隠してくれたことにラドロンは感謝した。
そして次に訪れた激痛に叫び声を上げる。
「あああああぁぁぁぁーーーーーっ!!」
「んふふふー。これでもう逃げるのは無理だよね。ごめんねー。あんまし時間かけられなくって」
ラドロンは痛みに顔を押さえた。
押さえた手の隙間から
なんとか逃げようと振り返ったラドロンは、今度は
ラドロンは自分の両足から立つ力が失われたことに気づく。
「ひょっとして暗闇って初めてだった? うんうん。何事にも初めてってあるよねー」
背後から聞こえる女の声が次第に大きくなっていく。
ラドロンは自分の身体の全てを使って、その声から離れようともがいた。
そして――
「初めてで……お終いだったねー」
女の囁きが耳元で聞こえ
◇◆◇
機嫌良く荷馬車に戻ってきたクレマンティーヌを出迎えたのはカイの呆れ顔だ。
「遅えぞ。まさかあいつらのアジトまで潰してきたんじゃあねえだろうなぁ?」
「まっさかー。あ、でも、それも良かったかも」
クレマンティーヌはけらけらと笑う。
「無駄働きが好きな雌だぜ、まったく」
「んでー。そっちの方は?」
カイが親指で示すと、そこでは商人夫婦と幼い二人の娘が長男と次男の無事を喜んでいた。
矢を受けて生じた怪我はカイの信仰系魔法で治療してもらったらしい。
盗賊達の死体は目ぼしい装備を回収されて街道横に片付けられていた。
「おーおー、相変わらず優しいねー。カイちゃんは」
「……ふん。後でたんまり礼を貰う約束だからなぁ」
クレマンティーヌとカイは商人夫婦の感謝の言葉を受けた後、また荷馬車に分乗してバハルス帝国へと向かった。
クレマンティーヌとカイが、エ・ランテルからバハルス帝国の帝都に向かう商人の荷馬車に乗ったのはリ・ロベルを出た日の昼のことだ。
エ・ランテルの近くまではカイの魔法であっという間だった。
帝都へと向かう街道をゴーレムの馬で進んでいると、あぜ道に車輪を取られて立ち往生している商人の荷馬車を見つけた。
助けた代わりにと荷馬車に同乗し、次に野盗に遭遇してクレマンティーヌが殲滅して今に至る。
後ろの荷馬車で御者をしているのはクレマンティーヌだ。
幼い娘の相手をするよりは馬を御すほうがましだと考え引き受けた。
馬車の取り回しはクレマンティーヌにとって難しくはない。
このまま目的地までただ手綱を握っていればいいと思っていたが、そうもいかなかった。
御者台の横に座った商人の妻が、やたらとクレマンティーヌに話しかけてきた。
「あんた。カイさんとは夫婦なのかい?」
「……いーや。都合がいいから組んでるだけだよー」
一瞬、怒りで激昂しかけ、冷静さを取り戻したクレマンティーヌがなんとか返事をする。
それから今の自分のピアトリンゲン出身の
「“都合が良い”ってのは大切だよ」
商人の妻はしみじみと語る。
「あんたは凄く強いんだね……でも人間ってのは怪我や病気に必ずなるんだ。そんなときに必要なのは都合が良い相方だよ」
商人の妻が言ってることは道理であり真理だ。
どんなに強い戦士であろうと永遠に戦い続けることはできない。
力を失えば回復しなければならないし、より強い相手から逃れるためには囮役が必要だ。
だからこそクレマンティーヌも風花聖典から逃れるため、エ・ランテルでカジット・バダンテールに助力を請うたのだ。
「そりゃあ、あんたは器量が良いから贅沢を言うのも分かるよ」
商人の妻は笑顔を浮かべて声を潜めた。
「カイさんは年も行ってそうだしお世辞にも顔が良いとは言わないけどさ」
そこにはクレマンティーヌも強く同意する。
「でもね――」
商人の妻は真剣な眼差しになった。
「あんな立派な御仁を顔で手放したら大損だよ」
たしかに法国でも
それはズーラーノーンにおいても同じだ。
「なあに。男なんてやらせちまえばいいんだ」
幼い娘に聞かせたくないのか商人の妻は顔を近づけ耳元で囁いた。
クレマンティーヌは不快感に顔を顰めながら、自分が
「子供でも出来りゃ向こうも勝手にその気になるもんさ」
クレマンティーヌの背中をぞわりと悪寒が走った。
商人の妻はそれに気づかず言葉を続ける。
「うちの人だって長男坊が生まれてから、人が変わったみたいに商売に精を出し始めたからね」
商人の妻の言葉がクレマンティーヌの心を乱した。
自分が子供を生むなど想像するだけでおぞましい。
ただこの嫌悪感が自分のどこから生じているのか、クレマンティーヌにも分からない。
分からないことは考えても仕方がないと頭の隅に追いやった。
それからクレマンティーヌは商人の妻の話に適当に相槌を打ちつつ荷馬車を御することに専念した。
◇◆◇
「おーおー。綺麗な
バハルス帝国の帝都アーウィンタールの中央通りをクレマンティーヌとカイが歩いている。
美しく整備された大通りは夜であっても
「王国に比べたら、かなりマシな感じだねー」
スレイン法国神都を知っているクレマンティーヌにしてみれば最高の都市ではなかった。
それでも新たな整備や補修が随時行われている様には感心させられる。
クレマンティーヌとカイがアーウィンタールに到着したのは夜だった。
商人に口利きをしてもらって入国手続きを済ませ、礼金を受け取って別れるころには深夜になっていた。
今はクレマンティーヌの案内で宿泊場所に向かっている。
「そーいや、さっき聞いたんだけどさ」
荷馬車に乗っていたときに商人の妻から聞いた話だ。
「例の黒の鎧のクソったれが野盗の
その功績をもって例の黒鎧はアダマンタイト級冒険者になったとかで、エ・ランテルは英雄の誕生に大騒ぎだったらしい。
「……その黒い鎧ってのは、お前ぇをぶっ殺した奴だよなぁ」
「中身はエルダーリッチだかスケルトン・メイジだったか……ま、とにかくアンデッドだったねー」
クレマンティーヌの背筋に怖気が走るが我慢して軽い口調で話す。
「アンデッドが吸血鬼を倒して英雄気取りかぁ? よく分かんねえな……」
状況が理解できないのは話を聞いたクレマンティーヌも同じだ。
縄張り争いでもしていたのか、あるいは仲間割れか。
「野盗の
「関係ないんじゃない? 野盗の殆どは吸血鬼に殺されたらしいし」
「……あの野盗共なら何か知ってたかもなぁ」
カイの責めるような上目遣いに、思わずクレマンティーヌは目を逸らす。
「まあ死んじゃったもんは仕方ないよねー。それにほら。急いでたから聞き出す時間もなかったし」
クレマンティーヌの言い訳にカイが黙り込んだ。
野盗に囚われていた女達が
「じゃあ、お前ぇんとこの知り合いはどうなんだ?」
「……?」
「
言われてみればその通りだとクレマンティーヌは納得する。
「……組織に吸血鬼が居るって話は聞いたことないね。下っ端だったから教えてくんなかったかなー」
「んん? お前ぇは“幹部”じゃなかったのかよ?」
物覚えの良いカイの指摘に心の中で舌打ちした。
「幹部のつもりだったんだけどねー。もしかして騙されてたかなー。あー私ってば可哀想ー」
「……けっ」
クレマンティーヌの猿芝居に呆れたのかカイはそれ以上追求はしなかった。
余計な詮索をされないためには無知な振りも猿芝居も必要だ。
上手くやり過ごすために自分の
たとえ
「もし、その吸血鬼がクレマンの組織のお友達だったとしたらだ」
カイが嫌らしい笑顔を浮かべた。
「クレマンの組織が、その黒い鎧のアンデッドに狙われてんだろうなぁ。くっくっく」
クレマンティーヌの身体が恐怖でぶるりと震える。
スレイン法国の特殊部隊、風花聖典の追っ手だけでも煩わしいのだ。
その上、あのアンデッドから付け狙われたら逃亡はおろか命すら危うい。
「で、吸血鬼がお前ぇんとこと縁もゆかりもねえんだったら、鎧のアンデッドのお友達だろうな」
クレマンティーヌはその可能性が高いと思っている。
同じ時期に極々近い場所で、強大な力を持つ存在が二つも現れたら、それらを切り離して語る方が難しい。
そこまで考えたクレマンティーヌが
「元から敵だったか仲間割れか。出来レースって線もあるが……案外マジもんの英雄様かもなぁ」
「アンデッドだよー? 人間を助けるなんて有り得ないでしょーが普通」
アンデッドは生者を憎むものだ。
漆黒聖典時代に聞いた話でも人間を助けるアンデッドの話はひとつしかない。
「お前ぇみてえな人殺し好きの悪党共を始末したんだろぉ。偽善だとしても立派なもんだぜぇ」
クレマンティーヌは不快感に顔を顰めた。
そして黒の鎧のアンデッドが、その正体を露わにする前に語っていた言葉を思い出す。
――あいつらは私の名声を高める道具であった――
アンデッドが正体を隠して名声を得ることに何の意味があるのだろうか。
カジットの儀式どころではない、とてつもなく大きな事件の気配を感じながら、クレマンティーヌは帝都の大通りを進んだ。
クレマンティーヌとカイが辿り着いたのは墓地だ。
門の左右に衛兵が立っていたが、いつもの
「辛気臭えとこだなぁ。こんなとこにお前ぇらのアジトがあんのか?」
「そだよー。
「どこの高級宿屋に案内するかと思えば墓場の地下とはなぁ」
「えー。私らにはぴったりじゃね?」
「……ふん。
クレマンティーヌは軽い足取りで奥へ奥へと進み、その後ろをカイが訝しげな表情でついて行く。
「まだお仲間が使ってんじゃねえのか?」
「そんときは挨拶よろしくねー」
「……俺ぁ人見知りなんだよ」
霊廟に入ったクレマンティーヌは被っていたフードを脱ぎ、慣れた様子で仕掛けを操作して地下への入口を開いた。
「入るよー……んん?」
地下へと続く階段の奥、闇の中から二つの影が滲み出るように現れる。
その姿にクレマンティーヌは見覚えがあった。
「ようやく現れたか……クレマンティーヌよ」
それはズーラーノーンの十二高弟のひとりカジット・バダンテールとその従者であった。