始まりの町「ハーメラス」から東方に位置する森林ダンジョン、「始まりの森」。
プレイヤーが訪れる最初のダンジョンの一つであり、生息するモンスターの強さは初心者に合わせて相応に設定されている。
森の中には現代日本には存在しない植物が辺りに生い茂っており、太陽の光が高くそびえ立つ木々の間から地を照らしている光景はどこか神秘的でもあった。
しかしその広大な森の一部分が、今は山火事に襲われた後のような無惨な光景と化していた。
鮮やかだった緑は黒く染まっており、炭と化した木々の破片が地面へと散らばっている。
この惨状は言うまでもなく、あの三人のマッスル達の仕業であろう。
モンスターの一匹も居ないその地を、フィアとペンちゃんが探し物を求めて歩き回る。
すると地面に視線を落としていたフィアが、焦土の中に小さな緑を見つけた。
「採取」
薬草である。加工をすれば傷を癒す薬品になり、そのままでも一定の効果を与える冒険者の必需品だ。
森は無惨に変わり果てても、中にはたくましく生き残った命もある。その一つが、この薬草だった。
その命に傲慢だと思いながらも感謝を捧げると、フィアはその薬草の葉だけを茎から下を残して摘み取った。
「採取」
一本の薬草を摘み取ったフィアは、その付近にもう一本の薬草を見つけ、それも同じように摘み取っていく。
ウインドウを開き、摘み取った薬草を「アイテムボックス」へと収納していく。その作業を後ろから見守る一匹のコウテイペンギンが、着ぐるみの中で安心の笑みを浮かべた。
「順調だな」
現在二人が行っている「薬草の採取」は、始まりの町の「集会所」で受注した「クエスト」である。
依頼主はNPCの万事屋店主。「薬草を十個納品してくれ」というこのクエストはペンちゃんいわくいつ集会所を訪れても掲示されているもので、大抵の初心者プレイヤーが最初に受けるクエストだそうだ。
薬草は始まりの森のやや奥地に行けば至るところに生えており、どんなプレイヤーであろうと達成することが出来ると言われている。
今回はマッスル達の蛮行によって採取する薬草まで燃えてしまったのではないかと懸念していたが、今のところクエストは目標数まで順調に進行している。
森に生える薬草達の予想以上のたくましさがその一因であったが、フィアにとっては何よりこの森の地理を知り尽くしている相方の存在が大きかった。
「ペンちゃんのおかげ」
素直に感謝の意を表するフィアに、ペンちゃんは満更でもなくふふんと鼻を鳴らす。
しかしペンちゃんはこの謙虚な少女に自信を持たせる為に、あえて謙遜することにした。
「私は何もしてないよ。フィアにはきっと、採取の才能があるんだ」
「そうなの?」
「そうなの」
実際、ペンちゃんから見てフィアは物陰に隠れている薬草を見つけることが上手いと言えた。
薬草が生えている場所まで案内してあげたのは確かにペンちゃんだが、その後手際良く薬草を採取しているのは全てフィアの手柄である。その効率の良さはおよそ初めて受けた採取クエストとは思えず、ペンちゃんの持ち上げ方はそれほど過剰なものではなかった。
「しかし薬草もモンスターと一緒に燃やされているんじゃないかと思ったが、探してみれば案外無事なもんだな」
「植物は、たくましい。フィアより、たくましい」
「私にはそんなフル装備で歩き回れるフィアの方がたくましく見えるが……」
「ゲームだから、誰でも持てる。ペンちゃんも持てる」
「そ、そうか」
採取した薬草はこれで七つ。最終決戦仕様の装いのフィアは、これまで当初の予定を上回るペースでクエストを進行している。
ただ少しペンちゃん的に残念だったのが、ここら一帯のモンスターが狩り尽くされてしまった為にモンスターとエンカウントすることがなく、彼女の戦闘の腕前を拝見出来なかったことか。
尤もペンちゃんには、この子はモンスターと戦いになっても持ち前の優しさを捨てられないのではないかという懸念があった。
優しさは美点だが、行き過ぎてはゲームが成り立たない。様々な要素があるHKOと言えど、基本的には戦いが主のゲームなのだ。小動物型とは言え本来戦うべき相手である筈のモンスターと戯れていたフィアの姿を思い出しながら、ペンちゃんは彼女の優しさを心配に思った。
しかし、そんな話を本人を相手にするのは野暮というものだ。
今自分達が居るのは【
「さて、後三つでクエスト達成だ。ここはもう採り尽くしたから、そろそろ奥の方に行こうか」
「うん」
この場の薬草を採取し終えたところで、一人と一匹はさらなる薬草を求めて森の奥地を目指していく。
森の中は奥へ行けば行くほどモンスターのレベルが上がっていくのだが、そんなモンスター達も今や三人のマッスル達に狩り尽くされている現状採取中に襲われるような心配は少なく、仮に現れたとしてもベテランプレイヤーであるペンちゃんにとって、初心者向けダンジョンに生息するモンスター程度は恐るに足らなかった。
――その時である。
「む? あれは……」
燃え散らされた黒い木々を掻き分けながら森を進んで行くと、彼女らは広く落ち着いた空間で再び「彼ら」の姿を発見した。
モヒカン頭の男が二人と、スキンヘッドの男が一人。この始まりの森を燃やした張本人である、三人のマッスルの姿だった。
「噂をすれば何とやら……とっくに処理されたと思っていたが、あいつらまだ生きていたのか」
「処理?」
「こっちの話」
ペンちゃんがフレンド達に討伐を依頼してからそれなりに時間は経っているが、彼らは三人とも森に健在だった。
しかし、決してあの後三人の身に何事も降り掛からなかったわけではないようで、三人の顔にはそれぞれ疲労や焦りの表情が浮かんでいた。もしかしたら今の彼らはペンちゃんのフレンド兵の襲撃に遭い、辛くも逃げ延びた後なのではないか。
そう思ったペンちゃんはフィアの身を数少ない無事な木の陰に隠すと、自分もまた彼らに見つからないように同じ木陰へと身を隠す。
彼らは一ヶ所に固まって、何やら話し込んでいる様子である。本来ならば面倒事は避けるべきなのだろうが、彼らにフレンド兵をけしかけた張本人であるペンちゃんには三人のマッスル達が話している内容に興味があった。
故にペンちゃんは、彼らの話をそのまま盗み聞きすることにした。
「くそっ、何なんだあいつら! 少しは容赦しろっての!」
「まさか、PKに狙われるとは……!」
……どうやら、フレンド兵に襲われた後だという想像は当たっていたようだ。
三人の会議に聞き耳を立てるペンちゃんは、彼らの口から放たれる苦しげな言葉にざまあみろと胸がすく思いだった。
因果応報というのはペンちゃんの好きな言葉の一つである。悪いことをすれば、それが自分に返ってくるのは当然のことだ。特に今回は、彼らの行動が隣に居る純真無垢な少女の心を傷付けたのだ。多少のお灸を吸えてやらなければ、ペンちゃんの気が済まなかった。
しかし当の少女の顔色を窺ってみれば、今の彼らに対してペンちゃんと同じ感情を抱いていない様子だった。
それどころか、その大きな瞳に心配の色すら浮かべていた。
「……あの人達、疲れている」
「どうやらあのモヒカン達、一戦強い敵と戦ってきたみたいだなー」
彼らのことを気遣ったフィアの言葉に、ペンちゃんが白々しくそう返す。
自分が彼らに強力なプレイヤー達をけしかけたことを、心優しいフィアに教えるわけにはいかない。ペンちゃんは自身の腹黒さを明かすことによって、彼女に嫌われたくなかったのである。このペンギン、やり方が小汚かった。
着ぐるみの内でやや冷や汗を流してフィアの様子を窺いながら、ペンちゃんは尚も三人の声に耳を張る。
三人のマッスル達は自分達が作り上げた焼け野原の上にあぐらをかいて座り込むと、神妙な顔で話し始めた。
「そうは言うけどな。あのトマト野郎はムカつくが、今回ばかりは向こうのが正しいぜ。お前ら、右を見てみろよ」
「右?」
「俺達が暴れた跡がある」
「なっ……!」
モヒカンの二人がリーダー格と思われるスキンヘッドの男から指示された方向に目を移すと、そこに広がる光景を認めた途端、驚きの表情を浮かべて絶句する。
彼らの前に広がっているのは、彼らがモンスターに向かって放った過剰な攻撃によって燃え散らされた森の惨状である。これまで薬草を採取する過程で幾度となくその光景を目にしてきたペンちゃんとフィアにとっては「何を今更」と言える会話であったが、彼らにとっては本当に衝撃的だったらしく、しばらくその場に愕然と固まっていた。
その反応はまるで、今になって自分達の過ちに気づいたようだった。
「なんてこった……辺り一面焼け野原じゃないか! これは酷い!」
「ひゃっは……気づかなかったぜぇ」
「そうだ。俺達は、とんでもないことをやっちまったんだよ……」
言葉を文字にすれば何とも白々しく感じるかもしれないが、各々の言葉は本気であり、彼らは本気で周囲の光景に驚愕し、悔やんでいる様子だった。
自ら引き起こした惨状に頭を抱えながら、三人はこれからどうしようと不様に狼狽える。
そんな彼らの当たり前ながらも理性的な態度は、奇声を上げながら暴れ回っていた先の彼らの姿とはまるで別人のように重ならなかった。
「……なんだあいつら、わざとやっていたんじゃなかったのか?」
三人の男が見せる我に返ったような心境の移り変わりに、ペンちゃんは何だこいつらと困惑する。彼らは実際しょうもない人間であることに変わりは無いのだろうが、彼女が認識していた人物像とはやや齟齬があったのだ。
しかしフィアの方はそんなペンちゃんのように困惑することはなく、彼女は彼らの方を眺めてどこか嬉しそうに言った。
「わざと違う。あの人達は、悲しんでいる」
「何を今更……これだけやらかしておいて、勝手な奴らだ」
「勝手でも、悲しんでいる。とても人間らしい、優しい心」
「優しい? 優しいか……?」
間違いを悔やみ、反省する。そんな当たり前の態度を見せている彼らの姿に、フィアは安堵しているようだ。
そんなフィアは瞳を閉じ、微笑みを浮かべながら言った。
「フィアはあの人達を、理解出来た気がする」
「フィア?」
納得した表情を浮かべ、フィアは迷う素振りも無く木陰から歩み出す。その行き先は、各々が引き起こした惨状に対して途方に暮れている三人の居場所だった。
「おい、何を……」
「フィアは大丈夫。ペンちゃんは、ここで待ってて」
「あ、ああ……」
見るからにガラの悪い男達の居場所に、彼女が単身で赴こうと言うのだ。流石に幼い少女一人で行かせるわけにはいかないと思ったペンちゃんがその後を追いかけようとするが、フィアは彼女に対してその場で待機しているように呼びかけた。
その言葉にペンちゃんが思わず言う通りに立ち止まってしまったのは、この時浮かべていたフィアの眼差しに気押されたからである。
(あの子……あんな顔も出来るんだな……)
心の中で、ペンちゃんはフィアという少女に対して新たな印象を付け加える。
触れれば掠れてしまいそうに儚く、第一印象では弱々しいとすら見えたフィアの顔つきは――この時ばかりは親しくなったペンちゃんにすら有無を言わせない、決意の感情が込められていた。
覚悟に引き締まった、精錬とした凛々しい表情。
初めて目にしたフィアの意外な一面に、ペンちゃんは目を見開く。
一方、フィアが木陰から飛び出したことによって、三人のマッスル達はようやく彼女の姿に気づいたようだ。
「ん、なんだこのガキ?」
「ひゃはは、迷子なら俺が町まで送ってやるぜー!」
フィアの姿を目にした彼らの反応は三人とも厳つい容貌とは裏腹に良識的であり、やはり見た目ほど危ない人間ではないようだ。
しかしその体格差はまるで巨人と小人だ。木陰から見守るペンちゃんとしてはフィアが彼らを前に萎縮しないだろうかと気が気でなかったが、その心配は杞憂に終わった。
フィアは一切怖気づくことなく、彼らの前に出てきたその目的を遂行する。
「ごめんなさい」
フィアがペンちゃんの制止を振り切ってまで彼らの前に飛び出した目的――それは、あろうことか彼らに頭を下げることだった。
彼らに向かって勇気を振り絞って吐き出された言葉は、至ってシンプルな謝罪の言葉だ。
思わぬ行動にペンちゃんは呆気に取られ、数拍後、冷静になった後で呟いた。
「……なんでフィアが謝るんだよ」
目尻を下げ、今にも泣き出してしまいそうな表情で頭を下げているフィアの姿に、ペンちゃんは首を傾げる。
彼女の謝罪は大きな誠意の程が窺える見事なお辞儀であったが、ペンちゃんにはそもそも彼女が頭を下げる意味がわからなかったのだ。
三人のマッスル達も同じことを考えているようで、唐突に現れたかと思えば前置きなく謝罪してきた少女の姿を前に、それぞれ困惑の表情を浮かべていた。
「おい! てめえら、こんな小さなガキに何しやがった!?」
「俺は知らねぇぞ! 俺は女子供には手を出さん!」
「俺もだ……と、とりあえずお前、頭を上げてくれないか?」
「……フィア、頭を上げる?」
「あ、ああ、まずは話をしないことにはな……」
中学生であるかも怪しい小さな少女を前にあたふたする世紀末トリオとは、何とも奇妙な光景である。
これは中々見られるものではないと思ったペンちゃんは無言でウインドウを開くと、「スクリーンショット」という名の撮影機能を使って目の前の光景をこっそり記録しておくことにした。
そんなコウテイペンギンのいとも容易く行われる畜生行為を他所に、頭を上げたフィアと三人のマッスル達が対話を始めた。
「えーっと、そう、あれだ。俺達には今初めて会ったばかりのガキに頭を下げられる覚えなんて無いんだが、お前は一体何のことを謝っているんだ?」
「フィアは、貴方達の戦いを、見ていた。でも、止めなかった……ごめんなさい」
「……ああ、そういうことか」
謝罪の理由は、彼らの行為を目にしておきながらも見て見ぬふりをしたことだ。
確かにそういう言い方をすれば、フィアにも否があると言えなくもない。あの時自分が止めていれば、森の惨状も彼らの後悔も全て未然に防ぐことが出来た筈だと。
そう話すフィアの表情は、森を焼いた張本人である彼ら以上に悲痛なものだった。
「いい大人が、しょうもないところを見られちまったな……」
しかし彼ら三人もまた、自分達が過ちを犯した責任を少女一人の身に押し付けられるほど外道ではなかった。
「フィアって言ったな? 嬢ちゃんは悪くねぇよ。残念だが、その謝罪は受け取れねぇな」
「嬢ちゃんは見て見ぬふりをしたことを謝りたいんだろうが、俺達こんな見た目だしな。近づけないと思うのは当たり前だよなァ……」
「ひゃは、今こうして出てきただけでも大したもんだぜェ」
自分達の責任は全て自分達だけのものだと、マッスル達はフィアの謝罪を当然のように受け付けなかった。
その誠意の表し方の一つとして、彼らは両膝と両手を地に着け、深々と頭を下げた。
日本人特有の最上級謝罪法、「土下座」である。
「怖がらせて悪かったな、嬢ちゃん。俺達の方こそこの通りだ。すまなかった……」
「俺達も土下座だぁー!」
「ひゃっはー!」
まず最初にリーダー格のスキンヘッドが土下座をすると、後続のモヒカン達も彼に習って次々と頭を下げていく。
頭の高さ、姿勢と言い、何度も人前でやり慣れているような実に堂の入った綺麗な土下座だった。
木陰からそのやり取りを見守るペンちゃんは彼らの潔さに思わず感心し、直接土下座を見せられたフィアと言えば何を思ったのか、彼女までも地に頭を着けようとしたぐらいである。
「フィアも土下座……」
「やめるんだ!」
「そうだ! 俺達も流石にそこまで落ちぶれちゃいねぇ!」
「ひゃっはー! 美幼女の前でする土下座は最高だぁーっ!」
「ショウ! お前は黙っていろ!」
もちろん二回り以上も歳の離れた幼女に土下座をさせることは彼らの矜持が許さなかったようで、フィアの土下座は全力で阻止されることになった。良識的な対応だが、もしそうしなかったらペンちゃんが飛び出して彼らの頭をハンマーで吹っ飛ばしていたところだ。
しかし先の鮮烈な暴れっぷりには警戒していたが、こちらが思っていたより彼らは幾らかまともな人間だったようだと、ペンちゃんは彼らに対する警戒心を薄めた。
フィアの方も彼らから同じことを感じたらしく、フィアは不思議そうに小首を傾げながら呟いた。
「……みんな、あの時と違う」
モンスターと戦っている時は世紀末も真っ只中と言わんばかりのはしゃぎようであったが、今こうして自分と向かい合っている彼らは至って落ち着いた様子であり、過ちを悔いる良識もあればフィアからの謝罪を善しとしない誠実さもある。
どちらが本当の彼らなのか、フィアには測りかねている様子だった。
そんな彼女の反応は尤もだと、スキンヘッドの男は土下座を解いて立ち上がると、苦笑を浮かべながら言った。
「言い訳になっちまうが、俺もみんなも興奮しまくってたからな……一度思う存分暴れてみて、頭の中がスッキリしたんだよ。みんなでブラック企業勤めの労働生活……ゴホンッ、リアルでの鬱憤をゲームで晴らそうとしていたんだが、冷静になってみると虚しいだけで何の意味も無かったってわけだ」
「ひゃははは! 社畜だ! サビ残だ! 接待だぁー! 月火水木金月火水木金月火水木金うわあああああっ!」
「そ……そんな中でも今日は定時で帰れて、珍しく同期のみんなとゲームする時間が取れたから、ついはしゃぎ過ぎちまってなァ。今更、何の言い訳にもならんが……」
なるほど、とリアルの世界では立派な社会人であるペンちゃんは彼らの事情を聞いて納得する。
確かにこの「HKO」での爽快な戦闘は、日頃のストレスを解消するには良い気分転換になる。ペンちゃんもまた彼らほどはっちゃけはしないが、そう言った目的でログインを行う日は何度かあった。
リアルでは周りから束縛される日々を送っているからこそ、ゲーム内では何にも縛られることなく傍若無人に振舞いたい。彼らの場合はやりすぎであるが、その気持ち自体はわからなくもないのだ。
見たところ学生であるフィアにはどの程度まで彼らの気持ちを読み取れているかはわからないが、それでも彼らの事情を聞いたフィアはじっと彼らの目を見つめながら、数秒間考え込む素振りを見せた。
そして、彼女は彼らの瞳に訊ねる。
「みんな、一生懸命、モンスターと戦っていた?」
あの時、自分の価値観を一方的に押し付けてはならないとフィアは言った。彼らは一生懸命モンスターを倒していただけで、頑張った結果被害が出てしまうのは仕方の無いことだと。
だからこそ、フィアはあの時彼らに何も言わずに立ち去ったのだ。
しかしそれがフィアの勘違いで、この森の惨状は彼らが必死でモンスターを倒そうとしていた結果生まれたものではなく、始めから森を焼き払う為に行ったことだとすれば……おそらく、次に来るフィアの言葉は変わっていただろう。
その点では、彼らの返答は彼女の望み通りと言えた。
「一生懸命、か。まあ、確かにある意味では一生懸命だったと言えなくもないが……俺達がやらかしちまったことは事実だろ。わざとじゃなければ何をやってもいいわけじゃない」
「一生懸命は、いいこと。でも、自然壊す、いけないこと」
「そうだ。お前の言う通り、俺達はいけないことをした……」
「ああ、なんであんなことをしてしまったんだァ……」
表情は凛としているが、彼女の言葉はたどたどしく、震えてもいた。
厳ついマッスル達を相手に上目遣いに訴える姿は、精一杯の勇気を振り絞った必死の抗議に見えた。
何ともいじらしく、同情せずには居られない。彼女の人柄をある程度知ったペンちゃんには、その姿が演技とは違う真なる姿であることを疑わなかった。
マッスル達の心にもまた、彼女の訴えは染み入ったのであろう。
「……猛省する。もう二度としないよ」
スキンヘッドの男がフィアの前で土下座ではなく片膝を着くと、まるで騎士の宣誓のように彼女に誓った。どうやら彼女の身から溢れる健気オーラを間近に当てられたことによって、彼の中で妙なスイッチが入ってしまったらしい。
すっかり浄化されてしまったスキンヘッドの善人顔を木陰から眺めていたペンちゃんは、「あっ、墜ちたな」と彼の心情を速やかに察した。
そして彼女との対面で変化がもたらされたのは、スキンヘッドの彼だけではなく。
「なあショウ……嬢ちゃんを見てたら、俺達も頑張らなきゃって勇気が湧いてこないか?」
「ひゃはは、そうだな。覚悟を決めたぜ。明日こそ俺は、あのクソ上司にガツンと言ってやる!」
「ふっ、カッコつけんなよ、お前だけそっちに逝かせねぇ」
「そうだ。俺達も一緒だぜ、ブラザー」
「お、お前ら……! 俺はいい同期を持ったぜ……!」
二人のモヒカンもまた幼い身でありながらも暴虐なマッスル達の前に出て、最後まで目を逸らすことなく対話に臨んだフィアの勇気に感動し、その心に影響を受けたようだ。
彼らのリアル事情がどうなろうとペンちゃんには知ったことではないが、何やら社畜脱出に向けて結束を固めたらしく、彼らは絆を深めたようだ。
そんな三人の姿にフィアの表情は緊張を解くと、うんうんと頷いて安堵の笑みを浮かべた。
「みんな、仲間、仲良し。フィアも、嬉しい」
その時である。
「ゴハッ……!?」
モヒカンの一人の口から、血を吐くような呻き声が漏れた。
しかしそれは、フィアの浮かべた天使の如き微笑みに悶絶したわけではない。
物理的な衝撃による苦悶――その声を漏らしたモヒカンの身体には、背中から胸に掛けて一本の矢が貫通していた。
「ッ!? ショウ! どうしたショウ! 何が起こった!?」
モヒカンの男が一人ドサッとうつ伏せに倒れ伏したところで、一同はようやく突如として起こった出来事に反応を見せる。
リーダー格であるスキンヘッドの狼狽えた言葉に、モヒカンはひゅーひゅーと苦しげに呼吸を漏らしながら、力なく言葉を紡いだ。
「ひゃは……い、因果応報って奴だな……」
――その言葉を最後に、モヒカンの肉体は青白い光の粒子となって飛び散り、この世界から消滅した。
それは、VRMMO【
敵から受けたダメージによって体力――HPが0まで減らされた時、そのプレイキャラクターは「死」を迎え、一時的にゲーム内から消滅する。
尤も、この世界で死んだからと言って現実に居るプレイヤーがどうにかなるということはない。ただプレイキャラクターを死なせたプレイヤーは「デスペナルティ」としてその場から強制的にログアウトされ、再ログインまで二時間の時間を要し、他には精々ゲーム内の所持金が幾らか減らされるだけだ。
逆に言えば二時間さえ待てばプレイヤーは再ログインすることが出来、プレイキャラクターも復活する。このゲームでの「死」は、所詮その程度の重さに過ぎないのだ。
戦闘についてもそうだ。ダメージを受けたところで演出として服や身体にある程度傷が付くだけで、痛みは無いし、血も流れない。先ほど死んだモヒカンが苦しそうにしていたのは彼のロールプレイによる紛らわしい演技に過ぎず、実際には「てへっ、やられちまったぜ」ぐらいしか考えていなかったりする。
――しかし運が悪いことに、この場にはフィアという少女が居た。
「あ……」
かつて異世界に「本物の」勇者として召喚され、血なまぐさい戦乱の世界を戦い抜き、誰よりも人の「死」に触れてきたフィアが。
「あ……ああ……」
言葉を、心を通わせてきた多くの仲間達を……ことごとく目の前で失ってきたフィアが。
「ああああ……っ」
――ゲーム内であっても、「死」という現象を目の当たりにしてPTSDを発症し、「前世」の記憶を想起してしまうのは至極当然のことだった。
脳裏に浮かぶのは、今の彼のように目の前で死んでいった人々の姿だ。
そこは、かつて「彼」が訪れた異世界の街道の一つだった。空からは既に青色が失われ、淡い太陽の光が街を照らしていた。
街からは、至るところから黒い煙が上がっていた。夕方の黄昏の空をバックに、街を覆いつくさんばかりの煙がたなびいている。
煙の中で、小さな閃光が走る。
街中で戦う、「勇者」と「魔王軍」の攻撃だ。流れ弾を受けて破壊された街の中を、「彼」らが進んでいく。
戦っている人間は「彼」ら「勇者」だけではない。街に住んでいた一般市民達も混乱に乗じて、「敵」である「魔王軍」を相手に攻撃を仕掛けている。
フィアが目を見開く。もう何度目になるかもわからない、「彼」の記憶のフラッシュバックだった。
(これは、あの時の……)
魔王軍に支配されたとある都市の解放戦。「彼」を含む召喚勇者達全員がその場に動員され、魔王軍と戦った頃の記憶だ。
記憶の中では、「彼」が怒りの形相で剣を振るっていた。
一心不乱に戦い、「彼」は敵という敵の首を掻っ裂いては踏みつけていた。その姿に人らしさは無く、まるで敵を殺すだけの機械のようで――
(違う……! フィアは、違う!)
血に染まった「彼」の顔を映したところで、フィアは首を振ってソレを否定する。
あれは、あんなものは自分ではないと。今の自分は双葉志亜であり、「彼」ではないのだと。
しかしそんなフィアの思いを嘲笑うかのように、「彼」の醜悪な記憶は頭の中へと鮮明に映し出されていった。
何度夢に見ても、フィアが「彼」の記憶に慣れることはない。
次に映し出されたのは、その戦いが終わった後の光景だった。
任務を果たした「彼」の足元には一面中に赤い血が広がっており、四肢をちぎられた町民達の遺体が転がっている。
遺体の中には、まだ十歳にも満たっていない少年の姿もあった。
『お兄ちゃん達は、僕達を守ってくれるよね! だってお兄ちゃん達は魔王をやっつける、チキュウの勇者なんでしょ?』
生前の少年と交わした言葉の中で、フィアが覚えているのはそれだけだ。いや、それだけでもよく覚えているものだと思う。
楽しかったこと、嬉しかったことなどはほとんど覚えていないというのに、そう言った都合の悪いことばかりはフィアの頭の中で鮮明に残っている。
遺体となった少年と生前に言葉を交わした「彼」の記憶は、今ものうのうと生きているフィアに対して「お前はあの子を守れなかったんだ」と冷たく責め立てるのだ。
子供達は、「彼」のことを信じていたのに。
魔王軍から自分達を救ってくれると、最後まで信じていたのに……。
(……っ!)
血まみれの少年の遺体が開いている虚ろな瞳は、まるで何かを求めるように、すがるように虚空を見つめていた。
戦いが終わったその街は、ただ静かだった。
辺りに「勇者」以外の存在は無く、街はただ柱のように立ち上る灰色の煙が、夕空の下で風に流されていくだけだった。
『兄さん……』
無力に立ち尽くす「彼」に、一人の少女が寄り添う。
湖のように透き通った綺麗な髪を振り乱し、彼女は今にも遠くへと消えてしまいそうな「彼」を引き止めるように背中から抱き締めた。
――彼女の名は、キズナ。
最終的には自分の名前も共に戦った仲間も、憎き怨敵の名前すらも忘れてしまった「彼」とフィアが、今でも唯一覚えているのが彼女の名前だった。
彼女こそが「彼」のたった一人の家族――彼が全てを捨ててでも、その手で守り
『お願い……戻ってきて……!』
壊れかけの黒き勇者と、そんな彼を支える青き勇者。
青き勇者が、涙の雫を落としながら願った。
『兄さんだけは、いなくならないで……!』
――そのフラッシュバックを最後に、フィアの意識は現実へと引き戻される。
目に見えるのは先ほどと変わらない、三人組に焼き払われた「始まりの森」の景色だ。
しかしそこには、モヒカンを撃ったと思われるフィアにとって見覚えのない少年の姿が加わっていた。