嘘とは人を騙す為に使われる、事実とは異なる偽りの言葉だ。
善悪の理由に拘わらず、長い人生の中で一度も嘘をつかずに生きている人間は非常に稀だろう。フィアもまた、周りの人間に対して嘘をついたことは数多くあった。
そして今この時でさえも、フィアは周りに嘘をついている。
双葉志亜という存在――それすらも、本当は全て嘘なのだ。
本来ならば、この世界にフィアという人間が生まれてくることはなかった。名前も忘れた召喚師への復讐を果たしたあの日、この命は異世界の空の下で終わっていた筈なのだ。
しかしフィアは、今日という日を何事もなく、他の者達と同じように生きている。
双葉志亜という名前を今世での両親から授かり、普通の人間として暮らしている。
その事実が何よりも、フィアにとっては性質の悪い「嘘」だった。
――お前は「彼」だ。双葉志亜ではない。ましてやフィアなんかでもない。
朧げに目の前に現れた「かつての自分」の口から、フィアは冷酷にそう告げられる。フィアが第二の人生の平穏に溺れる度に脳裏に浮かび上がってくる、もはや何度目になるかもわからない幻覚症状だ。
幻覚の「彼」は双葉志亜という存在を頑なに否定する。お前はこの世界にとって害にしかならないと、お前はここに居てはいけないのだと突きつけてきた。
そしてその度に、幻覚の「彼」はフィアに問うのだ。
――他人を騙して生きる世界は楽しいか?
それは、志亜がこの十六年という新たな人生において未だに悩み続けている問いだった。
フィアは――志亜はかつて、自分自身の手でその命を散らそうとした。
転生者という異物である自分はこの世界に居てはならないと、かつてのフィアは己自身の存在を否定していた。
しかし。
(違う……! 違う……! 違う……っ!)
今の志亜は、そうでない自分を見つけ始めている。家族に受け入れられ、友人を得たことによって、志亜はようやく自分が「双葉志亜である」という嘘を本当に出来る気がしたのだ。
志亜は志亜、フィアはフィア――自分はもう、前世の「彼」とは違う人間なのだと。
かつての自分には無かった心の変化にフィアは戸惑っており、周りからは落ち着いているように見えてもその在り方は酷く不安定だった。そんなフィアだからこそ、目の前の人間がついた嘘に対して敏感になり――許せなかったのだ。
「嘘は……駄目……っ!」
フィアは決して、自身に対して姑息な騙し討ちを仕掛けてきたキラー・トマトという少年のことが憎いわけではない。フィアが許せないと思っているのは、あくまでも彼のついた嘘だ。
人を貶める為に嘘をつくという行為が、まるで今の自分の姿を見ているようで……フィアには黙っていられなかった。
「はは、なにさ。君こそ大した嘘つきじゃないか、そんな弱々しい姿をしておいて!」
フィアの身体を斬り裂く筈であった剣の一閃を白刃取りで止められたキラーが、見た目からは判断出来なかったフィアのただならなさを悟り、一旦地を蹴ってその場を離れる。
その際、自分から離れるならば構わないとフィアはあっさりと彼の剣を抑える手を放した。
数メートルの距離を置いたところで、キラーは再び剣を構え直し、対するフィアは素手のままで向かい合う。
フィアは目に潤んだ涙を拭うと、自分の中で確かめるように自らの思いを吐き出した。
「フィアは……フィア。フィアは生まれる前から死んでいたけれど……確かに、フィアだった」
どれだけ詭弁を並べようと、自分は誰よりも卑劣な嘘つきだ。
そう自覚しているフィアはその言葉が言い訳に過ぎないことをわかっていても、今の自分がフィアであることを言っておきたかったのだ。
でなければ、「彼」の存在に自分が飲み込まれてしまいそうだったから。
「電波?」
「?」
勿論、それはフィアが自分自身に対して言っている言葉であり、キラー・トマトへ向けてのものではない。対峙するキラーからしてみれば何を言っているのかわからず、フィアの言動を不思議そうに眺めていた。
「キラー! お前はそこまで性根が腐っていたのか!」
「何だい君達も。おっさんは斬っても可愛い子は斬るなって? そんなの笑顔になれないね!」
キラーはこの対峙に飛び出してきそうになった仲間達の動向を横目で制止させると、爽やかな美少年然とした姿に似合わない歪な笑みを浮かべて言った。
「フィアって言ったね。さあ、君も早く武器を持つんだ。それまでは待っててあげるよ。この僕と楽しい戦いをしようじゃないか!」
「………………」
フィアにはこのキラー・トマトという少年のことが、よくわからない。
このゲームの世界で人との戦いが楽しいというのはわかる。ゲームとはどこまで行ってもゲームであり、命を奪い合うような殺し合いではない。それを頭では理解しているからこそ、フィアはトラウマに触れるモヒカン達の死にも涙を流すだけで済んだのだ。
そうでなければ、フィアはとっくに「彼」の思考に飲み込まれていただろう。
「どうしたの? 早く僕と戦おうよ!」
ゲームだからこそ、スポーツ感覚で戦いを楽しむのは理解出来る。
この【
しかしそれを踏まえた上で、フィアには彼のやりたがっていることが「戦い」だと思えなかったのだ。
「……貴方のそれは、戦い違う」
彼のしていることは、フィアの目には「いじめ」にしか見えなかった。
強者が弱者を虐げる。携えた武器の力で弱者を斬り伏せ、彼らが抱えていた思いすらも踏みにじる。
一方的に弱者を打ちのめすことが、戦いの形だとは思えなかった。
「貴方は、自分が負けないことをわかっている。自分に危険が無いことを、わかっている」
「そうだよ、僕が彼らや君に負けることはあり得ない。仮に君がリアルの世界で達人だったとしても、今は負ける要素が無いね。見たところ、まだ初級職だろう? このゲームにはレベルとか無いからスキル構成次第じゃやりようはあるけど、流石に上級職の僕と初級職の君じゃ勝負にならないよ」
キラー・トマトは、このゲームの世界においてプレイヤーとの戦いを楽しんでいるのではない。
彼が楽しんでいるのは弱い者いじめ、弱者を一方的に虐げていく行為だ。
「結果が見えている戦いは、戦い違う。ただの、弱い者いじめ」
だがそれも、フィアの頭が一方的に下した見解に過ぎない。彼本人には弱い者いじめをしている気など無く、言葉通り本当に戦いを楽しみたいだけなのだとするならば……フィアは彼の真意を知りたかった。
だからフィアはこの期に及んでも武器を手に取ることはせず、あくまでも対話での相互理解を求めたのだ。
しかしそんな希望は、呆気なく打ち砕かれた。
「だから笑顔になれるんじゃないか! 僕は自分より強い奴とは戦わないんだ!」
貴方の戦いは弱い者いじめに過ぎないと指摘されたキラーは、コンマ一秒すら悩まずあっさりとそれを肯定してみせた。
戦いらしい戦いよりも、自分の勝利が確定している弱い者いじめこそが楽しいのだと。
フィアの中で、殺伐とした「彼」の思考が強まっていくのを感じる。フィアはそれを「双葉志亜」としての意識で抑え込みながら、キラーの目を見つめた。
「フィアには、貴方が理解出来ない……」
「お互い様だね。僕も君みたいな不思議ちゃんと話すのは初めてだ」
彼の行いは間違っている、とフィアは思う。
しかしそのことをこんな自分に言う資格があるのかと思うと……同じ穴の狢に思えたフィアには、それ以上彼を糾弾することが出来なかった。
そんな葛藤の末にフィアが取ることが出来たのは、せめて自分の身を差し出すことでキラーの欲求を満たしてあげることだけだった。
「……フィアは、もう抵抗しない。だから、もうこんなことはやめて」
彼の心が満たされれば、少なくともここでスキンヘッドがいじめられることはなくなる。長期的には何の解決にもならないだろうが、この場だけは円満に収めることが出来るのだ。
武器を拾わないまま両手を広げたフィアは、そう言ってキラーの攻撃を甘んじて受け入れようとする。
しかし、フィアは知らなかった。
――この場に居合わせた一羽のコウテイペンギンの怒りが、既に限界を振り切っていたことを。
「死ね」
青い衝撃が走った。
バキッと鎧の弾ける音が森林内に響き渡った瞬間、フィアの目の前からキラー・トマトの身体が吹っ飛んでいく。
そしてキラーの姿と入れ替わるように、フィアの目の前には一匹のコウテイペンギンの背中が広がっていた。
「……いったいなぁ……今日も随分と乱入が多いね」
キラーは空中で身を回転させながら体勢を立て直し、軽快に着地を決める。
しかしその表情には僅かに驚きの色が浮かんでおり、自身の鎧の胸部に入った亀裂を確認するとその眉を不快げにしかめた。
「君は確か、鍛冶屋のペンギンさんだったね。なるほど、良い装備だ」
「クリスタルペンギンハンマー、私が作ったオリジナル武器だ。だがお前には土下座されても造ってやらないぞ。死ね」
「それは残念」
「さっきチャットでお前の外道っぷりを私のフレンド達に拡散しておいた。良かったな、これでお前もブラックリストの仲間入りだ。死ね」
「……酷いことするね」
「うるさい。死ね」
「あんまり死ね死ね言うと運営から弾かれるよ?」
「死ね」
彼の身体に明確なダメージを与えたコウテイペンギン――ペンちゃん。彼女の携えた見るからに業物そうな水晶色のハンマーを見ると、キラーは苦笑を浮かべる。
対するペンちゃんはその言動の乱暴さに違わず、随分と怒り心頭の様子だった。
フィアの方向から彼女の表情は窺えなかったが、その怒りの程は痺れるように伝わってきた。
「ペンちゃん……」
「悪いなフィア。君が我慢出来ても、私が我慢出来ない」
「俺にもやらせてくれ。あと一発喰らえば終わりだが、盾ぐらいにはなる」
「おじさん……」
これまでフィアに庇われていたスキンヘッドの男までも前に出て、フィアを守るような格好でキラー・トマトと対峙する。
ペンちゃんの乱入から、その動きはある程度予想していたのだろう。キラーはこの状況に対してはさして動揺を見せなかった。
「これで3対3か……と言ってもその子に戦う気は無さそうだから、実質3対2か。大したことないね」
ペンちゃんと死にかけのスキンヘッドが合わさったところで、自らの勝利は揺るがない。自身の優位を悟っているからこその余裕の笑みだろう。
「いいや」
しかし、それは揺らぐ。
木の上から弓矢、横合いからは刀の切っ先を――キラー・トマトは各々の武器を味方である筈の人物達によって向けられたのだ。
「1対5だ」
弓兵の青年と侍風の壮年が放っていたのは、キラーに対する明らかな敵意だった。
唐突な裏切りである。
PKギルドとして仲間であった筈の二人の謀反にキラーはあっという間に孤立してしまい、初めて余裕の表情を崩すことになった。
「……それはないよ、二人とも。君達までどうしちゃったんだい?」
「我ら自由同盟は自由なプレイングを楽しむギルド……」
「でも、流石に無抵抗な幼女に騙し討ちはいかんでしょ。流石の俺弓兵もこれには苦笑い」
彼らとてプレイヤーであり、心を持たないプログラムなどではない。
生きた人間であるが故に、彼にとって無条件に仲間で居ることなど断じてあり得なかった。
MMORPGもVRMMORPGも、他者との信頼があってこそ初めて成り立つゲームなのだ。キラー・トマトというプレイヤーはこの瞬間、その信頼を二人から失ったのである。
「あーそう来たか……君達さぁ、もう少しネカマの線とか疑ったりしてもいいんじゃないの? こんな都合の良い女の子が居るわけないじゃない。君達、見た目に騙されてるよ」
これだからパーティプレイは苦手なんだよね、とキラーが苦虫を噛んだように呟く。
さしもの彼も、上級職複数人を含む四人を同時に相手にするのは厳しいものがある。彼の方もそう思ったのか、彼はその口で再び二人への説得を試みた。
それは、フィアというキャラクターがリアルの世界でも同じ姿をしているとは限らないという話だ。
この「HKO」では性別も容姿も自由にキャラメイクすることが出来る為、大半のプレイヤーは自身の理想とする美少年あるいは美少女へと作り替えてプレイをしている。
実際、特殊な性癖を持つ男性が自身の姿を幼女に変えてゲームをプレイすることは少なくない。フィアもまたそういった「VRネカマ」の一人に過ぎないとキラーは思っていた。
彼らが彼女の味方をするのも、彼女が幼い少女だからという庇護心が理由だからだろう。その前提を崩してやれば、彼らを再び味方に引き込むことは可能だと。
しかし、彼の仲間だった侍風の男は静かに首を横に振る。
「ならば一つ言っておこう。その子の姿は、恐らくはリアルのものとそう変わりはない筈だ。何故ならば、その子の顔には本来、プレイヤーがリアルとは違う顔に弄った場合にはあり得ないものがついているからだ」
「あり得ないもの? 何さ? 確かに美少女だと思うけど、可愛いアバターなんて誰でも作れるじゃないか。それこそ脂ぎったおっさんだって」
フィアがVRネカマではないと迷いなく断言する侍風の男に、キラーは怪訝な顔を浮かべる。
しかし、侍風の男には根拠があったのだ。それは決して彼の個人的な願望ではなく、れっきとした根拠がある上で、彼はフィアがリアルでも同じかそれに近しい姿をしていると確信していた。
その根拠を、彼は迷いも曇りも無き純真な目で言い放った。
「目の下のクマだ」
ハッと息を呑む音がペンちゃんとスキンヘッド、木の上から弓を構えながら待機している弓兵の青年から聴こえてくる。
知る人ぞ知る「HKO」キャラメイクの真実を、侍風の男はその手に握っていたのだ。
「美少女を作る。なるほど確かにそれは簡単だ。「HKO」の精巧なグラフィックは乱れのない端正な輪郭を作ることが出来る上に、二重の目蓋も、大きな瞳も、長い睫毛も、艶やかな髪も、シミ一つない肌も、妖精のように華奢な身体も生み出すことが出来る!」
これまでの寡黙ぶりは何だったのかという突っ込みの隙すら与えずに、彼は饒舌に語る。
切れ目の長いその視線はペンちゃん達の後ろに立つフィアへと向けられており、その容姿の一つ一つを気持ち悪いほど的確に分析していた。
「だが目の下のクマだけは……何故か作れんのだ! 課金しても! なまじ美しいグラフィックを生み出すことに拘った結果、その一点だけは制作側にとって盲点だったのだろう!」
まるで主君を守り抜くことが出来ず切腹を誓った武士のように、聞くも無念そうな魂の叫びだった。
戦場になる筈だったこの場を、数秒間の沈黙が支配する。
四人の視線がフィアの目の下に浮かぶ薄いクマへと集中し、ただ一人フィアだけが状況を上手く飲み込めずその場に立ち尽くしていた。
「……マジ?」
「マジだ」
「いや、でも……」
「貴様はリアル幼女に手を出したのだ」
「なにそれ!? それじゃ僕ただの犯罪者じゃん!」
「寧ろそれ以外の何だと思っていたのだ……」
沈黙を破ったのはキラー・トマトの素面から放たれた問いと、彼に対して冷たく返す侍男の言葉だった。
「あのような薄っすらと絶妙なクマを作る方法はただ一つ。リアルでの姿をトレースするしかない。即ち、その子の姿はリアルの姿とそう変わりがないということだ」
「ええー……」
キラーの表情が固まる。
世界全体が凍りついてしまったかのように、色を無くし、何とも言えない視線を木の上の弓兵に送る。
「やっちまったな、キラー。短い付き合いだったが、お前ならいつかやるんじゃないかと思ってたよ」
「腐ったトマトめ、貴様の悪事もこれまでだ! 成敗してくれる!」
「……いや、共犯していた君達も同罪だからね? 今更いい人ぶっても遅いからね?」
侍風の男の証言により、フィアが非ネカマであること、それに加えてリアルでも同じ姿であることを知った一同は、既に全員がキラーにとって完全な敵となり果てていた。
まさに四面楚歌の状況である。こればかりはキラーにとっても予想外であった。そもそも彼がフィアに向かって容赦無く斬り掛かることが出来たのは、キラーの心には「どうせリアルでは幼女じゃないんだし」という前提があったればこそなのだ。
彼とてその事実を始めから知っていればスキンヘッドへの襲撃を止めることこそ無かっただろうが、彼女に対する騙し討ちまでは仕掛けなかったかもしれない。しかし、たらればの話だ。
事態は既に、彼が言い訳するには後に退けないところまで来ていた。
「どんな状況だよコレ……」
この場において、キラー・トマトには二つ致命的な誤算があった。
一つは、フィアという少女の存在。
そしてもう一つは、自らの仲間に幼女を愛する紳士の存在が居たことだった。
「ククク、楽に死に戻り出来ると思うなよ?」
「なにこのペンギンこわい……」
ペンちゃんを先陣に、スキンヘッドが、弓兵の青年が、侍風の壮年が一斉にキラー・トマトへと襲い掛かる。
フィアの容姿の真実を知ったことで即席パーティである筈の彼らの士気はこれ以上なく高まっており、逆に幼女虐待糞野郎というレッテルを貼られたキラーのモチベーションは先ほどまでよりも著しく低下していた。
このままぶつかり合えば、間違いなく数の暴力によってキラーが敗れるだろう。PKギルド対世紀末トリオという構図はもはや見る影も無く、場は混沌としていた。
しかしその状況を善としない者もまた、この場には存在していた。
「駄目っ!」
状況の急激な変化に着いて行くことが出来なかったフィアだが、PKギルドの二人がキラーに謀反し、四人がかりで彼に攻撃を仕掛けようとしているのは見てわかった。
しかし、そんなことをフィアは望んでいない。
そんなことをさせる為に飛び出したんじゃない。
口下手で、自分の気持ちを表現することが苦手なフィアだが、フィアは決してキラーが叩きのめされれば良いなどとは考えていない。
故にフィアは、今度はその声で彼らに制止を訴えた。
先ほどまで対峙していたキラー・トマトを、自ら盾になるように庇い建てして。
「フィア!」
ペンちゃんは即座に振り向き、フィアに止めるなと訴える。
フィアからしても、ペンちゃんとスキンヘッド達が自分の為に怒っているのだとはわかっている。
だが、これではいじめの対象がスキンヘッドからキラー・トマトに変わっただけだ。
その光景は決して、彼女が望んだものではなかった。
「喧嘩はやめて……やめて……!」
震える声で、フィアは懇願の言葉を呼び掛ける。
殺伐とした、怒りや憎しみばかりが広がっていく光景は――もう、たくさんだった。
「今だ!」
「あっ、逃げたぞ!」
「天誅!」
フィアの叫びによって四人の動きが一瞬だけ止まった瞬間、キラーがこれ幸いとばかりに跳び上がり、木々を足場に着地を繰り返しながらムササビのような動きでその場を立ち去っていった。
分の悪さを悟った彼は、戦闘を放棄して直ちに逃走を選んだのだ。その引き際は実に見事だった。
そんな彼の背中を追って、侍風の壮年と弓兵の青年が全速力で駆け出して追跡していく。二人の姿もまた遠ざかっていき、この場にはフィアとペンちゃん、スキンヘッドの男の三人だけが残る形となった。
「あんたは追わないのか?」
「フィアを無視してか? そんなこと出来るわけないだろ」
ハンマーをアイテムボックスへと片付けるペンちゃんに対してスキンヘッドが問うが、ペンちゃんは苛立たしい感情を隠そうともしない口調でそう応える。
フィアは斬られるわキラー・トマトには逃げられるわと、何とも胸糞悪い結末である。しかしキラーを逃がしたのは実質フィアであるが為にペンちゃんには誰かを責めることも出来ず、実にもどかしかった。
無論、ペンちゃんはこのままキラー・トマトのことを見逃しておくつもりはない。彼に対してはあらゆる人脈を使って報復する気である。
しかし今は何よりも、ペンちゃんにはフィアの精神状態が気になった。
「…………っ」
「よしよし、大丈夫だ。もう誰もいじめたりしないから……大丈夫だよ」
向き直ったペンちゃんは、立ち尽くすフィアの背中を労わるように擦った。
リメイク前を読んでいただいた方も、そうでない方も、感謝の極みです。だからよ……