蒼紅天使のマスカレード   作:GT(EW版)

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プレイヤーキラー・トマト

 

 

 

「誰だ……誰がやりやがった!」

 

 弓矢に撃たれ、一人、プレイヤーキャラクターが死んだ。

 正確な狙いだった。そして「敵」の攻撃への警戒を怠っていたこともまた彼の死因であろう。

 皮肉なことにも、フィアとの会話が周囲への危険意識を薄くさせてしまったのだ。

 彼らは依然として、PKに狙われている身であった。

 

「僕だよ」

 

 仲間の死に動揺するスキンヘッドとモヒカンの前に、一人の少年が現れた。

 背はそれほど高くなく、160センチ台中盤程度の身長だ。身体の線も細く、筋骨隆々の二人と見比べればその体格差はまさに大人と子供だった。

 しかしそう言った体格差という指標が何の意味も為さないのが、このVRMMO界隈でのお約束である。寧ろ体格の大きさは敵の攻撃が当たる面積が広くなるということもあってか、プレイヤー達の間ではあまり推奨とされていなかった。それでも彼らがこの体格に設定してキャラメイクをしたのは、単に彼らの趣味による理由が大きいだろう。

 

 閑話休題。

 

 仲間が撃たれた二人の元に、律儀にも堂々と姿を現した優男のような顔立ちをした少年は、そんな彼らを小馬鹿にした口調で言った。

 

「せっかくいい大義名分が出来たのに、勝手に改心するなんて許せないじゃない?」

「てめぇは……!」

 

 この場所に逃げ込む前もまた、彼ら三人はこの少年を相手に戦っていた。

 そしてその圧倒的な実力差を前に手傷を負ってしまい、悔しくも敗走したのがフィアと出会う前までのいきさつだった。

 恐るべきPK――その恐怖の対象たる名前を、スキンヘッドと残る一人のモヒカンが声を重ねて叫んだ。

 

「PKギルド【自由同盟】! キラー・トマト!」

「ご丁寧にありがとう。今度は逃がさないよ」

 

 

 ……と、彼らが送るどことなく演劇めいたやり取りをジト目で眺めながら、ペンちゃんは不審げに呟いた。

 

「なんだあいつ……私のフレンドじゃないぞ」

 

 その目線が向いているのは先ほどモヒカンの一人を撃った少年、キラー・トマトというプレイヤーだ。

 彼の目的は森を焼いた張本人である三人のプレイヤーの討伐であることは間違い無さそうだが、ペンちゃんはその名とその姿に見覚えが無かった。

 確認の為とばかりに手元のウインドウを操作して捜してみるが、やはりキラー・トマトというプレイヤーの名はフレンドリストには載っていない。

 と言うことは即ち、彼はペンちゃんが依頼したプレイヤーの一人ではないということだった。

 

「この野郎!」

「おっと」

 

 仲間のモヒカンが倒され、怒り心頭のモヒカンが手に持った杖から火炎魔法「ファイアボール」を放つ。フィアとの会話が彼の心境に確かな変化をもたらしたのだろう。彼の放ったその魔法は先にこの森を巻き込んで放った「ヒャッファイヤー」とは異なり、範囲を一点に絞った被害の少ない一撃だった。

 しかし、その魔法攻撃は少年の衣服を焦がすことも出来ないまま遠方の地面へと着弾する。発射の瞬間少年が目にも止まらぬ高速移動でその場から立ち退き、ファイアボールを回避したのである。

 

「スマイル・スラーッシュ!」

「ぐあっ!?」

 

 回避と同時、少年はすれ違いざまに左腰に収納していた「片手剣」を振り抜く。剣はそのままモヒカンの胴部から横一文字に斬り裂くと、続けて少年は軽やかな身のこなしからその背中に蹴りを喰らわせた。

 

「……やめて……」

 

 蹴り飛ばされたモヒカンはサッカーボールのように吹っ飛んでいき、五メートルほど派手に地面を転がされていく。

 この「HKO」は中高生もプレイをするゲームであるが故に、斬り付けられた箇所から真っ赤な血が飛散したりだとかと言ったグロテスクな方向にリアルな演出はされていない。

 しかしダメージが大きければ大きいほど行動に制限が掛かる点では現実と同じであり、今の二擊で体力を著しく減らしたモヒカンはすぐには動くことが出来ず、うつ伏せに倒れたまましばらく起き上がれなかった。

 

「ドーク! ちぃっ」

「させないよ。スマイル・アロー!」

「ぐはぁ……!?」

 

 仲間を助ける為に動き出したスキンヘッドの男に対して、少年は即座に手持ちの武器を片手剣から背中に背負っていた「弓」へと切り替え、一瞬にして矢を引き放った。

 放たれた矢はスキンヘッドに回避の隙を与えず、その鎧を一直線に貫く。

 弓に矢をセットする動作が見えなかったのは、矢が実体を持つ物理的な矢では無く、「魔力」で構成された魔法の矢だからであろう。その技は数多のプレイヤーを見てきたペンちゃんにとっても、あまり見たことのないものだった。

 

(あいつのクラスは魔法弓師とか、そんなところか……何にせよ、あれが上級職なのは間違い無さそうだ)

 

 随分と慣れた動きと言い、煌びやかに整った装備と言い、少年がこの初心者御用達のダンジョンには不似合いな熟練者であることは一目見てわかった。

 自分が戦ったら勝ち目はあるかと言えば……無いことはないだろう。しかしペンちゃんには進んで彼と矛を交えるような理由は無かったし、目の前のマッスル達を助けに行く理由も無かった。

 寧ろこの畜生ペンギンは少年の行動を賞賛しており、いいぞやっちまえとすら思っていた。

 マッスル達がフィアの言葉によって反省したのはいい。しかしだからと言って、彼らがフィアを始めとする他のプレイヤー達に迷惑を掛けたことはれっきとした事実である。

 ならば何らかの罰を受けるのは当然のことであり、それがPKによって裁かれるというのならばそれはそれで良い落とし前だった。

 尤もそのPKが自身の依頼したフレンド達でなかったことは、ペンちゃんにとっては少々不服だったが。

 

「ぐっ……てめぇ」

「いやあ、笑顔の為に悪い人を懲らしめるのは気持ちがいいね」

「てめぇは、PKが好きなだけだろうが!」

「それはそうなんだけどね。でも最近はPKに悪いイメージを持っている人ばかりで困っていたんだ。PKすると面白いスキルが手に入ったりするのにね」

 

 光の矢に射抜かれ、苦悶の表情を浮かべながら地に伏するスキンヘッドを見下ろしながら、キラー・トマトが愉悦に笑む。

 そんな彼はここで一気に決着をつけることはせず、聞いてもいないのに何やらPKギルドの実情を語り始めた。

 

「僕達はモンスターよりもプレイヤーと戦う方が笑顔になれるだけなのに、みんなから悪く言われるんだ。でも、過剰な攻撃で森を焼いて、他のプレイヤーに迷惑を掛けてる悪党が相手なら、PKをしても怒られないじゃない? 寧ろ、みんな笑顔になるでしょ?」

「はっ、違いねぇ」

 

 フィアとの会話直後というのは何とも間が悪いが、確かにキラー・トマトはPKではあっても今ここで世間から後ろ指を差されるようなことは何もしていない。

 この場合、確かに正義の味方は彼の方と言えた。

 

「というわけで、僕に倒されて笑顔になってよ」

「そうは行くか!」

 

 しかし自業自得とは言え、狙われるプレイヤーの方からすれば彼がいけ好かないPKの一人であることに変わりは無い。スキンヘッドの男は背中に背負っていた武器――「斧」を両手に構えると、当然のように抵抗を行った。

 瞬間、先ほどまでキラーが立っていた地面に斧の切っ先が突き刺さる。豪快な破壊力を秘めたその一撃は、直撃していればキラーの身にも相応の効果をもたらしたことだろう。

 彼の斧が抉った地面の傷跡を一瞥すると、キラーがひゅうっと感心げに口笛を吹いた。

 

「やるね、中々のパワーじゃない。アバター通り、君はATKを重視して伸ばしているみたいだね」

「上級職だろうが何だろうが、俺達世紀末トリニティを舐めるなよ!」

「そうこなくちゃ!」

 

 キラーとしても始めから抵抗されることを期待していたのだろう。斧を構え直し、憤怒の表情で睨むスキンヘッドの様子に、キラーは楽しげに唇をつり上げる。

 悪徳プレイヤー対プレイヤーキラー、第三者としての立場に居るペンちゃんとしては中々に見応えのある戦いの構図である。

 レベルでは恐らくキラーの方が上。しかし、数の面では二対一とややスキンヘッド側に分がある。スキンヘッドとキラーが睨み合っている間にモヒカンの男が先ほどのダメージから復帰し、キラーを挟み撃ちの形に取り囲もうとした。

 

「だけど」

 

 しかし、その動きをキラーは――キラー()は許さなかった。

 後方、遠方斜め上方向から突如として一本の矢が飛来し、モヒカンの頭をモヒカンヘアーごと撃ち抜いたのである。

 

「ドーク……!」

 

 スキンヘッドが呼びかけるが、モヒカンの返事は無い。

 思いがけない方向から攻撃を受けたモヒカンはその場に崩れ落ちると、光の粒子となってその場から消滅していった。

 二人目の「死」である。今度は遺言の暇すら与えない即死だった。

 

「残念だったね、君の相手は僕だけじゃないんだよ」

 

 キラー一人に意識を集中させていた為に、彼らは気づかなかったのだ。

 スキンヘッドの男に二人のモヒカンが居たように、この場にはキラーの他にも二人の仲間が居たのである。

 

「我ながらナイス命中率だぜ」

 

 ペンちゃんとスキンヘッドが矢の放たれた方向に目を向けると、いつから待機していたのやら、焼き焦げた木の上に弓を構えたまま座っている青年の姿があった。

 キラーがその青年に軽く手を振ると、弓兵の青年はグッと親指を立てて爽やかに応じた。

 

「そしてもう一人」

 

 続けてキラーが頭の上で気取ったように指をパチンと鳴らすと、今度は真横の木陰から音も立てずにもう一人の人物が姿を現した。

 江戸時代の武士のような袴と羽織を身に纏い、懐には一本の日本刀が鞘に納刀されている。

 顔立ちは渋く、プレイヤーキャラクターとしては珍しい三十代後半から四十代前半と言った壮年の男の姿をしていた。

 

「…………」

「この二人が僕の仲間だ。因みに二人とも上級職でね。僕達はフィクス大陸から来たんだ」

 

 ロールプレイの一環なのかは定かではないが、何も語らず無言で刀を構える姿には得体の知れない凄みを感じた。

 三人に囲まれたスキンヘッドの姿を見て、これは一方的な勝負になってしまいそうだなとペンちゃんは初めて彼に同情した。

 

「三人か……」

「そう、僕達は三人だ。だから勝てると思うのはやめてよね」

 

 三人に勝てるわけがないだろう? と、挑発げにキラーがせせら笑う。

 質も下回っていれば数も下回っている。これでは勝敗は明白だ。しかし彼らがここで早々にとどめを刺さないのは、恐らくはこの状況をもう少し楽しみたいからであろう。

 狩りというのは獲物を追い詰める時こそ最も楽しい時間だと聞く。キラー・トマトもまたその時間に長く浸っていたがっている様子とペンちゃんには見えた。

 正義の味方を自称する割には、何とも性格が悪い。そう思うペンちゃんだが、依然としてスキンヘッドの側に加勢する気は無かった。

 

 ――しばしの沈黙が場を包み、そしてその沈黙を破ったのはスキンヘッドの言葉だった。

 

「ちっ、やるならさっさとやりやがれ!」

 

 手持ちの武器である斧をアイテムボックスの中に収納すると、彼は投げやりに吐き捨てる。

 武器を解除し無手となったのは、彼にとって「降参」の意思表示であった。

 その対応が意外だったのか、キラーがあれ?と首を傾げた。

 

「随分あっさりしてるんだね。悪党は悪党らしく、無様に抵抗すると思ったのに」

「元々悪いのはこっちの方だ。……そうだろう?」

「ふーん、つまんないの」

 

 少し追い詰めすぎちゃったかなと心底残念そうな表情で呟くと、キラーはゆっくりとスキンヘッドの元へと近づいていく。

 そしてその間合いを三メートルほど前まで狭めたところで足を止めると、手持ちの武器を弓から片手剣へと持ち替えた。

 

「じゃ、死んで」

 

 淡々と死刑を宣告し、わざわざ見せつけるようにゆっくりと剣を振り上げる。それが振り下ろされた瞬間、スキンヘッドの身体は光の粒子となって仲間達のようにこの世界から消えることになるだろう。

 ペンちゃんはそれをいい気味だとまでは思わないが、いい落としどころだとは思った。彼らはフィアの言葉で心を入れ替え、PKによってこれまでの罪を裁かれる。これで森を焼いたことが他のプレイヤー達にとって不問になるかまではわからないが、少なくともペンちゃんは金輪際今回の件に触れる気はなかった。

 

 ――しかし、結果としてキラーの剣がスキンヘッドを断罪することはなかった。

 

 横合いから割り込んできた小さな影が、彼の身体を守るように立ちふさがったのである。

 

「やめて」

 

 スキンヘッドの腰ほどの身長しかない少女が、殊勝にもキラーの目を見据えて言った。

 三人の狩る者が居て、ペンちゃんは静観を決め込んでいて……しかしこの場において彼女――フィアだけは、スキンヘッドの男を庇ったのである。

 

「なっ……!」

「うん? 何だい君?」

 

 彼女の介入に各々が反応を見せるが、最も驚いているのはスキンヘッドの男だった。

 ペンちゃんが静観を決め込んでいるのが正しいように、この件ではスキンヘッドの彼こそが庇われてはいけない側なのである。

 彼はこの始まりの森を焼き、多数のプレイヤーに迷惑を掛けた。そしてキラー達はそれに対してあくまでも報復という大義名分で対峙している今、当人達の人柄は別としても善側はキラー達であり、スキンヘッド達こそが悪であった。

 しかし、ペンちゃんは失念していた。

 この心優しい少女がそんな理屈に従って、自分が言葉を交わした者達が目の前で倒されるのを黙って見ているかということを。

 

「フィアはフィア。この人達は、反省している。悪いことは、もうしないと約束した。だからこれ以上、この人達をいじめないで」

「おい!」

 

 必死にスキンヘッドを庇う彼女の言葉に、ペンちゃんが目を細める。

 理屈の上では善はキラー達であり、悪は彼らの方だ。

 しかしフィアの言うように、この場において三人掛かりで寄って集ってスキンヘッドに攻撃を仕掛けようとするのは、確かに「いじめ」のように見えた。

 スキンヘッドの制止を振り切りながら、フィアは頭を下げてキラー達に懇願する。

 

 それは、彼らの立ち位置が一転して変わってしまった瞬間である。

 

 小さな子供の頼みというのは、やはり心理的に抗いがたいものがある。それも、幼い少女が健気にも目の前の人間を守ろうとしている姿は心に温かい感情を染み渡らせ、ペンちゃんは彼女の言葉を聞いて妙にほっこりとした気分になった。

 彼女と向き合っているキラーの方もまた、場の空気が変わったことに気付いたのだろう。振り上げた剣を誰に当てることもせず振り下ろすと、彼は高らかに笑った。

 

「あははははっ! こりゃいいや、これじゃ僕達の方が悪役じゃないか!」

 

 善はキラー達、悪はスキンヘッド達。しかしその間に純粋な幼女が仲介するとなれば、話は別だ。

 彼女の懇願を無視してまでスキンヘッドを切り捨てたとなれば、彼らはいい悪役である。そうなったらそうなったでペンちゃんは嬉々として彼らのことを幼女を泣かせた外道PKギルドとしてその名をフレンド達に拡散させていくつもりだった。

 これまでスキンヘッド達を守る気は微塵も無かったペンちゃんだが、フィアの為ならばその手のひらもとい翼のひらを簡単に返した。

 

「……キラーよ、どうする?」

「やめてあげた方がいいんじゃないか? 幼女の前でPKなんて後味悪そうだし」

 

 キラーの仲間はフィアの登場と同時にすっかり毒気を抜かれてしまったのか、二人とも各々の武器を収めていた。PKギルドにもPKギルドなりの矜持があるのだろう。悪党が相手ならば思う存分PK出来るとはキラーの言葉だが、裏を返せば自ら進んで悪役になりたいわけではないと思える。彼ら二人に関しては、まさに随著な様子だった。

 しかしその言葉を語った張本人である、キラー・トマトは違った。

 

「冗談はやめてよね。僕達はPKギルドだよ? PKギルドにPKをやめろだなんて、僕から笑顔を奪うつもりなの? そんなの、許せないじゃない?」

「その傲慢さ、俺は嫌いじゃないぜ」

「僕にはポリシーがあるの。やると決めたら誰を泣かせたってやり遂げる! 中途半端なPKはしない! それが笑顔なんだ!」

 

 彼だけは、依然としてやる気満々である。

 フィアの言葉は彼の仲間達には届いていたが、肝心の死刑執行人である彼には全く届いていない様子だった。

 

「ということで、残念でした! 僕は彼を許しません。悪いのは彼の方なんだからね。だから僕達は正義の下に、彼を裁きます」

 

 スキンヘッドの死刑は結局、免れることはない。堂々と言い放たれる彼の宣告に、フィアは俯く。

 そしてフィアは両手で胸を抑え、苦しげに声を震わせながら言った。

 

「……違う、そんなもの、正義、違う……」

「ん?」

「フィアはフィア……「彼」とは、違う……」

「君、何を言ってるの?」

「違う……フィアは……そんなこと、したくない……!」

 

 それは、異変だった。

 まるでここには居ない誰かと話しているように、虚空を眺めながら彼女は繰り返して言い放つ。

 フィアはフィア――と、彼女の口癖を。

 

「……何だ?」

 

 ペンちゃんはフィアの様子が何やらおかしいことに気付くと静観を止め、ペンギン走りで前に出ようとする。しかしそのペンちゃんの動きを横目にしたフィアが、左手を上げて制止させた。

 彼女の揺れる瞳には「手を出すな」と……言葉は無かったが、そのような意図が込められているように感じた。

 程なくしてフィアは一歩ずつゆっくりと前に歩きながら、キラーを相手に呟くように語りかけた。

 

「そんなに殺したいのなら、フィアを殺せばいい」

「は?」

 

 一歩歩く度に、フィアは全身から一つずつ武装を外していった。

 最初に大剣を。

 次に弓を。

 腰からは片手剣を、杖を、躊躇いも無く外していった。

 自ら戦う術を放棄していくその奇行にスキンヘッドが慌て、キラー達が戸惑う。

 

「お、お前、何勝手に……!」

「フィアは抵抗しない。武器も使わない」

「わお」

 

 最後に両腿から二本の短剣を外し、フィアは完全に武装を解除する。

 無手となったフィアはキラーの手が余裕で届く距離で歩を止めると、彼の顔を下から見上げる視線を逸らさぬまま言った。

 

「……フィアを斬って笑顔になれるなら、フィアを斬ればいい。でも、現実の世界でそんな考え方をしたり、他の人を嫌な思いにさせたら駄目。現実もこの世界も、みんなはみんなで暮らしている。みんなが居るから、貴方が居る」

 

 スキンヘッドの男を庇い、自らが代わりになると。

 自らの存在が犠牲になることを、フィアは躊躇いもしていなかった。

 

「だからフィアを斬って、それで……この人達のことを、許してあげて」

 

 その言葉がどのような意図で放たれたものか、ペンちゃんは自身の知るフィアという少女の性格から推理する。

 スキンヘッドを助けたいのはわかる。彼女は彼らと話し、彼らが森を焼いたことについて反省していることを知った。

 

 反省しているのなら、許してあげよう――それが彼女の考えなのだろう。

 

 そしてキラー・トマト。この少年は正義のPKという大義名分でスキンヘッド達を襲ったが、それはあくまでも建前に過ぎず、言動から察するに単にPKが好きだからPKをしたいだけのように見える。

 フィアもまた彼の思惑について似たようなことを察したのだろう。だからこそ、彼女はこう思ったのだ。

 

 ――スキンヘッドを斬る目的が単なる自己満足ならば、自分でも代わりが務まるのではないかと。

 

 自分が斬られることで彼の心が満たされれば、スキンヘッドの男のことを見逃して貰えるのではないか?と。彼女はきっと熟考した末に、そのような考えに至ったのであろう。

 

 いじらしい。

 何とも、いじらしい少女である。

 

(トマト野郎め、やれるものならやってみろ。その前に私がお前を氷漬けにしてやる……!)

 

 コウテイペンギンの着ぐるみの中でペンちゃんは鬼気迫る表情を浮かべながら、アイテムボックスから引っ張り出したハンマーを装備して戦闘態勢に入る。

 マジ顔であった。

 もしキラーがこの後フィアの言う通りの行動を移したとすれば、ペンちゃんはその身を投げ出してもフィアの身を守るつもりだった。

 フィアの真摯な言葉の一つ一つが鍵となり、ペンちゃんの頭の中におかしなスイッチが入ってしまったのである。

 

 人はそれを――ロリータ・コンプレックスと呼ぶ。

 

 

「はは、アホらしくて斬る気にもならないや。いいよ、彼のことは見逃してあげる」

「……この人のこと、斬らない?」

「ああ、斬らない。そんな顔されて斬れるわけないだろ」

「本当?」

「ホントもホント。僕だって鬼じゃないからね、そこまで言われたら笑顔になれないよ」

 

 しかし幸か不幸か、事態は悪い方向に向かわずに済んだようだ。

 横合いに立つペンちゃんのただならぬオーラに当てられたのか否か、キラーは観念したようにフィアの元から背を向けて言った。

 フィアの思いは無事、彼の心に届いたのである。

 

「天晴なり……」

「俺、たまには普通のプレイもしてみようかな」

 

 キラーの仲間である侍と弓兵が緊張を解き、口々に呟く。

 二人の言葉はどちらも、武器も持たずにPKとの対話を行った小さな少女の勇気を称えるものだった。

 

(それでいいのかPKギルド……まあ、あんな顔でお願いされたら誰だって戦う気を失くすか)

 

 呆気ない幕切れにペンちゃんは拍子抜けするが、案外こんなものなのかもしれないと納得する。

 PKとて人の子だ。よほど屈折した性格でもなければ、面と向かってこうまで健気に語りかける少女の言葉を無視は出来ない。

 キラー・トマトにもまた、そういったごく一般的な良心があったのだろう。

 ペンちゃんは安心した表情でハンマーをアイテムボックスにしまい、フィアの元へ歩み寄ろうとする。

 

 ――しかし、ペンちゃんは気付いてしまった。

 

「ま、嘘なんだけどね」

 

 フィアの元から背を向けたキラーが両手で剣の柄を握り直し、殺意に溢れた笑みを浮かべていたことに。

 それはまるで、死神のような笑みだった。

 

「くそっ!」

 

 走る速度を上げ、ペンちゃんは全速力を持ってフィアの盾となるべく駆け出す。

 しかし彼女の手が届くより前に、キラーはその剣を閃かせた。

 

「フィア、離れろ!」

 

 キラーが嬉々とした表情で振り向き、両手に構えた剣を頭上から真下、フィアの頭を目掛けて振り下ろす。

 見事なまでに、鮮やかな騙し討ちであった。

 彼の心には決して、フィアの思いは届いていなかったのだ。ペンちゃんがそのことに気づけなかったのは、彼と面識が無いが故に彼の狡猾な性格を知らなかったからだ。

 彼のプレイスタイルを知る者は、口を合わせてこう呼ぶ。

 

 ――騙し討ちのキラーと。

 

 その情報を持っていないが故の失態だった。そうでなければ正々堂々と、武器を捨ててまで対話に臨もうとした少女を相手に、わざわざ回りくどい騙し討ちを仕掛けてくるなどとは誰が思うことか。

 

(すまない、フィア……!)

 

 駄目だ、間に合わない――自らの迂闊さを呪いながら、ペンちゃんはフィアに対して心の中で謝る。

 まだプレイを始めて日の浅い彼女にこんな形で初のデスペナルティを負わせる羽目になるとは、完全にこちらの判断ミスである。

 お詫びとして今度会った時は自分の鍛えた武器を無償で譲り渡すことを心に誓いながら、ペンちゃんはフィアの最初の「死」を見届け――

 

「……!?」

 

 ――見届けることは、なかった。

 

 キラーの剣の切っ先は、フィアの頭部まで到達しなかったのである。

 それは、キラーが良心の呵責により自らの凶行を寸でのところで止めたわけではない。

 他の誰よりも、キラー自身がその光景に驚いていたのだ。

 

 ――斬り裂かれる筈の目の前の少女が、彼の剣の到達を両手(・・)で封じ込めたのだから。

 

「白刃取りだと……?」

 

 侍風の姿をしたキラーの仲間が、両手で直接剣の進行を阻んでいるフィアの姿を見て驚愕の声を上げる。

 ペンちゃんもまた、その光景には思わず足を止めて見入ってしまった。

 

「貴方は……嘘つき」

 

 真剣白刃取り――その技法を何食わぬ顔で披露してみせた少女は自身の抑え込んだ剣の切っ先には見向きもせず、俯いた表情で、悲しみに震える声で呟いた。

 

「……なに?」

「嘘つきは駄目……こんなことをしてたら、きっと貴方も駄目になる」

 

 彼女は騙し討ちを受けたことに対して憤るわけでもなく、ただひたすらに悲しんでいた。

 顔を上げて、彼女はキラーの目を見据える。

 彼女の瞳を見たキラーの顔が、僅かに強張った。

 そしてペンちゃんもまた、彼女の瞳を見た途端目を大きく見開いた。

 

 ――フィアの瞳には、悲しみの涙が浮かんでいたのだ。

 


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