宿屋のケイタが泊まっている部屋へと入ると、心配そうに俯くケイタと落ち着きがないように辺りをグルグルと回るダッカーの姿が見えた。2人共、ドアが閉まる音にハッとして初めてこちらを向いた事から、相当心配してくれていたんだろう。
「シン!サチ!良かった、無事に帰ってきてくれて!」
俺達に駆け寄り、笑みを向ける2人。しかしそれに対し、俺とサチは喜べない。喜べるはずがない。だからケイタは俺達の様子を変と感じ、また「あれ?」と後ろを覗き込んで首を傾げた。
「シン、テツオとササマルは?2人はどこに行ったんだ?」
「っ……2人は」
「あいつら、シンに迷惑かけてさらに助けてもらったのにどっか行くとか……まぁ、俺が言えた義理じゃ────」
「……違う。テツオとササマルはもう、いない」
俺の呟きにケイタとダッカーは言葉を失い、目を見開いた。そして互いに顔を見合わせ、俺に不安に満ちた顔を向けてくる。
「え、えっと……どういう事かな?いないって……」
「そうだ。だってシンが一緒にいたんだ、助けられなかったなんて……そんな、まさかな」
「…………」
「ははっ……なぁ、嘘だろ?冗談なんだろ?テツオとササマルが死んだなんて、そんなタチの悪い冗談言わないよな!?」
あの場にいなかったケイタは頭が追い付かず、ダッカーは俺が嘘を言っていると思ったみたいだが、何も言わない俺に不安と焦りが募ってか、大声で問い掛けてくる。
「……テツオとササマルは──────死んだ」
「っ……!!」
「なんっ……何で助けてくれなかったんだよ!?シンは俺達よりも強いし、あの階層の迷宮区も一度は入ってるんだろ!?おかしいだろ、そんなの!」
「っ……」
ダッカーからの言葉に俺は反論せず、歯軋りをするしかなかった。助けられなかったのは事実だし、このギルドの中で一番強いのも本当だ。あの迷宮区だって今回入った部屋の存在は知らなかったものの、一度は入っている。
「ダッカー……やめてよ!シンが2人を助けられなかった事をどれだけ悔やんでいたか分かってるの!?」
「知るかよ、そんなの!テツオとササマルは昔からの俺の親友なんだぞ!?」
サチが俺を庇うように前へと出るが、それでもダッカーが落ち着く事はなかった。確かに俺は生きているのに、親友2人は何故死ななければならなかったのか……それは頭では理解できても、心は止められないんだろう。
「でもシンは!」
「……サチ、もういい」
「だって!」
「いいんだ。ダッカー、なら俺はどうしたらいい?」
親友が殺され、怒りで心が一杯なダッカーに許しを請うても許してもらえるとは思えない。ならばダッカーが納得するような方法でこの場を静めるしかないだろう。
「……出てけよ。俺達のギルドから出ていけよ!仲間を救ってくれないような奴、このギルドには────」
「ダッカー!!」
今まで理解が追い付かなかったのか、黙ったままのケイタが突然ダッカーの名前を叫んだ。その声にダッカーはビクッと体を震わせ、俺もサチも普段は大声を出さないケイタに目を見開いた。
「……シンはいつも僕達を救ってくれていたんだ。シンがいなければ、僕達はもっと早くに死んでいたかもしれないんだよ」
「だったらこの怒りはどうしたらいいんだよ!?」
「それはこのゲームを攻略する事に向けてくれよ。生き残った僕達が現実世界に戻る、それが2人が望む事なんじゃないかな?」
「っ……そんなの……当たり前だろ……!」
ダッカーは握り締める拳を震わせながらケイタにそう答えた。テツオとササマルがそれを望んでいるとダッカーも思ったんだろう。しかし自分では怒りで前が見えず、それに辿り着く事が出来なかったという事か。
「でも……シン、君の答え次第ではギルドを抜けてもらいたいんだ」
「ケ、ケイタ?何を言って……」
「──────シン、君は……あのビーターなのか?」
ケイタから問われた事に俺はすぐ答えられなかった。証拠を掴んでいるわけではないようだが、何故ケイタはそれに至ったのか。どこかで俺の噂を聞いた可能性もあるが、俺がビーターだという事は攻略組か繋がりがある奴らしか知らないはずだ。ここは最前線よりも離れている、ならビーターが誰なのか知っているはずが……。
「沈黙は肯定ととるけど」
「……何故そう思ったんだ?」
「家を売ってくれたプレイヤー、普段は最前線で活躍しているみたいなんだ。シンの姿を前に見た時、ビーターなんじゃないかって疑っているって今日、話してくれたんだ」
「……なるほどな」
おそらく俺の姿をどこかで見た事があるんだろうが、記憶が曖昧で確信はなかった。だからケイタも俺がビーターだとは信じられず、尋ねてきたという事か。
「どうなんだ?君は本当に……ビーターなのか?」
「……….ああ、そうだ。ビーターだよ、俺は」
嘘をついた所でいつかは知られるだろうと思っていた事だ。今更隠すつもりなどないし、いい機会だからと俺は自分がビーターであると明かした。
ビーター──────おそらく、このゲーム内でもっとも疎まれる異名に違いない。確かにそんな異名を持つ人物をギルドに置いておくわけにはいかないだろう。
「ちょっと待ってよ!シンがビーターだからって追い出すの?シンは何度も私達を救ってくれたんだよ!?ビーターなんて、そんなの関係ないよ!」
「……サチ」
「僕もシンがビーターと呼ばれるなんて間違ってると思うよ。でも実際、シンはビーターであって一緒にいる僕達が襲われる事だっていつかは来るはずだ」
ケイタの言っている事は間違っていない。月夜の黒猫団がビーターの仲間だと広まれば、そうなる事も起こるかもしれない。だから俺もそれが現実になる前にここから立ち去るつもりだった。
「まぁ、シンはそうなる前に出ていくつもりだったと思うけど」
「そうだな。もう少し階層が上になったら出ていこうと思っていた」
「でも既に疑われている以上、それは無理なんじゃないかな」
「……そうだな」
まだケイタの言うプレイヤーは確信を得ていないようだが、これ以上このギルドに留まるのはまずい。俺が今すぐにでも立ち去れば、ケイタ達が襲われる可能性は低くなるだろう。
「じゃあ、何?私達が襲われるかもしれないからシンを追い出すってこと?そんなの────」
「サチ、いつかはそうなる予定だったんだ。それが早くなっただけだ」
「だからって、何でこんな急に!」
サチは俺が出ていく事に納得できていないみたいだが、俺もケイタも……それからダッカーも理由は違うが、俺がギルドから出ていく事に賛成している。サチだけが嫌だからと言って、それを変える事は出来ない。
「……明日、このギルドから出ていく。それでいいか?」
「うん、大丈夫だよ。僕もそう言うつもりだったから。だからさ、サチ」
────────チャンスは今夜だけだよ。
ケイタが言うチャンスとやらの意味は分からないが、どうやらサチは理解しているらしく尋ねようとしたらケイタに止められた。
その意味を、今夜知る事になるとは今の俺が知る余地などなかった。
「……アイテム整理はこんなもんか」
夕食は迷宮区でコルを稼いだから多少豪華な料理になったが、ダッカーは部屋から出てくる様子がなく、サチは何か別の事に意識が向いているのか口数が少なかった。故に喋っているのは主に俺とケイタだけで、その内容も俺達が出会ってから今までの事を振り返るような話ばかりだった。
「そろそろ寝るか……」
俺がそう呟き、ベットに入ろうとして────ドアが静かに叩かれる音が聞こえた。大抵のプレイヤーはこの時間帯には寝ている。それは月夜の黒猫団のメンバーも例外ではないはずだ。
「……サチ?」
「ご、ごめん……こんな遅くに」
ドアを開ければ、廊下に立っていたのはサチであった。俺のベットで一緒に寝る為に夜遅くに尋ねてくる事もあったが、それも最近はほとんどない。だから今回もそうではないはずだが、それならば何の用事だろうか?
「ちょっとシンと話をしたくてさ。ほら、明日にはシンは出ていっちゃうし……ダメ、かな?」
「ダメなわけないだろ。ほら、入れよ」
「う、うん……」
どこか緊張気味なサチに違和感はあるものの、俺は部屋の中へと招き入れる。ベットの上に一緒に座り、何も言わずに俯いたままのサチが口を開いたのは数分経ってからであった。
「えっと、さ……シンは、これからどうするつもりなの?」
「とりあいず最前線に戻る予定だな」
「また下の階層には来たりは……」
「それは俺にも分からない。それに下りたからと言って、また会える保障もないしな」
サチにとって俺と別れるのはとても辛い事であり、再会できる未来があるかもしれないと思っているんだろう。短い間だったが別れるのは俺も辛い。どこかでまた出会える事も願っている。しかしそれが現実となるかどうかは誰にも分からない事だ。
「そう……だよね。でも私は信じてるよ。だってシンにはもっと色んな事を教えてほしいから」
「色んな事?」
「どうしてシンが、ビーターって呼ばれるようになった、とか」
「っ……」
俺はそれを尋ねられ、唇を強く噛んだ。思い出すのはディアベルの死、キリトを守る為に自らビーターになったこと……そして幾度も他のプレーヤー達から罵られたこと。
正直言って、あの頃は辛かった。すれ違う度に罵声を浴び、フィールドでは襲われる事もあった。もしかしたら俺はその苦しみから逃れたい……無意識にそう思っていたのかもな。だから俺がビーターだと知らず、頼ってくれるこのギルドに入ったのかもしれない。
「言えない。いや、言いたくないのが正解……かな?」
「……どうしてそんな事を知りたいんだ」
「シンの事だからだよ」
俺の事だから?それは……どういう意味だ?俺が疑問に感じている事にサチは気付いたらしく、それを待っていたかのように笑みを浮かべていた。
「こういう……ことだよ」
サチがそう言った瞬間、俺の頬には何か柔らかい感触があった。すぐにそれが何だったのかは理解できなかったが、しばらく時間をかけた結果──────頬に触れたのがサチの唇だと分かった。
「なっ……は……?」
「ふふっ……シンのそんな驚いた顔、初めて見たかも」
「い、いや、それよりサチ、お前今……」
「うん……キスしちゃった」
頬にだったが、キスをされるなど現実世界でもされた事はない。あのような感触を受けた事など一度もないはずだ。まさかゲームの中でそれを体験するとは思ってもいなかったが、サチが何故このような行動に出たのかが分からない。
そもそも異性にキスをするなんて、好意を持っているとしか考えられ……いや、まさかサチが俺に?
「私、シンのこと好きだよ。私みたいな弱虫でも何度も助けてくれて、私が悩んできる時だって真剣に考えてくれた。初めはシンがいてくれる事が心強いってだけだったけど……いつまでも一緒にいてほしいって思うようになってた」
「……サチ」
「私がシンと釣り合えるような人じゃないってのは分かってる。でも私はシンの事が好き……だからこの気持ちだけは絶対に伝えたかった」
サチのこの告白に……俺はなんて答えればいいんだ?サチが俺を好きな事は嬉しい。俺もサチの事は好きだがそれは仲間としてであって、男女としてではない。俺にサチと同じような気持ちがない以上、サチが望む答えは返せない。しかしならばどう答えればサチを傷つけずに済むんだ……!?
「サチ……その、俺は」
「……分かってるよ、シンにそういった気持ちがないって事は」
「……な、なんだって?」
「言ったでしょ、私はこの好きという気持ちをどうしてもシンに伝えたかったの。だからシンが私の事をどう思っていようと……関係、ないんだよ」
「っ……!」
サチの目からは涙が溢れ、頬を伝って膝へと落ちた。流れる涙をサチは手の甲で拭うが、止まる事はない。それよりも段々と溢れる量が増えているようであった。
「ご、ごめん……分かってた事なのに……涙が出ちゃって……」
「……ごめんな」
「えっ?」
「俺が答えればいいのに、何もかもサチに喋らせて……辛い事ばかりさせて……ごめん」
「シ、シンが謝る必要なんてないよ。でも……1つだけお願いがあるかな」
お願い……?
「何だ?」
「だ……抱き締めてくれないかな、私のこと」
「別にいいが……こうか?」
俺はサチの背中に腕を回し、サチを抱き締める。俺よりも年齢は上だが小柄なサチは俺の腕の中に収まってしまうな。抱き締めるわけだから、いくらか力は入れて密着しているつもりだが……こんな感じでいいんだろうか?
「うん、大丈夫……好きな人からこうやって抱き締められるなんて夢みたいだよ」
「なぁ、サチ……俺は……」
「シン」
サチも俺をぎゅっと抱き締めると、頭をコツンと胸に当ててきた。そしてしばらくした後に顔を上げ、俺と目を合わせた。
「絶対に忘れないで。私がシンの事を好きだって事を」
「ああ……忘れない。忘れるわけがないだろ」
「なら、いいよ」
サチはそう言うと、俺から離れてベットから立ち上がった。そしてドアへと向かっていき、ドアノブに触れる直前にこちらへと振り向いた。
「いつかまた──────会おうね、シン」
「ああ。
俺の言葉にサチは満面の笑みを向け、部屋から出ていった。
そして次の日──────俺はケイタ、サチ、ダッカーに別れを告げ、月夜の黒猫団から離脱したのである。